« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »

2011年9月30日 (金)

政調会長退任

 石破 茂 です。

 既に報道でご承知のことと思いますが、本日、任期満了に伴う自民党役員人事が行われ、政務調査会長を退任いたしました。二期二年間、様々なご支援、ご叱正、誠に有り難うございました。

 二期二年間、ではありますが、私にとりましては四年前の福田内閣防衛大臣拝命以来、自民党総裁選挙出馬、農水大臣、二年間の政調会長と全力疾走の四年間でした。正直、肩の荷を降ろしたような気持ちです。
 全力疾走の四年間であり、充電より放電ばかりの四年間でした。防衛も農水も一通りの知識は持っていたつもりですが、様々な新しい文献や権威ある論文に目を十分通す暇がなく、その場をいかにして凌ぐかという発想が優先していましたし、政調会長としていくつも新しい分野を勉強する機会に恵まれましたが、勉強すればするほど各分野の奥深さや、先輩、同僚議員の知識の豊富さを思い知らされる日々でした。
 参議院選挙、統一地方選挙、下野した自民党の立て直しなどに忙殺されて、体系立てて学ぶ余裕もありませんでした、とは言い訳にすぎません。

 久々に与えられた時間をいかに有効に活用するか、よく考えたいと思っております。妻と数日だけでも旅に行きたい、身体もきちんと管理したい、本も書きたい、論文も読み直したい…再びなんらかの役職に就くことがあるとすれば、その時は今よりは内容が深くて広い自分でありたいと願っております。

 政調会長の任に対しまして、様々なお立場からご支援いただいた全ての皆さま、本当にありがとうございました。ここに重ねて厚く御礼申し上げます。

 尚、当然のことながら当ブログは引き続き書かせていただきたいと思っております。改めまして、よろしくお願いいたします。

 週末は選挙区へ帰ります。秋の運動会などなど、地元の時間も大切にしたいと思っております。
 皆様お元気で週末をお過ごしくださいませ。

| | コメント (207) | トラックバック (0)

2011年9月27日 (火)

予算委員会

 石破 茂 です。

 予算委員会における私の質疑が終わりました。
 初顔合わせ、というのはもともと疲れるものなのですが、今回は鳩山・菅の前二人に比べてもう少し有意義で噛み合った議論ができることを期待していただけに、疲労感を一層強く感じたことでした。
 野田佳彦氏はかなりまっとうな保守政治家である、と今も思っておりますが、民主党代表になった瞬間に大きく変質してしまったようです。表紙は変わっても民主党の本質はまったく変わらないのだな、という、当たり前といえば当たり前のことをつくづくと実感いたしました。
 理念のまったく一致しない政治家の選挙互助会的集まりである民主党によって構成される政権は、間違いなく国を危うくします。しかし、自民党がそれに取って代わるだけの信任を国民から得ていないことこそが問題なのであって、二年間にわたる政策責任者としての非力をお詫びしなくてはなりません。

 それにしても、今日の与党席一年生からの野次はことのほか酷かった。不勉強、不見識の極みというべきものであって、二年も議員を務めていながらこの程度なのかとあきれかえる他はありません。このような人たちはなんとしても次の選挙でたたき落とさなくてはなりません。

 小沢氏の問題についての質疑が急に増えたため、質問の構成が相当変わってしまいましたが、本来質問するはずであった原稿案を載せておきますので、ご関心のある方はどうぞご高覧下さいませ。


「2309275.doc」をダウンロード

| | コメント (141) | トラックバック (0)

2011年9月22日 (木)

コメント御礼など

 石破 茂 です。
 
 改めて、この欄をご覧下さっている皆様、いつも有り難うございます。また、コメントをお寄せ頂いている皆様にも厚く御礼申し上げます。
 コメントにはすべて私自身が目を通しており、秘書任せということはございません。
 「わかって頂いている!」と嬉しくなることもあれば、「あの発言はこのように受け取られるものなのか」と反省することもあり、私にとっては大変貴重なコメント欄です。みんな真剣に書いているのだから、一方通行ではなくコメントにきちんと回答すべきだ、とのご指摘にはただただ恐縮するばかりです。もう少し時間に余裕があればなあ、というのは言い訳にしか過ぎないこともよく承知いたしており、なるべくご要望に沿いたいと思います。

