2021年1月22日 (金)

コロナ対策、中国国防法改正など

 「危機管理に強い」とされていたことが影響しているのか、現内閣に対する支持が低下していますが、危機管理とは平素よりあらゆる事態を想定し、法律や態勢を不断に整備しておかなくてはできないものです。日頃これをせずに、有事や危機になったら見事に対応出来る、などということはあり得ません。政治は魔法でも手品でもないのであり、感染症も、防衛も本質は同じであると、最近つとに思っております。

 変異した英国由来の新型コロナウイルスに感染した人が男女三人に出た静岡県では、県知事が「感染拡大緊急警報」を発令し、テレビを中心としたメディアはこれを大きく取り上げて「専門家」が登場して論評、街頭インタビューは市民の「怖い」という声ばかり、これで不安が広がらないはずはありません。世の中はますます萎縮が進んでいくようですが、これが本当に正しい報道の在り方とは私には考えられません。
 新型コロナウイルスの流行を軽視するつもりは全くありませんし、献身的な努力をしておられる医療関係者が疲弊の極にあることもよく承知しているつもりです。しかし、
・日本における新型コロナウイルスの流行のデータと、毎年のインフルエンザの流行のデータの比較
・この1年でこのウイルスに関する解明が進み、治療法が相当程度確立したこと、それにより重篤化や死に至る危険性は当初に比べて相当程度減少したこと
・重篤化が顕著にみられるのは自然免疫が低くなっている方(放射線治療を受けるなど)、高血圧、高脂血症、糖尿病などの方
・人口当たりの死亡率はアメリカの30分の1であること
・死亡者数は季節性インフルエンザの半分、ガンの100分の1程度であること
等々の指摘をする医師や学者の出演する場面をほとんど見ないことには強い違和感があります。
 少なくともデータは比較の上で出すべきものですし、万が一にも不安を煽ることが視聴率のアップに繋がるなどと考えているなどとは思いませんが、メディアには色々な意見や情報、事実を公平に報道する姿勢を強く望みます。

 我々が直面するリスクは全て相対的なものです。リスクとは、事故・災害・感染症などの発生する確率と、それによってもたらされる被害の大きさの積であり、それは安全保障に言う「脅威」が、我が国を侵略しようとする相手方の意図と能力の積であることと同じです。
 例えば飛行機事故の場合、死亡する確率は極めて高い一方、墜落する可能性は極めて低い(「最も安全な乗り物」と言われる所以です)ため、全世界でのその積は0.0009%とされています(アメリカ国家運輸安全委員会による)。
 また、日本で交通事故死する確率は0.0024%とされているそうです。
 このように、あくまでリスクは相対的なものであり、新型コロナウイルスにもその観点が必要なはずです。
 しかし、こういった論じ方をすると、「お前は新型コロナウイルスの恐ろしさを認識していないのか!」との厳しいお叱りを受けることは必定で、敢えてこのリスクを負ってまで指摘する人は少ないのが現状です。

 社会においてリスクがゼロということはそもそもあり得ません。国民の税金を原資とする国家予算も無限ではないのですから、ゼロリスク信仰に過度に捉われて不安や恐怖のみが拡散してしまうと、社会機能の著しい低下、最も納税者の利益に資する国家財政の有効な使い方と持続可能性の喪失を招くことになりかねません。
 福島第一原発事故の後、年間1ミリシーベルトというほとんどゼロリスク的な数値目標を設定して除染費用だけで2兆5千億円を要し、発ガンを避けるとの目的で南相馬市の住民を避難させたことにより、糖尿病患者が増え、結果として逆にガン患者が増えてしまったという指摘もあります。前回も言及した「日本人のヘルスリテラシーの低さ」を克服するためには、適切な情報発信が必要です。

 今週の国会質疑でも「医療崩壊の危機」が大きく取り上げられましたが、全国が一律にそのような状態なわけではないはずです。「各都道府県の、どの地域が、どのような状況なのか」を前提としないままに国民に一律の自粛を求めることには限界があります。首都圏や京阪神などの大都市部の経済活動が厳しい時こそ、地方が日本経済を支えていくべきであり、それこそが地方創生の要諦なのです。全国一律の措置では、適切な対策とはなりえないと考えます。
 ワクチン接種についても議論が始まります。「医療関係者や高齢者、基礎疾患を有する人」が優先されることには議論の余地がないと思われますが、その他はどうなのか。接種を拒否する人に対して強制は出来ないと思われますが、国民全体のためにそれは認められない、という意見もあるようで、それはどのような法的根拠に拠るのか。
 全体として、平素「リベラル」な議論(国家権力に懐疑的、個人の権利を重視)を展開する方々が、今回は率先して政府に対してより厳しい措置を求めていることに、かなり不思議な思いがいたします。

