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2008年10月31日 (金)

週末は北海道

 事務局です。
 本日夕刻、めっきり寒い(らしい)北海道は旭川に飛び立ち、今津寛先生のご地元におじゃましています。
 ひじり野ふれあい交流館というところで講演をします。

 明日は、名寄市(西條デパート東側駐車場)で945~街頭演説です。その後士別グランドホテルで講演をします。さらに1115~旭川市(1条7丁目アッシュ前)で街頭演説です。
 きっと明日も寒いでしょうが、お近くの方がいらっしゃいましたら、ぜひ聞きに来てください!

 その後午後の便で鳥取に帰ります。
 2日の900~は、倉吉で中部事務所の事務所開きです。その後高城のほうへ街宣車で廻りつつ、おまつりにもおじゃまします。
 3日の午前中は、鳥取市若桜街道の「木のまつり」におじゃまします。その後は岩美のほうへ街宣車で廻ります。
 こちらも、お近くの方、ぜひおいでくださいねー!

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2008年10月30日 (木)

パナマ商工大臣

 事務局です。
 今日は「ミス納豆」の他に、パナマの商工大臣ヴェルガラ女史もお越しになりました。

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ミス納豆!

 石破 茂 です。

 今日は納豆の消費拡大のPRのため、「ミス納豆」の石川沙織嬢が関係団体の方々とともに来訪。
 いろいろな「ミス」がありますが、「ミス納豆」というのもあるんですね。ちょっとびっくり。「ミス明太子」とか「ミスからすみ」なんてのもあるのかも知れません。一体いくつあるのかな・・・。
 さすがグラビアアイドルだけあって、なかなかにフォトジェニック。先週も書きましたが、最近のアイドルはキャンデーズ世代にはよくわかりません。

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 ただ・・・私たち西日本の者には納豆は馴染みのない食品でして、子供の頃は納豆と言えば「濡れ甘納豆」のことだと固く信じていて、高校生に入って東京で暮らすようになって、初めて目にしたときは、大きなカルチャーショックを受けまして「何、これ?どうして東京の人はこんなものが食べられるの?」と思ったものです。だから今も食べられません。

 東京出身の配偶者や娘達から「こんな美味しいものをどうして食べないの。健康にもいいのに」と言われてもねえ・・・。これを契機にチャレンジしてみましょうか。

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2008年10月27日 (月)

なぜ政治家を志したか・その4

 石破 茂 です。
 田中角榮先生から、「キミが衆議院に出るんだ!」といわれて驚愕したところまで前回書きました。今回はその続き。

 そうは言われたものの、私自身、県知事や国会議員の家庭に育ち、世間で言われるほどに「政治家」なるものがいい仕事だとは思っていませんでしたし、その大変さも承知していましたので、待ってました、とばかりに「わかりました、それでは私がやらせていただきます」などと言う気にもならず、四の五の言って「考えさせてください」みたいなお答えをして先生のご不興を買ったように覚えています。
 
 田中先生を評して「あれは人間ではなく霊能師である」と言ったのは大平正芳氏でしたが、むしろ「魔神」と言うべき方ではなかったかと私は思います。
 そう言って田中邸を辞したものの、「キミが衆議院に出るんだ!」との言葉の響きは私の中で徐々に大きなものとなっていきました。
 数ヶ月経って「やってみたいと思います」と申し上げたところ、「お前もとうとうマラリアに罹ったか」と言われました。政治家になりたい、との思いは一度芽生えると消えるものではない、治ったかに見えてまたぶり返すマラリアのようなものだ、との意味らしいのですが、ご自分で仕掛けておきながら、それはないでしょうと思いますね。

 ところがまた数ヶ月経って、今度は「すまん、あの話は無しだ」とのお言葉。
 鳥取全県区で一人やめるというところまでは田中先生の見通しは正しかったのですが、その辞める予定の方に私を後継にするとの話を持ちかけたところ、「政治家とは功成り名遂げた者がやるべきものであって、二十五歳の若造などがやるべきものではない」と言下に拒否された由。その方は戦前に内務事務次官まで務め、閣僚も歴任された方で、それなりの政治家観を持っておられたのも当然と言えば当然です。
 そうは言われても、「マラリア」に罹った者はもうどうにもならなくて、結局、「まあー、そのー、お父さんも参議院議員だったのだし、やはりキミは参議院だな(!)。今度鳥取県選出の参議院議員が辞めるのは六年後だから、それまで修行しなさい」ということになりました。随分といい加減な話ですが、このあたりが田中先生のそそっかしいところであったのかも知れません。

