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2009年2月27日 (金)

小沢代表発言報道について

 石破 茂 です。

 本日、ようやく平成21年度本予算が衆議院を通過し、参院に送られることとなりました。これで年度内成立が確実となり、とりあえずひと山越えたことになります。来週から参議院予算委員会での審議が始まります。野党が多数を占める参院での審議には、衆院にもまして緊張感を持って臨まなくてはなりません。

 2月25日、小沢民主党代表が「米国のプレゼンスは必要だが、おおむね横須賀を母港とする第七艦隊の存在で充分だ。日本の防衛に関することは日本が責任を持てばいい」と発言された由。報道からだけではその真意は不明ですが、これは極めて重大な発言です。
 そもそも第七艦隊は「在日米軍」ではありませんので、在日米軍の存在は必要ない、といっているのと同じなのですが、こんな発言をするからには、氏なりに日本の周囲の安全保障環境を分析し、陸・海・空自衛隊の現在ある能力を把握し、在日米軍(陸・空・海兵隊)のそれぞれの存在意義(小沢氏は等閑視しているようです)を理解された上でのものなのでしょう。是非とも党首討論で氏の持論を聞いてみなくてはなりません。
 日米安保条約をきちんと読まれたことがあれば、米軍駐留の目的は「日本国の安全に寄与する」だけではなく、「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」となっており、「日本の防衛」だけのためにあるのではないことをまさかご存じないわけは無いと思うのですが、何故「日本の防衛に関することは・・・」などという発言になるのか、全く理解ができません。「日本さえよければいい」との考えなのでしょうか。
 それが氏の「国連絶対主義」、すなわち、「自衛隊は国連に『ご親兵』として差し出す。国連決議がとれれば世界中どこでも行かせるが、決議がとれなければ(いかに日本国の国益に必要であっても)どこにも出さない」との考え方と如何なる関係に立つのでしょう。
 そもそもこの「国連絶対主義」なる考え方は「国際連合」を「世界政府」と錯覚した大間違いの考え方なのです。

 「民主党に政権を取らせては絶対にならない」その感を更に深くしたことでした。

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木のまち・木のいえ推進フォーラム

 事務局です。
 本日、「木のまち・木のいえ推進フォーラム」でご挨拶させていただきました。

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なぜ政治家を志したか・その5

 石破 茂 です。

 ながらく中断している「私は何故政治家になったか」シリーズその第5回。
 第4回とダブるところもありますが、昭和56年10月、私が24歳の頃、参議院議員在任中に死去した父の葬儀委員長を務めてくださった田中先生から「キミがお父さんの跡を継ぐんだ!参議院ではなく衆議院に出るんだ!近く総選挙がある!そのときキミは25歳になっている!鳥取全県区は次ぎに自民党が一人引退する!その次はキミだ!いいか、日本の全てのことはここ(目白)で決まるのだ!」と言われて呆然としたところの続きからにします。
 やたらと!が多い文章ですが、本当にこんな感じでしたね。田中先生の実物を知っている人も随分と少なくなってしまいました。在職22年を越える我々当選7回生ですら、初当選した昭和61年には、先生は議員ではあったものの、既に脳梗塞で倒れられており、実際のご活躍を知っている者は今やほとんどおりません。とにかく圧倒的な存在感を持った、「魔神」という表現がまさしく相応しい方でした。

 ところが世の中はなかなか筋書き通りには行きません。鳥取全県区で一人引退するのは確かに事実でしたが、その方が私を後継とすることに絶対反対を唱えられ、田中先生も大層お困りになる事態となりました。
 戦前の内務次官まで務められ、厚相、法相などを歴任された古井喜実先生(故人)がその人で、「そもそも国会議員などというものは、地位を極め、経験と見識に優れた者がなるべきものであり、単に二世というだけで何の経験も無い若造が、こともあろうに私の後継者になるなど絶対に認められない!」と大変な剣幕だったそうで、さすがの田中先生も困り果て、私を呼ばれて「大変スマンがあの話は無しだ。ま、キミもまだ若い。お父さんも参議院だったんだし、ま、キミも参議院だな。次に鳥取の参議院が空くのは六年後だ。それまで暫く私の下で修行をしなさい。大体若くして国会議員になろうという考え方がよくない(!?)。まずは修業だ、修業。」などとだいぶお話が変わってきましたが、そんなこんなで、私は東京・平河町の砂防会館三階にあった田中派の派閥事務所で派閥秘書として政治家見習を始めることとなったのです。
 その年は7月に参議院選挙、8月に衆議院京都第二区補欠選挙、9月にロッキード事件第一審判決、12月に世に言うロッキード総選挙が行われた選挙の当たり年であり、政治的にも激動の年でした。衆参全国の選挙情勢を分析し、応援弁士の手配をし、選挙ともなれば京都や山形など全国各地に泊まり込んで田中角栄先生の名刺を配りまくるなど、選挙・政治・派閥のイロハを学ぶことができました。
 でも、民間銀行からいきなり政治の現場に来てみると、時間的感覚や、金銭感覚の落差に驚くことばかりでした。今でもそれは変わっておらず、「こんなことが民間で通用すると思っているのか!民間だったらとっくに倒産だぞ!」と叫ぶことがよくあります。
 
