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2008年10月21日 (火)

なぜ政治家を志したか・その3

石破 茂 です。
 承前。

 父を県立中央病院に見舞った後、田中角栄先生は鳥取県庁に当時の平林鴻三知事を訪ねます。
 「君も石破君の病状は知っているだろう。葬儀委員長を頼まれたが、彼が鳥取県に果たした業績からすれば、鳥取県民葬になり、君が知事として葬儀委員長を務めることになるだろう。彼との約束はまた別の形で果たしたい」
 昭和56年9月23日に執り行われた鳥取県民葬に先生は友人代表として参列され、弔辞の中で以上のような経緯を涙ながらに述べられました。

 数日後、目白の田中邸に御礼に伺ったところ先生は開口一番「あの葬儀には何人来たのか」と尋ねられました。
 「3500人と聞いていますが」とお答えしたところ、早坂秘書を呼ばれ、「4000人を集めろ、俺は石破に葬儀委員長をやると約束したんだ、青山斎場を手配しろ、それから鈴木(総理)に電話して自民党葬にはするな、それでは俺が葬儀委員長になれないからと言っていると伝えろ」と矢継ぎ早に指示を出されました。
 10月の晴れた日、恐らく最初で最後の田中派葬(友人葬)が執り行われ、先生は自ら葬儀委員長を務められたのです。「カネと権力があったからできたのだろう」と片付けるのは簡単ですが、どんなにカネと権力があってもここまでして約束を果たす人はいないのではないでしょうか。

 さて、本題です。
 東京での葬儀の御礼に伺った私に田中先生は「鳥取での葬儀に来た人は3500人だったと言ったな。キミ、いますぐ「御会葬御礼」という名刺を作って、来てくれた人のところを全部廻れ」と仰言るのです。
 「そうは仰言いますが、私は銀行員で、そんなに廻るのにはどんなに急いでも一ヶ月はかかります。そんな時間はとてもありません」
 「何を言うんだ、キミがお父さんの遺志を継ぐんだ!」
 「でも、参議院の被選挙年齢は30歳で、ご存知でしょうが私はまだ24歳です。どうして後が継げましょうか」
 「キミは衆議院に出るんだ!やがて総選挙がある。鳥取で現職が一人辞める。そのあとはキミだ!キミもそのときには25歳になっている。いいか、日本のすべてのことはここで決まるのだ!」
 「!!!……(驚愕そして絶句)」

 「お父さんは知事4期15年、参議院2期7年、鳥取の皆さんにお世話になってきたんじゃないか、それなのに倅のキミは自分が銀行員で、平凡で幸せな暮らしが出来ればそれでいいと思っているのか!」
・・・というような話がそもそもの発端です。

 かつて大平正芳氏は生前周辺に、
「田中とは一対一で会ってあってはならん。田中は人間ではない。あれは霊能師だ。一対一で会えば、必ず言うことを聞かされてしまう。会うときは出来るだけ複数で会え」
と言っていたそうですが、当時の私は勿論そんなことは聞いていませんし、24歳のお兄さんが「闇将軍」と呼ばれた当時権勢絶頂の田中先生と一対一で会ってしまったのですから、その結果は明白と言うべきなのかもしれません。
 
 しかし、その2年後に行われた昭和58年12月の第37回総選挙に私は出馬せず、その機会は昭和61年に到来することになります。まだ紆余曲折が多くあり、以下次号。

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コメント

石破さん 西村です
田中先生の演説をパソコンのyou tubeで昨日みておりました
第三弾 田中角栄の凄みと実行力は さすがだと言わざるおえませんね
政敵といわれた福田総理も田中先生の力量を買い 尊敬されていたことを 晩年おっしゃってました
石破大臣の文章構築力はやはり流石でメールコメントを読むうちに引きつけられます
さてインド洋給油問題もどうやら可決し国際社会の一員としての義務はなんとか果たせるようですね
マスコミは麻生総理は吉田総理のように12月解散来年一月選挙の公算が強い旨なども報じ初めてのますがどうなんでしょう
ただ今回の選挙は国民の関心事はたいへん高いので 楽しみにしてます(当事者の石破大臣は大変申し訳ないですが)
次の第四弾以降もたのしみにしております
特に私が応援していた新生党から新進党時代の一時期の小沢一郎と羽田孜から離れて自民党に戻った一番の理由など 差し障りなければまた記述してください
政治選挙制度改革についての所見なども出来ればお願いします

投稿: 西村宏之 | 2008年10月21日 (火) 22時32分

こんばんは★お疲れ様ですm(__)m一難去って又一難…ホントに次から次へと難題が目白押しで、石破さん、貴方の体力、気力、フットワークには誠に頭が下がります(~o~)同い年とは思えないです。自殺された課長さんは本当に気の毒で、亡くなってしまわれた後は真相は分からないですよね…本当に死にたい人に対して、人生は一度しかないから大切にして!等と言う言葉は、虚しく響くだけなのか…と考えた事がありました。病気や事故はいざしらず、自ら死を選ぶのは本人の自由な選択なのかも知れません。生き残った者にしてみれば、やり切れなさだけが残りますが…
さて、石破さんのルーツの連載も佳境に入って来ましたねo(^-^)oいよいよ次回は核心に迫るところですね★余り急いで連載されると楽しみが無くなるから、石破さん、ゆっくり更新願いますね。それと、以前のカキコミで西村さんの御意見にありました、事務局の方々の自己紹介なども、追い追い楽しみにして期待しております。何だかファミリーみたいに思えて来ました。石破さん、風邪引かれませんように(^0^)/

投稿: りさ | 2008年10月22日 (水) 00時17分

このコメント書き込みは本当に りささんが言われるようにファミリーのようですね 皆さんが石破大臣を応援し期待している気持はよくわかります
このコメント欄以外に 少し俗っぽくなりますが
石破大臣(芸能人ではないのでFANクラブではないので恐縮ですが)後援会的な 仮称(石破茂を内閣総理大臣にする会)のような応援サイトを立ち上げ 広く選挙区後援会以外の交流会みたいなものが全国的にできればいいですね
石破大臣もいつもおっしゃってますが 自民党のために政治をするのではない国民のための政治をやると 広く選挙区以外 有権者以外 子供の意見も
そのサイトでとりあげる 勝手連みたいなものを
りささんやスタッフ 中心に立ち上げればより交流が深まると思います
今度私の地元 大阪で 北京オリンピックで柔道で100kg以上級で金メダルを取った石井慧(高校の後輩です)の激励会がありますが 石破大臣を応援するように言い聞かせておきます〔笑い)
少し筋道がそれたコメントになりましたがおゆるしください では

投稿: 西村 宏之 | 2008年10月22日 (水) 12時13分

政治家に辿り着くまでに そんな事があったんですね…。 なんか 想像できない事ばかりで読んでいて凄いなぁ…と 只々感心です。まだまだ紆余曲折あったのでしょうね!次回も楽しみにしておりますo(^-^)o

投稿: 月桃 | 2008年10月24日 (金) 02時04分

24歳だったとはいえ、まったくその気のない石破さんを
説得したのですから、きっと、理屈というか考え方にも
人を納得させるものが多分にあったのでしょうね。
もちろん迫力と人間的な魅力も大きかったでしょうが。
田中さんの街頭演説、聞いてみたかったです。

投稿: htomo | 2008年10月25日 (土) 02時58分

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政治家のブログなんて見たことなかったんですが、代議士になるエピソードを読んでなぜか引き込まれてしまいました。 石破茂ブログ http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/ 田中元首相とのお話の一旦が「なぜ政治家を志したか・その3 」というエントリーで書か... [続きを読む]

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