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2010年2月26日 (金)

自民党、派閥など

 石破 茂 です。

 「自民党は変わった」と目に見える形で示さなくては、党の再生はありえません。
 自民党がどうなろうと自業自得、と言ってしまえばそれまでですが、民主・社民・国民新党の連立政権の内政・外交すべてにわたる無責任ぶり、迷走ぶりを見ていると、自民党が再生しなければ日本が潰れるとの危機感を抱かずにはいられません。
 参議院選挙の投票日まであと四ヶ月しかないのです。学生の頃、「試験まであと○○日」というカレンダーを作って自ら焦燥感を煽り、自分を追い込んだものですが、そのカレンダーを作って党本部に掲示せよと命じても全然やろうとしない。今日が明日になり、明日が明後日になればいいと能天気な気分でいる者が多いとしか思われない。

 はっきり言えば、自民党は顧客に見放された倒産会社のようなものなのです。民間であれば、大リストラを断行し、組織を一新し、経営方針を改め、本社でもなんでも売れるものは売ってしまうのが当然です。それに比べて自民党は一体何をしたというのか、執行部の一員として大きな責任を感じています。

 選挙対策機能の党への一本化の議論に対して、派閥の領袖から一斉に批判の声があがっているようですが、小選挙区制度に移行した今、自民党における派閥とは一体如何なる役割を果たしているのか、私は理解に苦しみます。
 中選挙区制時代は、各派閥はその領袖を総理候補として戴く一種の擬似政党であり、定数3ないし5の選挙区にそれぞれ候補者を立てて競い合い、その緩やかな連合体が自民党でした。
 機能は選挙応援、資金の配分、大臣・党三役から委員会の委員までにわたるポストの配分の三つでしたが、今や選挙応援は派閥横断、資金は党を経由したものであり、ポスト自体ほとんどない有様で、一体何の意味があるのか。よかれ悪しかれ、民主党では選挙対策は党に一本化され、冷徹に選挙対策を行っているのに、自民党がいつまでも義理や人情で選挙を戦っていいはずがないと私は思うのです。
 人が三人寄れば派閥ができる、それはそのとおりです。政策で一致し、この人を総裁、やがては総理にしたいというグループは当然あっていい。しかしそれは自民党が選挙に勝って、初めて言えることなのです。
 今の自民党に、資金的にも、人的にもそんな余裕はないのではないか。すべての力を選挙に集中すべきだ、との私の考えは変わりませんし、それを言わないのであれば、自分が党に対する責任を果たしたことにはなりません。

 あいつも派閥に散々世話になっておきながら今更なんだ、との批判もあるでしょう。中選挙区制時代はごく一部を除いてみんなそうでしたし、擬似政党の一員であったのですから、それはむしろ当然です。時代も制度も変わったのに、それが認識できないほうが余程おかしい。
 私は防衛庁長官も、防衛大臣も、農林水産大臣も、政調会長も、派閥の枠でなったわけではありません。もし派閥の推薦であったとすれば、同期で最年少の、ましてや新進党からの「出戻り組」の私など、あらゆる役職に就くのは一番最後だったはずです。党もポストも、国家国民のためにあるのであって、個人のためにあるのではありません。
 派閥領袖が、苦心惨憺して資金を集め、派閥を維持してきたことはそれなりに評価されるべきでしょう。とても私などにできることではありません。
 しかし、今必要なのは、旧来美徳とされてきたこと、しかし今の時代に合わないものと訣別することなのです。

 今日は3月12日、19日の朝9時から放送されるラジオ日本の番組収録がありました。
 ラジオはテレビと違って、少し余裕を持って話せるので大好きです。大学時代の先輩が対談相手であったこともあり、久々に少し楽しい時間を過ごせました。

 土曜日は午後一時から千代田区一ツ橋の日本教育会館で農政についての講演、日曜日は午前十一時から青森市のホテル青森で開かれる自民党政経セミナーで講演の予定です。
 皆様よい週末をお過ごしくださいませ。