 昭和58年3月、三井銀行を辞め、確たる見通しも無いままに木曜クラブ(田中派)事務局に派閥秘書として勤めることになりました。ところが、世の中というのはわからないもので、私は参議院に出ることもなかったのです。(もし仮にそのとおりになっていれば、平成元年の宇野総理の下で行われた自民党大惨敗の参議院選挙に出馬し、とんでもないことになっていたでしょう)

 なんだか二転三転だらけですが、以下次号。

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改革チーム 有識者ヒアリング

 事務局です。
 先ほど、農水省内で、農水省改革チームの有識者ヒアリングがありました。
 猪瀬直樹さん(東京都副知事)と数土文夫さん(JFEホールディングス株式会社代表取締役社長CEO)にお出でいただき、忌憚ないご意見を伺うことができました。

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育樹祭

 事務局です。
 昨日の、松山での育樹祭の写真をいただきました!

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 さすが、皇室のお出になる式典だけあってか、華やかですね~。

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2008年10月25日 (土)

岡山その2

 事務局です。
 臨場感あふれる写真がもう一枚届きました~。

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2008年10月24日 (金)

リアルタイム中継@岡山

 事務局です。

 さっそく倉敷国際ホテルでの講演の模様をお届けいただきました!
 橋本事務所の方に感謝です!

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週末日程

 事務局です。

 イベント等の予定があったら先に教えてください!とのご要望をいくつか頂いているのですが、日程が確定しなかったり警護上の理由があったりでなかなかご希望に添えていなくて、申し訳ありません。
 でも、なるべくがんばります。

 さて、本日は岡山県倉敷市におじゃまして、JAおかやまさんの大会に出席しています。
 今日はそのまま倉敷に泊まり、明日の午前中、橋本岳先生の後援会の方々にお会いする予定です。
 明日の午後は加藤勝信先生と、笠岡市を回ります。

 そのまま特急電車でいったん鳥取へ戻り、会合に出席して、深夜に岡山に入ります。
 明後日は松山市で育樹祭という公務がありますので、それに間に合うように早朝の特急電車乗り継ぎです。

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世界に向けて

 石破 茂 です。

 昨日は、東京・丸の内の丸ビルで開催された国産農産品を展示・販売してPRするイベント「EAT JAPAN IN TOKYO MARUNOUCHI」のオープニングセレモニーに参加してきました。

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 タレントのRIKACOさんやカリスマ・シェフの方たちと共に、国産品を食べて自給率向上を!と訴えてきたのですが、それにしても、キャンディーズ世代の私には、最近のタレントさんは誰が誰やらさっぱりわかりません。好奇心が薄れたのか、記憶力が悪くなったのか、まだまだそんな年齢ではない筈なのですが・・・。

 確かにカリスマ・シェフの手に掛かると、いろいろな食材が見事に全く新しい形で生きてきて、それはそれなりに新鮮な驚きではありました。
 多くの方がこれを機会に食の安全と安心に関心を持ってくださると嬉しいのですが、一方において世界で八億人の人々飢餓状態にあることを思うとき、複雑な思いにかられるのは私だけでしょうか。
 世界はどう考えても恐ろしく不公平で、これを何とか少しでもいい方向に導くことが我が国の責任であるように思います。
 「飢餓と貧困がテロの原因、武力行使でテロは無くならない」などという単純素朴な議論には与しませんが、日本人はもっと世界に向けて目を開く必要があることだけは事実です。

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2008年10月23日 (木)

EAT JAPAN in Marunouchi

事務局です。

 今日は午後から、表題のようなイベントがありました。自給率向上のためのイベントです。
 RICACOさん、田中まさみさん、山本美憂さんがご一緒です。

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2008年10月21日 (火)

