2020年8月 7日 (金)

核廃絶など

 石破 茂 です。
 都市、地方を問わずマスクを着用していない人をほとんど見かけません。さすが日本人の生真面目さ、それは望ましいことなのですが、やはり「声が聞き取りにくい」「呼吸がしづらい」ことに加えて「目しか見えないので表情がほとんど読み取れない」という点で、困惑することが実に多くなってしまいました。ウイルス禍は今後なお続くのであり、これは日本社会にこれからも大きな影響を与え続けるのではないでしょうか。
 梅雨も明けて暑さが厳しくなっていますが、日中屋外でお仕事をなさる方のマスク着用の負担はとても大きいことと思います。今日は猛暑日でしたが、事故のないことをひたすら願っております。

 

 ソーシャル・ディスタンス、ニューノーマル、ウィズ・コロナ、アフター・コロナ等々、昨今横文字が氾濫していますが、社会的距離、新しい日常などの日本語で表現することに何か差し支えでもあるのか、とても不思議に思います。まさか、格好いいからというわけでもないでしょうし、英語があまり得手ではない私の僻みなのかもしれませんが、どこかで是正できないものかと思います。
 福沢諭吉先生の日本語訳の中でも秀逸だと思うのはspeechを「演説」とされたことですが、一方でCompanyは「社中」と名訳されたにもかかわらず、これが定着せずに「会社」となってしまったことで、その意味が本質から外れてしまうことになったことを思うと、訳というのは実に難しいことなのだなと思います。

 

 臨時国会の早期開会に否定的な見解が政府・与党から示されています。審議すべき法律案も予算案も無いままに国会を開くのは意味がありませんし、ことの是非はともかくも膨大な予備費を含む補正予算が執行中なので補正予算編成も当面行われないのですが、感染拡大が止まらない現状を踏まえた特措法の改正と、ウイルスなどに対応する日本型CDC(疾病予防管理センター・Centers for Disease Control and Prevention)の設立の必要性、その組織・運用の在り方について、などは国会における議論が必要不可欠であり、準備が整い次第、臨時国会召集の手続きを行うという意思表明をすべきものではないでしょうか。「議論から逃げている」などという批判を受けることは、決して国家国民のためにも、政権のためにもなりません。

 

 今週水曜日に、故・李登輝元台湾総統の弔問記帳に台北駐日経済文化代表処(大使館)に伺い、謝長廷代表(大使)と懇談する機会を得たのですが、その際「台湾がコロナ対策に成功している大きな理由の一つはCDCが有効に機能したことだ」とのお話を承りました。台湾の副総統(副大統領)が公衆衛生学の専門家、行政院副院長(副首相)が産婦人科の医師であったことに加え、一連の対策のリーダーシップを感染症専門医ではなく公衆衛生分野の専門家に任せた点も奏功したようです。

 

 感染拡大が止まらない現状に鑑みれば、緊急事態宣言を再び発出することも考えなければなりませんが、その際、緊急事態の宣言の目的は「感染の拡大を防ぐこと」と「医療崩壊を防ぐこと」であり、「47都道府県知事がそれぞれの地域の実情に的確に即した対応を行うもので、決して全国一律に行うものではない」という法の趣旨の原点に立ち返ることが是非とも必要ですし、これは何かと批判も多いGo to キャンペーンとの整合性を検証することにもつながると思っています。

 

 昨日は広島に原子爆弾が投下されてから75年の節目の日でした。明後日は長崎の原爆の日を迎えます。昭和43(1968)年、小学校6年生当時だったかと思いますが、NHKで米国から公開された原爆投下の記録映像を観て、あまりの惨たらしさに強い衝撃を受けたときの記憶は今も鮮明です。
 「核兵器の廃絶は被爆国日本の願い」というのは、私もその通りだと思いますが、一方で日本が核の傘(拡大抑止)によってロシア、中国、北朝鮮の核攻撃に対する抑止力を米国から提供されていることも厳然たる事実であり、この拡大抑止の信頼性を高めることも日本の安全保障政策の重要な課題です。この二つをどのように整合的に理解すればよいのかについては、悩み続けています。ミサイル・ディフェンス(MD)による拒否的抑止力の実効性の拡大は一つの答えではありますが、MDではスーツケース型の小型核爆弾などには対応出来ません。政治に携わる者として大きな悩みの一つであり続けています。