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長崎県知事選勝利、石井一氏の発言

 石破 茂 です。

 長崎県知事選挙、自民党支援候補の前副知事・中村法道氏が圧勝いたしました。
 長崎訪問時にお世話になった方々をはじめ、心より厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
 
 先週はじめ、長崎市、佐世保市、大村市に入ったとき、「これなら勝てる」という実感を持ちました。
 長崎県政についても、県職員を長く務めた中村氏のほうが、突如擁立された農林水産省改革室長の橋本氏(私は全くこの方を存じ上げません。知事候補として擁立するために急遽箔付けの発令でもしたのでしょうか。そもそも「脱官僚」を唱えながら中央官僚を擁立する民主党の手法はいかがなものか)よりも遥かに知識があったこと、県議団を中心に自民党が一致結束したことも勝因でしょうが、それよりむしろ、鳩山総理や小沢幹事長の政治資金問題や民主党の政治手法に有権者が拒否反応を示したことが大きかったのではないでしょうか。
 私の演説でも、「民主党候補が勝利すれば、鳩山・小沢問題を不問に付すとの意思を長崎県民が示したことになるのです!」との部分が一番、反応が多かったように思いました。
 
 冷静に分析すれば、「自民党の勝利」というより「民主党の敗北」であり、昨年と逆の現象が起こっただけとも言えるのではないでしょうか。相手の敵失で勝っても、それは実力ではありません。
 これに負けていれば自民党は総崩れとなっていたのであり、何とか首の皮一枚繋がったと天に感謝すべきでしょう。 

 翌日からの国会は自民党欠席のまま、昨日まで来ました。評判の悪いこと悪いこと。「如何なる理由があろうとも、審議拒否をすべきではない。言論で勝負し、民主党政権の非を明らかにせよ」というお声が圧倒的でした。
 月曜日は大阪、火曜は新宿、水曜は有楽町と、街頭で欠席についての理解を求めましたが、正直反応は今ひとつ、と言うよりあまり芳しくないものでした。
 「我々は審議を拒否しているのではない。鳩山・小沢の疑惑は一向に解明されていないし、解明に向けた努力を全くしていない。解明のため、証人喚問・参考人招致に応ぜよ」
 「石川議員は政治活動の公正・公明の確保を目的とする政治資金規正法違反で起訴されている。『起訴理由は小沢氏の秘書の時代のことであり国会議員の活動とは関係ない』などという筋の通らない理屈で議員辞職勧告決議案の採決すら行わないのは許されない。民主党は堂々と反対理由を述べて反対すればよいのだ」
 との我々の主張は今でも正しいと思いますが、テレビには自民党の空席だけが映り、新聞は「自民党、孤独の審議拒否」としか書いてくれない。どんなに正しいことを言っても、わかってもらえなければ何の意味もなく、自民党も昔の野党と同じだね、としか国民は思わない。公平な立場であるべき議院運営委員長や衆議院議長も民主党国会対策委員会の言いなりで、これではどうしようもありません。
 残念で口惜しくてたまりませんが、結果的に民主党の思うツボにはまってしまったのではないか。相手が良識や見識を欠いている以上、こちらはその上手を行かねばなりません。
 昨日、議運委員長解任・衆議院議長不信任の動議を出し(当然否決されました)、審議復帰となりました。
 あまり格好のいいものではありませんが、この口惜しさをバネにするしかありません。

 民主党の選挙対策委員長、石井一参議院議員が「鳥取県や島根県といったら、まあ、日本のチベットみたいなもんで、人が住んでいるのか、山やらなにやらあるけど人口の少ないところであり、民主党なんか出る隙もないのに、この人(川上義博参院議員)がまちごうて出てきた」と発言。
 彼にかかると「鳥取や島根は日本のチベットみたいなところ」であり、川上議員は「間違って出てきた」人であるらしい。チベットにも、山陰人にも極めて非礼な発言であり、自民党鳥取県連や鳥取県市長会は当然抗議を申し入れていますが、それに対する民主党の反応は「全体を聞かずに一部だけ捉えて自民党に利用されている」「鳥取県人は心が広いからそんなことで怒ったりしない」というものでした。
 それなら発言全文を明らかにしましょうか。
 小さな頃から、「裏日本」と言われる度にどんなに悲しくて口惜しい思いをしてきたか、そんな山陰人の気持ちを共有しない人と一緒に政治はしたくありません。
 
