2021年6月11日 (金)

党首討論など

 石破 茂 です。
 9日の党首討論は、内容も討論の技術も本来のディベートのありかたとは遠い残念なものだったというのが正直な感想です。自分のことを棚に上げて言えば、各党ともディベートの勉強を一からやった方がよいと思います。
 国民の代表として質問に立つ質問者は、今国民が何を知りたいと思っているかをまず考えなくてはならないのであって、滔滔と持論を展開すべきではありませんし、答弁者は討論の機会を自分の考えを国民に理解してもらう絶好の機会と捉えて、端的かつ分かりやすく述べるべきです。国会の質疑時間は質問者の時間でも答弁者の時間でもなく、すべて主権者である国民の時間なのです。

 オリンピック開催の是非に関しては、私自身、以下のような疑問があり、これが明らかになれば、と期待していたのですが、触れられることがなかったので、当欄に記しておきます。
 *オリンピックの主催者はあくまでIOC(国際オリンピック委員会)であり、東京都は「開催都市契約」の当事者として開催に関する義務を負うが、開催の可否について何らの決定権を有しない。また、総理が述べられたとおり、日本政府はいかなる法的意味においても当事者ではない。
 これらを前提とすれば、「オリンピックを中止もしくは再延期すべきだ」との意見は、感情論はともかく、法的にはそもそも日本政府や東京都に言っても意味のないことではないのか。
 *仮に東京都が、契約の履行(オリンピックの開催)が難しい旨を申し出て、IOCの判断により中止となった場合、損害賠償の対象となる金額、保険でカバーされうる範囲、はどのくらいなのか。それに伴い、東京都民の負担はどれくらいなのか。
 
 一方で、開催する場合の、来日する選手・役員の安全の確保、行動確認と管理、報道やスポンサー企業関係者への対応、医師や看護師などの確保、日本国民の医療供給体制への配意、などは詳しく国民に伝え、理解を得るべく不断の努力を重ねるべきです。

 当欄では何度も申し上げていることですが、私は新型コロナで明確になった日本の医療体制の機動性・弾力性の欠如という問題点を解決するために、緊急事態に際しては都道府県知事が民間医療機関に対しても命令権を行使できるよう、医療法を改正することが必要なのではないかと思っています。
 そして、国民に自粛を要請する、という感染対策の持続可能性は非常に低いと思っています。特に、高齢者の過度のステイホームや酷暑下のマスク着用などはかえって免疫力を低下させ、重症化例を増加させてしまうのではないでしょうか。政策として、免疫力の強化という方向にも重きを置くべきではないでしょうか。

 質疑が新型コロナ対応とオリンピック開催の是非に終始したことは時間的制約からやむを得なかったのでしょうが、米中対立と今後の日本の選択について誰一人触れなかったのはとても残念なことでした。
 「冷戦時代の米ソ・東西対立と今の米中対立との相違」「日本の果たすべき役割とその変質」については、政治家それぞれが持つ国家観や世界観、歴史観の本質が端的に表れるものであり、政権を担う意欲を語る枝野代表からも、是非その見識を聞いてみたかったと残念な思いが致しました。

 今国会会期末に野党が不信任を出せば衆議院解散か、との憶測もあります。私自身は、解散は内閣不信任案可決、信任案否決、予算案や重要法案が否決された場合など、限定的な場合に行うべきと考えておりますが、我々の野党時代には、「世論からどのように批判されようとも、不信任案を出して解散・総選挙に追い込むことが野党の使命である」と先輩議員から教わったものでした。
 「このコロナ禍にあって国政の機能が停止してもいいのか」との批判も予想されますが、解散して総選挙になっても政府が無くなってしまうわけではなく、総理以下の政府の役職はそのまま機能します。「このような政府には任せられない」と本当に思うのであれば、堂々と不信任案を出し、解散されれば政権奪取を目指して戦う、その覚悟が無くて、どうして国民がその本気度を認識するのでしょうか。

