石破 茂 です。
鳩山総務相更迭は、その実体がよくわからないまま、「正義か否か」という抽象的な世界に入ってしまいました。
閣僚と総理の意見が対立するのはよくあることで、その度に「総理に自分の意見が聞き入れられないから辞める!」などといっていたら閣僚は何人いても足りませんが、中身がよくわからないままに、「麻生総理のリーダーシップの無さ」のみがクローズアップされ、人事もそのままというのでは、鳩山前大臣のあの行動にいかなる意味があったのか。この問題は、総理や西川氏からきちんと説明がなされるべきであり、そうすることによって多くの国民の理解が得られると考えます。
それにしても、中川財務大臣、鳩山総務大臣、鴻池官房副長官と、麻生内閣誕生にもっとも力を尽くした人たちが政権の支持率低下を招いているこの事態は一体何なのでしょう。それぞれ政治家として立派な方ですし、個人的に尊敬もしていますが、かつて竹下元総理が「汗は自分でかきましょう、手柄は人にあげましょう」と言っておられた、その逆の現象が起こっているようにも思えます。
一期生や二期生をはじめとする、いまだ基盤の固まっていない議員達が大逆風の中で日々支持拡大に必死になっているのに、それらを全て帳消しにするようなことをしていいわけがありません。麻生総理から西川社長の後任のリストを渡された(?)ことの真偽はわかりませんが、国家機密ではないにせよ、閣僚として知り得たことを退任したからといって喋っていいものでもないでしょう。
総務大臣に殉じて(?)辞任したり、「大政奉還」論を代議士会で展開した政務官もいたようですが、今この時点で我々は政権をお預かりしているのであり、国民生活のために全力を注ぐべきなのです。ましてや政府の一員たる政務官であれば尚更でしょう。
臓器移植法の一部を改正する法律案は、中山太郎議員提出のA案が予想以上の賛成で可決されました。
中山先生は私のもっとも尊敬する政治家のお一人ですが、私自身は、これが最善とはいえないもののD案を支持しており(A案の可決により採決には付されませんでしたが)、A案には反対票を投じました。
理由は以下の通りです。
・ 個人的に、脳死を一律に法律上の人の死とすることには納得できない部分があるため、A案には賛同できませんでした。
・ 脳死認定を含め、臓器移植に対して慎重を期すというC案のスタンスには同意しますが、結果として移植医療が後退してしまっては、このタイミングで法改正をする意味がなくなってしまうため、C案も賛同し得ません。
・ 残る2案のうち、B案の12歳への引き下げは同意できますが、親族への優先事項については機会の平等が与えられないのではないかとの思いがあります。
・ D案は、15歳未満の本人の意思が不明の時に家族の意思で臓器提供を可能とするもので、現行法よりは門戸が広がること、また提供について虐待等の有無等につき医師の適切な関与と確認が義務づけられていること、そして今後3年をメドに見直しを行う規定があることから、今後のさらなる真摯な議論を前提としていること、などにより、最善ではなくても現時点では最良の選択肢ではないかと判断しました。
私個人としては、今後の課題として、以下のような点につき国民的議論を経た上で方向性と施策を決定すべきと考えています。
・ 移植医療はあくまでも人の善意に基づくものであるので、法律の要件に頼るのではなく、国民の理解を広げる努力を医療界あげて行うべきこと(その意味では、現行法でもドナーが広がる可能性は十二分にあったと考えています)
・ 特にドナーカードについては、そのあり方(現在のものではいかにも安っぽく、公的かつ重要な意思の表明と思えないでしょう)、周知の不足、ドナーカード自体の項目の適否(カード自体は本人の意思確認のためのものであり、そこに家族の同意欄は本当に必要でしょうか)などを含め、徹底的に見直し早期に成案を得るべきこと
・ 医学上の死と法的な死をきちんと整理すること(「脳死」のとらえ方についてもあまりにさまざまであり、また人の死はさまざまな権利義務関係の発生・終焉の契機でもあります)
・ 本人の意思を重要視していくとの方向性の中で、尊厳ある死期の選択ということについてもきちんと議論を進めるべきこと
・ C案には入っていた生体移植についての規定、売買禁止の範囲等についても法制化すべきかにつき議論を進めるべきこと
今後、参議院でも活発な審議がなされ、議論が深まっていくことを期待しています。