 昨年末に改正され、本年元旦より施行された中国国防法の内容を仔細に読むと、中国の持つ特異性を痛感します。中国を批判することは容易ですが、中国は国際社会の多くの国々と価値観を全く異にするのであって、ただ批判ばかりしていても何も変わりません。この現実を正確に認識し、我が国としての対応を確立せねばなりません。
 「警察は政府に隷属し、軍は国家に隷属する」と言われるように、軍隊は時の政権に対して中立的であり、一定の距離を保つものです。平成3(1991)年のソ連崩壊の時、ソ連軍が全く動かなかったことは強く印象に残っていますが、これを見た中国共産党は「人民解放軍は国民の軍隊ではなく、共産党の軍隊でなければならない」と強く認識したに違いありません。
 改正国防法は第24条において「共産党の軍隊」であることを明確にするとともに、第4条でマルクス、レーニン、毛沢東、鄧小平と並んで習近平国家主席の名前を明記し、16条で国家主席に軍事的な権限を集中させています。
 更に、従来公安部に属していた人民武装警察隊(日本の機動隊のようなもの)を軍の組織に位置付け、警察権と自衛権の行使を混然一体化させるなど、今回の改正は我々の常識を大きく超えたものとなっています。
 「国もしくは国に準ずる主体による」「急迫不正の武力攻撃ではない」「領土などの我が国の国家主権に対する侵害」というグレーゾーン事態に対応する法制と態勢の整備は急務です。

 各種世論調査で支持率が急落していることを受け、今後の政局の観測記事が散見されるようになりましたが、不愉快の極みです。
 昨年の9月に自民党が圧倒的な支持のもとに現政権を発足させ、報道も褒めそやしていたことを忘れたのでしょうか。このままでは自分の選挙が危ないので総裁を代えようなどという考え方が仮にあるとすればもっての外で、自分たちが決めたことには国民に対して最後まで責任を持たねばなりません。そのような恥知らずな議員は自民党にはいないと思っております。
 平成元年、竹下内閣、宇野内閣と相次いで内閣が倒れたとき、我々当選1回生のうち数人で、清廉潔白で知られ、自民党政治改革本部長であられた伊東正義先生(外相・官房長官・自民党政調会長・総務会長などを歴任され平成6年に亡くなられました)に、自民党総裁・内閣総理大臣になってくださいと懇願しに行ったことがありました。そのとき、「君たち、表紙だけ変えても駄目だ。自民党の中身が変わらなければならないのだ」と厳しく諭されたことを思い出します。かつての自民党にはあのような立派な方がおられました。自分がその域に全く達していないことに反省の思いしかありません。

 バイデン新政権については回を改めて述べたいと思いますが、問われているのは独立主権国家としての日本の在り方です。「価値観を共有する唯一の同盟国」と決まり文句のように口にする人も多いのですが、それはどのような価値観だと考えるのか。そして、アメリカだけを唯一の同盟国とし続けることが、現在の我が国にとって最も望ましい選択肢なのか。これは集団的自衛権のみならず、集団安全保障にも正面から向き合わねばならない問題です。

 多くの日程が取りやめになり、空き時間に書店に行く機会が増えました。送られてくる本だけで一週間に10冊を超えてしまい、これらに目を通すだけで精一杯だったのですが、書店で立ち読みをしながら本を探すことの大切さを改めて感じています。読むほどに自分の無知さ加減に嫌気がさしますが、今週は「コロナ禍の9割は情報災害」(長尾和宏著・山と渓谷社・2020年12月)、「小説 安楽死特区」(同・ブックマン社・2019年12月)、「不条理を生きるチカラ コロナ禍が気付かせた幻想の社会」(佐藤優、香山リカ両氏の対談・ビジネス社・2020年6月)、「世界史から読み解く『コロナ後』の現代」(佐藤けんいち著・ディスカヴァー携書・2020年12月)を興味深く読みました。「安楽死特区」は発刊当時、オビを書かせていただいたのですが、「コロナ禍の~」に合わせてもう一度読み返してみた次第です。