 誤解なさっておられる方も多いようですが、子ども手当はただ廃止になるのではなく、かつての児童手当が拡充された形で復活するものです。高額所得者に対しても同じ額の手当を支払うことをやめると同時に、子育ての負担の多い世帯には金額も、対象範囲も拡大されます。

 小林よしのり氏の私への批判に対しては、同じ「SAPIO」の私のインタビュー記事をご高覧下さい。これは相当に複雑な問題です。

 高校無償化についてはこの継続に賛成の意見が多いようですが、思想的には子ども手当と全く同じものであり、改善が必要だと考えております。
 「授業料の未納を理由とする中退者が減った」ことを無償化の大きな成果として評価する向きもありますが、問題はその教育の内容なのです。きちんと高校に通い、高等教育を身につける環境が改善されたかどうかこそが問われるべきなのであって、単に卒業証書を手にするだけならほとんど意味の無い数字合わせにしか過ぎないのではないか、と思われてなりません。
 あくまで比較の問題ですが、高校に子供を通わせる世帯(世代)は富裕層の割合が子ども手当受給世帯よりは多いはずであり、そこまで無償化する必要性は乏しいのではないでしょうか。その財源は本当に困窮されておられる世帯へのもっと手厚い支援に向けられるべきであり、具体的には奨学金制度の拡充や学費以外の教材費への支援などが挙げられましょう。

 今週は総理訪米のため、国会は完全にストップしてしまいました。
 総理や外相が不在でも他の大臣たちは日本に居て普通に執務しているのですから、国会審議を行わない理由が全く分かりません。与党による審議拒否、という奇妙な事態となっていますが、一体何のために国会を延長したのか。
 来週衆・参で予算委員会を開催すれば残り会期は一日しかなく、前国会末に与党が約束した二重ローン救済法案や国会に原発事故調査委員会を設置する法案の成立もほとんど不可能になります。
 「閣僚が第三次補正予算や来年度予算の概算要求の作業に専念するため」というのが表向きの理由のようですが、閣僚自身が直接そのような作業に携わるはずもありませんし、要は下手に審議に応じて野党にボロを暴かれてはたまらないというのが本当のところなのでしょう。何とも情けない内閣ではあります。

 報道諸兄諸姉からの最近のご質問は決まって「与野党協議機関の設置についてどのように考えるか」「自民党人事についての考えは」の二点です。
 与野党は真摯に協議し、震災・大津波からの復興や円高対策、エネルギー政策などの喫緊の課題に迅速に対応するのは当然ですが、法案も予算案も国会に提出される前に既に民主・自民・公明の三党で話がついているとするなら、国会の審議は全く形式だけのものとなってしまうのではないか。各党協議、という形はあくまでイレギュラーなもので、協議の過程が国民に見えるものでも、議事録が残るものでもありません。法案も予算案も共同で作るのなら、それはもう「閣外協力という形の与党」以外の何物でもないのであって、そのような方針は自民党として一度も決めてはおりません。
 主権者たる国民が直接見ることのできる開かれた国会審議の場をあまり軽視すべきではありません。
 有事法制の審議がそうであったように、委員会で法案を審議し、問題点を明らかにした上で与野党間の詰めた議論を行い、最終的に民主党も賛成する形で成立させることはいくらでも可能なのであり、与野党協議機関の常態化には慎重にならざるを得ません。

 人事についてはただ一人の決定権者である谷垣総裁の決定にすべての党員が従う、という以外何もありません。二年間の谷垣体制は、単なる年功序列主義や派閥均衡を排し、それなりの成果を挙げてきたと思っております。総裁任期は三年と定められており、一期目の最後の一年となるにあたり、総裁がご自身の判断によって決められる人事に不平不満を言ってはなりません。私のポストを巡ってもあれこれ取り沙汰されておりますが、その時与えられた状況を常に最善と思い、可能な限りの努力をしたいと思っております。