遺志に応える道

石破 茂 です。

 農水省改革チームのメンバーであった課長さんが17日、自ら命を絶たれ、マスコミでも報ぜられました。
 その動機について私の立場であれこれ申し上げるべきではありませんし、職務との関係が全く無かったかどうか、本当のことは誰にもわかりません。
 真面目で明るく、責任感のあるムードメーカー的な方であっただけにとても残念です。
 
 防衛省・自衛隊でも毎年自殺者が相当数あり、長官・大臣在任中、対策委員会を立ち上げ、訓示の度に「悩んでいることがあれば、私に直接でもいいから相談して貰いたい」と言ってきたのですが、効果はほとんどありませんでした。これはとても難しい問題なのですが、せめて悩んでいる人に対して「どうしたの?」と一声でも掛ける雰囲気だけは作れないものかと思っています。

 改革を成し遂げることこそ故人の遺志に応える道だと信じ、今後とも一層努力せねばなりません。

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なぜ政治家を志したか・その3

石破 茂 です。
 承前。

 父を県立中央病院に見舞った後、田中角栄先生は鳥取県庁に当時の平林鴻三知事を訪ねます。
 「君も石破君の病状は知っているだろう。葬儀委員長を頼まれたが、彼が鳥取県に果たした業績からすれば、鳥取県民葬になり、君が知事として葬儀委員長を務めることになるだろう。彼との約束はまた別の形で果たしたい」
 昭和56年9月23日に執り行われた鳥取県民葬に先生は友人代表として参列され、弔辞の中で以上のような経緯を涙ながらに述べられました。

 数日後、目白の田中邸に御礼に伺ったところ先生は開口一番「あの葬儀には何人来たのか」と尋ねられました。
 「3500人と聞いていますが」とお答えしたところ、早坂秘書を呼ばれ、「4000人を集めろ、俺は石破に葬儀委員長をやると約束したんだ、青山斎場を手配しろ、それから鈴木(総理)に電話して自民党葬にはするな、それでは俺が葬儀委員長になれないからと言っていると伝えろ」と矢継ぎ早に指示を出されました。
 10月の晴れた日、恐らく最初で最後の田中派葬(友人葬)が執り行われ、先生は自ら葬儀委員長を務められたのです。「カネと権力があったからできたのだろう」と片付けるのは簡単ですが、どんなにカネと権力があってもここまでして約束を果たす人はいないのではないでしょうか。

 さて、本題です。
 東京での葬儀の御礼に伺った私に田中先生は「鳥取での葬儀に来た人は3500人だったと言ったな。キミ、いますぐ「御会葬御礼」という名刺を作って、来てくれた人のところを全部廻れ」と仰言るのです。
 「そうは仰言いますが、私は銀行員で、そんなに廻るのにはどんなに急いでも一ヶ月はかかります。そんな時間はとてもありません」
 「何を言うんだ、キミがお父さんの遺志を継ぐんだ!」
 「でも、参議院の被選挙年齢は30歳で、ご存知でしょうが私はまだ24歳です。どうして後が継げましょうか」
 「キミは衆議院に出るんだ!やがて総選挙がある。鳥取で現職が一人辞める。そのあとはキミだ!キミもそのときには25歳になっている。いいか、日本のすべてのことはここで決まるのだ!」
 「!!!……(驚愕そして絶句)」

 「お父さんは知事4期15年、参議院2期7年、鳥取の皆さんにお世話になってきたんじゃないか、それなのに倅のキミは自分が銀行員で、平凡で幸せな暮らしが出来ればそれでいいと思っているのか!」
・・・というような話がそもそもの発端です。

 かつて大平正芳氏は生前周辺に、
「田中とは一対一で会ってあってはならん。田中は人間ではない。あれは霊能師だ。一対一で会えば、必ず言うことを聞かされてしまう。会うときは出来るだけ複数で会え」
と言っていたそうですが、当時の私は勿論そんなことは聞いていませんし、24歳のお兄さんが「闇将軍」と呼ばれた当時権勢絶頂の田中先生と一対一で会ってしまったのですから、その結果は明白と言うべきなのかもしれません。
 