 週末の都心は降雪も予想されています。皆様お元気でお過ごしくださいませ。

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2021年1月15日 (金)

福岡会合のお詫びなど

 石破 茂 です。
 さる1月8日、自民党本部より会食自粛要請が出た当日に、福岡市において地元の皆様と会食しました件につき、深くお詫び申し上げます。

 会場となった店の消毒や換気等の感染予防対策を確認するとともに、予め「もし人数が5人以上になる場合には、部屋を分けるか、襖で仕切るなどで、1会場の人数を4人以内とする対応」をお願いしておいたのですが、うまく伝わらなかったのか、そうなってはおりませんでした。
 主催者のご厚意を無にしたり、多忙な中に時間をやり繰りして出席してくださった方々への礼を失することを怖れる気持ちが勝ってしまい、苦しく厳しい事態に直面しておられる皆様のお怒りと不信を招いてしまいましたのは全て私の責任であり、大変申し訳なく、己の不明を恥じるばかりです。重ねて心より深くお詫び申し上げます。

 昨14日に報道番組で尾崎東京都医師会長を交えて討論する機会があり、改めて感染症について考え、医療体制のみならず、我が国の今後の在り方について改善しなければならない点に多く気付かされました。
 人口当たり世界最大の病床数を保有し、人口当たりの医師数、看護師数、ICUなどの体制も先進国平均と遜色なく、CTやMRIなどの高度な機器の普及率は世界一であり、感染者や死亡者が欧米に比べて一桁以上少ない日本において、なぜ「医療崩壊の危機」が叫ばれているのでしょうか。日本が「医療崩壊」するのなら、欧米は「医療全滅」していなければならないはずですが、そうはなっていません。
 一部の報道を除いてあまり指摘されていないことですが、日本の医療の供給体制にも大きな問題があるものと考えられます。
 日本では医療費と国民負担の軽減の観点から診療報酬が低く抑えられているために、医療機関は経営上できるだけ満床状態を維持しなければなりませんし、公立病院が多数の欧州とは異なり、民間病院が全体の8割を占める以上、これは当然のことです。
 病床に余裕がないために医師・看護師などの医療関係者や病院内の病床の融通が効きません。
 医療法上、民間病院に対して都道府県や行政は指揮命令権を持たないため、地域内外の病床や医療関係者の融通もあくまで要請ベースにとどまります。
 コロナ患者を受け入れれば一般患者からは敬遠され、風評被害も予想されるため、要請に応える民間病院も多くないのもまた当然のことで、限られたコロナ対応病院のコロナ病棟やその関係者に大きな負担がかかり、極限的な状態となっているのが現状ではないでしょうか。
 敢えてコロナ患者を受け入れて、不幸にも多くの死者が出てしまった台東区の総合病院に対しては多くのバッシングが寄せられました。これを見た多くの民間病院は「高度な医療体制を持った病院でもあのようになるのだから、当院ではとても受け入れられない」という思いになっています。
 尾崎東京都医師会長が指摘しておられるとおり、「感染症専門病院」を全国各ブロックに一つ建設し、感染症流行時にはこれが対応して一般の病院に負担をかけることなく、平時は感染症対応能力を持つ医師や看護師の研修や訓練にあてる、といったことも、実現に向けて努力したいものです。

 「日本においては」とか「東京都においては」という数字がしばしば取り上げられますが、全国47都道府県、23東京特別区、1718市町村によって事情は大きく異なるのであって、オンライン上でこれらの状況を細かく把握するとともに、融通性や機動性を確保するための医療法の改正や予算措置も併せて行わなければならないと思います。
 中国はコロナを制圧したと豪語していますが、それは共産党の強権体制による徹底した個人情報の国家管理と人民解放軍の大動員によるところが大きいと思われますし、準戦時体制である韓国や台湾でも、そうであるが故の徴兵制維持と個人情報管理の徹底が背景にあることを看過してはなりません。韓国では医師となった者が3年間、政府の命令に従って勤務すれば兵役は免除されるという制度の下、彼らがコロナ対応にあたっています。