 23日(秋分の日)はTBS時事放談収録(午前9時半・浜矩子同志社大学教授との対談・25日午前六時、一部地域は午前五時半放映)、東大阪市での時局講演(午後7時・北宮小学校)。
 24日土曜日は地元での諸会合やお彼岸の墓参りの後、27年続いている地元勝手連「どんどろけの会」の定期総会(午後7時・ジャパンズ・鳥取市弥生町)。
 25日日曜日はフジテレビ新報道2001で前原氏との対談(午前七時半・生放送)、NHK日曜討論で各党政策責任者による討論(午前9時・生放送)という日程です。
 土曜から日曜にかけては夜行特急サンライズ出雲を使って移動するかなりスリリングな(?)スケジュールです。残余の時間は月曜からの予算委員会質疑の準備に充てる予定です。

 台風一過、東京は爽やかな秋晴れとなりました。台風で被災された地域にお見舞いを申し上げます。
 三連休の方もおられるのでしょう、よい週末をお過ごしくださいませ。

| | コメント (146) | トラックバック (0)

2011年9月16日 (金)

命日

 石破 茂 です。

 今日は亡父の命日です。昭和五十六年(1981年)でしたから丁度三十年になります。
 当時私は24歳の三井銀行員でした。前日の敬老の日(当時はこの日が休日でした)に鳥取県立中央病院に見舞ったとき、「まだいたのか、仕事はどうした」と問われ、「何とかやっている」と答えたところ、「早く行け」と言われたのが父と交わした最後の会話でした。
 翌朝夜行特急で東京駅に着いた時父の危篤を知らされ、羽田からプロペラ機で取って返した時には既に物言わぬ人になっていました。あの日も空は晴れ渡り、残暑の厳しい日でした。
 近頃時々父の夢を見るのは、それだけ私が年齢を重ねた所為でしょうか。同じ政治の道を歩んではいますが、いつかも記したように、思慮深さも、先見性も、決断力も、人に対する思い遣りも遥かに及ばない自分を顧みるとき、つくづくと自分の至らなさを痛感し、何ともやりきれない思いにかられます。

 国会は結局今月末まで延長になりました。
 当初設定した会期が僅か四日間というのがそもそもふざけた話で、平野民主党国対委員長が「会期が短いのは不完全な内閣なので閣僚が国会答弁が出来ないためである」などと言うに至っては、呆れ返る他はありません。正直でよろしい、という話ではなく、そのような内閣を持った国民の立場にもなってみろと言いたくもなります。

 来週は総理が国連総会出席のため、予算委員会は再来週に開催される予定です。そうなると会期はもう残り数日しかなく、二重ローン法案や原発事故調査委員会を国会に設置する法案等の成立はかなり危うくなります。臨時国会は二回まで会期の延長が可能なので、再延長を求めることになるように思われます。

 震災や原発事故対策、税と社会保障の一体改革などを議論するための民主・自民・公明の三党による協議機関の設置が民主党から要請されています。喫緊の課題に迅速に対処するために政府に協力することは当然とは思いますが、この協議機関が常態化することには相当の違和感を覚えます。
 予算も法律も国会に提出する前に事実上決着してしまうのなら国会は形骸化してしまいますし、民主党内では議論が噴出してとても結論が出ないため、「三党協議の場において自民・公明が納得しないので何とかこの方向で纏めてもらいたい」という民主党内説得の材料に利用されるのなら、民主党政権の延命に力を貸すことになってしまいます。

 結果的に民主党政権の延命になろうと、国家国民のために必要なら協議に応じるべきとの考え方の方が一般の国民の感覚に近いことはよくわかっています。しかし、この目的が「参議院のねじれ状態」を回避するためであることもまた明らかで、昨年自民党が「民主党の暴走を止めるために参議院でねじれ状態を作らせてもらいたい」と訴えたこととどう矛盾なく説明するのか、とても難しい問題に突き当たります。
 三次補正予算、場合によっては来年度予算編成にめどをつけるまでと期限を区切り、その後はなるべく早く国民の審判を仰ぐべく与野党合意が出来れば一番良いのですが、次の選挙が危ない議員を多く抱える野田総理にその決断は難しいようにも思われます。いずれにせよ、自民党の決断は早期になされなくてはなりません。