 さて、昭和58年12月の総選挙において、鳥取全県区では自民党から島田安夫氏、相沢英之氏(後の経企庁長官)、古井氏の後継となった平林鴻三氏(前鳥取県知事・後の郵政相)、社会党からは武部文氏が当選し、社会党の野坂浩賢氏(後に村山内閣の官房長官)が落選という結果となりました。
 ところが一回当選の後三回連続落選、ようやくトップで返り咲いた島田安夫氏が翌59年4月に急逝するという事態となり、また運命の歯車が大きく回り始めるのです。

 この続きはまた次回に!

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2009年2月24日 (火)

閣僚、そして自民党国会議員の責任

 石破 茂 です。
 ポスト麻生、などということを本当に誰か自民党内で真剣に議論しているのでしょうか。
 たった五ヶ月前に圧倒的多数で麻生総裁を選んだ責任を一体どう考えているのか、理解に苦しみます。
 内閣支持率が低いのを総理の所為だけにするのは卑怯です。支持率が低いのは内閣全体、閣僚全員の責任ですし、自民党全体の責任でもあります。
 いやしくも与党たる自民党国会議員であるからには、国民に対して「この人こそ総理に相応しい」と自分達が選んだことにもっと責任を持つべきであり、批判する暇があったら、国民のためになる政策の立案や党改革に努力して貰いたい。自分達の選挙が危ないから総裁を代えようなどという動機が、見栄えがよくて人気のある総理総裁の下でラクして選挙を戦いたいという心理の裏返しであるとすれば、決して国民の支持は得られないと知るべきです。

 船が沈みそうなときは、乗組員全員が全力で水をかい出し、穴を塞ぐことに集中しなくてはなりません。そして努力の甲斐なく沈むときは、船と運命を共にする覚悟がなくして、幹部船員の資格はありません。
 当然のことながら、自民党丸は、常に己のためではなく、国民のためにあらねばならないのです。その目的を失ったとすれば、沈んでもやむを得ませんが、私はそうは決して思いたくないのです。

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2009年2月23日 (月)

こども食料大使任命式

 事務局です。
 2月21日(土)に都内であった「こども食料セッション」で、こども食料大使の任命式がありました。

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ちなみに後ろにいる白い大きなキャラクターは「こくさん」君と言うそうです。
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2009年2月20日 (金)

人前で緊張しない話し方?

 石破 茂 です。
 先日、ある方から、「どうすれば人前で緊張せず話ができるか」とのお問い合わせを頂きましたが、講演・講話で緊張しないコツなどというものはありません。
 かく言う私も、今でこそスラスラ、ペラペラ喋っておりますが、二十数年前、立候補を表明し、人前で話すようになった当初は、演説の前に緊張して足が震え、とても話す自信が無くなって、係りの人に「気分がすぐれないので中止して貰えませんか」などとお願いしたことも何度かあります(勿論そんなお願いはきいてもらえませんでしたが・・・)。
 結局、場数を踏み、自信を持つ以外に無いのでしょう。
 失敗を恐れてはいけません。そして、話す前に十分に準備すること、決まったパターンの話だけするのではなく、臨機応変・変幻自在に対応できるよう、幅広い勉強をして「話の抽斗」を多く持っておくことも大切かもしれません。原稿を見ることなく、聴衆の顔を見、反応を確かめながら話ができるようになればもう大丈夫です。
 田中角栄先生は、「話し方はハマコーの演説を聞いて勉強しろ!」とよく仰っておられました。確かに浜田幸一先生の演説は、聴衆を笑わせ、泣かせ、感動させ、考えさせ、そして納得させる超一級のものでした。
 私など、なかなかその域に達しませんが・・・・