 

 韓国が徴用工問題について、日本製鉄の資産の売却を進めるための手続きに入っていることは、極めて深刻な問題と捉えています。経緯について今更書くことは致しませんが、1965年の日韓請求権協定には財産・請求権問題の解決が明記されており、韓国もその立場であったところ、韓国最高裁がこれを一方的に覆し、法律家でもある文大統領も「三権分立の立場から司法の判断を尊重する」と述べています。
 このようなことが通用するならば二国間の関係は極めて不安定なものとなるのであって、韓国の判断は国際的な常識からも逸脱しています。どうしてこのようなことになるのか、理解不能としか言いようがありません。最近韓国に設置された、日本国に対する品位や礼節に欠けた像についても然りです。
 「韓国の社会では、約束を守らない、破ってみせられる立場こそ地位が高く、尊敬を受ける。そういう観察を聞いた当初はやや極端ではないかと思っていたが、(徴用工についての対応を見ると)一理ありそうに映る」(岡本隆司・京都府立大学教授著「東アジアの論理」中公新書・2020年・117ページ)
 「(正統を争う)党争と同じ文脈にあるのがいわゆる「徴用工」「慰安婦」の問題に他ならない。これも伝統的な正統・正義がしからしめるところであり、正統の政権である以上、道義的に誤っている右派や日本の言い分はどうあっても正さねばならない。それに比べれば条約にせよ外交にせよ些末なことなのである」(同書132ページ)
との解説を読むと、慨歎と嘆息を禁じ得ませんが、岡本教授の所説に加えて小倉紀蔵・京大教授の「北朝鮮とは何か 思想的考察」(藤原書店・2015年)を併せ読んでみると、今まで全く理解不能であったことがおぼろげながら見えてくるように思います。
 中国、韓国、北朝鮮を理解不能と断じて批判するのは容易ですし、そのように言っていれば一部のメディアや世論からも強く支持されるのでしょうが、それでは何も変わらず、国益に資することにもなりません。この二冊はよく読んで理解・咀嚼しなければならないと思っています。京都大学系の学者の論考からは学ぶべきことがとても多いように最近感じております。
 誤解があるといけないのですが、両教授とも極めて冷静かつ客観的・学究的に論じておられるのであって、政治的に一方の立場に偏るということは全くありません。学問というのはかくあってほしいと切に思います。御用学者的な教授がその権威をもって政治に加担して国を誤ることに繋がった過去の例は少なくはないのですから。

 

 人事異動の時期のため、各省庁幹部の皆様の御来訪が多い一週間でした。日頃あまりお付き合いの無い役所の方と所掌分野についてお話しする時間は、新しい気付きも多くあって示唆に富むひとときです。

 

 都心は梅雨も明けて暑さの日々が続いています。蝉の声だけは今も昔も変わることがなく、聴いているとふと子供時代に立ち返る気がします。暦の上では今年は今日が立秋なのだそうですが、近年は秋がないままにいきなり冬になってしまうような妙な気候です。
 皆様どうかご健勝にてお過ごしください。なお、来週は本欄の更新をお休みさせて頂きます。何卒ご寛容くださいませ。

 

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2020年7月31日 (金)