 週末は17日土曜日が動物臨床医学研究所創立20周年感謝の会(午後6時・都内)、NHKスペシャル「政権交代二年 有権者の声にどう応えるか」生放送(NHKスタジオ・午後9時)出演。
 18日日曜日が「サンデースクランブル」生放送出演(テレビ朝日・正午)、日本獣医生命科学大学130周年記念祝賀会(午後4時半・都内)という日程です。
 久しぶりに少し余裕のある週末になりそうです。
 皆様、お元気でお過ごしくださいませ。

| | コメント (83) | トラックバック (0)

2011年9月 9日 (金)

駄目比べから良さ比べへ

 石破 茂 です。
 
 TBSテレビ「ひるおび!」で何度か紹介された所為もあってか、当欄を初めてお読みいただく方、初めてコメントをお寄せいただく方が増えたように思います。誠に有難いことで、当然のことながら世の中にはいろいろな考えの方が居られることを改めて思い知らされます。
 
 自民党は批判ばかりするな!とのお叱りにはごもっともな面もありますが、批判するべきことを批判しなくては野党の存在意義はありません。様々な政策提言を行い、正しいことには賛成し、誤っていることには反対する、実に当たり前のことです。
 自民党の支持率が民主党に逆転されたという調査もいくつかありますが、基本的にはそれほど下がってはおりませんし、中には僅かながらも上昇したという調査もあります。熱心に政策を議論し、積み上げ、政府・与党に対して提言してきたという地道な努力を見るべき人はきちんと見ていて下さるということであり、決してその数が少なくないことにやや安堵感を感じております。
 これで慢心するつもりは毛頭ありませんが、この二年間、自民党が行ってきた政策提言を全く見ないまま一方的に批判なさる方々には、ぜひ自民党のホームページをご覧いただくようにお願いいたします。
 
 一川防衛相の「素人が大事なんだよ、それが本当のシビリアンコントロールというのだよ。国民の視線で自衛隊を監視するのが文民統制である」との発言が誤りであることに間違いはありません。
 当欄にお寄せいただいたコメントの中には、日本国憲法第66条(内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなくてはならない)の趣旨は総理大臣を含め大臣は(防衛上の)プロであってはならないというもので、防衛相の権限は人事権など内部部局に関する範囲に限られ、自衛隊実務は専ら統合幕僚長以下が所管する、との解説がありましたが、それこそ私が不勉強な所為か、私の知る限りいかなる憲法・防衛関連法の教科書、コンメンタールにもそのような記述があったとは承知しておりません。このような解釈をしている文献・学説、或いはこのような説を唱えておられる学者や実務家をご存じでしたら、後学の為にも是非ご教示くださいませ。
 
 民主主義的な文民統制の本質は、国民から選ばれた政治家(合議体たる内閣、その長であり最高の指揮監督権を有する内閣総理大臣、自衛隊法の定めに従い自衛隊の隊務を統括する防衛大臣)が、直接国民に対して責任を負える唯一の立場であるが故に、誤った統制を行えばその立場を失うという日本国憲法の最高原理である国民主権にこそ、その正当性が求められるべきものです。
 そこに「素人」という価値観が肯定的に入る余地は全くありません。「国民から選ばれた政治家が実力組織を統制する」との趣旨であり、「素人が統制する」という趣旨では全くないのです。

 防衛大臣には、外務大臣と共に内閣総理大臣の下で国際社会と地域の平和と安全のため、祖国の独立を維持するために安全保障政策を企画・立案・遂行することが求められます。
 その際最も必要とされるのは、我が自衛隊に法律面、装備面、運用面で「何が出来て、何が出来ないのか」を政治が正確に把握することです。「彼を知り、己を知れば百戦殆うからず」なのですが、これを裏返せば「敵も知らず、己も知らなければ百戦百敗」ということであって、これは平時においても全く同じことです。
 「戦争は単に一つの政治的行為であるのみならず、一つの政治的手段であり、政治的対外関係の継続(クラウゼヴィッツ)」なのです。大東亜戦争の敗因は、政治がそれを知らず、或いは知っていながらも国民に対してそれを覆い隠したことにこそあり、政治が軍事に対して素人(無知)であることがいかに恐ろしいかの一例です.
 