 「緊急事態の宣言が遅すぎる」「政府は全国への緊急事態の宣言を急げ」「緊急事態においては基本的人権を最大限に尊重せよ」というのが多くの世論であることはよく承知していますが、緊急事態の宣言の目的があくまで「医療崩壊の阻止」である以上、医療供給体制の早急な見直しと、人口稠密地域とそうではない地域を分けて考えるきめ細かさが併せて必要ですし、基本的人権の尊重は憲法の大原則ですが、非常時において予想されるリスクを最小化する配慮も欠かせません。
 
 そして同時に、がん検診が手控えられることによって、早期発見が遅れて手遅れになってしまうリスク、高齢者が一人ぼっちで家に籠り、運動も不足して認知症が進行してしまうリスク、生活が行き詰って自ら命を絶つ人が増加するリスク、これらへの対策も考えられなくてはなりません。
 コロナの非常時であればこそ、あらゆる議論が行われなくてはならないはずです。専門家会議の議事録の公開は検討されるべきですし、医師会などが主催してあらゆる立場の人が参加して発言する討論会もあってしかるべきです。
 これは長期的な課題ともなりますが、日本の「ヘルスリテラシー」(健康・保健に対する基礎的理解)が極めて低いことも改めなくてはなりません。「医師の言うことが理解できない」人の比率が、最先進国であるオランダどころかEU各国に比べてもわが国は低いとされており、それが不安を増幅させる要因の一つとなっています。
 
 国民の命を守るという意味において、医療も安全保障の一面を持つのであり、費用対効果という観点をあまりに強く持つことはあってはなりません。わが国の防衛においても、主に平時を念頭に置き、情報を十分に公開せず、予備自衛官の増強などの弾力性確保を怠ってきた面があり、その責任を自分も含めて強く顧みなければなりません。「よらしむべし、知らしむべからず」という統治の姿勢は、民主主義国家においてあってはなりません。
 今回、医療と防衛の共通した問題を認識するにつけ、国家の在り方そのものを考えさせられています。平時において何とか綱渡りで運営してきた国家は、有事には極めて脆いものであることを痛感しております。
 地球の温暖化が進み、氷山や氷河が溶ければ、さらなる未知のウイルスが活性化する確率も高まります。起源からたかだか数十万年しかない人類の歴史など、地球の起源から現在までを24時間に例えればラスト77秒にしか過ぎないのです。
 このような時に政権内部で権力闘争などしている暇はありません。

 「文藝春秋」2月号のコロナ特集や、前回ご紹介したコロナ関係の文献からも新たな示唆を受けています。
 皆様ご健勝にて週末をお過ごしくださいませ。

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2021年1月 8日 (金)

緊急事態宣言など

 石破 茂 です。
 謹んで新年のお慶びを申し上げます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
 
 昨日、一都三県を対象とした緊急事態が再宣言され、昨日発表された東京の感染者も過去最多の2447人となりました。
 感染者の増加は確かに重大事ではありますが、冬になって空気中の水分が減って飛沫が遠くまで飛びやすくなるのは当然のことですし、寒冷地では換気の機会も減少することも考えられます。PCR検査数の増加によって陽性者が増えるのもまた当然のことです。
 かくなる上は、感染者数ばかりに注目することなく、限界ある国家資源や医療資源を、重症者と死亡者を減少させることに重点化して配分すべきなのではないでしょうか。
 「どうすれば重症化・重篤化しないか、どうすれば死に至らないかが重要であり、対策も情報発信も、このことを重視すべき」と昨年の感染初期よりテレビなどでも何度か申し上げてきたのですが、なかなかそうはなりません。
 医療関係者の献身的な努力によって、アビガン、レムデシベル、ヘパリン、デキサメトゾンなどの薬、人工呼吸器類(ネーザルハイフローやECMOなど)、普及率世界一のCTなど(この多くを今回初めて知りました)を用いた治療法も随分と進歩し、救命率もかなり上がっているはずなのですが、そのような報道もあまり聞くことがありません。漠然とした感染者数よりも、基礎疾患を持つ方や70代、80代、90代の高齢の方の罹患率、感染者数と死亡者数の正確な分析などの方が知りたいと思うのは私だけでしょうか。
 日本人が欧米に比べて人口当たりの感染者数や死亡者数が極めて低いのも、同じ都道府県内でも市区町村によって状況が全く異なることにも必ず理由があるはずで、その科学的な分析が進められれば、もっと精緻な政策が打てるのではないでしょうか。
 生活習慣の相違、国民皆保険制度の存在、極端な格差社会ではなく分厚い中間層が存在していることは決定的に重要な要素であり、この持続可能性を維持できるかが最大の課題です。

