« 漁港漁場協会の皆様と | トップページ | 土日の様子 »

2008年10月17日 (金)

なぜ政治家を志したか・その2

石破 茂 です。
 
 前回のつづきです。

 昭和55年7月、大平正芳内閣不信任案可決を受けて行われた衆参ダブル選挙は、選挙中に大平総理が急逝されたことへの同情もあり、自民党が衆参ともに圧勝、鈴木善幸内閣が誕生し、父は自治大臣に就任しました。
 既に72歳になっていましたが、内務官僚であった父にとってはそれなりの感慨もあったようで、珍しく少し嬉しそうであったことを記憶しています。
 しかし、12月に既に手遅れの膵臓ガンであることが判明し大臣を辞任、湯河原で少し静養した後、「鳥取で生まれ、鳥取で育ち、鳥取で死にたい」との言葉どおり、翌56年9月16日、県立中央病院で亡くなります。

 手術の前日、父に呼ばれ「手術中に万一のことがあった場合、辞表が出ていなかったのでは天皇陛下に申し訳がない。これを今から田中のところへ持って行け。取り扱いは全て任せると伝えろ」と言われ、辞表を預かり、私は目白の田中邸に行き、初めて田中角栄先生と対面しました。
 事情を説明し辞表をお預けすると、田中先生は暫く絶句され、「立派だ・・・」と一言仰言いました。
 
 スマトラ島に陸軍司政官として赴任し、復員後警察予備隊(自衛隊の前身)の創設に関わった後、建設省に入った父は、少壮代議士であった田中先生と意気投合し、幾多の政策を共に実現したと聞いています。
 田中派の参議院議員となった頃にロッキード事件が表面化し、当時大学生であった私が「いくらお父さんが尊敬する田中先生でもこれはよくないのではありませんか」と尋ねたところ、「お前は田中に会ったことがあるか。その人を知りもしないで、報道を鵜呑みにするのは許さない。田中が貰っていないと言うからには、貰っていないのだ。いいか、人を信じるというのはそういうことだ」との答えが返ってきました。どうにも釈然としなかったものの、そういった父の姿が今も強烈に印象に残っています。

Sp1020646

(故・石破二朗先生のお写真です。)

 
 父が鳥取県立中央病院に入院していた昭和56年8月のある朝、勤め先の銀行に母から「お父さんが今朝、『田中が見舞いに来てくれた夢を見た。嬉しかった。あれは夢だったのか』と言っていた。死ぬ前に一度会わせてあげられないだろうか」との電話があり、私はそれを田中先生に伝えたところ、「わかった。必ず行く」とのお返事。
 その言葉どおり、公判中で選挙区の新潟以外には出られることのなかった先生が鳥取に来られ、見舞って下さいました。

「あなたに最後に会いたかったのは、葬儀委員長をお願いしたかったからだ。是非引き受けて貰いたい」
「こんなに元気な君が何を言うか。必ずよくなる。しかしまさかのことがあれば引き受けよう」
「ありがとう・・・これで思い残すことは何もない」
 
 その数日後、父は帰らぬ人となりました。

 なんだか、このお話は長くなりそうです。
 なかなか「何故政治家になったか」というところまで辿り着きませんが、実際の田中先生を知る者は現職の国会議員の中にも少なくなってしまいましたので、ここに書かせていただきたく思います。もう暫くお付き合いください。
(その3につづく)

|

« 漁港漁場協会の皆様と | トップページ | 土日の様子 »

コメント

仕事で東京に行きましたが毎度毎度は議員会館にうかがえません
何度も携帯で石破大臣のプログを開き
はやく政治家になった第二弾がみれないかと今新幹線で大阪に向かう中で涙をながしながら御父さんに纏わる石破大臣の手記をよんでいます公務お忙しい中多分来月に行われる選挙の為に また選挙区に戻られていらっしゃる中書かれていると思います
田中角榮先生は誰が何と言おうとわたしがもっとも尊敬する 政治家です
あと10年元気で活躍してほしかった
彼がいれは阪神大震災ですぐ自衛隊を出動させ被害を五分の一にしたでしょう
秘書の早坂茂三さんも大好きでした
茂(しげる)という名前の友人が二人いますが大好きな名前です 横道にそれました 小沢一郎との総選挙 麻生総理をたすけて 必ず勝利してください

投稿: 西村宏之 | 2008年10月17日 (金) 19時55分

あと20年くらいしたら、お顔がお父様風になられるのではないでしょうか
田中先生といえば
私が会社勤めしていた時、中国から研修に来た大学教授が
「中国で一番有名な日本人は田中角栄さん。彼の本は、全部読みました。偉大な方ですね~」
と、言っていました。
私が、田中先生の本を読んだ事がないと知ると
「読んだ方がいいです」と、笑われてしまいました
ブログの続き、楽しみにしています。


