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2009年12月29日 (火)

よいお年を!

 石破 茂 です。

 年末ぎりぎりまでテレビ出演や年明け早々の訪米の準備などでバタバタしています。

 学校を出て以来、「お休み」というものにまったくといっていいほどご縁がありません。
 30年ほど前の駆け出しの銀行員時代、大晦日まで集金に追われ(当時は大晦日まで営業していました)、夜10時近くなって「それでもせめて年越しそばでも食べて年末の気分を味わってみたい」という話になり、でもとっくにボイラーの火は消されていたので、ぬるいお湯でカップ麺を食べて胃腸をおかしくしたなどということもありました。でも、仕事があるだけ有り難いことだ、と自分に言い聞かせる他はありませんね・・・。

 今朝出演した「朝ズバッ!」の番組終了間際、スタジオにいた50人ほどの人に「それでも鳩山内閣に期待するか」とみの氏が聞いたところ、3分の2近くが「YES」と答えたのにはやや驚かされると同時に「ああ、やっぱり」と感じたことでした。
 番組内の街中アンケートで「何故民主党に投票したか」との問いに対して、「マニフェストに期待したから」とか「鳩山さんに期待したから」よりも、「とにかく自民党政権を代えたかったから」との答えが圧倒的だったことからすれば、自民党がほとんど変わっていない(少なくとも多くの国民にはそうとしか見えない)以上、「それでも鳩山内閣に期待する」と答えざるを得ないのはむしろ当然というべきなのでしょう。

 もちろん、我々としては、次期国会で鳩山内閣を断固攻撃しなくてはなりません。「偽装献金」が象徴するような「偽装内閣」が国政を担うことの恐ろしさを国民のみなさまに分かって頂かなくてはならないのです。「国民の広い支持があるように見せかけたかったので、鳩山家から提供された資金を個人献金に偽装した」との元秘書氏の供述が鳩山総理の姿勢そのものなのです。

 しかしそれと同時に、「自民党は本当に変わった」との印象を国民に持っていただけなければ、どんなに攻撃したところで「でも、自民党よりまだマシではないか」と言われてお終いになりかねない。
 自民党にはその危機感がまだ足りないと言わざるを得ません。
 敵失をひたすら待っているようでは駄目なことは、八月の総選挙でイヤというほどわかったはずなのに、どうしてもっと思い切った党改革ができないのか、多くの方がそう思っておられるに違いありません。このブログにもそのようなコメントもいただいておりますね。
 
 執行部の一員として、発言し行動しなければ党のためにも国家のためにも責任を果たしたことにはなりません。 福田内閣でも、麻生内閣でも、「与えられた閣僚の職務を全うしたい」とのきれいごとに私は逃げ込んではいなかったか、そう反省せざるを得ません。
 新年を迎えるに当たり、己を捨てて臨まねばならないと痛感しております。

 本年一年、本当に有り難うございました。
 多くのコメントを頂き、反省させられること、勇気づけられることばかりでした。
 来年も何卒よろしくお願い申し上げますとともに、来る年が皆様にとって、そして日本国にとってよい年となりますよう、心よりお祈りいたします。

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2009年12月25日 (金)

鳩山総理の政治資金

石破 茂 です。

 昨夜の鳩山総理の会見は何だったのでしょう。
 母親から2002年以降、12億6千万円の贈与を受け、6億円もの税金を免れていた人物が総理を務めていることに対し、強い批判の声が上がらないのは一体何故なのか。「全く知らなかった」などということがもし事実だったとすれば、どのようにして自分の政治活動が可能であったと思っているのか。
 かつて当選一回生の頃、鳩山氏も中核メンバーであった「ユートピア政治研究会」が公表した政治活動費報告の中で、同氏はダントツ一位の年間1億8900万円を支出し、収入も1億9649万円であったのですが、当時我々は「由紀ちゃんのところは選挙区が広くて大変だね」などと同情するとともに、「政治にカネがかからない仕組みを作ろう。かかるカネはなるべく透明な方法で調達でき、二世でなくても、官僚やタレントでなくても政治家になれる制度を作ろう」と誓い合ったものでした。
 年間それだけのカネがかかることを知っていながら、それがどこから入ったか全く知らないなどということが本当にあるとはとても信じられません。明らかに嘘をついているとしか思えない。世の中を舐めているにも程がある。
 仮に知っていたとすれば(そうに違いないと私は確信していますが)、一体その巨額のカネを何に使ったのか、「入りと出」の「出」の部分も明らかにする責任があるはずです。
 政治資金報告書に虚偽の記載をすることは、「政治とカネ」の本質に関わる重大な犯罪です。税金さえ払えば、汚れたカネでなければ、それでいいというものでは決して無い。バレたら税金を払えばいい、ということが総理大臣に許されるのなら、誰が真面目に税金など払うものですか(激怒×10)。