 それにしても、大変な一週間でした。
 お詫びすべきはお詫びし(充分ではない、とのご批判は承知していますが)、与謝野大臣が財務大臣を兼務される新体制ともなったのですから、ここで心機一転、全力で国事にあたるべきです。
 定額給付金で衆院の三分の二を使って再議決するの、しないのと揉めていますが、自民党の中でそんな揉め事をしていても「どっちもどっち」の印象しか与えません。
 政治家たるもの、きちんとした手続を経た上でいったん決めたことには従うべきですし、やがて審判のくだる日が来るのですから、虚心坦懐、最善の政策を示し、実行することに全力を尽くすのが務めだと考えています。

 前回、「薬を倍量服用するのもあることです」と書きました。
 倍量飲んだからといって効果が倍出るものでは当然ありません。誤解を招く書き方でした。訂正します。
 高校生の頃、あまりに歯痛がひどくて鎮痛剤を三倍飲んでも効かなかったことが記憶にあったものですから・・・

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2009年2月18日 (水)

中川大臣の辞任にあたって

 石破 茂 です。

 中川財務大臣の問題で国会は空転、思わぬ空き時間が生じてしまい、こんなときにこそ日頃の懸案を処理しておかなくてはならないのですが、予想通りというべきか、週末の極めて厳しい世論調査の結果にいささかメゲていたところに加えてこの問題、参っちゃったなあ、というのが偽らざる心境です。
 支持率が低いのには当然それなりの理由があるのであって、一喜一憂しない、などと開き直りともとられかねない対応は厳に慎むべきですし、「政治の一寸先は闇」なのですから、たとえ明日閣僚を辞することになったとしてもいくばくかの達成感を持てるべく日々全力で事にあたるのは当然です。
 防衛庁長官のときも防衛大臣のときもその思いでやってきたのだし、こんなことで参っていて国民に対する責任が果たせるか、と自らをもう一度鼓舞しなくてはなりませんね。
 
 人間ですから、風邪もひけば、腰痛に悩まされることも、酒を飲みたくなることもあります。早く治さなければ、と薬を多めに飲むことだってあることです。
 土曜も日曜も祝日も無い閣僚、わけてもこの経済危機に対応しなくてはならない財務・金融大臣にかかる精神的・肉体的負担は想像に余りあるものがあるのでしょうが、国家・国民を背負っている責任の重さを考えれば「負担に耐えられないのならその任に就くべからず」ということになるのでしょう。
 私も、政治の世界は言い訳・弁解無用、全ては結果責任であるということをよく肝に銘じ、自重自戒しなくてはなりませんし、同じ内閣の一員として、今回の問題を深くお詫び申し上げます。

 重要閣僚や党の要職を歴任され、前途を嘱望される中川大臣が、健康を回復されて再び国家のため全力で働かれる日の一日も早からんことを祈ります。

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2009年2月13日 (金)

週末日程

 事務局です。
 誕生日に引き続き、バレンタインということで、またたくさんカードなどいただきました~。皆様ほんとうにありがとうございます!

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(似顔絵つきチョコレートケーキです!)

本日、1900から、木原稔先生のところ、熊本県・熊本全日空ホテル・ニュースカイにてご挨拶しています。
明日は、お昼頃に福岡県・ホテルクラウンパレス北九州、三原朝彦先生のところで講演します。
その後、1800から、大阪府・リーガロイヤルホテル堺、岡下信子先生のパーティでご挨拶します。
日曜日は午前中に鳥取に戻り、その後1900頃から、埼玉県・三芳町文化会館コピスみよしで柴山昌彦先生の会で講演します。

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週末

 石破 茂 です。

 週の間に祝祭日が入ると、一週間がとても短く感じられます。もう金曜日!もう週末!
 週末明けが一番心身ともに疲れ、週の終わりにやっと旧に復したかと思ったらもうまた週末。これが嫌なら政治家などになってはいけません。
 これから熊本出張、土曜日は福岡と大阪、日曜日午前中は地元鳥取、午後は埼玉へ出張いたします。全国の選挙情勢極めて厳しき折、少しでも同志の集票に役立てばと思っています。
 それにしても、総理の一連のご発言、そして昨日の小泉元総理のご批判、今週末は相当大変なことになりそうです。このようなときに右顧左眄、右往左往しても仕方がありません。
 総理に閣僚としてお仕えしている以上、国民のためにも誠心誠意務めるしかありませんし、主権者たる国民に真摯に向き合う以外に方法は無く、己の知見を少しでも高める努力をすべき時なのでしょう。

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2009年2月 9日 (月)