今晩はカレーにします。
自衛隊のレシピ http://www.mod.go.jp/msdf/formal/family/recipe/archive/currey.html
が話題なので、挑戦してみます。
隠し味がスゴイですね~焼き肉のタレ、桃の缶詰やらキウイ、ブルーベリージャム・・・
いろいろあって、ビックリです

投稿: meekly | 2008年10月17日 (金) 19時56分

お忙しい中、更新ありがとうございます。
お父様の事、立派な方だったんだなあと胸熱く読ませて頂きました。
政治家の方に限らず、人を惹きつける大きな方は周りの人を大切にする方が多いですね。
田中先生の事もそうですが、真実というものは周りの人や環境で決まってくる様に感じられます。
私たちは偏ったTVでの報道や、出版物、インターネット等でしか情報を得る事が出来ません。
多くの情報の中から私なりの真実を得ようとしているのですが、なかなか難しいですね。
石破先生が「皆さんの意見をお寄せて下さい」と繰り返しおっしゃっているのも、真実を知ろうという事なのだと思います。
大臣レベルでこんな事をしているのは唯一じゃないですか?
私たちも出来る限りの協力をしていきたいです。(本当に微微微力ですが)

身体と脳を休める事が少しでも出来ればと思います。


事務局の方へ
いつも情報ありがとうございます!
HPの右下のバナー(?)が古いままなので、現在の物に差し替えてはどうでしょうか。

投稿: 裕 | 2008年10月17日 (金) 20時55分

初めまして!!
熱烈な麻生支持者ですが、総裁選の頃から石破さんも応援しています!!
今日NHKスペシャルで世界各地の農産業の様子が流れていました。価格の安いアメリカ産の穀物を輸入していた国は今危機的な状況です。日本も農家が数多く閉鎖するという事態になっています。
その中で時給自足をしようと取り組んでいる地域もあります。例えば群馬のある農家では3haの畑でアメリカ産のトウモロコシに劣らない品質のトウモロコシを自分で作り、牛の餌の7割を占めているそうです。その成果が黒字です!!ただ、3haの畑で作るトウモロコシで補える牛は30頭がギリギリとのことです。
この群馬の例などからして何かヒントになるものがあればと思います。
戦後日本はアメリカの食生活や思想に洗脳されてきました。しかし、アレルギー体質の子供が増えたのはやはり日本人に合わない食生活をやってきたからです。他の国の食料が危機的状況になっているのをみてもわかるように、アメリカは食料はばんばん輸出はするけど、それ以外のことは良いようです。現に今この状況でアメリカの農家が一番儲っていますから。
食料も国家の防衛です。この問題は絶対に見逃せないと思います。防衛大臣を勤められた石破さ

投稿: 都会っ子☆ | 2008年10月17日 (金) 21時31分

こんばんは。

小生、早坂先生の著書のファンでありました。
角栄先生の人柄を、的確で素晴らしい表現で記されていました。

続きを楽しみに致しております。

投稿: マイスター | 2008年10月17日 (金) 21時42分

石破さん、良い話を有難う御座います。
私は世襲議員をあまりいいとは思っていませんが、何故か石破さんは好きなのです。お父様が田中角栄さんを会った事もないのに語るなとおっしゃったように、TVでみたりする石破さんしかしらないのですが・・・。世襲。それは天がその人に与えたもの、だからこそ、それ以上の発言・行動をしなければならないと思います。頑張ってください。

投稿: 幹事長 | 2008年10月17日 (金) 23時11分

石破さん、こんばんは★感慨深いお話で、人を信じるってどういう事だろう?と、自問自答しました。答えはまだ出ませんが、石破さんのお父上がおっしゃる事は非常に心に響きます。私の両親も癌でなくなりました。兄弟の居ない私は淋しかったです…石破さんのルーツ、連載になりそうですねo(^-^)o続きが楽しみですよ。

