2016年8月19日 (金)

お初盆ご挨拶など

 石破 茂 です。
 九年ぶりの少しだけ自分の自由になる時間を得て、お初盆のお宅を廻らせていただくことが出来ました。
 昭和59年夏に衆院議員を志した際、売り物といえば亡父の名前と実績のみで、自分自身はなんらとるに足らない者であったにも拘らず、その時以来私を30余年にもわたって応援して下さった方がこの一年間に随分とお亡くなりになっており、お世話になったことを心よりお礼申し上げ、公務のためにご葬儀にもお通夜にも伺えなかったことを深くお詫びしてまいりました。
 中でも、鳥取県庁の関係者(亡父の後継の知事が現職の衆院議員となっておられました)の方々や、当選3回までは中選挙区であったため(鳥取全県区・定数4)、出身地から遠く、同級生も親戚もほとんど居らず、地元の代議士が圧倒的に強かった県西部地域において支えて下さった方々のご苦労は並大抵のものではなかったと思います。
 お線香をあげ、ご遺族の皆様とお話をしながら、来し方を振り返り、本当に有り難い思いがしたことでした。

 8月はいつも日中戦争(正式な宣戦布告が無かったため「事変」とも称しますが)、太平洋戦争について改めて考えさせられます。
 猪瀬直樹氏の「昭和16年夏の敗戦 日本人はなぜ戦争をしたか」や、阿川弘之氏の一連の著作「山本五十六」「井上成美」「米内光政」を読み返すのはとても充実した時間でしたし、有馬哲夫氏の「歴史問題の正解」(新潮選書)からも多くの示唆を受けました。
 映画ではDVDで「連合艦隊」(昭和56年・東宝)、「日本の一番長い日」(昭和42年・東宝)を久しぶりに全編通して観ることが出来ました。どちらもお勧めです。「カサブランカ」も久しぶりに観ましたが、ハンフリー・ボガードの格好よさとイングリッド・バーグマンの美しさ、随所に散りばめられた台詞の素晴らしさに改めて感動するとともに、これが1942年の製作であることに改めて驚きを感じました。

 お勧め下さる方があって、「シン・ゴジラ」も映画館で観る機会があったのですが、何故ゴジラの襲来に対して自衛隊に防衛出動が下令されるのか、どうにも理解が出来ませんでした。いくらゴジラが圧倒的な破壊力を有していても、あくまで天変地異的な現象なのであって、「国または国に準ずる組織による我が国に対する急迫不正の武力攻撃」ではないのですから、害獣駆除として災害派遣で対処するのが法的には妥当なはずなのですが、「災害派遣では武器の使用も武力の行使も出来ない」というのが主な反論の論拠のようです。「警察力をもってしては対応困難な場合」に適用される「治安出動」ではどうなのか、という論点もありそうです。

 なんだか「夏休みの日記」的な文章になってしまいました。ご容赦ください。
 小学生の頃、「夏の友」(同世代で覚えていらっしゃる方もおありかと思います)なる夏休み用のドリルは早々と仕上げたのですが、絵日記と読書感想文だけはどうにも苦手でした。8月も末となって、「毎日そんなに面白い出来事があるわけないだろう」などと悪態をつきながら絵日記をでっち上げたこと、「あらすじを書くのではなくて感想を書きなさい!」と当時中学教師であった次姉に叱られながら感想文を書くのに悪戦苦闘した日々のことを懐かしく思い出します。

 週末20日土曜日は自民党宮崎県連の政経セミナーで講演のため、宮崎市まで参ります(13時・メディキット県民文化センター・宮崎市船塚)。
 残暑厳しき折、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2016年8月12日 (金)

お盆など

 石破 茂 です。
 世の中はリオデジャネイロ五輪と高校野球一色のように思えます。
 今週は、退任挨拶と大臣在任中から依頼されていた講演などで忙殺されてしまいました。なかなかゆっくりした時間を過ごすことは出来ないものですね。

