2024年9月14日 (土)

自民党総裁選挙3日目

 石破 茂 です。
 総裁選挙も3日目となりました。厳しい残暑の中ですが、日々全力を尽くしております。お支え頂いている同志議員や全国の皆様、郷土鳥取県の皆様の献身的な思いと活動に、何としてもお応えしたいと固く決意しています。
 本日は日本記者クラブでの討論会の後、午後6時より名古屋の久屋大通公園内光の広場で街頭演説会が行われました。ご参加いただいた皆様、暑い中、長時間お立ち頂き、耳を傾けていただきまして、本当にありがとうございました。

 9名もの立候補者ゆえ、演説会の各自の持ち時間も短くなり、内容を深めるのはなかなか困難です。今回、経済対策と裏金問題議員への対処の他、「選択的夫婦別姓制度の是非」「解雇規制緩和の是非」が、テレビ討論でも記者クラブ主催の討論会でも取り上げられます。この重要性は否定しませんが、論じるべきことはそれだけではない、という気がしてなりません。
 かつてなく厳しい安全保障環境の中、我が国の防衛政策は当然ながら抜本的な強化を迫られています。旧ソビエト連邦は米国を何回も全滅させることが出来るほどの核ミサイルを保有しており、そうであるが故に互いに撃ち合いになることを避ける「相互確証破壊(MAD)」が機能し、核戦争には至りませんでした。これは米中においては妥当する概念だと考えられますが、北朝鮮には妥当しない可能性が高いと思います。北朝鮮は、「北朝鮮が存在しない世界など無い方がいい。死なばもろとも」という考えを持ちかねず、国民の幸せなどは指導者の眼中にない専制独裁テロ国家であり、その国が米国東海岸まで到達するミサイルを保有するに至ったことは、従来の安全保障政策を根幹から見直さねばならないことを意味します。

 「今日のウクライナは明日の東アジア」と、ロシアを中国に、ウクライナを台湾に置き換えて論ずるのなら、ウクライナにおいて抑止力が効かなかった原因を検証し、その穴をどうやって埋めるのかを考えなければなりません。東アジアにNATO的な組織は存在せず、台湾は国連にも加盟していません。常任理事国の拒否権によって国連が実質的に機能しないからこそ、アジア太平洋地域において集団安全保障の機構が存在しなければならないのです。
 保守とはイデオロギーではなく、国民統合の象徴であらせられる天皇陛下と皇室を敬慕し、祖先を敬い、家族を大切にし、地域を愛する「佇まい」のようなものだと思っています。演説に向くテーマではないことを十分に知りつつも、日本国の独立と平和を守り、世界の平和を築くための具体的な方途が論じられる総裁選としたいと思っています。

 残暑が続きます。今日から三連休の方も、お仕事の方も、どうかご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2024年9月 7日 (土)

「防災省」(仮称)への思いなど

 石破 茂 です。
 今週は多くの方が総裁選挙に向けた発表をされ、告示前から議論が熱を帯びています。
 すべての方の会見内容を仔細に検討する余裕はないのですが、河野太郎大臣が日本の原子力潜水艦保有の可能性について言及されたことには注目しております。農林水産大臣在任中、日本の原潜保有の是非について雑誌「世界の艦船」に寄稿したことがあるのですが、ほとんど誰にも関心を示していただけませんでした。この問題は日本の安全保障政策の根幹に関わるものであり、この問題を敢えて提起された河野大臣に敬意を表します。

 

 私の提唱している「防災省」について、「屋上屋を重ねるものだ」との批判がありますが、私は全くそうは思いません。近年これほどまでに災害が頻発し、災害大国と言われる日本にあって、全国の防災体制を一元的に取り扱う専門省庁の必要性は論を俟ちません。
 2011年の東日本大震災において、菅直人首相は「阪神淡路大震災の時も復興庁を作らなかったのだから、今回も創設する必要はない」と言い放ちました。当時野党であった我々自民党は、「阪神淡路大震災は主に神戸という大都市に被害が集中した大災害だった。今回は北海道から東京まで広く被害が及び、財政に困窮している過疎地も多く含まれており、阪神淡路にはなかった津波や原発の被害もある。阪神淡路で作らなかったから今回も要らない、というのは全く間違っている」とし、設置法を書き、これが今日の復興庁に繋がりました。
 東日本大震災発災後の4月、野党自民党の政務調査会長であった私は無理をお願いして宮城県女川町で避難所にあてられた体育館に泊めて頂いたのですが、その時に被災者の方々が「なぜ各省庁をたらい回しにされなければならないのか。一つの役所ですべてが片付く体制がなぜできないのか。陳情するのが我々の仕事ではない」と口々に言っておられたことが忘れられません。
 避難所は基本的に101年前の関東大震災の時のまま、シェルターや国民保護体制が十分に整備されていないのも79年前の東京大空襲の時のまま。これは一にかかって政治の責任です。
 私の考える防災省は、強力な指揮命令権限を持つ巨大な官庁ではありません。地方創生大臣在任中、アメリカの連邦危機管理庁(FEMA)長官を訪ねたとき、「FEMAの主たる役割は、全米のどこで災害が起こっても同じ対応が出来る体制を構築することであり、首長や議員などに対する教育が大事なのだ」と述べられていました。国民保護を主眼とする防災専門の官庁の設立に向けたプロセスは、来週火曜日の政策発表会見でお示しできると思います。 

