石破 茂 です。
やや旧聞に属する話で恐縮ですが、先日「自民党 徴兵制検討を示唆 5月目途、改憲案修正へ」と題する記事が報ぜられました。
3月4日に開かれた自民党の憲法改正推進本部の会合において「民主主義国家における兵役義務の意味や軍隊と国民との関係について、更に詰めた検討を行う必要がある」ことが論点として提示されたことに対し、そのような報道がなされたようですが、その直後に大島幹事長が記者会見し、自民党として徴兵制導入を今後検討する意図は全くない旨を説明したため、今のところ大きな問題とはなっていない状況と認識しています。
憲法改正推進本部は総裁直属の組織であり、私が会長を務める政務調査会のもとにはないのですが、少し私の考えを述べておきます。
この問題はいつも「徴兵制は日本国憲法に反するか」との観点から論じられます。
昭和55年8月、政府は答弁書で「徴兵制度は我が憲法の秩序の下では、社会の構成員が社会生活を営むについて、公共の福祉に照らし当然に負担すべきものとして社会的に認められるようなものではないのに、兵役と言われる役務の提供を義務として課されるという点に本質があり、平時であると有事であるとを問わず、憲法第13条(個人的存立条件の尊重)、第18条(奴隷的拘束・苦役の禁止)などの規定の趣旨から見て、許容されるものではない」としています。
日本国憲法第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利は、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
日本国憲法第18条 何人も、如何なる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
私は防衛庁長官・防衛大臣在任中、国会でこの条文解釈について問われた際に「違和感をおぼえる」と答弁した記憶があります。もちろん政府解釈は知っていましたし、関係大臣がそのような答弁をすること自体、議論を呼ぶことは覚悟していたのですが、結局何の問題にもなりませんでした。違和感をおぼえていたのは私だけではなかったようです。
まず第13条について、外部からの侵略から国の独立と平和を守ることこそ「最大の公共の福祉」です。国の独立と平和無くして「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利の尊重」などありえません。
第18条も、兵役を「奴隷的拘束」と同一視するのはいかがなものか。さらに、志願制ではなく徴兵制である点を「意に反する」ことにウエイトを置いて否定的に解釈していますが、兵役に「犯罪に因る処罰」と同じ評価がなされていることは極めて問題です。
徴兵制を採用している国は今なおいくつもありますが、政府としてこのような考え方をしているのは我が国以外にはありません。ドイツも頑として徴兵制を維持していますが、ドイツでそんな議論は全くなされていません。
六年ほど前、自民党の調査団でドイツを訪問した折、ドイツの与野党議員とこのテーマで随分長時間議論したのですが、与野党問わず彼らの徴兵制維持の根拠は明確で、とても興味深いものでした。彼ら曰く、
ドイツが徴兵制を維持する理由は以下の三つである。即ち
①ナチス・ドイツのような軍事独裁を再び招来しないため。
第一次大戦後、ドイツ軍は解体され、ごく小さな組織となった。国民が「軍とは何か」を理解も実感もしないまま、国民の経済的困窮に乗じてヒトラーが登場し、最も民主的といわれたワイマール憲法を悪用して国民熱狂のもとに軍事独裁を敷いた。軍隊とは何か、という意識を国民の多くが共有していなかったことがその大きな背景であったと認識している。
②徴兵忌避者に対しては、高齢者介護などの社会奉仕を義務付けている。徴兵制を廃止すればこのマンパワーの確保が困難となる。
③徴兵により軍隊に参加することで、多くの若者に国際社会にドイツが役割を果たしていることの素晴らしさに接する機会が与えられる。ドイツは決して侵略国家になることはない。それは政治の義務と責任である。
