田中美智太郎氏、選挙制度など
石破 茂 です。
昨日国会内において、高校生たちによる政治に関する討論会が行われ、他党の代表とともに冒頭挨拶をしてまいりました。
私の高校生時代は70年安保も終わって政治の季節も過ぎ去った頃で、このような催しに参加することなど考えられなかったことでしたが、全国から集まった多くの高校生たちに接し、時代の変化を強く感じたことでした。
挨拶の中で私は田中美知太郎氏の講演集「人間であること」(文芸春秋刊)の中の次の一節を紹介しました。
「日本では主権在民などと言いますが、一向に主権在民ではない。いわゆる市民というものは主権者になり、国家全体のことを考え、みんなのために政治を本当に考える立場にあるのに、『こうしてくれ』とか『ああしてくれ』とかわあわあ騒ぐだけです。『生活が苦しい』とか『月給を上げろ』とかそんなことばかり言っている。こんなことを言うのは決して主権者ではない。これは…してもらう方ですから、臣下臣民、サブジェクト、家来の立場です。人民が主権者であるならば、自分がもし国家の立場に立ったらどうするか、ということを絶えず考えなければならない」
相当に刺激的な言葉ですし、強い反発を買うことも必至ですが、ことの本質を突いていることもまた確かです。「自分の考えだけが正しい」「それが容れられないのは○○が悪い」などという議論が最近あまりにも多く、結果結論が何も見出されないままに時間だけが無為に過ぎていくように思われます。特に選挙制度とか、選挙協力とか、個々の利害が鮮明に出る場合にこれが顕著です。
各地の高裁で先の総選挙の違憲、或いはいくつかの無効判決が出されています。
憲法上の要請は「一票の格差を二倍以内に収めよ」ということにあるのであって、何にもましてこの違憲状態の解消が最優先されなくてはなりません。
みのもんた氏風に「とにかく議員を減らしさえすればよいのだ!」というような議論は極めて危ういものを含んでおり、議員を減らすことと憲法の要請を満たすことは全く別の議論であるにも拘らず、世論受けを狙ってか、この二つを混同していることが最大の問題です。「こんなことも決められないのか」という批判をされる向きには、まず優先順位が何であるのかについてよくお考えいただきたいものです。
週末は、土曜日が神奈川県内遊説。
日曜日はNHK「日曜討論」に出演した後、滋賀、兵庫を廻ります。
とにかくゆっくり物事を考えたり、少しだけでいいから自分の自由になる時間が欲しいと思います。
たまに労いのコメントを頂くと、とても嬉しいのはやはり甘えというものなのでしょうか。
お元気でお過ごしくださいませ。
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