2021年7月30日 (金)

酷暑とオリンピックなど

 石破 茂 です。
 悪天候の今日は30度前後と比較的気温は低いものの、湿度は高く、とても過ごしやすい日とは言えません。
 やはり、と言うべきか、酷暑の中でのオリンピックは選手に多くの負担を強いているようで、海外メディアからは「東京の七月・八月は温暖で晴れた日が多く、アスリートが最善を尽くすために理想的な気候」と謳って招致したことに対する批判も聞かれるようになりました。「史上最もおカネをかけない」とともに、「打ち水・簾(すだれ)・葦簀(よしず)などの日本古来の暑さを凌ぐ知恵を現代風に最大限昇華・発展させた技術を用いて地球温暖化の時代にも対応できる」ことを世界に示す大会となることを期待し、多くの企業はそれに向けて技術を開発していたはずですが、一体あれはどうなってしまったのでしょう。
 「バブル方式」で行動を制限されている選手たちや、ルール通りに行動することを義務付けられている海外の報道陣に、せめて「やはり日本はいい国だった」「日本人は親切な人たちだった」と思ってもらえる努力をパラリンピックが終わるまで続けて頂きたいと切に願います。人間である以上、海外の選手や報道陣がすべて良い人ばかりだとは思いませんし、故意に日本を貶めるような発信をする悪意の輩も中にはいるのかもしれませんが、我々日本人は最後まで誠心誠意を貫いていかなければなりません。
 それにしても、今回今一つ私が熱狂できないのは、やはり「二回目」だからなのかと不思議に思います。このような感慨を持つのは還暦を過ぎた私たちの世代、あるいは私だけなのでしょうか。前回の東京大会の時、国民のほとんど全てに共有されていた一体感がとても懐かしく思われてなりません。

 今日発表された東京の新規コロナ感染者は3300人で、依然として拡大傾向が続いています。何度も同じことを言って恐縮ですが、医療逼迫が懸念されるというのなら、逼迫率を示すためには感染者数と共に、コロナ患者に対応する病床数の増加が発表されなければおかしいのですが、何故それが行われないのか、ここまで来ると何か隠された意図でもあるのかとさえ思われます。
 民間医療機関はコロナ患者を受け入れれば、数に大きな波のある患者の増減によって経営が不安定化する、設備投資に費用が掛かる、風評被害が発生するなどの理由からこれを避ける思いが強く、選挙を控えて票が欲しい政治家がその意図を汲んでコロナ対応病床の増加を可能とする法改正などに消極的なのだ、などとする言説もありますが、本当にそのようなことがあるのでしょうか。
 警察・消防・自衛隊などはその要員を公費で養成し、運営も公費で賄われている公的インフラですが、医療も本質的にはそうあるべきものなのではないのでしょうか。私の知る限りにおいて、医師の方々は使命感と責任感の高い人たちですが、その使命感のみに頼るには限界があると考えます。立法者である我々には、あるべき法体系を早く示す責任があるものと考えています。

 今回四度目の緊急事態宣言が出されても効果が現れないのは、「自粛疲れ」というより、国民に自粛という名の負担を求めながら、政治が医療の弾力性や機動性を確保するための努力を十分に行っていないことへの不信感があるのかもしれません。
 「感染の拡大は国民の気の緩みだ」とする今の一部の政府有識者の声は、戦局が悪化した時に「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」と国民に我慢を強いたかつての日本の姿と重なるように思えますし、「自粛警察」(恐ろしく嫌な言葉です)は「パーマネントはやめましょう」「ぜいたくは敵だ」などという運動を展開したかつての運動が想起されて、なんとも憂鬱な思いにさせられます。

 今週は「ゼロコロナという病」(藤井聡・木村盛世両氏による対談・産経セレクト・2021年7月)、「戦略の地政学」(秋元千秋著・2017年)から多くの示唆を受けました。「ゼロコロナという病」には、まさしくその通りと思う箇所が多いのですが、特に最終章の「死を受け入れられない日本人」の中にある藤井教授の発言にはとても重くて深いものがあるように感じました。
 来週はもう8月となります。皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2021年7月28日 (水)

イシバチャンネル第百十七弾

イシバチャンネル第百十七弾「アフターコロナのエンターテインメントについて」をアップロードしました

是非ご覧ください

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2021年7月21日 (水)

東京五輪に寄せて

 石破 茂 です。
 明後日、23日より東京五輪が開会されますが、東海道新幹線の車内誌「ひととき」に、あくまでも今の立場を離れて言えば、とても共感する一文があったのでご紹介します。
 「…古書展で、『小学生のための東京オリンピック』(学習研究社)を見つけたとき、堰を切ったようにいろいろなことが思い出された。あの頃、ボロボロになるまでに読んだはずなのに、こんな本があったことも忘れていた。それでも、表紙を見れば、直ぐにスイッチが入る。子供の頃の自分がいて、あのとき、少しだけ乗った新幹線の車内の匂いまでが、感じられるようだった。
 そうだ、あれは載っているだろうかと頁をめくった。閉会式での一幕だ。世界各国の選手たちが入ってきた。整然と行進する日本の選手団と違って、彼らは列など作らず、全く自由気ままだった。中には、競技用の短パン姿で走っている選手もいる。やがて、日本の旗手を取り囲み、渾然一体となった。その笑顔と歓声のなかで、旗手は皆に肩車され、日の丸が揺れた。
 期間中、少年の私は勝ち負けに興奮する日々を送っていた。でも、その最後に目にした光景は、驚きと、温かさに溢れたものだった。大げさに言えば、世界と繋がる物語に、あのとき初めて出会ったのかもしれない。
 あとがきに『日本でオリンピックが開かれるなど、わたしたちの一生のうちでも、二度とないかもしれません』と書かれていた。なるほど、私の東京オリンピックはあのとき存分に味わった。もう済んでいるらしい。」(内堀弘氏「古書もの語り43」・「ひととき」8月号所載)

 世の中には、本当に文章の上手い人がいるものだと感じ入ったのですが、「済んでいる」かどうかはともかく、私たちの世代には似た思いを持つ人も多いのではないでしょうか。
 今回の五輪についての私の思いは前回記したとおりですし、それは今も全く変わりませんが、たとえ綺麗ごとと言われようとも、五輪の持つそもそもの意義をもう一度、それぞれ国民一人一人が問い直してみるべきものと思っております。
 そして、米中対立という環境下、本年の中国共産党創設100周年を終えて、来年2月4日から開催予定の北京冬季五輪は、21世紀の世界を大きく変えるものとなるのかもしれません。
 今大会の無事を祈るとともに、来年を見据えて、日本の在り方が問われます。

 酷暑の折、皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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