投稿: りさ | 2008年10月18日 (土) 00時09分

石破大臣おはようございます
私が初めて有権者になった昭和55年ダブル選挙の時に当時大学生の時に 大平総理の死が自民党を救ったとNHKニュースの街頭インタビューで答えて叔父がそのニュースの私の声をラジオで聴いて生意気な意見をいう奴だと思ったと後日きいた話を思い出しました
有権者となり初めての一番印象に残る選挙でしたが 大平総理の最後の街頭演説は鬼気迫るものがありましたね
当時一般消費税を導入するかどうか話題になり実際に導入されたのが竹下内閣まで待たなければ為らなかったのも考えてみれば 自民党も国民に痛みを分かち合う政策提出をする土壌がなかったのですね
田中角榮の議員立法である 重量税などはおそらく石破大臣の父君の知恵もあったのでしょうか
田中総理大臣と大平外務大臣とで成し遂げた日中国交正常化は彼の政治家としての功績の一つですが 若き血は燃える
その精神と統率力 抜群の記憶力
お金があれば軽く東大に入っていたであろう田中角榮先生
人間として日本人としてその時代その時代を築いて行くのはやはり為政者として政治家特に内閣総理大臣は我々の規範です
私は石破茂という政治家が大好きです
田中角榮に負けるなとはいいませんが
父君の魂を背負い大きな政治家に育ってください
私達は石破茂をずっと応援します

投稿: 西村宏之 | 2008年10月18日 (土) 07時19分

石破さん、事務局の皆様、毎日お疲れ様です。
今朝早くに、農水省の改革チームの方の
訃報を聞き、驚いてこちらにコメントしにまいりました。
亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、
どうか改革チームの方々が、今回のことに
負けずに、農水省を変えていくお気持ちを
維持していただきたいと、強く願います。

国民には届かない思いもあるでしょう。
でも、分かっている国民もたくさんいます。
どうか、どうか日本の未来のために、
石破さん、そして事務局の方々、農水省の方々、頑張ってください。

投稿: 山崎 | 2008年10月18日 (土) 08時12分

私も、田中さんに会いました
ここに書かれているとおりです

それより
とうとう自殺者が出ましたね。

改めて
原因追求と食の安全の
再発防止に努めて下さい

では では

投稿: 樋口裕一 | 2008年10月18日 (土) 10時40分

最近、夢の中で石破さんに会うことが
多くなりました。

石破さんが、なぜ政治家になられたのか
興味があったので、このお話は興味深いです。

続きを楽しみにしています。

投稿: 愛 | 2008年10月18日 (土) 11時34分

石破大臣,事務局の皆様,お忙しい中ブログの更新ありがとうございます。

二朗先生についてのお話,今は亡き祖父を思い出して,暖かい気持ちになりながら拝読いたしました。
私の両親は共に鳥取市内の出身なのですが,母方の祖父は二朗先生の熱烈な信奉者で,選挙になれば地元で街宣車に乗り込んでは所謂「カラス」として張り切っていたと聞いています。
厳しいけど暖かく優しかった祖父が心酔していた,石破二朗氏のお姿が窺えて,非常に感慨深いものがあります。
ご子息でいらっしゃる,石破大臣のご活躍を祖父にも見せてあげたかったなぁ,,と少ししんみりしてしまいました

また少しづつでも二朗先生のお話を伺えたら,,と存じます。


投稿: もり | 2008年10月18日 (土) 17時21分

改革チームの課長さんの事、今ネットニュースで見て初めて知りました…。残念です…志半ばで。
石破さんの胸中、お察しします。気休めにもならないコメントですけど、本当に心配しています。
当分対応に追われる事でしょうが、どうか無理だけはなさらないで下さいね。

投稿: 和美 | 2008年10月18日 (土) 20時17分

はい……!次回を楽しみにしております♪

投稿: 月桃 | 2008年10月19日 (日) 01時55分

田中さんについて書かれたものは、良いか悪いかの
両極端なものが多いと思うので、是非石破さんから見た
田中さんを知りたいです。
もちろん石破さんが政治家を志した理由も
楽しみにしています♪

投稿: htomo | 2008年10月19日 (日) 09時16分

石破先生、事務局の皆様、お疲れ様です!

石破先生の貴重なお父様のお話、心にしみます(涙)。

私は父がいなく母子家庭ですが、現在の時勢は、母子家庭の方々にとっても厳しいものだと感じています。

弱者の気持ちをご理解くださる石破先生が大好きです。

今度の総選挙、がんばってくださいね!

応援しています!


投稿: かもめ | 2008年10月20日 (月) 11時06分

石破大臣、
事務局のみなさま、初めまして。 今日はいちばん疲労がたまっている週明け月曜日ですね、本当にお疲れ様です。 石破さんのブログ、毎日とても楽しみに読んで居ります。いままで政治家、まして大臣の考えなど身近に知る機会などなかったので非常に興味深いです。これからも是非続けて頂きたい!!応援しています!

投稿: たいこ | 2008年10月20日 (月) 13時35分

ご自分の父親の写真に
「故・○○先生のお写真」というキャプションはちょっと違和感があります…。

投稿: 山本弘幸 | 2008年10月20日 (月) 15時56分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: なぜ政治家を志したか・その2:

« 漁港漁場協会の皆様と | トップページ | 土日の様子 »