 しかし、その2年後に行われた昭和58年12月の第37回総選挙に私は出馬せず、その機会は昭和61年に到来することになります。まだ紆余曲折が多くあり、以下次号。

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2008年10月20日 (月)

もちつき

事務局です。

 地元の方からお写真をいただきました!これも日曜日のです。
 もちつきさせていただいてますね(笑)

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土日の様子

事務局です。

 土曜日はちょっとだけ鳥取に戻り、夜は原田憲治先生の会合での講演のため、大阪に行きました。
 日曜日はまた鳥取に帰って、お祭りや運動会に出させていただいたり、街頭演説をさせていただきました。

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鳥取市青谷町での街頭演説です。

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2008年10月17日 (金)

なぜ政治家を志したか・その2

石破 茂 です。
 
 前回のつづきです。

 昭和55年7月、大平正芳内閣不信任案可決を受けて行われた衆参ダブル選挙は、選挙中に大平総理が急逝されたことへの同情もあり、自民党が衆参ともに圧勝、鈴木善幸内閣が誕生し、父は自治大臣に就任しました。
 既に72歳になっていましたが、内務官僚であった父にとってはそれなりの感慨もあったようで、珍しく少し嬉しそうであったことを記憶しています。
 しかし、12月に既に手遅れの膵臓ガンであることが判明し大臣を辞任、湯河原で少し静養した後、「鳥取で生まれ、鳥取で育ち、鳥取で死にたい」との言葉どおり、翌56年9月16日、県立中央病院で亡くなります。

 手術の前日、父に呼ばれ「手術中に万一のことがあった場合、辞表が出ていなかったのでは天皇陛下に申し訳がない。これを今から田中のところへ持って行け。取り扱いは全て任せると伝えろ」と言われ、辞表を預かり、私は目白の田中邸に行き、初めて田中角栄先生と対面しました。
 事情を説明し辞表をお預けすると、田中先生は暫く絶句され、「立派だ・・・」と一言仰言いました。
 
 スマトラ島に陸軍司政官として赴任し、復員後警察予備隊(自衛隊の前身)の創設に関わった後、建設省に入った父は、少壮代議士であった田中先生と意気投合し、幾多の政策を共に実現したと聞いています。
 田中派の参議院議員となった頃にロッキード事件が表面化し、当時大学生であった私が「いくらお父さんが尊敬する田中先生でもこれはよくないのではありませんか」と尋ねたところ、「お前は田中に会ったことがあるか。その人を知りもしないで、報道を鵜呑みにするのは許さない。田中が貰っていないと言うからには、貰っていないのだ。いいか、人を信じるというのはそういうことだ」との答えが返ってきました。どうにも釈然としなかったものの、そういった父の姿が今も強烈に印象に残っています。

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(故・石破二朗先生のお写真です。)

 
 父が鳥取県立中央病院に入院していた昭和56年8月のある朝、勤め先の銀行に母から「お父さんが今朝、『田中が見舞いに来てくれた夢を見た。嬉しかった。あれは夢だったのか』と言っていた。死ぬ前に一度会わせてあげられないだろうか」との電話があり、私はそれを田中先生に伝えたところ、「わかった。必ず行く」とのお返事。
 その言葉どおり、公判中で選挙区の新潟以外には出られることのなかった先生が鳥取に来られ、見舞って下さいました。

「あなたに最後に会いたかったのは、葬儀委員長をお願いしたかったからだ。是非引き受けて貰いたい」
「こんなに元気な君が何を言うか。必ずよくなる。しかしまさかのことがあれば引き受けよう」
「ありがとう・・・これで思い残すことは何もない」
 
 その数日後、父は帰らぬ人となりました。

 なんだか、このお話は長くなりそうです。
 なかなか「何故政治家になったか」というところまで辿り着きませんが、実際の田中先生を知る者は現職の国会議員の中にも少なくなってしまいましたので、ここに書かせていただきたく思います。もう暫くお付き合いください。
(その3につづく)

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2008年10月16日 (木)

漁港漁場協会の皆様と

事務局です。

 今日は参議院予算委員会最終日。その後、参議院本会議で、平成20年度補正予算案が可決されました。
 夕方、お会いできないと思っていた漁港漁場協会の鳥取県関係の皆様とお会いすることができました。

