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2011年5月27日 (金)

在職25周年

 石破 茂 です。

 昨日の衆議院本会議で在職25年の表彰を受けました。

 昭和61年7月の中曽根内閣のもとで行われた衆参ダブル選挙(世にいう「死んだふり解散」)で初当選した自民党議員は46人いたのですが、今回表彰を受けるのは私も含めて僅か6人です。
 新井将敬氏のように、卓越した才能を持ちながら志半ばでこの世を去った人、政治改革の流れに翻弄されて議席を失い、再起を果たせないまま政界を引退した人、様々な人の顔が脳裏に去来します。
 その中で私のような者が25年も勤めることが出来たことは、本当に有難いことであり、支えてくださったすべての方に感謝の気持ちで一杯になります。

 永年勤続表彰を受け、数度にわたって閣僚も務め、党三役までやらせていただいた。しかし、では一体この国をどのように変え、何を残したのかと自問する時、内心極めて忸怩たるものがあります。
 こんなに議員を長く務めながら、日本はほとんど変わっていない、それどころかこの間に相当悪くなったのではないか、その責任を痛感し、残された期間すべての力を注いで、一つでも何かを残さなければという焦燥感にかられます。
 本会議では、被表彰者の中で年長議員が代表して謝辞を述べ、他の者は原稿を議事録に乗せるという慣例となっております。原稿を載せておきますのでご笑覧くださいませ。字数が制限されているため、思いを全て伝えることはできませんでしたが…。

〔永年在職表彰 御挨拶文〕
 本日院議をもって永年在職表彰の栄誉を賜りました。
 昭和六十一年七月、全国最年少議員として初当選して以来二十五年の長きにわたり、私のような至らぬ者を国政に送って下さった郷里鳥取県の皆様、後援会の皆様、今は亡き田中角栄先生、渡辺美智雄先生、竹下登先生をはじめとするご指導くださった大先輩の皆様、支えてくれた秘書ならびに事務所職員各位、そして家族に対し心より感謝いたします。
 当選一・二回の頃、政治改革の嵐が吹き荒れました。政党がその主張を国民に問い、国民が政権を選択する小選挙区制は私にとってどうしても導入すべきもののように思われ、その実現に向けて全力を傾けました。
 その結果として確かに政権交代は実現しましたが、小選挙区制度がその機能を発揮するために必要不可欠であった地方分権も、政党法も、政界再編も、何一つ実現することなく、選挙制度だけを変えたため、その欠点が強調される結果となりました。導入を強く訴えてきた者として大きな責任を感じております。
 憲法観など、基本的な理念の一致による政界再編は何としても実現しなくてはなりません。
 政党助成金という権利を享受する以上、民主的な党運営や資金管理の透明性確保などにつき、政党は国民に対して厳格な義務を負うべきであり、政党法の制定も是非とも実現すべきです。
 議員であることも、閣僚であることも、あくまで何かを実現するための手段なのであり、それ自体が目的ではありません。日本国が真の独立国家となるために、集団的自衛権の行使を可能とする安全保障基本法の制定と日米安全保障条約の改定は国会議員としてどうしても成し遂げたいことであります。
 政治家の使命とは、国家のためにどうしても必要なこと、しかし国民が必ずしもそれを歓迎していないことを説得し、納得いただき、実現することであり、それをなさないのなら、このような仕事に就くべきではないと信じております。
 我が国はまさに危機的な状況にあります。安全保障も、食糧も、エネルギーも海外に依存する体制から脱却しなくてはなりません。日本に残された時間は極めて短く、そして選択肢の幅は恐ろしく狭い。
 今、政治が国民に対して果たすべき責任は、長く直視することを避けてきたこのような問題に明確な解決策を示すことであります。東日本大震災は、日本国に対し、覚醒を促しているように思われてなりません。
 その思いのもと、今後も更に力を尽くすことを申し上げて御礼のご挨拶といたします。

 以上です。

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 内閣不信任案提出を巡って神経戦が続いていますが、復興基本法をその道具に使うことには違和感を覚えます。
 自民党が来週早々に求めている原子力災害についての集中審議に政府・与党はきちんと応じるべきですし、これが実現した後は早急に修正協議に入り、一刻も早く基本法を成立させるのが政治の責任であるように私は思います。
 不信任案提出の時期については総裁をはじめとする最高幹部の高度な政治判断に委ねるべきものであり、我々政務調査会が口を挟むべきではありませんが、国民の意識とあまりに乖離した判断は厳に慎まなくてはなりません。
 不信任の理由や提出時期につき、国民が納得するに足るものが必要ですし、仮に否決されたとしても、否決した方に批判が集まるようにしなくてはならず、これには相当の努力が必要です。

 海水注入の中断について政府の説明が二転三転しています。情報の伝達や共有についてのメカニズムが全く機能していないことに強い危機感を感じています。
 「不確かな情報に基づいて谷垣総裁が総理を攻撃したことは許せない」と民主党国対委員長が発言したそうですが、海水注入が継続していたことを政府が知らなかった方がよほど問題ではないか。それにしても「言った、言わない」で国会が混乱する様は実に異様です。