農政改革など

 石破 茂 です。 
 先週はずっと予算委員会が開かれていたため、更新が遅くなってしまいました。ごめんなさい。

 予算委員会の質疑は麻生総理、中川財務大臣、与謝野経済財政担当大臣、舛添厚生労働大臣、鳩山総務大臣に集中し、私も含め他の大臣はほとんど出番無し。
 質問が来ないのは問題が無い証拠、昨年の防衛大臣当時のことを思えば夢のような話ですが、やや拍子抜けの感がしないでもありません。

 報道では「生産調整を巡る自民党農林族VS農水大臣の構図」的なトーンでしか伝えられませんが、農政改革はなにも、生産調整の今後だけがテーマではありませんし、「抵抗勢力VS改革派」的な決め付けは、往々にして冷静な議論を退け、物事の本質を見失わせる結果となります。

 昭和の終わりから平成の始めにかけて、私がまだ当選1~2回生の頃、「コメの輸入断固阻止!食管制度絶対堅持!減反強化反対!」と三つのキーワードさえ叫んでいれば、農家の支持が得られると言われていました(当時は政府がコメの買入価格を決める食管制度が残っていて、幾晩も徹夜をして米価を決めていました)。
 でも、それらは何一つ守られることなく、コメは関税化され、食管制度は廃止され、生産調整は一層強化されてきました。
 それなりに対策は講じられたものの、ここ15年で農業所得は実に半減し、基幹的農業従事者の6割が65歳以上となり、耕作放棄面積は埼玉県の面積を越えるに至り、農山村は崩壊の危機に瀕しています。
 農業にとって一番大切なのは、今後10年先も、50年先もずっと続いていくという「持続可能性」なのですが、今やそれ自体が危うい、というのが私の現状認識であり、今までの政策を総点検するのはむしろ当然のことではないでしょうか。

 そして議論はあくまで透明性をもって行われるべきものです。いつ、どこで、誰が、いかなる理由で政策を決めたのかわからないなどということが決してあってはなりません。
 国会議員のための農政でもなければ、自民党のための農政でもありません。
 幾晩も徹夜して米価を決めた後、「自民党農林族のゴリ押しで米価決定」と報ぜられた記事を見たときの悔しさを今も私は忘れません。
 今なお一部に強くある「自民党は水田ではなく票田を守ってきた」との批判を、正々堂々と跳ね返せる自信を持ちたいと思っています。

 ダボス会議は特にテーマを決めて、何かを決定する会議ではありませんので、私は従来の日本の立場を繰り返したのみに終わりました(いつもながら、慣れない英語のスピーチは疲れます)。
 しかし、農産物貿易に限らず、守りの立場に徹底した外交交渉は決してよい成果を生みません。
 攻勢に転じられる理論構築と、体制整備を急がなくてはなりません。

 今回、総理のお供をしたお陰で初めて政府専用機に乗せていただきました。
 日本国内閣総理大臣が、いつ、いかなる事態に対応出来るために政府専用機が必要なのは当然ですが、激務の総理に少しでもゆっくりした時間を過ごしていただくためにも、政府専用機は必要ですよね・・・。
 しかし、アメリカの「エアフォース・ワン」は「大統領専用機」であって「政府専用機」ではありません。「良識の範囲で」大統領が休暇を過ごす地への移動など個人的に使用することも認められています。
 激務に就く国のトップをいかに遇するか、そして国家の安全保障をどうするか、日米の考え方の相違がここにも微妙に現れているように思いました。

 とうとう52歳になってしまいました。お気遣いいただいた皆様、有り難うございました。
 しかし、こうやって数字を実際に書いてみると、相当に複雑な感慨をおぼえますね。
 子供の頃、五十歳台といえば人生経験も積み、相当の見識ある「大人」だと思っていたのですが、いざ自分がなってみるとそれとは程遠いことに愕然とし、焦りばかりが募ります。
 時間の経過が加速度的に早くなるように思うこの頃、もっと足元をきちんと見つめ、固めていかねばと思っています。

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(鳥取の八頭町中私都〈なかきさいち)で、農政改革について週末講演しました)


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2009年2月 5日 (木)

誕生日

 事務局です。
 昨日、2月4日は、石破茂の誕生日でした。52才になりました。
 大臣室の方々などから、似顔絵をいただきました。それから、いろんな方々からバースデーカードもいただきました!送ってくださった皆様、ほんとうにありがとうございます!

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2009年2月 3日 (火)

ダボス写真

 事務局です。
 ダボスから日曜に帰って、昨日、今日とテレビ入りの予算委員会が続いています。
 さて、ダボス会議に行っている間の写真をいただきました~。

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・・・寒そうです。

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会合の集合写真です。二階大臣もご一緒ですね。

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