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 ところで、事故米に限らず、農、林、漁業関係のコメント、メールなどいただいております。
 全て本人が目を通し、役所の仕事として割り振りしていますので、今後ともいろいろなご意見等お寄せください。

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2008年10月15日 (水)

日本養豚生産者協議会(JPPA)の皆様と

事務局です。
バックデートになりますが、10月10日に大臣室を訪問された日本養豚生産者協議会(JPPA)の方から、ステキなお写真をいただき、是非ブログにと温かいお言葉をいただきましたので、載せてみました。

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毎日こんなかんじでいろいろな方とお会いしてます。

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参議院 予算委員会 二日目

事務局です。
いつも事務局を気遣ってくださる皆様、ほんとにありがとうございます。

本日も参議院予算委員会が900から開かれてます。
お昼に大臣室で接客した後、また1300~1700まで予算委員会です。

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2008年10月14日 (火)

なぜ政治家を志したか・その1

石破 茂 です。

 世の中は三連休(だったらしい)。
 政治家、就中(なかんずく)衆議院議員には「休日」というものがありません。

 この三日間、珍しく地元・鳥取にずっといたのですが、もう完全に選挙モード。選挙事務所こそまだ開いていませんが、挨拶まわり(告示前の後援会活動としてなら法定範囲内です)、街頭演説、国政報告会、その合間に叙勲祝賀会や運動会での挨拶などが入り、日程はまさしく分刻み。これが嫌いではそもそも衆議院議員など勤まりませんし、お世話くださる方のことを考えれば文句など言ってはバチがあたります。
 挨拶まわりは真の状況が実感できますし、街頭演説は動員をお願いしたお客様相手の屋内での演説会とはまた異なり、生の反応が体感できるので大好きです。
 でも、正直、肉体的には相当に疲れました。私たちにとっては、「休み明け初日」が疲労の極限で、金曜日ぐらいが体力的にはベストの状態です。これって・・・やはりどこかおかしいですよね。

 何故政治家を志したか、とよく聞かれます。今日はその第一回。

 政治家になるのに、特に強い使命感があったわけではありません。
 私の父親はもともと内務官僚で、昭和三十三年に建設事務次官から鳥取県知事に転じ、昭和四十九年から亡くなる五十六年まで参院議員、鈴木内閣で短期間自治大臣を務めましたが、子供として、政治家はどうにもあまりいい仕事とは思えませんでした。プライベートな時間はないし、そんなにお金が儲かるわけでもない。
 年齢が離れていた所為もありますが、私にとって父親は常に「知事」であり「国会議員」であって、何かいつも客観的に見ていたように思います。母親の作ってくれた料理を食べた記憶もほとんどなく、それらは両親にとっても辛いことだったのかもしれません。
 大学三年から四年になる春休み(昭和五十三年)、父から「お前は政治家になる気があるか」と問われ、即座に「ありません」と答えました。「そうだろうな、大体、お前のように人のいい奴に勤まる仕事ではないな」と言われたことをよく覚えています。
 ですから、卒業後は三井銀行に勤め、普通のサラリーマン生活を送っていたのですが、父の死で大きく人生が転換します(以下次号、請うご期待・・・なーんて)。

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(次回のヒント?田中角栄先生揮毫の額です)

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参議院 予算委員会

事務局です。

昨晩鳥取から戻り、夜に答弁や事故米対策のレクを受けました。
本日は閣議、記者会見を終えた後、9時から参議院の予算委員会。
午後も17時までやってます。
予算委員会は明日も続きます。

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2008年10月10日 (金)

民間の大変さ、補給新法延長

石破 茂 です。

 昨日、今日と、私が出席しなくてはならない委員会もなく、比較的平穏な状態で、事故米関係の調査、消費者や酒造メーカー、和菓子屋さんなどへの対策の進捗状況の確認などの作業に追われています。
 国産米によって作られた米粉だと信じて、汚染米が混入した可能性のあるものを使ってしまい、社名が公表されたことによる被害は、本当に深刻です。
 政府は何があっても潰れることはありませんが、民間はそうは行きません。
 三十年近く前、東京・日本橋本町で銀行員として(あまり優秀ではありませんでしたが)中小・零細企業の資金繰りを見ながら融資を担当していた私は、それなりに民間の大変さがわかっているつもりですが、どうにも官にその認識が感じられない。勿論消費者の安全は確保した上で、この事件によって、廃業や倒産する企業や事業者が一軒もないよう、全力を尽くすことが私の責任だと考えています。

