民主党代表選など
石破 茂 です。
民主党代表選挙は日々情勢が変わり、全く予断を許しません。あと一週間以内に新総理が決まり、新政権がスタートするということが何だか信じられないような気がしています。
それにしても、野田財務相を除くほとんどすべての候補者が小沢元代表に詣でているのは実に面妖な光景です。
これはまさしく今から丁度二十年前、経政会(竹下派)会長代行であった小沢一郎氏が海部総裁の後継を決めるにあたって総裁候補であった宮沢喜一、渡辺美智雄、三塚博の三氏を小沢氏の個人事務所で面接した光景を彷彿とさせ、デジャブそのものとしか言いようがありません。
小沢氏的には「呼びつけたのではなく、候補者たちが向こうから来たのだ」ということなのでしょうが、それなら行く方が尚更悪いのではないか。「政治とカネ」のけじめは一体どうなったのか、数さえ揃えばそれでいい、というのなら、民主党が悪しざまに非難し否定したかつての自民党の論理そのものではないのか。政治手法も、政策も異なるにもかかわらず、ただ小沢氏の配下にある票が欲しいというのは、国民の論理や感情からは大きくかけ離れています。
今回の代表選挙は日程の関係から一般の民主党員やサポーターによる投票は行われず、国会議員のみによる投票で決まるからこうなるのでしょうが、そうであるならなぜ一般党員も参加する選挙の実施を誰も主張しないのか、なぜ昨秋に続いて二回も国会議員だけの投票で済ませようとするのか、何故全国の民主党員が黙っているのか、不思議でなりません。
なにぶん他党のことなのでよくわかりませんし、おそらく今回のような場合には国会議員だけによる代表選出が認められているのでしょうが、いやしくも実質的に一国の総理を決める選挙が、政策についても、政治手法についても十分な議論もないままに行なわれようとしていることに強い違和感を覚えます。
これが決して国民政党ではない民主党の本質であって、ポスト安倍、ポスト福田の際の自民党においては、似たような状況であってもこのようなことはありませんでした。
今日の報道によれば、小沢氏は前原氏を支持しない方針を決めた由。前原氏の言う「挙党一致」と「挙党体制」は違う、前原氏では日本は終わってしまう、と語ったと伝えられますが、要は前原氏では自分の息のかかった者を幹事長にして、選挙と資金を一手に仕切ることは難しいと小沢氏は判断したのでしょう。その意味では、前原氏の小沢氏訪問は極めて残念でしたが、小沢氏の判断自体は実にわかりやすい。
こうなると後は、細かい点を一切捨象して言えば、前原氏を中心とする「マニフェスト修正、日米同盟重視の世代交代派」と小沢・鳩山氏を中心とする「マニフェスト堅持、東アジア共同体重視の旧体制維持派」との戦いになるのでしょう。
昨秋の代表選とほとんど同じ構図ですが、自民党の全衆院議員よりも多い民主党の当選一回生たちが、昨年と異なりどんなに長くても総選挙まであと二年となった今、最優先の判断基準である自分の当落を念頭にどう動くのか、ここが読めません。
どちらが勝つにせよ、民主党として一体で首班指名に臨んでもその政権は極めて弱体となることは確実です。政策も政治手法も異なる者たちが一つの政党を維持していること自体にそもそも無理があるのですが、これが日本にとって極めて不幸であることに気付かなくてはなりません。いや、気づいている者は多くいるのでしょうが、民主党はその役割を終えたのであり、解党することによって理念に基づく政界再編の幕を開くのだと具体的な行動に移さなくてはなりません。
代表選出とそれに続く首班指名においてどのような選択をするべきか、我が自民党も同時に問われます。
マニフェスト堅持派が勝てば恐らく三党合意もすべてご破算になるのでしょうし、全面対決となります。修正派が勝てば、今までの経緯から見ても当然政策協議を行うことになるのでしょうが、いずれにしても敗れた側がそのまま党に留まるかどうかも含めて、全く予測がつきません。
小沢氏か否か、という不毛の争いにはもうここで決着をつけなくてはなりません。政策も、政治手法も全く異なる小沢氏、鳩山氏、そしてその流れをくむ勢力とはとは何があっても一緒にやることは無い、そのスタンスを自民党は絶対に堅持しなくてはならないのです。