多くの議員が特に①を強調していたのがとても印象的でした。すべてのドイツ人がこのように思っているわけではないでしょうし、ドイツにも様々な問題があることは承知していますが、それにしても、同じ敗戦国でありながら、我が国となんと違うことか。徹底した議論を避け、情緒的かつその場しのぎの議論をしてきたことの代償は大きいと言わざるを得ません。
フランスも長く徴兵制を維持してきましたが、あまりにコストが合わないため大激論の末、数年前に廃止しました。しかし、単に廃止したのではなく、新たに「国防の日」を設け、フランス軍の歴史、安全保障環境、軍の果たすべき役割などを徴兵年齢に達した国民に教え、これを受講しなければ自動車運転免許も、大学入学資格も与えられないこととしたそうです。防衛庁長官在任中、当時フランスの国防大臣であったアリヨ・マリー女史に確認したところ、まさしくそのとおりであり、「国家国民として当然のことである」と述べていました。
その上でなお、私は現在の日本において徴兵制をとるべきではないと考えています。
陸・海・空とも現在の自衛隊は複雑かつ精密なコンピューターの塊のような装備・システムで運用されており、適切な人員で相当に高い錬度を維持しなければその能力を発揮することは不可能です。
徴兵制ともなれば、玉石混交様々な人が入隊し、その教育訓練だけで機能はたちどころに麻痺してしまいかねない。ドイツのように、懲役忌避者に社会奉仕を義務付ければよいのでしょうが、その実現には想像を絶する困難があるでしょう。フランスの「国防の日」もとても良い制度ですが、この実現にも同様の困難が伴います。この話をすると、「実にいい制度だ、日本も導入すべきだ」と賛意を表してくださる方もおられるのですが、残念ながら国民の中では圧倒的に少数派です。
現在の政府は、普天間移設問題をまるで迷惑施設の移転のごとく取り扱っているとしか私には思えないのですが、この背景には日本が戦後辿ってきた大きな歴史的な問題があるように感じられてなりません。
いつも燻っている「舛添新党」に続いて「与謝野新党」問題が自民党内外に大きな波紋を広げています。
与謝野前財務大臣は、私が最も敬愛する先輩政治家の一人であり、一昨年の総裁選挙や麻生内閣でその見識、人格に接し、大きな感銘を受けてきました。その与謝野前大臣が「谷垣執行部には失望した。執行部を刷新しなければ新党を立ち上げ、与野党の同志を糾合し、国のため新しい勢力を作りたい」と月刊文芸春秋で述べられたことには、我々執行部として相当の危機感を持って迅速かつ誠実に対応しなければなりません。
三年前の参院選、昨夏の衆院選に大敗した後に示された提言、その後も党改革のためにいくつも提案がなされているが、一体それはどうなったのか、それらに対して結論先送りばかりで何ら具体的な回答がなされないのでは、不満と不信が鬱積するばかりです。
今自民党内には「このままの自民党では参院選も、将来も展望がない。『みんなの党』や残った自民党と合わせて民主党に最低でも過半数を取らせないために新党を立ち上げよう」というものと、「自民党をリニューアルして民主過半数を阻止しよう」というものとの二通りの考え方があるように思うのですが、何とか後者に落ち着かないものか。前者もそれなりに理解できないわけではありませんが、先の展望が全く見えないのが難点です。
全国廻ってみて、自民党支持者をはじめとする国民の反応は冷ややかで「野党になってまで権力闘争をやっているのか。そんなことより一致して選挙に臨め」という声が多数のように思われます。すべてにベストな人材など居るはずもなく、欠点をあげつらうより、いかにしてそれを皆がそれぞれ補っていくかが大切なのではないでしょうか。
結論を先送りし、みんなにいい顔をするあまり「なあなあ」で済ませるようなことなく、真剣かつ徹底的に議論を行ない、一致点を見出し、与謝野前大臣も舛添前大臣も気持ちよく参加して貰える体制を築くべきですし、谷垣総裁がそのために今の体制を代える決断をされたとすれば、私も含めてそれに従うのが当然です。
大事なのは自分より党、そして当然それよりも国家・国民でしょう。この極めて当然のことを皆が自覚しさえすれば、道は自ずと開けるに違いありません。