 この石井氏は、長崎県知事選挙でも「時代に逆行するような選択を長崎県民がするなら、民主党政権はそれに相応しい対応をする」などという恫喝的発言をして、強い反発を買った御仁です。
 そんな人が選挙対策委員長として選んだ人々が、今度の民主党の候補者なのです。こんな党に負けてたまるか、との思いが一層強くなります。

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2010年2月24日 (水)

街頭演説 有楽町マリオン前

 
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 事務局です。
 国会状況をご説明するために連日街頭に立っています。
 本日は、有楽町マリオン前にてお訴えをさせて頂きました。

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2010年2月19日 (金)

長崎知事選、党首討論

 石破 茂 です。

 月曜、火曜と、21日に知事選挙の投開票が行われる長崎県に行ってきました。
 三期務めた金子原二郎知事の勇退に伴うもので、事実上民主党推薦の元農水省改革室長の橋本氏と、自民・公明が支援する前副知事の中村氏の一騎討ち。

 有権者の関心は、長崎県政上の課題もさることながら、やはり「政治とカネ」「民主党の政治手法」に相当集まっている感じがします。
 もちろん、聴衆の多くは自民党が支援する候補の支持者なのですから、相当割り引いて考えなければなりませんが、世論調査で内閣支持率が大きく下がり、小沢氏の説明に納得せず、辞任を求める声が九割近くに達していることと符合しているのは確かでしょう。
 一歩リードとは言われていますが、優位と報じられればどうしても気が緩み、訴えに切実感がなくなりがちです。この戦いになんとしても勝ち、退潮傾向に歯止めをかけたいと願っています。

 政権交代後初めての党首討論、正直言って消化不良の感が否めませんでした。
 そもそも時間が短すぎますし、事前にテーマが設定されていないことも問題です。
 閣僚時代に、党首討論のあり方について今回は財政・経済政策、次回は安全保障政策といった具合に、毎回テーマを設定するよう与野党で決めるべきではないかと何度も主張したのですが、当時の野党(現政権党の民主党)はこれに応じず、質問通告(「党首討論」と称されてはいますが、形式はあくまで総理に対する議員の質問です)は「内政・外政一般について」などという極めて漠たるもので、これでは到底中身の濃い、深い議論は出来ません。
 定例的に週に一回、最低一時間、テーマを定め、政府側は担当大臣に限って答弁の補足を許し、質問する側もその分野の政策責任者が一人関連した質問ができるようにすべきであり、是非実現させたいと思っています。
 
 国会というのは妙なところで、前例主義や全会一致が幅を効かせていますが、そんなことは議員側の勝手な理屈であって国民には何の関係もありません。こんなこともできないようで、国会改革など唱えるだけ無意味です。

 小沢氏の人物評について、内外いろいろな人から聞かれます。
 今の小沢氏については私の知るところではありませんが、田中角栄先生との比較で言えば、統率の手法やマスコミとの接し方が決定的に異なるように思われます。
 私が末端でお仕えしていた昭和58年、ロッキード裁判一審判決や総選挙のあった年で世情はほとんど田中批判一色でしたが、田中派議員に対しては「いいか、オレの悪口を力一杯言っても当選して来るんだぞ」、マスコミに対しては「あいつらもオレのお陰でメシが喰えているんだ、怒っても仕方がない」と仰っておられたことをよく記憶しています。
 批判は絶対に許さない、批判する者は徹底的に叩き潰すという姿勢は全くなく、とにかく大きな方だなあと思ったことでした。もちろん私が知らない面も沢山あったのでしょうが、とにかく誰とでも分け隔てなく接し、限りなく明るい雰囲気がいつも回りに漂っていたように思います。