 検察も、世論も、税務当局も、すべてが明らかにどうかしています。
 こんなままで年を越すことは、あまりに口惜しい。自民党はこの問題を追及するに足る立場を持たねばなりません。「自民党だって同じじゃないか」と言われるようなことがあってはならないのです。
 そのためには自らを捨てる覚悟が必要であり、自民党内には今その危機感が横溢しつつあるように思えます。我々執行部として、決然たる姿勢を示すべき時が来ているのではないか、そう思えてなりません。

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2009年12月22日 (火)

お手紙ありがとうございます

 石破 茂 です。 

 多くの方々から、お心のこもったクリスマスカードやお手紙を頂き誠にありがとうございます。一つずつお返事を書きたいのですが、その時間を作る能力が足りませんため、お気持ちに応えることができず本当に申し訳ありません。どうかご寛容ください。

 憲法も理解せず(一知半解も甚だしい)、天皇陛下に対する畏敬の念も持たず(私にはとても理解しがたい)、己の立場もわきまえない総理や民主党幹事長の発言は絶対に看過できません。
 ただ、事柄が陛下に関することであるだけに、御心をお煩わせすることがあってはならないとの気持ちも強く、私の発言がどうしても一歩退いたようになってしまっているような気もして、かなり悩んではおります。
 民主党の心無い人たちは(全部がそうだとは言いません。渡辺周総務副大臣のように見識と勇気のある人は民主党の中にも確かにいると思いますが、ほとんどの人たちは沈黙を守ったままなのがとても残念です)、「自民党こそ、この問題を大きくして陛下を政治利用しようとしている」などと言い出しかねません。本当は、与野党共に考えなくてはならない大問題なのです。

 中でも羽毛田長官に対する小沢氏の罵詈雑言はもっての他と言わねばなりません。陛下の最もお近くに仕える人が、何故あそこまで言わねばならなかったのか、そのことに思いを致さなければなりません。「ナントカいう役人が・・・」という尊大かつ傲岸不遜な態度は、政治家というより人間としての資質を疑わざるを得ません。
 田原総一朗氏は日曜のテレビで「小沢氏は全部計算の上で言っている」と述べていましたが、そうであれば尚更許されざる振る舞いだと断じます。

 田村耕太郎参院議員の離党については、特にコメントはありません。読売新聞には「特に引き止める努力をしなかった石破政調会長の指導力も問われる」と書いてありましたが、引き止められたから離党を思いとどまるような議員であれば、それはもともと大した人ではありません(これは私が「冷たい」と言われる所以でもありますが)。
 私自身、自民党離党・新進党離党の経験を持っていますが、幾日も幾晩も悩みに悩みぬいた上での決断でした。私の場合、離党理由は単純で、自民党の時は「公約で掲げた小選挙区の導入に反対し、立党の原点である憲法改正までも棚上げする自民党にはいられない」新進党の時は「集団的自衛権を認めず、消費税アップにも反対する公約を掲げた新進党公認で選挙はできない」というものでした。党内であらゆる機会に自説を述べ、徹底的に議論を戦わせた上でのことでしたから、自分なりに納得もしていました。
 判断は有権者が行うのであり、自らの心にやましいところがなければそれでいい、と思っておりました。ですから、田村議員もきっと悩んだのだろうし、最終的には(どこの選挙区かは知りませんが)有権者が判断を下すのだから、論評すること自体意味はないと思うのです。
 人の道に反したことをすれば、いつかは必ずその報いが来る。それだけは確かです。田村議員がそうであるかどうか、それは時が証明することになるでしょう。八年ほども同じ自由民主党でやってきた人に対して、非難めいたことは言いたくないのです。

 民主党内閣の支持率も急降下していますが、これはある程度当然のことであり驚くに値しません。問題は自民党の支持率が一向に上がらないことにこそあるのであり、その責任を痛感しています。
 党の体質はちっとも変わっていないではないか、多くの人がそう思っておられるのでしょうね。自分の至らなさを反省するばかりです。

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2009年12月18日 (金)

