小沢元代表一審判決など
石破 茂 です。
小沢元代表の一審判決の判決文を読んで、少しでも刑法総論を学んだ者が思うのは「なぜこれで共謀共同正犯が成立しないのか」ということでしょう。
判決は「被告(小沢元代表)は簿外処理などについて石川議員(元秘書)から報告を受けて了承していたと認められることや、被告と秘書との関係等を総合すると、被告の共謀共同正犯の成立を疑うことには相応の根拠がある」としながらも、「しかし、四億円の簿外処理などが違法とされる根拠となる具体的事情については報告、了承がなく、被告が事情を認識していなかった可能性がある」「被告が四億円を借入金として収入計上する必要性や16年分の収支報告書に計上する必要があると認識していなかった可能性を否定することができない」とした上で、「これらの認識は共謀共同正犯としての故意責任を問ううえで必要なもので、法的に刑事責任を問うことはできない」「被告の故意及び実行犯との間の共謀について証明が十分ではないため、無罪の言い渡しをする」と結論づけています。
判決要旨をそのまま引用して恐縮ですが、正確を期すためご容赦ください。
「被告の共謀共同正犯の成立を疑うことには相応の根拠がある」「共謀について証明が十分ではない」。本判決のポイントはこの部分に尽きます。
共謀共同正犯、とは、共同実行の意思の形成過程にのみ参加し、実行行為自体には参加しなかった者も、単なる教唆犯ではなく共同して犯罪を実行した共同正犯とする、という考え方で、日本においては通説としてほぼ確立しています。
犯罪計画を立案する際、中心的な役割を果たす者こそ、実際に手を下していないとはいえ正犯として罰せられるべきである、とするもので、学生の頃、暴力団の親分と子分の例を引いて習った記憶があります。親分が子分に「お前、あの野郎を殺して来い」と命令するとき、親分自身は殺人行為を実行していなくても、実行した子分と共に殺人罪の共同正犯となるというものです。
小沢氏と秘書たちはまさしくこの親分と子分の関係だったのでしょうし、細かなことに極めて神経質なことで知られる小沢氏の了承なしに四億円もの金額の政治資金報告書への虚偽記載が行われるなどということはまずありえないことです。実際、判決は「多岐にわたる複数事実が存在し、四億円の簿外処理の方針を秘書から報告を受け、了承していたことを強く推認させる」と述べています。
しかし「これが違法である」という説明が秘書からはなされず、小沢氏が違法性の認識を欠いていた可能性が否定できないため、故意責任が問えない、としているのですが、政治資金報告書に真実を記載することの必要性を認識していなかったとすればそのことこそが問題なのではないでしょうか。
百万とか二百万とかの金額ではありませんし(それでも問題ですが)、それは小沢氏の政治力の源泉であったのです。
ご自身が政治改革を強く訴えていた時に著した「日本改造計画」の中で「政治資金をめぐる一番の問題は、政治資金が巨額である半面、その流れが著しく不透明であることから、政治家が私腹を肥やしたり、公正であるべき政策決定がカネで歪められているのではないかと疑念を持たれていることである」としたうえで「どうすれば国民の不信を解消することができるか。まず政治資金の出入りを一円に至るまで全面的に公開し、流れを完全に透明にすることである。それによって政治家が不正を働く余地も、国民が不信を抱く余地も全くなくしてしまう」「政治家の政治資金団体を一つに限り、政治活動にかかわるあらゆる資金はそこを通じてのみ受領、支出し、一年ごとに全面公開する。これだと、公私の区別のはっきりしないドンブリ勘定も、政策決定などに絡んだカネのやり取りもできなくなる。政治家にとっては全面公開は潔白証明書となる」(日本改造計画71~72ページ)と論じています。
このように立派なことを唱える人が虚偽記載の違法性を認識していなかったとはとても考えられません。
これだけ強い意識を持っていながら「私の関心は天下国家」であり「政治資金報告書など一度も見たことがない」などと嘯く小沢一郎という人は一体どういう人格の持ち主なのか。日本改造計画に書いたことは全くの嘘であったのか、あるいはまったく別の人が書き、単に名前を貸しただけのことなのか。
嘘つきと愚か者はそうであるが故に罪に問われないとするなら、裁判の意義とは一体何なのでしょう。 裁判官の悔しさが伝わってくるような判決文です。
若いころ、一時期小沢氏と行動を共にした私は「田中元総理、金丸元副総裁の失脚の経緯をずっと見てきた小沢氏であるからこそ、政治改革、政治浄化の必要性を誰よりも認識しているのだ」と思っておりました。それが全くの虚偽であったことをここまで見せつけられると、当時の自分の甘さが悔やまれてなりません。
それでもまだ私は多くの人のおかげで議会に籍を置いておりますが、小沢氏を信じて政治改革運動に身を投じ、議席を失った者、失意と不遇のうちにこの世を去った者の無念さを思うとき、小沢氏並びに小沢氏的なるものとの戦いに妥協があってはならないと信じるのです。
「私の関心は天下国家」、ではいったいどのような天下国家を語り、実現したというのでしょうか。
「野田内閣はマニフェストに反している、政権交代の原点に戻ってマニフェストに忠実な民主党であるべきだ」とも語っていますが、そもそもそのマニフェストが政権を取りたいがための荒唐無稽のものであったことこそが今日の混乱の原因なのであり、その反省が全くないままにこの期に及んで何を言うのか。
在日米軍は第七艦隊さえあればよい、インド洋補給活動は憲法違反だ、普天間基地の移設先は国外だ、天皇陛下のご日程は内閣の思うままだ、など常軌を逸した発言がどれほど日本国を誤ったことか。
「これで小沢総理を実現できる」と燥いでいる小沢ボーイズ、ガールズやお追従衆もいるようですが、このような者たちこそ国民が落選させなくてはなりません。「政治は数、数は力、力はカネ」という悪しき構図を打ち破るには、結局国民の審判による他はないのです。
明日から大型連休に入ります。今年は外遊も入れず、地元での行事や東京でのどうしても外せない日程以外はできるだけ落ち着いて物事を考える時間に充てたいと思っております。
本日27日は渡嘉敷前代議士の国政報告会で講演(午後6時半・吹田市文化会館・吹田市泉町)。
28日は読売テレビ「あさパラ!」出演(午前9時半)、智頭町自民党国政報告会(午後5時半・智頭町総合センター)。 5月4日金曜日がTBS時事放談収録(片山前総務大臣との対談・午後5時・放映は6日午前六時・一部地域別時間)という日程です。
よい連休をお過ごしくださいませ。
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