 お盆は久々に五日間ほどお休みを頂きます。
 地元の初盆のお宅廻りや、福田内閣の防衛大臣拝命以来九年間、ほとんど手を付けずにいた議員会館オフィスや議員宿舎の整理整頓に追われてしまうような気がしていますが、可能な限り関係の文献を読み、基礎的な知識の習得に努めたいと思っております。
 最近読んで多くの示唆を受けましたのは、「ミッション 建国」(楡周平・産経新聞出版)、「日本型移民国家の創造」(坂中英徳著・東信堂)の二冊です。是非ご一読くださいませ。
 
 酷暑の中にも微かに秋の気配が感じられるようになりました。
 皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2016年8月 5日 (金)

大臣退任など

 石破 茂 です。
 この度、国務大臣・地方創生・国家戦略特別区域担当を退任致しました。二年間の在任中に賜りましたご厚情やご支援、ご教導に心より感謝申し上げます。誠に有り難うございました。

 防衛庁長官、防衛大臣、農林水産大臣の退任時もそうだったのですが、「行き届かなかったところは多くあるが、自分としてこれ以上の仕事はできなかった」という思いを持って退任できたことはこの上ない幸せでした。
 防衛庁長官退任時には、市ヶ谷の本庁講堂での挨拶が全国の部隊や基地に同時放送されるのですが、数日経って「石破さんのもとで働けたことを誇りに思う」という現場の隊員からのメールや手紙が何通か届きました。それを読んで嬉しくて思わず泣けてしまった時のことを時折思い出しますが(もちろんそうは思わない隊員も多くいたのでしょうけれど)、今回も同じ気持ちを味わうことが出来ました。
 正式な退任行事は昨日の内閣府合同のものだったのですが、前日の3日に退庁する際に職員の皆さんが自発的に内閣府庁舎の玄関ロビーに集まられ、自費で買われた花束を多く頂き、大きな拍手で見送って下さった光景も、私は一生忘れることがないと思います。

 秘書官をはじめとする大臣室スタッフの皆さん、山崎史郎さん、唐沢剛さん(地方創生総括官)をはじめとする幹部職員・一般職員の皆さんに誠心誠意、そして献身的にお支え頂き、全くゼロからのスタートだったにも拘らず、着実な成果を上げることが出来ました。

 「目に見えた成果が上がっていない」とのご指摘もありますが、魔法使いではあるまいし、戦後70年余、連綿と続いてきた東京一極集中の流れが一朝一夕に変えられるはずはありません。
 経済成長下、人口増加の局面においてのみ有効に機能しえた国家システムを変えるという作業がいかに困難なことなのかを痛感した2年間でしたが、変革の芽は点から面へと拡がりつつあると認識しています。
 まだ点が密になりつつあるという段階なのかも知れませんが、2年間に廻った250余の市町村のあちらこちらで確実に意識が変わりつつあることを感じました。関係して下さった全国の知事、市町村長、そして住民の皆様にも厚く御礼申し上げます。

 しかし同時に、国家・社会の構造を根本から変えていかなければ、抜本的な解決にはならないであろうことも感じております。それは「革命」や「維新」などといわれるようなものなのかも知れませんが、そこまで急進的である必要はなく、政治のみがそれを為し得るものだと思います。一つや二つの内閣では到底為し得ないものである以上、いつかはこれに手を付けなくてはなりません。「道州制」は唯一の答えではありませんが、有力な手段の一つであることもまた確かです。江口克彦さんのように、この問題に造詣が深い議員から国会でこの点について問われた際に、曖昧模糊たる答えしかできなかったことは大きな心残りです。言葉と論理を操ってその場を何とか切り抜ける答弁がいくら得意でも、それでは政治家の仕事をしたことには決してなりません。深く己を反省する機会も多い2年間でした。

 2007年(平成19年)9月、福田康夫内閣の防衛大臣を拝命して以来、麻生内閣の農水大臣、谷垣総裁の下での自民党政調会長、予算委員会野党筆頭理事、安倍総裁の下での幹事長、安倍内閣の地方創生担当大臣、と9年間にわたり全力で走って参りました。
 欠点だらけの私がここまで務められたことは、政治家として出来すぎの感があり、個人的にはたいへんありがたいことだったと思っております。
 初当選以来30年、多くの総理を見、実際にお仕えもしましたが、総理大臣職はまさしく命を削る仕事であり、少しでも実態を知る人は出来れば逃げたいと思うようなものです。
 田中角栄元総理が「大臣は努力すればなれる。党三役ももっと努力すればなれる。しかし総理は努力だけでなれるものではない」とよく仰っておられたように、天命というものがあるのでしょう。