 週末は土曜日に長野県千曲市と松本市で遊説、日曜日は市長選挙を間近に控えた地元・鳥取市に帰ります。
 立春を過ぎても寒い日が続いています。よい週末をお過ごしくださいませ。

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長崎出張

 事務局です。
 2月15日(月)~16日(火)、長崎県知事選の応援で、長崎市、佐世保市等にお邪魔しました。

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 お世話になった皆様、集まっていただき握手などしてくださった方々、本当にありがとうございました。


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2010年2月10日 (水)

田村参議院議員のことなど

 石破 茂 です。

 一部報道で取り上げられている、鳥取選挙区選出の田村耕太郎参院議員が、自民党を離党し民主党入りした件について、若干のコメントを致しておきます。
 この件は経緯も相当に複雑で、関係者以外には何がなんだかよくわからないのだと思いますので。

 田村氏は早大や慶大に学んだ後、米国や英国で学び、山一證券に入社。その後退職し、義父がオーナーである新日本海新聞に入社。特報部長などを歴任し幾多の評論記事を書いてきた人物です。
 培った見識を政治に生かすべく、鳥取県知事選、参議院選(鳥取選挙区)、衆議院選に無所属で立候補、自民党推薦・公認候補にことごとく敗れた後、自身が戦った自民党現職参議院議員(坂野重信元自治相)の逝去に伴う補欠選挙に、自民党公認で出馬・初当選し、平成16年に再選されて今日に至っています。
 補欠選挙の際、自民党鳥取県連では、「いままでことごとく自民党と敵対してきた人をどうして自民党公認にするのか。ましてや坂野氏の後継などには絶対にさせない」との意見が強かったのですが、党本部の「そのような人を取り込んでおくことも大事だ」との強い意向により、県連が了承しないまま、「党本部公認」のような形で立候補することになりました。
 これに猛反発した県連の一部が独自に元県議会議長を擁立し、僅差で田村氏が当選したのです。

 当選後は、内閣府政務官や国土交通常任委員長を務め、一昨年の総裁選挙では私の推薦人になってもくれました。
 個人的には残念に思っていますが、今日に至るまで田村氏と県連の関係は必ずしも良好ではなく、それが今回の離党~民主党入りの原因の一つではなかったかと思います。

  「自分の政策を生かすためにはこれしか道はなかった」との田村氏のコメントを有権者がどう判断するか、ということなのだと思います。
 私自身も、自民党や新進党を離党した経験を持っており、田村氏を声高に批判する立場にはいないのでしょう。
 ご判断は皆様にお任せしますが、かつて私が自民党や新進党を離党した理由は甚だ単純で、選挙の有利・不利は関係なく、憲法改正や消費税アップの議論を避けるような党にいても自分の存在意義がない、ということでした。
 離党までの間には、党のあらゆる会合で持論を述べて戦ってきました(岡田現外相とは集団的自衛権行使の是非をめぐって随分と激論を戦わせました)。その努力を自分なりに最大限した上で受け入れられないのなら、自説を曲げるか、離党するしかありません。

 私は今まで八回有権者の審判をあおいできましたが、党に造反した直後の当選三回、当選四回の選挙は無所属で戦いました。
 党公認で戦った以上、その任期中は党の公約に拘束されますし、党に忠実であることが有権者に対する責任でもあり、それができないのなら、選挙運動や資金面での多くの不利を甘受しても無所属で個人としての審判を受ける他はない、というのが私なりの考えです。

 今夏の参議院鳥取選挙区は、先日田村氏に代えて擁立が決定した自民党公認の浜田和幸氏(国際政治学者)、民主党公認の坂野真理氏(故・坂野自治相のお孫さん)、共産党と幸福実現党候補の四人の争いになりそうです。
 比例区に廻る田村氏は、選挙区ではかつて自身が戦った故・坂野氏のお孫さんを支援する、というなんとも面妖な構図ですが、浜田氏は見識・人柄ともに立派な人物で、政策に明るく熱意もあり、私も我が事と思って全力で支援しなければならないと決意しています。