民主党政権の本質

 石破 茂 です。

 日本国は一体何処へ向かうのか、大きな不安のうちに年の瀬を迎えようとしています。
 国民の選択なのだからやむを得ない、と諦めてしまってはどうにもなりません。
 しかし内閣支持率がいくら下がっても、政府与党が解散しないと決めてしまえば、この状態が四年間近く続くのです。もっともそれはかつての自民党政権時も同じで、我々の「早期解散すべし」との主張に説得力が欠ける結果となっています。私は麻生内閣の一員として、任期満了近くの解散ではなく、麻生総理の判断で適切な時期に解散すべきと主張したのですが、もっと強く訴えるべきだったと悔やまれてなりません。

 自身こそ正確な知識を欠いていながら「君は憲法を読んでいるのか!」と恫喝的に言い放ち、天皇陛下のご活動まで思い通りになると増長し、予算編成に当たって「これは全国民の要望だ」と(決してそうではないにもかかわらず)総理に迫る小沢氏の姿、そしてそれに唯々諾々と従う鳩山総理の姿こそが民主党政権の本質です。
 敢えて言いたい。自民党政権に反省すべき点は多々あったが、このような「多数を取ればなにをやってもいい」などという不遜なことを考えたことは一度も無かった、と。

 さきほど丸の内で街頭演説を終えました。
 土曜日は地元、日曜日はサンデープロジェクトに出て、憲法論・「小沢論」を、今や小沢氏の側近となった細野民主党副幹事長と闘わせる予定です。
 体力的にも精神的にもかなり限界に近いなと思ってはいますが、ここで手を緩めることはできません。
 自民党のためでも、もちろん自分のためでもなく、現在と将来の日本国のためだと思っています。

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2009年12月14日 (月)

習近平・中華人民共和国副主席の天皇陛下との会見について

 今般、中国政府より、習近平・国家副主席が十二月十四日に来日するに際し、期限である一ヶ月前を切った十一月下旬に天皇陛下との会見の申請があったのに対して、宮内庁より困難である旨の回答が再三なされたにもかかわらず、鳩山由紀夫内閣総理大臣より平野博文内閣官房長官へ会見実現の指示があり、同長官より宮内庁に正式な要請が行われ、会見が実現する運びとなりました。
 私としては、このような政府の行為は日本国憲法の要請である天皇陛下の政治的利用の禁止に抵触するものであり、断じて容認できないと考え、次期通常国会をはじめとするあらゆる場において、憲法第三条に定められた内閣の責任を追及していく覚悟です。
 羽毛田信吾宮内庁長官は記者会見において、平野官房長官にいわゆる「一ヶ月ルール」を説明し実現の困難を主張した際、官房長官が「日中関係は重要だから」の一点張りであった旨述べ、「大きく言えば天皇陛下の政治的利用にあたる懸念がある」との見解を示しています。
 これに対し、鳩山総理は「あまり杓子定規に考えるよりも、本当に大事な方であれば若干の変更があっても、天皇陛下のお体が一番だが、その中で許す限りお会いいただく」と述べていますが、「日中関係は大事なので、ルールを杓子定規に考えず弾力的に運用する」ことこそが、まさしく政治的判断以外の何物でもないのです。鳩山政権の外交方針に沿うべく天皇陛下のご日程調整のルールを捻じ曲げたものであり、政治利用そのものと断ぜざるを得ず、かかる行為は決して許されないものです。
 もとより私は、我が国と中華人民共和国間の信頼関係が更に強化され、地域の平和と安定に資することを強く望むものです。しかし羽毛田長官が述べているとおり、天皇陛下の国際親善にかかわるご活動は、時の政府の行う外交とは次元の異なるものとして、相手国の大小や価値判断とは一切関係なく行われてきたものであり、今回このような特例扱いを行うことは、皇室の外国との関わり方の正当性を大きく傷つけるのみならず、日中両国の関係をも損なうものとすら言い得るのです。
 更に民主党の小沢一郎幹事長は、訪問先の韓国において、天皇陛下の韓国ご訪問につき「韓国の皆さんが受け入れて歓迎してくださるなら結構なことだ」と述べていますが、これも天皇陛下の国際親善のご活動について、内閣の一員ですらない者が軽々にした誠に思い上がった発言として、断じて看過できるものではありません。
 政府ならびに民主党に対し猛省を求め、今後このようなことがないよう厳重に抗議してゆきたいと思います。

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2009年12月11日 (金)