 今日から衆議院でインド洋における補給を延長するための法案審議が始まりました。
 聞くところでは、野党も早く審議を済ませ、最終的に衆議院での再議決により延長が可能となるとのことですが、昨年暮から今年春にかけて、民主党をはじめとする野党が「米軍支援の憲法違反の法律だ」「文民統制に正面から反するもので認められない」といって徹底的に審議を引き延ばし、反対してきたのは一体何だったのでしょう。そんなに大事なら、そして本気でそう思っているのなら、憲法観を明らかにし、対案を示した上で徹底的に審議するのが彼らの仕事ではないでしょうか。どうしてこんなに安易に物事が取り扱われるのか、なんだか空しく、悲しくなってきます。

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(ランチはカツカレー。)


 明日から世の中は三連休。地元に帰って選挙準備を万全なものにしておかなくてはなりません。候補者本人が一番努力しなくては誰もついてこない、いつの選挙でもそう思っています。

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2008年10月 9日 (木)

多少の余裕

事務局です。

今日は10時から参議院の予算委員会に少し顔出しして、ずっと役所の説明(レク)です。
午後も各種取材、挨拶、インタビューと続いています。
それでもいつもよりは余裕がありますね…

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2008年10月 8日 (水)

衆・予算委を終えて…

石破 茂 です。

 衆議院予算委員会も今日が締めくくり質疑、委員会採決の後、夕刻には補正予算案が本会議で可決され参議院に送付されました。
 民主党も賛成、というのはそれなりにいいことではあるのですが、報道で知る限り、賛成する表向きの理由は「国民経済にとって緊急に必要な措置が多く盛り込まれているから」、しかし本当の理由は「この経済情勢で反対するとイメージが悪くなる。早く解散に追い込むためには賛成したほうが得策」というのは、どうにもよく理解できません。今日の株価の大幅な下落などを見ると、今解散などして二ヶ月近い政治空白を作るようなことは、党利党略を抜きにしてとても許されないのではないでしょうか。
 いずれ来年の九月には今の衆院議員の任期が来るのですし、それまでの間は与野党が互いに協調して、この難局を乗り切り、国民の審判を仰ぐ時期を探るべきであるように思うのですが、いずれにせよただ一人の解散権者である麻生総理が賢明な判断を下されるものと信じます。

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 三日間の予算委員会の質疑を通じて感じるのですが、民主党にも極めて真っ当な議論をする人がいます(勿論そうでない人もいますが)。ご指摘ごもっともと思う点も多々あり、政府・与党としてもこれらを積極的に採りあげていくべきものと考えます。
 ただ、国家観や世界観が決定的に異なる人を代表としている以上(小沢氏の掲げる「国連絶対主義」がその典型です。「インド洋の補給活動はアメリカの戦争支援であり憲法違反」「国連決議があれば自衛隊の海外派兵も憲法上可能」などという荒唐無稽な理論は到底是認できません)、大連立など土台無理な発想です。
 15年程前、私たちが小選挙区を主張したときには、大前提として中選挙区制下における政界再編と地方分権があったのですが、それがないまま小選挙区制度だけが先行したところに今日の混迷のもとがあります。これをどうしたらいいものか、なかなかいい知恵がありません。

 それにしても、いつ解散があるかわからない状況では、なかなか落ち着いて本質的な議論が出来ません。
 せめて半年あれば、随分といろいろなことに手がつけられ、方向性も見出せるのですが、限られた時間の中で何とか少しでも前進させるべく、120%の努力をせねばならないようです(倒れないように気をつけます。多くの皆様、お気遣い本当にありがとうございます。健康法を問われて「とにかく休まないこと」などとあまり言ってはいけませんね・・・)。
 
 明日は本当に久しぶりに一息つけるかもしれません(ワクワク。でもいつも期待は裏切られます)。
 当ブログに頂いた書き込みやメールに少しでもお返事が出来るといいな、と思っています。