 30年間にわたり、衆議院議員として議席をお預かりしてきました。これから先、「私には出来ません」「まだ勉強が足りません」と言わないようにするためには、相当な勉強と修養を積まなくてはならないと痛感しております。こんなにも自分が知らかったことがあるのだ、こんなにも知らなかった町や村があるのだ、こんなにも知らない人々がいたのだ、ということを思い知らされた2年間でもありました。

 民主主義の健全性のためには、どんな報道もあってしかるべきです。しかし権力(三権)とメディアはそれぞれがけん制し合うべきものであり、そして情報は故意に隠蔽・操作されることなく、国民に伝えられるべきものです。このバランスなくしては、国は崩壊していきかねません。そして国会議員は各々、国家ならびに自分を選んでくれた主権者に忠誠を誓うべきものであって、それ以外の要素に振り回されてはなりません。
 この2つだけは断じて忘れることがあってはならないとの思いのもと、正面から真摯に国民と向き合う政治を目指して研鑚を積んでまいります。

 内閣府で初めて仕事をしてみて、感ずるところが多くありました。
 私の担務ではありませんが、熊本の震災が発生した際に、日本には「防災庁」的な組織が必要ではないか、との問題提起をさせていただきました。
 「そのような組織を作る必要はない」との見解が既に昨年、関係副大臣会議で示されていること、内閣府内に防災担当の部局が設けられていること、などは承知をしていますが、私には現状で事足れりとは思えないのです。
 期限を区切って各省庁から職員が寄せ集められているが故に専門家が育成されにくいこと、防災の文化が継承されにくいこと、専任大臣が置かれていないこと、などを考えれば、世界屈指の災害大国であり、首都直下型地震も確実に起こることが想定される中にあって、もう一度広範な議論が必要に思えてなりません(この点については河田恵昭・京大名誉教授の「津波災害」「日本水没」などの一連の著書に詳しく書かれています)。
 国土のグランドデザインを描く部局も同様で、生え抜きの職員で構成される専門組織が日本にはどうしても必要なのではないでしょうか。
 地方創生というプロジェクトは、日本の在り方そのものを見直す壮大なものなのだなあと、強く感じたことでした。

 ついに日本の排他的経済水域に着弾した北朝鮮の弾道ミサイルは、ノドンとみられており、実験段階のものではありません。ある意味、訓練段階に入ったと見るべきなのかも知れません。移動式の発射装置であれば発射の端緒を見つけることは極めて困難です。
 自衛権の行使としての策源地攻撃を仮に検討し、将来的に自衛隊がその能力を具備したとしても、策源地の探知には相当な困難が予想されます。当面はまずミサイル防衛の精度をさらに向上させること、米国の拡大抑止力について不断の検証を行なうこと、国民保護の実効性を高めること、が抑止力の維持には不可欠だと考えます。

 ロシア、インド、北朝鮮、パキスタン、アフガニスタンなど14か国と国境を接している中国が日本との全面的な武力衝突を選択する合理性は存在しませんが、そうであるからこそ国内の不満を解消するために尖閣諸島に武装漁民が上陸するような事態が現実性を増すことも全く否定はできません。
 侵されているのが領土という国家主権であり、外国勢力がその主体である場合、治安出動などの警察権で対処する以外の方策も考えるべきではないでしょうか。防衛出動のハードルが高すぎることと併せ、平時の自衛権、グレーゾーン対応法制の制定などは急務と考えます。

 30年という来し方を思えば、自分の行く末にそれほど多くの時間が残っているわけではないことをよく承知しています。自由な立場と時間を与えていただいた今、さらに一日一日を悔いの無いよう生きていかねばなりません。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

 週末7日日曜日は沖縄青年会議所のフォーラムでパネルディスカッションに参加します(14時・沖縄県市町村自治会館・那覇市旭町)。
 皆様ご健勝にてお過ごしください。

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