 先日の予算委員会の質疑について、多くのコメントを頂き有り難うございました。
 一部夕刊紙には「実にイヤミで、だから人気が出ないのだ」などと酷評されていましたが、別に人気取りのために質問しているわけではありません。民主党政権の異様さにどれだけ多くの人が気付いてくださるか、それは日本の民主主義のレベルが問われているということでもあります。
 防衛白書も読んだことがなくて、どうして普天間基地の名護に代わる代替地が決められるのか。
 憲法九条の構成も知らないで、どうして安全保障論が語れるのか。
 私には全く理解ができません。
 総理や閣僚は、全知全能を尽くして国益を守る義務を負っているのです。無知は罪悪であると断ぜざるを得ませんし、そのことは常に自分自身にも問われているのだと思っています。

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2010年2月 5日 (金)

予算委の質問を終えて

 石破 茂 です。

 予算委員会での私の質疑が終わりました。
 反応は賛否両論、当然のことです。みんなが賛成することなどありえませんし、そのような発言や行動こそ疑ってかかるべきです(というような話がイザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」の中にありましたね)。

 閣僚達の「質問通告がありませんでしたのでお答えできません」という答弁は何なのでしょう。「政治主導だ」というからには、きちんと答えるべきだし、知らないなら知らないとはっきり言って貰いたい。とにかく、憲法について突き詰めて考えてこなかった人たちであることだけははっきりしました。

 太平洋戦争に突入する時、陸海軍の中枢部には「こんな戦争はすべきではない」との意見が少なくなかったそうです。しかし、若手将校達は「やっちゃえ、やっちゃえ」という雰囲気で、抑えが効かなくなってしまった。
 なんだかそれを想起させられます。

 民主党の閣僚や幹部たちにも、今の状況は決してよくないとの思いはあるのだと信じます。今日の答弁を見ていても、そのような考えを持つ閣僚たちは、とても苦しそうに見えました。
 しかし、委員席の一期生をはじめとする民主党委員たちは、何が問題になっているかもわからず、答弁の異様さにも気付かず、ただ口汚く野次っているだけ。
 何かが滅びるときはこういうものなのかもしれません。
 そうあってはならないからこそ、我々は己を正し、国民と真摯に向き合う、信頼される政党に生まれ変わらなければならないのです。

 2月4日で53歳になりました。
 お祝いのお手紙、メール、書き込みなど、本当に有り難うございました。
 父親が亡くなった年まであと二十年。そう思うと、複雑な気持ちにさせられます。

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2010年2月 1日 (月)

施政方針演説

 石破 茂 です。

 金曜日の鳩山総理の施政方針演説、あれは一体なんだったのでしょう。総理が前置きも何もなく、いきなり「いのちを守りたい!」と絶叫したのにはいささか驚きました。
 臨時国会の演説で乱発された「友愛」はすっかり影を潜め(たった一回)、代わりに「いのちを守る」が二十四回登場し、マハトマ・ガンジーもやたらと出てきました。「いのちと暮らしを守る」というのは確か日本共産党のキャッチ・フレーズだったはずですが・・・。
 ガンジーが挙げている諸悪のなかで「労働なき富」に総理が触れたときは「それはお前のことだろう!」との野次で議場は騒然となりました。
 誰も反対しない原則論や歴史上の偉人を引用するのは、それだけ本人に自信が無いということなのではないでしょうか。劇作家平田オリザ氏と松井官房副長官の手になる労作もとても空しく響き、なんだか霊感商法か新興宗教のセールストークを聞いているようで、マスコミから評価を聞かれても「なんとも評価の仕様がない」と答えざるを得ませんでした。
 学生時代、私が所属していた民法ゼミで毎週提出を義務付けられていたレポートに対する教授の評価はAからDまであり、Dは「評価に値せず」というものでしたが、まさしくそんな感じでした。

 こんな内閣を作ってしまった自民党の責任は誠に重く、今週金曜日午後に予定されている予算委員会での私の質疑では、虚構を暴き、自民党に対する信頼を少しでも回復すべく、全力を尽くしたいと思っています。

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