 そもそも憲法制定時には軍隊も自衛隊も存在していなかったのですし、憲法第9条第2項の「陸海空軍その他の戦力はこれを有しない」規定にもかかわらず、第9条第2項冒頭に「前項の目的を達するため」との文言を追加した所謂芦田修正と整合をとる形で「内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなければならない」という条文が極東委員会の要請を受ける形で挿入されたのは、将来日本が軍隊を保有することが想定されていたからだというのが定説です。あくまで現役の軍人が入ることを排除したものであって、その意味では「プロ」を排除したと言えなくもありませんが、「素人」を意識した条項ではありません。
 
 「大臣の権限は人事権など内部部局に関する事項に限られ、自衛隊の実務は専ら統合幕僚長以下が所管する」という考え方は、「軍政と軍令の分離」を強く意識した、まさしく「統帥権独立」的な考えであるように思われますが、この考えによって大日本帝国は敗北への道を歩んだのです。
 評価は様々であり、ここで詳しい言及は致しませんが、ミッドウェー作戦や沖縄特攻作戦(天号作戦)が誤っていると政治が判断しても、全く関与できなかったというのが歴史の事実です。条約派と艦隊派の争いで、条約遵守を唱えた条約派を「統帥権の干犯である」と無知な政治家と組んで批判した艦隊派がいかに国を誤ったかも想起されるべきでしょう。
 
 防衛庁長官や防衛大臣を務めていた時、多くの国際会議に出ましたが、「軍事に疎い国防大臣」など一人も居ませんでした。ちょうどイラク戦争終結後の対応を巡って大論争のあったころで、すべての出席大臣が国際法や安全保障環境に精通しており、侃侃諤々の議論が闘わされたものでした。
 軍隊は主に対外的な作用を果たすことがその本質なのであり、その長は素人にはとても務まらないとわが身の至らなさを実感したことでした。
 
 文民統制の概念も、「軍隊(実力組織)の暴走から国民を守る」という古典的な従来の考え方に加えて、近年「軍隊を用いて国民の利益を実現する」との考え方が強まりつつあります。
 いかなる組織や品物も、その能力や使い方を知らなければ結果は悲惨なことになりかねません。軍隊のみがその例外であるはずがありません。
 いつ、何が起こっても対応できる態勢を整えておくのが危機管理の要諦です。朝鮮半島有事は明日起こるかもわからず、いつ周辺事態と認定しなくてはならない事態が発生するかもわかりません。その時に「素人」が自衛隊を統制し、国民に責任を負いえない官僚や自衛官が実質的な権限を握ることの恐ろしさを考えたことがあるのでしょうか。

 野田総理が鳩山、菅という前二代の総理に比べて遥かにまともな人物であることを私は否定しません。
 しかし問題は民主党そのものにこそあり、いかにまともな人が総理になろうと基本的な問題は解決しないのではないかと危惧しています。
 野田氏は保守政治家を自認していますが、民主党が保守政党とはとても思えません。閣僚や党役員の顔ぶれを見ても、今までの言動からしてどう見ても思想が異なる人々が何人も居り、「とにかく党内融和と解散しないことが最優先」の布陣であることは明らかです。
 解散権は確かに総理にありますが、「解散しない」と宣言することは主権者たる国民の参政権の行使を奪うものに他なりません。民主党ならびに民主党議員の生き残りのための内閣であって、国家・国民のための内閣とはどうしても思えないのです。

 しかし我々も、ただ解散!解散!と叫ぶだけでは国民の広範な支持は得られず、かえって相手の術中に嵌ることになるような気がします。
 震災・大津波・原子力災害からの復旧・復興、円高対策などに自民党の知恵と力を惜しみなく使い、政府の過った点はきちんと糺し、「流石は自民党だ」と多くの国民に実感して頂くことが、結局は解散への早道になると私は思います。
 「駄目比べ」の時期は終わったのであり、「良さ比べ」の時期に入ったのだとの認識を持ちたいものです。