中国詣で、外交迷走

 国会が閉会して一週間、「国会で議論するより予算編成が大事だ」といっていたはずなのに、永田町で国会議員の姿を見ることはほとんどなく、いまだかつてない閑散ぶり。
 総理はといえば、なんで行く必要があったのか理解できない閣僚会議出席のためバリ島へ赴き、最高権力者(本人の言によれば「野戦司令官」)といわれる小沢一郎民主党幹事長は国会議員百数十人を引き連れて北京詣で。
 予算編成も、外交・安全保障も、超少数政党である国民新党や社民党に振り回され、一体何を目指しているのかさっぱりわからない状態です。

 普天間基地移設を巡る迷走は、もはや政府の体をなしていません。防衛大臣がグアムを視察し「グアムへの全面移設は困難」との実に当たり前の(今頃やっとそんなことがわかったのか!)発言をすれば、総理が「発言の真意がわからない。何のために行ったのかもわからない」と言うありさま。閣僚の海外出張に伴う臨時代理の指名は閣議決定事項でしょうが。知らぬ存ぜぬで、それでも内閣か。
 コペンハーゲンでの日米首脳会談で「普天間決着の延期に米大統領の理解を得たい」と言っておきながら、断られる(当然です!)と「会談を申し入れてもいないのだから、断られたということにはならない」と取り繕う。誰がそんなことを信じるものですか。大統領の発言を翌日に全面否定し、相手の顔を見事に潰すような首相との会談が実現すると思うほうがどうかしている。国際社会は総理が思うほど甘くない。世の中を舐めてはいけない。
 この総理の発言は、岡田外相の「普天間基地の県外移設を民主党の公式文書である沖縄ビジョンで謳い、鳩山 代表が選挙で訴えたからといって、マニフェストには書かれていないのだから公約ではない」と言い放ったことを彷彿とさせましたね。どこまで詭弁を弄すれば気が済むのか。

 「長城計画」とやらで民主党議員が中国国家主席と握手してもらい、喜々としている光景は、高校生の修学旅行のようで、滑稽を通り越してなにやら悲しくなってくるような思いにさせられます。彼らに一票を入れた有権者はあれをどう見ているのか。
 「日本の議員なぞ、写真を撮ってやれば大喜び。御しやすいものだ」と思われているに違いない。今回同行しなかった民主党議員はまだ骨があるというべきなのかもしれません。

 他方、地方の団体が仕方なく民主党県連に要請に行くと、「あなた方は自民党を支援したのだからこんな要請は党本部には上げられない」といわれる事態が頻発しているようです。政府は国民のためのものなのであって、民主党のためのものではありません。
 政調会を廃止して党内論議も封殺し、所属議員を親小沢・反小沢で区別し、地方の要望に対しては恫喝をもって応じる。こんな政治があっていいはずはありません。

 自民党は、己を厳しく律し、国民の共感を得なくてはなりません。それは自民党のためではなく、国家国民のためなのですから。

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2009年12月 2日 (水)

会期延長など

 石破 茂 です。

 与党側より、国会の延長は12月4日までという提案がなされ、我が自民党はこれを拒否し、一切の審議に応じない方針を決定いたしました。
 「自民党も野党になれば以前の民主党のように審議拒否をするのか。与野党が入れ替わっただけで、国会は何も変わらないではないか」とのご批判は十分承知の上であり、党内でも随分と議論はあったのです。実際我々が与党の頃、審議拒否をする野党に対し、「職場放棄!」と非難したのですから。
 しかし、今回は今までとは事情が全く異なります。
 総選挙が終わってから40日間も国会を開かなかったのも、重要法案が多くあるのに僅か36日という極端に短い会期を設定したのも、すべて与党側です。これに加えて、極めて異例のことではありますが、野党側から会期の大幅延長を主張したにもかかわらず、「丁寧な審議は不要だ」との断を下したのも与党側なのです。
 今までであれば与党側から充分な審議を経て法案を成立させるために会期の延長を申し出、野党が法案成立阻止のためにこれを拒否するとの構図でしたが、これが全く逆転している。

 我々は何も理不尽な要求をしたわけではありません。政権交代後初の国会であれば、党首討論を行うのは当然です。
 連日報道される鳩山氏や小沢氏の政治資金問題、デフレや円高に対する対応策、普天間基地移設を巡って極めて不安定な状態になりつつある日米関係などについて集中審議を行うのも、決算を重視する参議院で決算委員会の総括質疑も行うのも、国会が国民に対して果たすべき責務です。
 「予算編成が何よりも優先するので国会を閉じる」というのが与党側の主張ですが、それは明らかにおかしい。我々は国会を開いていても、予算の編成を行ってきました。現に昨年は12月25日まで国会を開き、新年5日には通常国会を開会しましたし、一昨年に至っては1月15日までの越年国会を開き、野党からの質疑に丁寧に対応しつつ不眠不休で予算を編成したのです。

