石破 茂 です。
予算委員会の質問も終わり、一息つけるかと思ったのですが、世の中はそう甘くはありません。委員会翌日も朝の自民党役員会、役員連絡会(役員会の拡大版のようなものです)に始まって政務調査会政権政策委員会、総務会、記者会見、午後は参議院新人議員研修会での基調講演、日刊労働通信社主催の夏季トップセミナーで藤井裕久元財務大臣、古賀伸明連合会長とのパネルディスカッション、その後の懇親会、それらの合間に陳情のお客様の応対など、昼食をとる暇も無い一日でした。
仕事があって忙しいのはとても幸せなことで、文句を言っては罰が当たるというものですが、それにしてももう少し何とかならないものだろうか、とつい思ってしまいます。
高校生の頃に読んだ五木寛之の「樹氷」という小説(もう40年も前の作品です。五木寛之の小説の中では「蒼ざめた馬を見よ」「青年は荒野をめざす」などの初期の作品が好きなのですが、「樹氷」や「恋歌」など企業人を主人公にした娯楽的作品も肩が凝らなくて好きでした)の中に登場するアメリカ人実業家のセリフに「俺が休む時は俺が死んだ時さ」という一節があってこれが妙に印象に残っており、議員になってからも「健康法は休まないことだ、自転車だって独楽だって廻らなくなれば倒れてしまう」などと粋がって言っていたのですが、どうも最近少し自信が無くなってきました。
自分一人の人生ではないのだし、周りの迷惑も考えなくてはなりません。この夏は久しぶりに少し纏まったお休みでも取れたらいいな、と思っています。
先日の予算委員会質疑、菅総理のあまりに自信のなさそうな、逃げに徹した答弁を聞きながら、本当に不安になってしまいました。
野党が「総理、もっとしっかりして下さい、もっと毅然としていて下さい」などと言うのも妙なことですが、そう言わずにはいられませんでした。
予算委員会に限らず、委員会は基本的にディベートの場であり、「私のほうがよく知っている、教えてやろう」的な質疑は本来やってはならないのですが、相手方がこれに応ずる姿勢や知識を持たないか、あるいは逃げに徹してしまえばそもそもディベート自体が成立しません。
事前に細部にわたる質問通告をすればよいのかもしれませんが、そうすると官僚が周到に準備した答弁の棒読みになってしまう可能性が高い(本会議における代表質問に対する総理や閣僚の答弁が全く無味乾燥なのは、予め質問全文を政府側に知らせるのがルールとなっているからです。なぜ本会議だけそうなのかはよくわかりませんが)。やはり、どの分野を聞かれても一通り答えられるだけの広範な知識あるいは意欲の有無の問題に帰着するのでしょう。
予算委員会には全閣僚が出席し、私が閣内に居た時は「各大臣は委員長の指名がなくとも積極的に挙手のうえ答弁されたい」などというメモが回ったものですが、各閣僚に対してはそれぞれの委員会で質問する機会があり、総理に質問できるのは基本的に予算委員会だけなので、総論的な部分は総理がまず答えるべきものでしょう。
意欲はあっても基礎的な知識がなければどうにもならないのであり、内閣総理大臣たる者は、すべての分野に通暁することは不可能にしても「この分野は苦手だ」ということがいくつもあってはならないように思います。私など、まだまだそういう分野が多く、政調会長としてもさらに勉強していかねばならないと痛感しています。
残念なのは、菅総理に「何とか無事にこの予算委員会を乗り切りたい、代表選挙も争点を設けてことを荒立てることなく、再選に持ち込みたい」との思惑がありありと見られたことです。
一体何のための政権なのか、政権維持が自己目的化しており、目的と手段が完全に逆転しています。
他党のことではありますが、代表選を控えて民主党内の政策グループがあちこちで会合を開き、新しい勉強会が次々と設立され、会の目的を問われた出席した議員からは「いかなる国家を目指す会なのか」との見解は全く聞かれず、「とにかくどんな時も仲良くやる、ということだ」などという、訳のわからないコメントばかり。仲良しを目的とする政治集団になど、何の意味もありません。
昭和50年代後半、「一致団結箱弁当」と呼ばれた田中派は鉄の結束を誇っており、当時私は派閥秘書の末席にいたのですが、あれは田中角栄先生という、政策構想力や人心収攬術において他の政治家の遠く及ばない、魔神としか形容の仕様のない統率者(その評価はいろいろあるにせよ、間近で二年間接した私の率直な印象です。皆田中先生を恐れてはいましたが、それ以上に先生を好きで堪らなかったのです)の存在があってこそのものでした。
自民党にせよ、民主党にせよ、今の集団は単に権力の獲得だけが目的のものばかりで、どうにも展望が開けません。
田中角栄先生のような人物が出ることは今後恐らくないでしょう。
小沢一郎氏は正月の私邸での大新年会や地元でのご両親の大法要、「選挙は川上から」との選挙手法等々、外見的には田中先生の手法を忠実に踏襲しているように見えますが、その本質は「政策を捨てた選挙至上主義、政局至上主義の壊し屋」でしかありません。
小沢氏の「国民は愚かなのであり、子ども手当や農家戸別所得補償などで現金をばら撒けば一票を入れるはずだ、後のことは勝って権力を掌握すればどうにでもなる」というポピュリズムというより、ニヒリズムにも似た考え方にはどうしても賛同できません。
民主党代表選で菅氏が小沢グループに政策を曲げてでも膝を屈し、再選されるようなら、自民党は徹底した対決姿勢をとらざるを得ませんし、ましてや大連立など論外です。税制改革、普天間問題、医療・介護問題などの解決が、選挙至上主義者と一緒にできるはずがありません。
「自民党があまりに駄目なので民主党が勝った」「民主党があまりに駄目なので自民党が勝った」過去二回のようなネガティブな選挙を繰り返してはなりません。
次回総選挙こそ「有権者はこの党のこの政策を選択した」ことが明らかになるポジティブな選挙にせねばならず、そのために何よりも必要なのは「議員一人一人の政策や選挙における自立」であるはずです。
「自分自身の確固たる政策は持っていない」「党と自分の政策は違うが選挙に勝つためなら政策を曲げることも厭わない」などという議員がいくらいても、政治も政党もどうにもなりません。
自民党が自立した議員の集団となるべく、自分自身一層の研鑽を積まねばならないと考えています。
朝鮮学校無償化や終戦記念日総理談話など、とても看過できない事態が想定されており、これらについては、また改めて記させていただきます。予算委員会で何度も申しあげたとおり、日本に残された時間は極めて短く、選択肢の幅は恐ろしく狭いのです。
多くのご感想、ご意見誠に有り難うございました。今後とも、どうかよろしくお願いいたします。
お盆休みも間近です。よい週末、お休みをお過ごしください。