 週末は、土曜日が自民党三重県連大会にて講演(午後二時・ホテルグリーンパーク津)。
 日曜日は慶応義塾大学法学部新田ゼミナール0B会で講演の後、新田教授の喜寿をお祝いする会に出席する予定です。新田敏先生は所謂スター教授ではありませんでしたが、12人のゼミ生のレポートに毎週丁寧な講評をしていただき、法律的なものの考え方を徹底的に叩き込んでくださった(その割に私は出来がよくありませんね、自覚と反省。)本当に有り難い恩師でした。
 地元で当日党務もあるのですが、半年前から依頼されてもいましたし、教授に対する感謝の意味もあって、何卒私用をお許しくださいませ。

 皆様、よい週末をお過ごしください。

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2011年5月20日 (金)

復興基本法など

 石破 茂 です。
 昨日より復興基本法の質疑が始まりました。
 政府案と自民党案の二つが提出され、並行して審議が行われます。
 
 政府案と自民党案との基本的な相違は、復興にあたって新たに設けられる組織についての考え方です。
 自民党案が「企画・立案とともに復興事業の実施までを担う『復興再生院』をできるだけ早く作る、としているのに対し、政府案は「企画・立案・総合調整を行う『復興庁』の設置を一年を目途に検討する」こととしています。
 政府案は平成七年の阪神・淡路大震災の際に用いられた仕組みをそのまま踏襲していますが、被害が多くの県をまたがる形で広域にわたっていること、被災地域の多くが財政力の極めて脆弱な地方自治体であること、津波により生活再建の糧となる収入を得る職場が失われていること、原子力災害・電力不足というかつてない事象が同時進行していることなど、今回の災害は阪神・淡路大震災とは様相を全く異にしており、安易に阪神・大震災の仕組みをそのまま踏襲することは大きな誤りであると言わねばなりません。
 この種の法律は対決法案とすべきではなく、政府と自民党との間で可能な限りの修正作業が行われなくてはなりません。
 自民党案の提出者を代表して、本会議で趣旨説明を行いました。原稿をそのまま載せておきますので、ご覧下さいませ。

「1105182.doc」をダウンロード

 農水大臣の時以来、久しぶりに議場全体を見渡せる閣僚席に法案提出者として座りました。
 当時と今では当然のことながら景色が全く異なります。自民党全体よりも多い民主党の一期生はほとんど知らない顔ばかり。勿論中には優れた人もいるのでしょうが、経験も積まず、権力のなんたるかも知らない人たちが作った政権が今のような有り様となるのはむしろ当然のことであったのだ、と改めて実感したことでした。
 
 いつも申し上げることですが、このような事態を引き起こした責任の多くは我々自民党にあります。民主党が素晴らしいから政権交代が起こったのではなく、自民党が駄目だったので負けたというのがことの本質です。
 「子ども手当は二万六千円、高速道路も高校もタダ、農家が損をしたら所得補償、普天間基地は国外移設、最低でも県外移設」などという、国民を愚弄しきった小沢・鳩山両氏の責任が極めて重大であることは言うまでもありませんが。

 不信任案を出すべきだ、その決意が足りない、とのご指摘も多く戴きますが、ただ決意の表明として不信任案を出しさえすればそれでいいというものではありません。否決されれば内閣は信任されたことになってしまうのです。どのようにして過半数を確保するか、仮に小沢・鳩山両派と組んで可決したとして、その後の展開はどうなるのか、その構図が描けずして、ただ出せばいいとする立場には立てません。
 今月の文芸春秋にも書いておきましたが、極めて難しいことではあるけれど、菅内閣を支える立場に居る人々が呼応してくれなくては展望は開けない、と私は思います。
 小沢・鳩山両派が、中間派も巻き込んで不信任可決に必要な数を集めた、との怪情報が最近飛び交っていますが、相当に眉唾物です。
 
 与党でありながら不信任案に賛成するということがどれほど大変なことなのか、平成五年、宮沢内閣の不信任案に賛成した経験者である私は、あの時のことを終生忘れません。
 私は当時小沢・羽田派でもなんでもありませんでしたが、大議論の末に小選挙区制導入を党議決定し、幾度も国政選挙の公約においてこれを掲げたにもかかわらず、小選挙区法案をあっさりと葬り去ろうとした宮沢内閣を信任することだけはできない、と固く信じておりました。
 決意は揺るがなかったものの、正直怖くて怖くて、幾晩も寝られない夜が続きました。
 小選挙区制が本当に正しかったのか、現状を見ると反省することが多いのですが、それはともかくとして今の民主党の若手議員にそれだけの覚悟があるのか、私は甚だ懐疑的です。
 当時の自民党総務会長で、「小選挙区潰し」の中心人物であった佐藤孝行氏が逝去された、との報を聞き、暫しあの頃のことを思い出しました。