 諸外国、特にスウェーデンの対応についても様々な論評がありますし、同政府のコメントも承知していますが、この国において「『寝たきり老人』(とても嫌いな語感です)が居ない」ということとも関連性がある宗教観や死生観の問題が、改めて問われているように思われてなりません。
 日本特有の同調圧力とゼロリスク志向の強さも改めて感じています。「自粛警察」などという不可思議至極な活動は、今のところなりを潜めているようですが、戦争中の「パーマネントはやめませう」「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」などという「愛国的な」活動が想起されて、とても嫌な思いが致しました。ヘルスリテラシーの低さについても、自らを省みて、これもまた然りと思います。
 日本においては大勢の世論(「空気」)に抗って異論を差し挟むことは忌み嫌われますが、政治は世論に迎合しすぎてポピュリズムに堕してはいけない、よく自重自戒せねばならないと思っております。
                                                                
 失業率が1%上がると自殺者が1,000人から2,000人増えると言われていますが、ここ数か月の自殺者の増加、特に女性の割合の増加はとても気がかりです。また、病院にあまり行きたくない、ということで、がんの定期健診の受診数も大幅に下がっています。
 風邪やインフルエンザが「根絶」されることがないように、新型コロナウイルスも「根絶」される、ということはないでしょう。ただし治療法が広く共有され、重篤化を防ぐことができ、ワクチンが広く行きわたり、感染拡大が収束した時に、自殺者が激増し、がんによる死亡者が大幅に増えてしまったとすれば、それは「人類がコロナに打ち勝った」証とは言えないのだと思います。
 政権は厳しい状況の中であらゆる方面からの批判に晒されながらも可能な限りの対応をしているのであり、我々は少しでも国民の支持と理解が得られるように努めなくてはなりません。

 昨日のアメリカ議会へのトランプ支持者の乱入と死傷者発生の事態について、トランプ大統領に責任がないとはとても言えない状況でした。選挙結果について異議を唱えるだけならともかくも、支持者に対して議会への乱入を扇動するようなスピーチなどは、民主主義の実力行使による否定と紙一重であり、見たくもない光景でした。
 トランプ大統領が就任した時、「言を左右して相手を困惑させ、自分にとって最も有利な取引を仕掛ける『サスペンスとディールの大統領』となるのではないか」と申し上げたと記憶していますが、まさにその通りの4年間であったと思います。大統領当選時の勢いをもって議会選挙を経た結果、共和党も明らかに変質を遂げました。昨年の大統領選挙でトランプ氏に投票した米国有権者は7380万人、この人々が更に先鋭化するのかも全く見通しは立ちません。
 自由を建国の精神とするイデオロギー国家、国民の8割が神の存在を信じ、4割が毎週日曜に教会に通う宗教国家、アメリカ国民という意味での民族国家、こういったアメリカの本質はバイデン政権になっても変わることはありません。そうであれば、それぞれの自画像、理想像、基本的な価値観が対立する米中の軋轢は今後一層激しくなり、日本はより一層厳しい選択を迫られることになります。安全保障についての法体系も、装備も、運用も、アメリカ依存から脱却し根本から見直すべきだと思いますし、今までのような問題先送りでは国益を損じると考えます。
 それでもなお、同盟国である米国が新政権によってその美点である復元力を発揮し、アメリカ民主主義の理想に立ち戻ることを心より期待しています。

 年末年始、生来の怠惰さに加え、雑事に追われて勉強らしい勉強も出来なかったのですが、中川恵一准教授(東大附属病院)の「コロナとがん」(海竜社)、小林よしのり氏の「コロナ論」(扶桑社)、橋爪大三郎氏の「中国VSアメリカ」、同氏の大澤真幸氏との対談「アメリカ」(共に河出新書)、加藤陽子氏の「それでも日本人は『戦争』を選んだ」(新潮文庫)、は極めて示唆に富む大変に興味深いものでした。
 合間に久々に再読した、没後50年となる三島由紀夫の短編・中編(新潮文庫)の文章の独特の華麗さにも魅了されたことでした。

 週末の日本列島はまた寒波の襲来に見舞われそうです。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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