 7日月曜日は静岡県知事選挙に自民党推薦で立候補している岩井茂樹候補(前参議院議員、前国土交通副大臣)の応援で、富士宮市に行って参りました。この時期の街頭演説会の開催の是非については賛否がありますが、屋外開催、参加者全員のマスク着用、十分な社会的距離、などを徹底すれば、候補者の識見や人柄を直接知る機会があってよいものと考えます。
 新幹線や高速道路、港湾や空港などの交通インフラが整備され、気候も温暖で県民所得も高い静岡県の人口減少数がなぜ日本で第5位であり、転出超過数が第4位なのか、「静岡の謎」と言われるこの問題や防災対策に真摯に向き合う岩井候補の思いが結実することを心より祈ります。

 学生の方より、デモの意義についてのご質問を頂きました。
 民主主義における主権者の意思表明の手法として、デモには大きな意義があります。個人的には、拡声器を使って大音量で一方的に主張を叫んだり、鉦や笛太鼓などの鳴り物で存在をアピールするよりも、多くの人が整然と行動し、静かに討論して主張を述べ合う方が、より迫力があって効果が大きいものと考えています。
 幹事長在任中に「石破はデモはテロだと述べた」と報道されて大批判を浴びたことがありました。そのような意図は全くなかったにもかかわらず報道されてしまったことは、私の言葉が足らなかったものと反省しております。最近のデモは人数も頻度も減り、継続性も無くなったように思われますが、批判する側もそれだけ冷めてしまったということなのでしょうか。

 都心では、梅雨は一体どうなってしまったのかと思うほどに暑い日が続きました。紫陽花の綺麗な季節ですが、やはり雨模様でなければ紫陽花の青さは際立たないものです。
 荒井由実の「雨のステイション」(1975年)を聴いてみたくなる季節です。「雨の街を」(1973年)も名曲ですが、歌詞にコスモスが出てくるので、梅雨の歌ではありませんね。荒井(松任谷ではなく)由実を夢中で聴いていた頃からほぼ半世紀が経ったのだと思うと、去来する思いには複雑なものがあります。
 皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2021年6月 4日 (金)

菅原前大臣議員辞職など

 石破 茂 です。
 菅原前経済産業大臣の議員辞職が昨日の衆議院本会議で許可され、最近の自民党では吉川元農水相、河井元法相、河井案里参院議員に続いて四人目の辞職となりましたが、その多さのみならず、すべてがカネにまつわることであるのもかなり異常なことです。このうち三人は議歴を重ねた閣僚経験者でもあり、出処進退も我が党所属議員の模範であるべきで、せめて記者会見には応じてもらいたかったと思います。党に迷惑をかけたから離党する、というお決まりのパターンもあまり釈然としません。党よりも先に国民や自らを選んだ有権者に対して詫びるべきものですし、既に離党したのだからもはや党は関係ない、という理屈はとても人々の理解が得られるものではありません。同じ党の同僚であった方に対してこのようなことを言うのはとても辛いことですし、一番苦しいのは当人であることもよく承知しています。我が身を振り返って批判する資格があるとも思っておりませんが、これが政治や自民党に対する不信を更に高めることになることを怖れています。
 本日出た総務省の調査結果についても、あくまで雇用者である国と被用者である官僚の間を律する倫理法の問題で、これと「行政が歪められたか否か」は少しく異なるようにも思われます。週末によく考えてみたいと思います。

 緊急事態宣言が6月20日まで延長となりましたが、緊急事態宣言の目的は「感染拡大を阻止すること」なのか「医療崩壊を阻止すること」なのか、肝心なことがここにきて判然としなくなってきたように思います。昨年の春以来、私はずっとこの目的は後者の「医療崩壊の阻止」であり、医療機関相互や医療機関内の垂直的・水平的弾力性と機動性の確保・拡大こそが重要だと考え続けてきたのですが、政府の政策やメディアの報道の重点が感染者数の減少に置かれ続けている現状を見ていると、目的は「感染者数の減少による感染拡大の阻止」にあったのではないかと思うようになりました。
 しかし、医療体制の根幹である医療法に、行政機関による命令権限が明記されていないために、医療機関に対してもコロナによる症状の出た患者の受け入れの「要請」しかできず、受け入れを断られてしまえばどうにもならないということで、国民に対して精神的・肉体的・経済的な忍耐と負担を強いる自粛の要請を継続するしかない、というのは何かおかしくはないでしょうか。
 相手がウイルスである以上、陽性や感染がゼロになることなどほぼあり得ないのであり(今まで根絶できたのは天然痘だけと言われています)、重要なのはウイルスにより症状が重篤化したり死に至ったりすることを防ぐ医療技術を向上・普遍化させ、受け入れ態勢を整備することなのではないでしょうか。累積陽性者数がアメリカは日本の30倍、イギリスやフランスは20倍という、日本とは桁の違う流行が起こっているにも関わらず、医療は崩壊せずに何とか踏みとどまっています。他国に比べてこのような状況であることを踏まえて、緊急時における医療体制の機動性を確保するための法整備こそが喫緊の課題であり、そうしなければ、コロナが収束してまたインフルエンザが流行し始めた時にも今のままの自粛を続けなければならないことになりかねず、ましてや将来、新型コロナよりももっと強い毒性や感染力を持ったウイルスが出現した時に本当の医療崩壊が起きることを非常に懸念します。関連法との整合も含めて、法改正の構想を早急に考える必要性を痛感しています。