 週末は九日金曜日が岩手県知事選挙の支援、その後自民党秋田県参議院選挙区支部での講演(午後六時・秋田キャッスルホテル)。
 十日土曜日はBS朝日で前原政調会長との討論収録(激論クロスファイアー・同日午前十時放映)、その後BSジャパンで勝間和代氏との対談収録(勝間和代のデキビジ・翌十一日午後十時放映)。
 十一日は地元での台風災害見舞、という日程です。
 秋田からの帰りは今のところ僅かに残っているブルートレインのひとつ、特急「あけぼの」!!
 どうか予定変更となりませんように…。

 和歌山、奈良、三重をはじめとする被災地の皆様に心からお見舞い申し上げます。
 復旧・復興に力を尽くすべく、8日に官邸に赴いて藤村官房長官に早期の激甚災害指定や法改正、予算対応の申し入れを行ってきました。
 皆様、お元気で週末をお過ごしくださいませ。

| | コメント (193) | トラックバック (0)

2011年9月 2日 (金)

野田新内閣

 石破 茂 です。
 野田佳彦氏が衆参両院において首班指名を受け、新内閣発足となりました。

 民主党代表選はかなり意外な展開となりましたが、流石に小鳩体制ではもはや民主党も、自分自身の選挙も危ないという危機感が多くの民主党議員に働いたのかもしれません。そこには「国家をどうするのか」という動機はほとんどなかったように思われます。 
 あまり批判ばかりしたくはないのですが、投票前に行なわれた五人の候補の政権演説を聞いていて、強烈な違和感を覚えました。1人15分というかなり長い時間が与えられていたにもかかわらず、ほとんどの候補者が「私が政治家を志した理由」「私の生き様」「私の尊敬する人」といった中学生の弁論大会のような話に終始し、政策的な所見、就中、外交・安全保障、憲法について語る者も、なぜ民主党政権が2代にわたって失態を繰り返し、国民の信頼を失ったかについて分析する者も、民主党において未だに制定されていない党綱領の必要性に触れた者も居らず、最後は決まって「政権交代の原点に立ち返り、挙党一致を目指す」と締め括っていたのを聞いて、やはりこの党は駄目だ、との感を強く致しました。
 民主党の若い議員たちにはあのような話が受けるのだそうで、新聞で報道されていた「野田氏の話を聞いてジーンときた。思わず一票入れそうになった」との小鳩派海江田支持議員のコメントを読んで、本当にこの人たちは国会議員なのか、怒りにも似た思いがしたことでした。

 野田新総理とは同い年でもあるのですが、今までほとんど接点がなく、論評するだけの知識を持っておりません。
 信条的には明らかに保守の系譜に属する人であり、今まで本人が書かれたものを読む限り、価値観をかなり共有しているようにも思われますが、輿石氏を幹事長に起用した人事などを見る限り民主党の融和が優先順位の第一であるようで、相当に疑問なしとしません。
 前原新政調会長は長い友人でもあり、個人的に信頼も致しておりますが、右から左まで極端に幅広いあの民主党をどう纏めていくのか、注目しています。外国人からの献金問題や八ツ場ダム・JAL・尖閣漁船衝突事件などの際の対応など、幾多の批判に正面から答えた上で、いい仕事をして貰いたいものです。

 昨日民主党新執行部との初顔合わせがあり、三党合意を順守する旨の申し出がありましたが、代表選挙の際には「新体制になればこれを白紙に戻すこともあり得る」などと発言した海江田氏を支持していた人も新執行部には多く居り、言葉だけではとても信用できません。
 民主党内で合意内容をきちんと説明した上で、順守するという正式の意思決定をして貰わなくては、新総理と谷垣総裁との会談を行っても全く意味がありませんので、その旨申し上げて持ち帰っていただきました。

