2023年3月24日 (金)

統一地方選挙など

 石破 茂 です。
 昨日より統一地方選挙が始まり、鳥取県でも県知事選挙が告示され、5選を目指す現職の平井伸治氏を推薦している自民党鳥取県支部連合会長として(4期以上の首長候補者の公認・推薦については各都道府県連の責任において判断します)、鳥取市、倉吉市の出陣式で演説し、道中は選挙カーのマイクをもって街宣活動を行いました。
 全国各地で行われる知事選挙では、奈良や徳島など保守分裂選挙となっているところもありますが、鳥取県においては決してそのような事態とならないよう、細心の注意を払ってきたつもりです。過去一度だけ、平成11年に、4期務めた西尾邑次知事の後継者を決める際、候補に挙がっていた当時の自治官僚2人のどちらにするかを巡って、自民党分裂の危機に瀕したことがありました。当時の西田司自治大臣(故人)と平林鴻三代議士(元鳥取県知事・元郵政相・比例中国ブロック選出)の英断により、県議会自民党若手と私が推していた片山善博氏に落ち着き、事なきを得たものでした。当時、自治省仮庁舎の大臣室で、西田大臣と平林先生と私の三者協議の場が持たれたのですが、その席で西田大臣から意見を求められた平林代議士が「石破さんのいいようにしてあげてください」と言われた時の光景を、今も私は忘れません。片山県政は2期で終わりましたが、その間の多くの方々の努力や譲歩もあって人間関係が修復され、今日の安定に至っているのはとても有り難いことだと思っております。
 私は政治において安定こそが至上の価値だとは思っておりませんが、国政と異なり、首長も議員も有権者から直接選ばれる二元代表制を採る地方政治において与党が分裂することには、権力闘争以外の意味がほとんどなく、地域住民にとってマイナスの方がはるかに大きいため、可能な限り回避すべきものだと思っています。
 平井知事は権力を恣意的に用いることなく、誠実かつ着実に改革を進め、本県を地方創生のモデル県にしつつあります。多くの県民のご支持を頂き、立派な得票で仕上げの5期目を迎えるべく、自民党県連としても力を尽くしたいと思っています。

 先週末、滋賀県議会議員の県政報告会で講演するため近江八幡市を訪れる機会があったのですが、江戸時代に日本を訪れた朝鮮通信使(聘礼使)を徳川政権がどれほど厚く接遇したかの記録に接し、深い感慨を覚えたことでした。朝鮮出兵で極度に悪化した朝鮮との関係を修復するため、幕府を開いて間もない徳川家康はたびたび李氏朝鮮に使者を送って通信使の来訪を懇請し、1607年に実現します。一行は約500人という大規模なもので、接遇に要した費用は幕府直轄領400万石の4分の1に当たる100万石相当(約100万両・現在の価値で約1000億円)にものぼったと伝えられています。今も昔も、朝鮮半島との関係は我が国の命運を左右するのであり、徳川家康の深い洞察に学ぶべき点は多いように思います。

 中山太郎先生(元外務大臣・総務庁長官・憲法審査会会長)が老衰のため98歳で逝去されました。当選5回生の頃、外交をメインの仕事として衆議院外務委員会の筆頭理事や自民党外交調査会の事務局長などを務めていましたが、当時自民党外交調査会長であった中山先生からは本当に親身なご指導を賜り、何度か海外視察にも同行させていただきました。温容な中にも筋の通った、決して偏ることのない広い視野をお持ちの、心から尊敬できる立派な方でした。近年はお目にかかる機会もないままにご訃報に接することとなってしまい、己の怠惰を心より申し訳なく思っております。出来れば衆議院議長として本来あるべき議会の姿を実現していただきたかったと切に思います。先生の御霊の安らかならんことを心よりお祈り申し上げます。

 早くも東京の桜は散り始めてしまいました。今年もまだお花見は出来ておりません。
 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2023年3月20日 (月)

イシバチャンネル第百三十二弾

イシバチャンネル第百三十二弾、「追悼 松本零士先生、放送法など」をアップしました。


ぜひご覧ください

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2023年3月17日 (金)