李登輝先生ご逝去など

 石破 茂 です。
 27日月曜日、大阪市での講演で「投票を義務化することも考えるべきでは」と発言したところ、何故かこれが多くの報道に採り上げられ、賛否多くのご意見を頂きました。
 日本国憲法には「教育・納税・勤労」の義務が定められており、投票の義務は定められていませんが「納税が義務であれば、その使い途を問う選挙に対する投票の義務が課されてもよい」との議論もあり得ると思います。
 以前にもご紹介したかと思いますが、ギリシャ哲学の権威であった故・田中美知太郎・京都大学名誉教授はその政治論集の中で「主権者とは投票行動の際、自らが為政者であればどうするかを考えて投票出来る人のことであり、単にあれもして欲しい、これもして欲しいという欲望だけで投票する人は、かつて専制君主国において唯一の主権者であった王に対して懇願しかできなかった領民と同じく『サブジェクト(臣民)』にしか過ぎない」、大意そのように論じておられたと記憶しますか、投票は「国民の義務」というより「主権者としての義務」と言うべきなのかもしれません。
 国家や地域がどうなるかは自分のあずかり知ったことではない、誰かが考え、誰かがやってくれればそれでいいのだ、というのは、田中先生のいう「主権者」像とはかけ離れます。この議論では、必ず「投票したい候補や党がないから棄権が増えるのであって、義務制を唱えるよりも先に、投票したくなる候補者や政党になることを考えるべき」との論を述べられる方が居られますが、候補者や党に批判がある場合には白票を投じるべきものでしょう。このような「お任せ民主主義」のツケは必ず社会に回ってくることになり、民主主義とはそれほどまでに厳しい制度である、ということなのだと思います。

 今日の東京の新規感染者は463人となり、全国的に拡大が止まりません。百年前のスペイン風邪の例のように、「ウイルスが変異し、致死率が上がるなどの新たな猛威を振るうようになる」ことを「第二波」というのだとすれば、今回の感染再拡大はいわば「第一波の揺り戻し」なのでしょう。新型インフルエンザ特措法を改正して今回の新型コロナにも適用できるようにした特措法ですが、検証を行い、休業の強制化と補償の確保、市町村長への権限の付与など、更なる法改正が必要であれば、早急に作業を行い、整い次第、臨時国会を開いて審議を行わねばなりません。臨時国会の開会時期を政局と絡めて論じて、議論が妙な方向に向かってしまう愚は何としても避けるべきです。

 元台湾総統・李登輝先生が97歳でご逝去になりました。
 台北において、当選一回の自民党青年局訪台団の一員として先生に初めてお会いしたのは昭和62(1987)年の夏であったと思います。当時台湾はまだ戒厳令下にあり、李登輝先生は蒋経国総統(大統領)の下で副総統をお務めでした。「時間が一時間しかない。通訳を挟む時間がもったいないので日本語でやろう」と仰り、今後の日台関係について熱く語られた後「今月の中央公論の○○氏の論文(詳細は忘れてしまいましたが)は読んだかね」とお尋ねになり、読んでいなかった自分の不勉強を恥じたことでした。
 その後、東京や台北において何度もお話しする機会を得たのですが、その度に貴重なご示唆を賜りました。最後にお目にかかったのは江口克彦元参議院議員のお計らいで、一対一で台北のご自宅においてでした。齢90を過ぎてもなお世界政治について、今後の日台関係について長時間お話しくださいました。「哲人政治家」の名があれほど相応しい方も居られなかったと思います。御霊の安らかならんことをひたすらお祈り申し上げます。

 雑誌も含め、最近刊行されたものばかり読んでいると、時節柄もあってか気持ちが何となく殺伐としてきます。
 冒頭ご紹介した田中美知太郎先生の説は「田中美知太郎政治論集『市民と国家』」(昭和58年・サンケイ出版)に所載されていたかと思います。亡父は田中美知太郎先生の著作がことのほか好きでした。この本自体は父の死後発刊されたものですが、書店で見たときに父を思い出して迷うことなく購入いたしました。50歳近く年齢が離れていたこともあり、父を客観視することが多かったのですが、良い学者や本を数々紹介してくれたことを、今になってとても有り難く思っています。

 明日から8月というのに東京はまだ梅雨明けとなりません。この7月の日照時間は観測史上最も短かったとかで、夏の暑さが苦手な私もさすがに輝く太陽と青空が恋しくなっています。
 いくら何でも来週には梅雨明けすることと思われます。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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イシバチャンネル第百五弾

事務局です。イシバチャンネル第百五弾をアップロードしました。

part1

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是非ご覧ください

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