 悪夢のようであった菅内閣がやっと終わりました。
 菅内閣の方が自民党にとっては選挙がやりやすかったのに、との声も一部にありますが、国益、というより国家の存亡を考えれば、市民運動家出身(そのこと自体が悪いわけではありませんが)である菅総理を何としても一刻も早く退陣に追い込むことが必要でした。
 菅内閣の間、お寄せいただくコメントの中には最後まで「管内閣」「管総理」とされていた方が多くいらっしゃいましたが、正しくは勿論「菅内閣」「菅総理」です。最後まで名前の表記も正確に覚えて貰えなかった菅さんが少し可哀そうに思えたりもしますが、まあこれも自業自得というものでしょう。
 
 菅内閣が継続した場合に比べて、解散が遠のいたことは確かに否定できません。鳩山、菅両氏とは異なり、「野田どじょう総理」はとにかく低姿勢に徹して、現実的な対応を第一とするでしょうし、国民世論も当面新内閣を見守ろうとの傾向が続くものと思われます。
 自民党としては当面震災復興、原発事故対応、円高対策を主眼とする第三次補正予算を三党合意の趣旨を生かしつつ成立させるべく協力することは当然ですし、連続性のある平成二十四年度予算の編成まではこれが続くように思います。

 しかし野田新総理の「私はこの風貌だから人気が出ないので、当分解散はありません」という発言は、その人柄からかあまり反発がありませんでしたが、看過しがたいものがあります。「人気が出ないため民主党は勝てないので解散はしない」というのでは、民主党の存続しか考えていないとしか思われません。「復興に道筋がついた段階で敢えて信を問い、国民の信任を受けたい」と言うべきだったのです。

 新内閣の顔ぶれを見ても、玄葉外相のように個人的に大いに期待する人もいますが、総体的に人材払底、経験不足、派閥順送り、論功行賞の感が否めません。特に山岡国家公安委員長兼拉致問題担当大臣の起用は、ついにやってしまったか、そこまで小沢元代表に配慮するのか、と思わざるを得ませんし、安住財務相や一川防衛相が財務畑・防衛畑に精通しているという話も聞いたことがありませんし、小宮山厚労相は子ども手当絶対堅持派ですし、これで本当に大丈夫なのでしょうか。
 野田総理に言わせれば「だから101回でも大連立のプロポーズをしたいと言っているではありませんか」ということなのかもしれませんが、何度も申しあげますように、国民の審判を経ない連立の組み替えなど、あってはならないことです。

 昨日、菅前総理が退任間際のどさくさにまぎれて指示した朝鮮学校無償化の手続き再開に対する抗議の申し入れに官邸に行ってきました。
 総理も官房長官も対応せず、結局福山副長官に抗議の決議文を手渡すことになりましたが、朝鮮総連の傘下にあり、反日思想教育を目的とする朝鮮学校になぜ国民の血税が使われなくてはならないのか、手続きを中断した理由は昨年の韓国に向けての砲撃事件だったはずですが、それが砲撃以前の状態に戻ったなどと誰がいかなる根拠に基づいて判断をして再開を決めたのか、政策判断としても手続き論としても全く誤っています。
 菅総理は最後まで菅総理だったな、というのが最後の印象でした。

 民主党の陣容もほぼ出揃い、そろそろ自民党も定例の役員人事が行われます。すべては谷垣総裁のご判断であり、党員たる者いかなる決定にも従うのが当然です。どのような立場にあっても、それが自分にとって一番いい機会を与えられたのだと思い、全力を尽くさなくてはなりません。

 週末は三日土曜日が「ウェークアップ!ぷらす」生出演(午前八時・読売テレビ)、倉敷駅前街頭演説(午前十二時半)、橋本岳前代議士水島地区後援会発足式(午後一時半・環境交流スクエア)、豊洲地区橋本後援会集会(午後三時・いこいの家)など。
 四日日曜日は「時事放談」(午前六時・TBSテレビ、収録)、谷公一代議士時局講演会(午後一時・三田新阪急ホテル)、谷公一後援会ふれあい会(午後三時・同所)という日程です。

 都心は厳しい残暑が続いておりますが、台風接近により全国的に大荒れの週末となりそうです。週末日程も台風直撃コースにあたっており、どうなるのかわかりませんね…。
 皆様、お気をつけてお過ごしくださいませ。

| | コメント (214) | トラックバック (0)

« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »