なぜ政治家を志したか・その4
石破 茂 です。
田中角榮先生から、「キミが衆議院に出るんだ!」といわれて驚愕したところまで前回書きました。今回はその続き。
そうは言われたものの、私自身、県知事や国会議員の家庭に育ち、世間で言われるほどに「政治家」なるものがいい仕事だとは思っていませんでしたし、その大変さも承知していましたので、待ってました、とばかりに「わかりました、それでは私がやらせていただきます」などと言う気にもならず、四の五の言って「考えさせてください」みたいなお答えをして先生のご不興を買ったように覚えています。
田中先生を評して「あれは人間ではなく霊能師である」と言ったのは大平正芳氏でしたが、むしろ「魔神」と言うべき方ではなかったかと私は思います。
そう言って田中邸を辞したものの、「キミが衆議院に出るんだ!」との言葉の響きは私の中で徐々に大きなものとなっていきました。
数ヶ月経って「やってみたいと思います」と申し上げたところ、「お前もとうとうマラリアに罹ったか」と言われました。政治家になりたい、との思いは一度芽生えると消えるものではない、治ったかに見えてまたぶり返すマラリアのようなものだ、との意味らしいのですが、ご自分で仕掛けておきながら、それはないでしょうと思いますね。
ところがまた数ヶ月経って、今度は「すまん、あの話は無しだ」とのお言葉。
鳥取全県区で一人やめるというところまでは田中先生の見通しは正しかったのですが、その辞める予定の方に私を後継にするとの話を持ちかけたところ、「政治家とは功成り名遂げた者がやるべきものであって、二十五歳の若造などがやるべきものではない」と言下に拒否された由。その方は戦前に内務事務次官まで務め、閣僚も歴任された方で、それなりの政治家観を持っておられたのも当然と言えば当然です。
そうは言われても、「マラリア」に罹った者はもうどうにもならなくて、結局、「まあー、そのー、お父さんも参議院議員だったのだし、やはりキミは参議院だな(!)。今度鳥取県選出の参議院議員が辞めるのは六年後だから、それまで修行しなさい」ということになりました。随分といい加減な話ですが、このあたりが田中先生のそそっかしいところであったのかも知れません。
昭和58年3月、三井銀行を辞め、確たる見通しも無いままに木曜クラブ(田中派)事務局に派閥秘書として勤めることになりました。ところが、世の中というのはわからないもので、私は参議院に出ることもなかったのです。(もし仮にそのとおりになっていれば、平成元年の宇野総理の下で行われた自民党大惨敗の参議院選挙に出馬し、とんでもないことになっていたでしょう)
なんだか二転三転だらけですが、以下次号。
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コメント
石破大臣 お疲れ様です
西村です
事務局の皆様 お疲れ様です 縁の下の力持ちである黒子さんですが ご尽力恐れ入ります
さて 田中角栄先生のそそっかしいところ 急転直下の判断力 だみ声 体系 すべて日本人そのものでしたね 第5弾 6弾 楽しみにしております
株価のバブル崩壊後まで後戻りしたリーマンショックの影響でどうやら麻生総理も年内解散は難しいと判断したようですね 私は12月末解散説ですが
さて選挙というものに金がかかるのはわかります
民主主義というのは選挙しかその声を反映する一番の方法ですから ただ世論というのは変わりやすく
消費税導入のときなど 反対していた議員はもしその時導入していなかったらどうなっていたのかじっくり考えてもらいたいものです
さて農林水産省の大臣記者会見の最新で 二世議員
がへることになった選挙制度改革についてふれられてましたがまた 時間あればそのあたりもお話ください では
投稿: 西村 宏之 | 2008年10月27日 (月) 21時13分