 

 もし、「今の防災の体制はうまくいっている」と認識している人があるとすれば、それも早急に改める必要があります。現在、内閣府防災担当の人員は100人程度、予算は74億円。職員がどんなに懸命に働いても、災害発生後の事態対処はパンク寸前で、事前防災の取り組みも度重なる災害発生で中断してしまうのが現状です。人員も国交省や厚労省などの各省庁からの出向者が多く、2年経ったら元の役所に帰っていきますので、せっかくの知識や経験の蓄積も出来ません。
 既に関西広域連合や全国知事会は防災省創設の提言を行っており、全市町村長の約6割がこの必要性を認めています(反対は約2%)。災害対応は基本的に基礎自治体の任務となっているのですから、市町村長たちのこの声は現場の悲痛な声と捉えるべきではないのでしょうか。仮にも霞が関流の理屈でこれを無視するようなことがあってはならないのです。
 私の考えが足りないところは、今回の総裁選においてむしろ補強していただき、防災省(仮称)創設についての議論が深まり、実現に近づくことを心より期待しています。

 

 出版元から著者謹呈の形で送って頂いた「火を吹く朝鮮半島」(橋爪大三郎著・SB新書・近日刊行)からは貴重な示唆を受けました。橋爪先生は小室直樹博士の直弟子であり、折に触れご教導頂いてきました。まさしく碩学であった小室直樹、色摩力夫、佐瀬昌盛、吉原恒雄各氏の安全保障に関する著作なくして、今日の私はありません。佐瀬先生以外はすべて故人となってしまわれましたが、碩学の著作から、政治家とは何のために存在しているのか、政治家のなすべき国防とは何か、を教えられたこともまた、有難い出会いだったと心から感謝しております。
 今は読書の時間も返上し、少しでも同士の皆様の期待に応えられるよう、あらゆる努力を重ねたいと思っております。

 

 67年生きてきましたが、結婚記念日、父母の命日、最初の国務大臣拝命など、9月は何かと思い出深い月です。
 来週木曜日から総裁選が始まります。最後の戦い、全力を尽くして参ります。何卒よろしくお願い申し上げます。
 少しずつ涼しくなりつつはありますが、まだまだ残暑が続いております。皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

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2024年8月31日 (土)

戦略爆撃報告書など

 石破 茂 です。
 台風10号の進路がとても気がかりです。被害が大きくないことを切に願います。
 これだけ災害が多発していながら、その都度都度に雑魚寝状態の避難所が開設され、復旧に常に補正予算と予備費が投入される状況は、何としても改善されなければなりません。自然災害の発生をすべて防ぐことは困難でも、発災後に起こる被害はすべて人災であるとの覚悟と決意を持って、災害関連死は限りなくゼロにすることを目標とすべきであり、皆が懸命に全力を尽くした、という美談にすり替え、我慢を強いてはならないのです。
 防衛庁長官在任中、有事法制と国民保護法制を手掛けたことで、アメリカの「戦略爆撃報告書」の存在を知りました。その中に、「日本政府には国民を守ろうという意思が全く無かった」と書かれているのを読んだ時の衝撃を今も忘れることはありません。
 昭和20年3月10日の東京大空襲(無辜の民を殺戮の対象とした無差別爆撃であり、国際法違反であったことはここでは措くとして)で一夜にして10万人もの生命が失われたことをはじめ、なぜ空襲の数がドイツよりも少なかった日本でこれほどの死者が出たのか、アメリカは戦後徹底的に調査を行い、その結果をまとめたのが「戦略爆撃報告書」でした。そしてその中で、米当局は死者数が多かった最大の要因として、空襲を受けた市民に対して逃げることを禁じ、ほぼ不可能な消火活動を強いた「防空法」の存在を挙げています。
 今回の台風でも、国民は大きな不安に駆られています。気象庁は予算も人員も権限も乏しいため、防災省への編入を見据えてリソースを強化するべきですし、国、都道府県、市町村とばらばらに分かれている河川管理の一元化は、西日本豪雨の教訓としても必要な措置です。急いでやらなくてはならないことだけでも山積しているのです。

 

 このように考えると、戦後の日本は戦前と訣別したことになってはいても、どこかで負の面の連続を抱えているように思われてなりません。
私も今まで、総裁選において防災省の設置を強く訴えてきましたが、未だに実現を見ておりません。もはや総理大臣として設置を決定する以外に、その実現の方策はないのではないか。これは、私が今回立候補するに至った大きな理由の一つです。
 そして防災に限らず、目の前の票やカネにはつながらないけれども、政治が本来果たさねばならない役割というものがあるはずですし、それらについても最大限に主張したいと思います。

 

 今回の総裁選挙では、投票権のある自民党員にとどまらず、広い国民のご支持が絶対に必要です。
 私自身は決して若くもありませんし、イケメンでも華やかでもありませんが、己の足らざる点を反省し、改善に努めて参ります。どうかよろしくお願い申し上げます。

 

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