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締めくくり総括

事務局です。

本日で、予算委員会は締めくくりです。
夕方、衆議院本会議で、補正予算の採決の予定です。

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2008年10月 6日 (月)

予算委攻防

石破 茂 です。

 今日は朝9時から、お昼一時間の休憩を挟んで夕方5時まで予算委員会。
 毎度のことながら、七時間座りっぱなしというのは相当きついです。

 テレビ中継も入っていて、当然のことではありますが居眠りなどご法度ですし、懸案を抱えた閣僚にはいついかなる質問が飛んでくるかわからないので、極度の緊張状態が続きます。
 私に質問が集中するときには舛添氏は比較的平穏状態、舛添氏に集中するときにはその逆、という相関関係が福田内閣ではありましたが、麻生内閣でも同様のようです。
 今日はそれでも与党質問が主だったので何とか凌ぎましたが、明日は菅直人議員をはじめとする野党の論客ばかり七人も並びます。
 
 今日も深夜まで、明朝も朝7時から答弁の検討会を行います。
 防衛であれば、質問者が一聞けば十を答えて相手を辟易させる技を持っていたのですが、久しぶりの農水ではなかなかそうはいきません。決して気を緩めることなく、全力で臨みたいと思っています。

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答弁中

予算委員会で答弁中です。

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予算委員会

事務局です。

本日は一日、予算委員会です。
国会テレビの様子です。

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2008年10月 3日 (金)

事故米→バイオエタノール、について

 石破 茂 です。
 今日は2件目のコメントになります。
 
 今回の事件を受け、事故米の回収・処分を進めているのですが、実はこれについて、「もったいない」「バイオ燃料(バイオエタノール)の原料として利用すれば良いのでは」というお声を多くいただいております。

 事故米はアルコールの原料となるでん粉を多く含んでいるので、技術的にはこれを原料にしてバイオ燃料を作ることは可能です。
 しかし、事故米を原料としてバイオ燃料を製造する場合、アフラトキシンやメタミドホス等の有害物質がバイオエタノールや副産物である絞りかすに移行するかどうか、有害物質が移行する場合、バイオエタノールを燃料として使用したときに有害物質が発生しないか、また、絞りかすを飼料等に利用しても安全なのか、といった、安全性に関する技術的な検証を行う必要があります。
 有害物質が絞りかすに移行し、飼料等に利用できない場合は、費用をかけて絞りかすを産業廃棄物として処理しなければならなくなりますので、税金の使い方として、かえってコストが嵩むことになります。
 このような可能性にも留意して、きちんとした実証をしなければならないと思います。

 もし事故米を燃料用に仕向けることができたとしても、事故米が他の用途に横流しされないようなシステム作りが必要なことは言うまでもありません。

 事故米をバイオエタノールの原料として利用するというアイデアを実現していくためには、このような課題を早急にクリアしていかなければなりません。このプロセスについては、また逐次お知らせします。
 どうか、みなさんのご意見もお寄せください。

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農本国

石破 茂 です。 

 農林水産大臣になって一週間が経ちましたが、なんだかもう一年以上やっているような気がするのは何故でしょう…って、なって2日目にも書きましたね。

 主に事故米問題の対応に忙殺されていますが、これは農林水産行政の象徴的な事例として捉えるべきものなのだ、との感を深くしています。
 外国から米が入ってこないようにするため、高い関税率を設定する代わりに、ミニマムアクセス米を国内産米が余っているにもかかわらず輸入せざるを得ない。しかし、これによって減反を強化することはしない。従ってMA米は、食用以外の用途や援助米に使わざるを得ないのですが、この仕組みを一体どれだけの人が知っているのでしょう。そしてこの間、日本の稲作の生産性はどれほど上がり、どれほどコストが下がり、生産者と消費者にどれほどの利益がもたらされたのでしょう。
 このような「そもそも論」はえてして嫌われますが、本質的な「そもそも論」を避け、その場しのぎの対策を立てて結果が思わしくなかったときには、責任者は既にいなくなってしまっているのが今までの通例であったように思われます。
  