 西岡参院議長は、その平成五年、小沢・羽田派以外で宮沢内閣不信任案に賛成した、たった四人の中のお一人です。それだけにきわめて強い信念の持ち主で、今回の「菅辞めるべし」という発言にも重みがありますが、議長という任はどの政党に対しても公平な立場に立たねばならないことは当然です。
 西岡氏の発言は誠に正しいと思いますし、全面的に賛同しますが、果たして議長というお立場で言うべきことなのでしょうか。こんな時だから何でもありだ、正しければそれでいいのだ、という流れにはどうにも危うさが感じられてなりません。

 原発事故の賠償に関して、その構図をどうするかいまだ決着を見ていません。
 感情論は十分理解できるとして、この構図は永続性のあるものでなくてはなりません。
 長く政権を担い、原子力行政を推進してきた自民党の責任も含め、国の責任はどうなるのか。一義的な責任を負う私企業が、徹底したリストラを行うなどあらゆる方策を採るのは当然のことです。しかし、目的はあくまでも被害者の完全救済なのであり、そのための持続可能な方策を冷静に議論すべきです。
 そして、電力網のあり方、発電部門と送電部門の分離なども、この際真剣に論ぜられなくてはなりません。「非現実的」の一言で片づけられる状況ではなくなったのですから。

 週末、本日金曜日は千葉県鴨川市での自民党支部演説会(午後六時半・鴨川市民会館)。
 土曜日は終日青森県知事選挙街頭演説会。
 日曜日はTBS系での時事放談(午前六時・金曜日収録)、自民党滋賀県連定期大会(午後一時半・大津プリンスホテル)という日程です。
 
 いろいろなご批判を受ける立場であることは十分承知の上で、とにかく精一杯働くほかはありません。公職にある、というのはそういうことだと思っております。

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2011年5月13日 (金)

地方出張再開

 石破 茂 です。
 曜日感覚が完全に麻痺してしまい、連休があったことすらほとんど気が付きませんでしたが、何と今日は金曜日、週末の到来です。
 震災後しばらくは地方出張もなくなっていたのですが、今週末から再び県連大会や選挙応援、講演などの日程が立て込むようになり、来月初めまでは地元に帰ることも出来ません。私のような者を長く当選させてくださっている本当に有難い選挙区ではありますが、これに甘え過ぎてはいけないと自重自戒しております。
 党役員でいる間は党の用務を優先させることは当然ですが、降板したらきちんと丁寧に選挙区を回るとともに、改めて様々な文献を読みなおして頭の整理をしなくてはなりません。「これは知らない」「これは不得手だ」という分野を一つでも減らしていかなくてはなりませんし、もう残された時間はそう長くはないと焦燥感ばかりが募ります。

 今日金曜日は、これから東京都足立区での選挙応援。
 明日は自民党山口県連の女性部大会(午前十時・山口県湯田温泉・「かめ福」)。
 日曜日はテレビ朝日のサンデーフロントライン出演(午前十時)という日程です。

 復旧基本法の提出、第二次補正予算編成要求、東電賠償問題への対応など、来週も慌ただしい週になりそうです。

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2011年5月12日 (木)

今の政治の流れは

 石破 茂 です。

 しばらく更新を怠り、大変申し訳ありません。
 別に体調を崩したわけではありませんが、政調会長本来の仕事に加えて、被災地訪問、予算委員会での委員会質問、原稿の執筆、テレビ出演、インタビューへの対応、選挙応援や諸行事出席のための地方出張、都内での講演等々、能力を遥かに超える仕事を抱え込んでいるのに加え、政治に携わる者としてそのようなことは当然であるとは十分承知してはいながら、テレビ・新聞・雑誌などのマスコミ報道をそのまま鵜呑みにされたとしか思えない方のご意見・ご忠告などを聞いたり、目にしたりして、どうにもやりきれない思いに駆られていたこともまた事実ではあります。
 商業ジャーナリズムはまだしも、公共放送までもが明らかに間違った情報をきちんと検証もせずに報道するのはいかがなものなのでしょうか。
 最近私が復興構想会議への自民党の参加を断った、との報道がありましたが、私は党を代表して参加を断るような立場にもおりませんし、自民党がこれを断った場合の世論の評価には十分配意しているつもりです。誰がどのような意図でこれを流し、そしてこれがそのまま意図的に報道されるに至ったのはなぜなのか、考えるだけで憂鬱な気持ちになります。

 今の政治の流れは、本当に被災者第一のものなのか、我々はよく胸に手を当てて考えなくてはなりません。我々の動きは、被災者の思いとどこかが乖離しているのではないか。そしてその責めの多くは政策責任者たる私が負わねばならないのではないか。三日夜、避難所に一泊させていただき、切実な思いを聞かせていただきましたが、その思いを強く致しました。

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 昨夕から今朝まで、青森市で開催された全国建築板金業の全国大会に、議員連盟会長として出席し、このような時期に純粋に自民党を支持して下さる方々の思いに何としても応えたいと思いました。
 東北復興への願いを込めて、特別にねぶたの運行も行われましたが、久々に強いエネルギーをいただいたようで、とても嬉しく思ったことでした。

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