初めてお読みになる方のために改めて書いておきますが、私は小沢氏の「自衛隊のイラク派遣やインド洋派遣は憲法違反である」「在日米軍は第七艦隊さえあればよい」「自衛隊を国連に御親兵として差し出すことによって、憲法九条の『国際紛争を解決する手段』との条項はクリアできる」などという世界観・憲法観・国連観には全く賛同できません。また、同氏が主導した「子ども手当は中学生まで一人一律二万六千円、高速は全国無料化、高校は無償化、農家には戸別所得補償」という一連の社会主義的政策にも全く賛同しません。
一昨年の中国副主席の来日の際に、「天皇陛下の行動は内閣の助言と承認に基づくものであり、内閣に従うのが当然だ」などと言った彼の言動は許し難いものだと今でも思っております。
鳩山氏の政策に至っては論評する気すらありません。母堂から受け取った資金の使途について国会で説明すると明言したにもかかわらず無視を決め込み、総理を辞めたら国会議員も辞めると言った前言をあっさりと翻すような人物に、代表選における協力を要請するような人を、私は政治家として全く評価致しません。
二十一、二十二日と第七回北京・東京フォーラムに出席のため訪中して参りました。
安保分野や全体会議で基調スピーチをし、討論もしてきましたが、中国側の反応は概して言えば「冷戦が終わったのになぜ日米同盟重視なのか、何故中国を仮想敵国とするのか、何故中国が航空母艦を保有することを非難するのか」といったもので、やや呆れてしまったというのが実感です。
今も昔も、このような会議では中国側の人は我々日本側に向けて話すというより、同席している他の中国の出席者に対して「自分は共産党の政策にいかに忠実か」ということを示すために演説しているので致し方ない面もあるのですが、それにしても今回は少し酷かったように思いました。
国際環境が多様化、複雑化したのが冷戦後の世界なのであって、信頼できる同盟の重要性が増すのは至極当然であり、テロの時代となったことにより、確実な情報を入手する緊要性が格段に高まっていることに鑑みれば尚更のことです。
日本国として中国を仮想敵国と言ったことはありませんが、脅威が「侵攻する能力と意図の積」である以上、国土防衛を越えて十分に対外侵攻能力を持ち、国家意思決定過程が我が国とは異なって不明の点が多い中国を意識すべきことは、能力ベースアプローチの観点からこれまた至極当然です。
経済相互依存が高まっていることは紛争の危険を軽減するものですし、十四の国・地域と接している中国が紛争を起こす蓋然性も、それによって得られる利益も低いことは十分に承知の上ですが、紛争は常に思わぬきっかけによって生起するものであることを決して忘れてはなりません。
航空母艦の保有は中国人民解放軍の多年にわたる念願であり、既に1985年にオーストラリアからスクラップとして買い取った「メルボルン」を徹底的に研究したことからもそれは明らかです(しかし航空母艦の保有は中国の最新版国防白書には何の記載もなされておりません。私がこの不透明性を指摘しても、中国側は誰も何も答えませんでした)。
1982年のフォークランド紛争において、英国の「インビンシブル」型が大きな役割を果たしたことに学び、対台湾戦略をまず念頭に置いた配備であるように思われます。
軽視も侮りもしませんが、空母機動部隊としての具体的な運用実績を持たない旧ソ連海軍を手本としていることに加え、「ワリャーグ」型はかなり大型ではあっても、スチームカタパルトを持たない以上、その能力には限界があります。
今後の動向には十分注意が必要であることは勿論ですが、これを直ちに重大な脅威として認識することには誤りがあるものと思われます。
二十七日土曜日は、関西鳥取県ファンの集い(午前十一時半・リーガロイヤルホテル)。
二十八日日曜日は地元で恒例の撰果場廻りと、勝手連である「どんどろけの会」の会合出席のため地元に帰ります。
今日の東京は午後から大変な雷雨となりました。
そういえば小泉内閣、福田内閣、麻生内閣、いずれの内閣も組閣の日は大嵐だったように記憶しています。政治が動くときは天も荒れるのかもしれません。
皆様お元気で週末をお過ごしくださいませ。
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