 与野党を問わず、一部の政治家や政党、或いは官僚が、選挙目当ての党利党略や組織防衛、個利個略に走り、商業ジャーナリズムもこれまた一部を除いて農政には無関心、結局納税者や正直な生産者、消費者が馬鹿を見るようなことはやめにしなくてはなりません…なんて言うと、また「一体それは誰のことだ!何の根拠があって言っているのだ!立場をわきまえて発言しろ!」と吊るし上げられそうですが…
 日本農業にとって一番深刻な問題は農業者の極端な高齢化です。ずっと昭和一桁生まれの方々が一貫して日本農業を担っていたのですが、これが一体いつまで続くのか。ある時突然に日本から農業を担う人がいなくなってから慌てても遅いのです。農政改革は本当に今がラストチャンスなのだという強い意識をもって臨んでいます。

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(鳥取の20世紀梨。そろそろシーズンも終わりです。)


 昭和56年に亡くなった父が、鳥取県知事在任中、色紙によく「農本国」と書いていました。
 めったに酔わない人でしたが、たまに酔うと「お前は百姓の倅ではないからろくな者ではない」などと言っていたのを覚えています。
 「あなたが内務省なんかに入ったからそうなったんでしょ」と言いたくもなりましたが、とにかく農業には強烈な思い入れを持った父でした。

 今日は参議院本会議。
 田中康夫議員から私に質問がありましたが、田中議員一流の演説で私のことを「プラモデルの大家」「下から目線(勿論誉めていっているのではありません)」などと表現され、不徳の致すところとはいえ、ちょっと寂しい気がしたことは事実です(涙)。

 明日は選挙区と徳島、明後日は選挙区と東京で月曜日の予算委員会に備えての答弁検討会。
 やはりなかなか休めませんね・・・・・。

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農林水産省改革チーム 第一回

事務局です。
昨日の夜、改革チームの第1回会合が開かれました。

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闊達な議論が続いていました。今後の成果に期待です!

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2008年10月 2日 (木)

平成研究会総会

事務局です。
今日のお昼は、平成研究会の総会がありました。

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視察報告

石破 茂 です。

 あんまり毎日根をつめて書かなくてもいいですよ、というありがたいコメントのお言葉に甘えて、ちょっとお休みしてしまいました。
 
 一昨日は熊本で事故米であることを知らずに国産米と信じて使用してしまった酒造メーカーである「美少年酒造」、また同じく知らずに事故米を使ってしまった和菓子メーカーの方々のお話を聞きました。
 
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 行政の責任者である大臣が、とにかく現場に行き、実情を把握し、信頼感を得ていただくのが、このような場合における危機管理の鉄則だと、私は思っています。
 もちろんご要望すべてがかなえられるわけではありませんが、役人任せにして逃げていてはいけません。
 売り上げが十分の一になってしまった酒造メーカー、お彼岸や敬老の日で最も売り上げが伸びる九月に大打撃をこうむった和菓子メーカー、それらの信用を回復し、被害を補うために、政府として何ができるか。スピード感を持ってことに当たりたいと思います。

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 その後、問題の三笠フーズ九州工場と、流通ルートの解明を昼夜兼行で行っている福岡農政事務所を視察しました。三笠フーズの悪行は遠からず捜査当局により解明されることと思いますが、農政当局が三笠フーズの所業を知っていたのではないか、との憶測にきちんと答えるためには、相当の努力が必要であると考えます。
 組織防衛に走ることなく、国民・納税者の立場に立って、真実を明らかにするのが私の務めです。

 昨日は衆議院における本会議、選挙が近いことを意識してか、与野党の論戦は白熱しました。
 自党のPRに走ることなく、ほんとうに国民に語り掛ける姿勢が求められると思います。

 今日は衆参で本会議が行われますが、夜、農林水産省改革チームの立ち上げ第一回の会合を開きます。
 百年以上の歴史と伝統を持つ農林水産省を改革することは決して容易ではありませんが、本当に生産者と消費者の側を向いた農林水産省とするためには、避けて通れない道と覚悟しています。
 
 この成否は、ひとえに国民世論が味方してくれるかどうかにかかっています。どうか、みなさんのご意見もお寄せください。

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