 オリンピック・パラリンピック開催の可否については、あまりに情報が少なすぎて判断のしようがありません。ただ、開催するにせよ、しないにせよ、新型コロナの状況と医療体制の現況、断念するにあたって生ずる損失とその負担者、保険適用の可否と事情変更の原則との関係等々、現状を明確にすべき(誰が明らかにする責任を有しているのかも含めて)であり、それが国民に対する責任であると考えます。

 天安門事件から今日で32年が経ちました。公式発表でも319人が死亡したとされる天安門事件は、中国の歴史からはそのほとんどが抹消され、追悼集会も一切禁止されているようです。「共産党の指導は無謬でありこれに反対することは許さない」「国民の軍隊ではなく共産党の軍隊である人民解放軍は、共産党に反対する国民に対して躊躇なく銃を向ける」という中国共産党の本質がより一層明確になりつつありますし、一国二制度が危機に瀕している香港では今年から天安門事件に関する集会も一切禁止となりました。
 中国憲法は序文に「中国の神聖な領土である台湾の統一は中国人民の神聖な使命」と謳っており、次は台湾を視程に入れていると見るのが妥当です。これは善悪や経済的利益の問題ではなく、世界観や価値観の根本的な相違であることを軽視すべきではありません。
 中国の動向や思惑とともに、米国にこの現状はどのように映っているのかについてもあらゆる方向から徹底的に検討を重ね、我が国が法的・能力的に何が出来て何が出来ないのかを正確に把握し、今後の方針を組み立てなくてはなりません。尖閣のみに目を奪われていると、米中対立の本質を見誤り、対応を間違えることになるように思います。
 イデオロギーと軍事の対立に決着がついて終わりを告げた米ソ冷戦は、振り返ってみれば構造としてはシンプルなものでしたが、米中はそれよりもはるかに複雑で、日本の関わり方も何倍にもなるのだということがひしひしと感じられます。これに対応すべく政治が何倍も努力せねばならないこともまた当然です。

 今週の自民党政治大学院では、保阪正康氏を講師として石橋湛山について学びましたが、ロンドン条約締結の際の統帥権干犯事件についての保阪氏の見解は我が意を得たりとの感を強く致しました。
 専門性の極めて高い「統帥」(オペレーション。軍令。作戦・運用)に、素人である政治家や政党が党派性や人気取りでみだりに口を挟むべきではなく、むしろ独立性を保つのが本来であり、政治が決めるべきはあくまで予算や法律といった「軍政」に関するものです。保阪氏の「統帥権の独立よりも、陸海軍大臣現役将官制の方が弊害は大きく、それがこの問題の本質」との指摘は誠に正鵠を射たものと思います。保阪氏や半藤一利氏の著作を読むにつけ、近現代史に関する自分の知識と理解の浅薄さに気付かされます。

 この週末、都心は不順な天候が続きましたが、梅雨入り宣言はもう少し先になるのかもしれません。
 どうかご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2021年5月31日 (月)

水月会セミナー日程変更のお知らせ

 事務局です。

 6/18(金)に予定しておりました 政策集団 水月会 第6回セミナーにつきまして、緊急事態宣言の延長に伴い、下記の通り変更させていただくこととなりました。

 7/8(木)1045- @ホテルニューオータニ東京「鶴の間」

 時間、場所は変更ございません。

 ご予定頂いておりました方には大変恐縮でございますが、何卒ご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。

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