尹大統領訪日など

 石破 茂 です。
 韓国の尹錫悦大統領の来日は、大いに評価されるべきことだと思います。
 昭和58年1月、中曽根康弘総理が総理就任後、最初に訪問先に選んだ国は、アメリカではなく韓国でした。全斗喚大統領と会談後、猛勉強された韓国語でスピーチを行い、余興のカラオケも韓国語で歌われたと伝えられます。その後日韓関係は大きく改善し、韓国大統領としては初めての全大統領の訪日へと繋がりました。
 尹大統領が米国よりも先に日本を訪問されたのも同大統領の並々ならぬ決意の表れと見るべきで、「たとえ支持率が10%台に下がっても日韓関係を改善させる」と語った言葉はそれをよく示しています。徴用工問題の解決策については、韓国国内で多くの批判があるようですが、大きなリスクを背負ってまでも日韓関係を改善させたいという同大統領の思いに、日本国として誠実に応えなくてはなりません。
 我々は今こそ日韓現代史をよく学ぶ必要があります。「かつて台湾にも朝鮮にも、日本は同じように帝国大学や旧制高校を開設し、交通インフラを整備し、医療水準を向上させ、農業技術を発展させるという統治を行ったのに、台湾は親日、韓国・北朝鮮は反日なのは、朝鮮人が忘恩の徒だからだ」的な暴論を今でも時折耳にしますが、それは根本から誤っています。
 日清戦争敗北の結果として清国は、異民族が住み、治安や衛生水準が極めて悪い、中華文明が及ばない「化外(けがい)の地」であった台湾を日本に割譲しました(下関条約・1895年)が、台湾は「島」であって「独立国」ではありませんでした。これに対し、大韓帝国は当時どんなに国内が混乱していたにせよ、独立国であったものを「併合」した(韓国併合ニ関スル条約・1910年)のであり、その本質は全く異なると言わねばなりません。たとえ善意に基づくものであったとしても、一国の文化や言語、制度や軍隊をも失わせしめる「併合」がどれほど相手国の国民の誇りを傷つけるものであったのか、このことに対する理解を欠いたままでは、日韓の真の信頼関係は築けないと思います。
 仮に日本のどこかがロシアに「併合」され、「今日から貴方はロシア人。ロシア名を名乗り、ロシア語を話し、ロシア正教を信じたほうが優遇される」となったらどのような思いがするか、少し想像力を働かせてみればわかることです。
 イギリスやアメリカによるアジアの植民地支配は、日本とは比べるべくもないほどに過酷なものでしたが、彼らはリスクを計算して決してインドやフィリピンを「併合」しませんでした。やはり日本が「遅れてきた帝国主義」であったことは認めざるを得ません。

 故・安倍晋三元総理は「謝罪を次の世代に背負わせてはならない」と述べられました。日本国内には「いつまで謝りつづければ、韓国は許すと言うのだ」といった憤りもありますが、それは謝る回数や年月の長さの問題ではなく、日本国民の真摯で誠実な気持ちが韓国国民に伝わるかどうかの問題なのでしょう。故・小室直樹博士は「『同化政策』が、韓国のごとき、長い歴史と高い文化を持ち、また、社会構造的に宗教的に、日本と全く異質的な韓国において失敗することは火を見るより明らかであった。日本人が、韓国人に嫌われる最大の原因は『同化政策』なのである」と述べていますが(「韓国の悲劇」・光文社)、日本の教育ではこのことにほとんど触れていません。
 「正しい歴史」とは、かつての日本を全面的に肯定することでも否定をすることでもないはずです。尹大統領の訪日を機に、日韓に新たな歴史が刻まれ、それが北東アジア地域の平和と安定に大きく寄与することを願っています。

 昨16日、自民党外交調査会の国連改革についての勉強会でスピーチをする機会があったのですが、国連憲章第53条と107条に定められている「敵国条項」について調べてみたところ、1945年4月25日に国連憲章作成のために米・英・ソ連・中華民国が主導して開催されたサンフランシスコ会議に招請されたのは「1945年3月1日までに枢軸国に対して宣戦布告をした国」に限られていたのだそうで、「戦勝国連合」をその本質とするUnited Nationsに加盟したいがために、慌てて日本に対して宣戦布告した国も多かったのだそうです。最終的に日本に対して宣戦布告した国の数は50か国に達しており、このことを全く知らなかったことを大いに反省したことでした。
 「敵国条項はもはや死文化しており、これを削除することにあまり意味はない」との意見もありますが、条項が残っていることにはそれなりの意味や思惑があることを忘れてはなりません。これについてはまた機会を改めて記したいと思います。

 東京は桜の開花宣言もなされましたが、今日はやや肌寒い一日となりました。
 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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