 与党側が大幅延長を拒否する理由は極めて明白です。
 鳩山、小沢問題にはきちんと答えられない。5年間で9億円などという途方もないお金を母親から受け取りながら、「私の知らないところで一体何が行われているのか。ただ驚いている」などといういい加減なことが通用するはずがない。私財を政治に投じたことはむしろ誉められてしかるべきだ、などとするご意見もありますが、そのお金を一体何に使ったのかが全くわからない。所謂「子分培養」に使ったのなら、これこそ旧来の自民党手法そのものです。
 政治改革で行動を共にした鳩山氏にかつての思いを予算委員会で尋ねたところ、「お金を持っている、持っていないではなく、青雲の志を持った人間が国会議員になれる道を作ろうというところがスタートだった」と答弁しましたが、これがとても虚しく聞こえました。時は人を変えてしまうものなのでしょうか。
 序に申し上げれば、加藤紘一元自民党幹事長の事務所代表の脱税事件の際、「金庫番だった人の不祥事は政治家も共同正犯だ。即、議員辞職すべきだ」と語ったのも鳩山氏であり、実際加藤元幹事長は潔く議員辞職したのです。これを問われて鳩山総理はどう答えるのか。

 デフレが深刻化し、円高で企業が死活問題に直面しているのに、「当面静観する」では通らない。普天間基地移設は緊急の課題であるにもかかわらず、「県外移設を模索する」「国外、最低でも県外への移設に向けて行動を起こす」などと実現のあてもない公約をしてしまった結果、沖縄に期待を抱かせ、米国の不信を増大させている。閣僚の発言は悉く食い違い、総理の発言も日によって変わる。これらを追及されたら政権は持たない、との判断に違いありません。

 「事業仕分け」も国民に好感を持って受け止められていますが、そもそも95兆円という途方もない概算要求を出してきたのは民主党政府なのであって、それを自分達で削ってみせて、「あれも無駄、これも無駄」などといっているのは自作自演以外の何物でもなく、実に滑稽な姿ではないのでしょうか。
 「仕分け」をするのは本来納税者から行政官庁をお預かりしている大臣がすべきことであって、全事業のたった15パーセントの仕分け対象はいかにして選ばれたのか、仕分け人の選定基準は何であったのか、無駄の定義は何なのかも不明のまま、「予算編成が透明化された」とただ礼賛するのは何処かが明らかにおかしいと思えてなりません。
 防衛庁長官、防衛大臣在任中、予算の使い方を巡って相当激論したものですが、省内ではほとんど孤立無援状態で、文芸春秋に省内の噂話、官僚の大臣批判などを集めた「霞ヶ関コンフィデンシャル」というページがあるのですが、私は当時そこに書かれる常連でした。大臣は納税者の代表としての意識を持ってその職務を果たすべきなのに、官僚の代弁者と化してしまうところが問題なのです。
 「事業仕分け」なる作業は実にイレギュラーなものであって、こんなものは今年限りにしなければ大臣も議会もその存在価値がなくなってしまいます。

 「『事業仕分け』さえ見せておけば、国民の支持は集まる。鳩山政権への批判もかわせる。国会など早く閉じればよい。予算の陳情を民主党幹事長室に一本化すれば地方もやがて民主党一色になる」、それが民主党の考えなのでしょう。
 華やかな事業仕分けに隠されたこの恐ろしさを、国民に早く気付いていただくべく、我々は一時の批判に耐え、迎合的独裁政治に対して断固とした戦いを続けていかねばならないのです。

 30日の夕刻、新橋駅頭で緊急の街頭演説会を開催し、谷垣総裁と共に演説してまいりました。
 急遽の開催であったにもかかわらず、多くの方が立ち止って耳を傾けてくださったことに心より感謝いたします。
 テレビや新聞が自民党の行動を取り上げてくれないと嘆いていても始まりません。政治の原点はやはり街頭での訴えである、と改めて思ったことでした。

 党名を変えるなどという議論よりも、まず行動が優先されるべきです。「自由と民主」、これ以上の党名があるはずもないのですし、要はそれに相応しい中身であるかどうかが問われているのですから。

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