石破さん、こんばんは★いつも一通りの役目を終えて、ホッと一息入れるとき、このブログを開くのが最近の一番の楽しみになっています。昨日辺りから北部九州はとても冷え込み、11月中旬の気温だとか…先週まで昼間は半袖で過ごせたのに、急な冷え込みで皆慌てて冬支度です(~o~)さて、いよいよ面白くなって来た連載ですね★田中角栄先生と言えば、一番思い出すのは「日本列島改造論」ですね。当時私は確か中学3年位だったと記憶しています。政治なんて何の興味も無かったんですが、田中角栄先生はすごく印象深いですね。良くも悪くもですが(笑)せかせかした印象とあのだみ声(失礼)は今でも良く覚えています。石破さんの資質を、多分見抜かれたんじゃ?と感じました。田中先生って、苦労人ですから、人を見る目は人一倍長けていたんじゃないかな…と。政治家って時に非情で無ければなりませんが、血も涙もあっての非情さですよね。それが石破さんでは?と思うのです。難しい事は良く説明出来ないけれど、世の中の底辺を生きる人達の目線に立てるかどうか?はとても大切でして、だけどそれだけでは勿論ダメで…国際感覚とか、色々必要で…当時はまだ粗削りだったはずですが、その原石を見分ける目を、田中先生はちゃんとお持ちだったと思うんです。だから、石破さんって皆から愛されている…防衛大臣を退任される時の映像が今でも脳裏に焼き付いていて、花束を渡された石破さんが、後ろを振り返りながら見送りの職員に「ありがとうね」と笑顔で言いながら歩いて行かれてましたよね…あれ、結構泣けまして(笑)ホントに感動したんです★私利私欲に走らない政治家だな〜と確信みたいなものを感じました。話が逸れましたが、次が楽しみです。
秋も深まり、梨に代わって柿が美味しいですね。鍋物の季節も到来です。沢山召し上がって、風邪を予防してください。
投稿: りさ | 2008年10月27日 (月) 23時56分
『まぁ その』の田中角榮総理 『あー うー』の大平総理の日中国交回復劇はなんどもその下はTVでもやってますが 当時田中総理も大平外務大臣も命懸けの交渉をやったと聞いてます
マォファンという謝罪の言葉の翻訳解釈の問題で何度も難しい曲面にたったとき 魔神田中角榮は外務大臣や次官また審議官にたいし『この交渉は決裂だ
知恵はないのか
ギリギリになると策がないだからお前ら大学出の官僚はだめなんだ』大平外務大臣は『そんなこと言ったって仕方がないじゃないか 貴方が知恵をだしなさいよ 』 すると田中総理は『そんなことは高等小学校出の俺にはわからないお前ら大学出がかんがえろ』っと言って大笑いになってさぁ一緒に知恵を絞ろうと なったと当時その場面を秘書官が回想されてましたね
公明党の竹入委員長も男泣きしてましたね
万里の長城をさっそうと歩く田中総理も格好よかったし
中学生の私はこんな政治家になりたいと当時思った記憶があります
いまだに井戸を掘った人のご恩は忘れないと中国での田中総理の評価は高いのですね
長くなりました
もっともっと田中総理の思い出話を聴かせてください
もともと弁論にたけた石破大臣だけど木曜クラブ時代 まわりの七奉行 竹下梶山 小沢 羽田 渡辺 橋本らの猛者たちから学んだことやその動きなど
またドラマティックな文筆で教えてください石破劇場で
投稿: 西村宏之 | 2008年10月28日 (火) 01時39分
田中角栄さんについては教科書の中の記述でしか知らないのですが、独特の魅力のある方なんですね。
リアルタイムで拝見したかったです。
次号まってますね!
投稿: のどか | 2008年10月28日 (火) 02時09分
段々と話が核心に近づいてますね(ワクワク)
続きを楽しみにしています
「平成元年の宇野総理の下で行われた自民党大惨敗の参議院選挙」の時
私は未成年だったので、選挙権がありませんでした。
でも、宇野総理の女性問題は知ってます。
あれは、どこかの党のネガティブキャンペーンだったのでしょうか?
そういう問題は、当事者間で納得してればよい話であって
わざわざ写真まで出して、騒がなくてもよかったのになぁと、思うのですが。
今となっては、宇野さんは、ちょっと気の毒な気がします。
そういえば先日、民主党の奥様方が、巣鴨を割烹着姿で
歩いたそうですが・・・あれはギャグですか??
割烹着に手書きで「チェンジ! 政権交代」って??
あきれたパフォーマンスですよね。もっと普通に訴えればよいものを
あんな格好で言われても、説得力がありません。
投稿: meekly | 2008年10月28日 (火) 21時08分
石破大臣、こんばんは。
以前から、「そもそもなぜ政治家に?」と思っていたので、今回、経緯が明かされるのを楽しみに拝読しています。
大変なことも多いかと思いますが、一般的にはその職業はとてもいいものですよね。
それなのに、なぜ?
…と、銀行にお勤めだった経歴を聞いた時にすぐ思いました。
この先も楽しみにしております。
執務にお忙しい毎日だと思います。
季節の変わり目ですし、ご自愛くださいね。
投稿: 小野寺志津 | 2008年10月28日 (火) 21時33分