地方自治のあり方など
石破 茂 です。
統一地方選挙後半戦である市区町村長選、議員選において、無投票当選が過去最高を記録し、これについて「民主主義の危機」的な報道が多く見られます。
その原因として「議員報酬の低さ」が指摘されていますが、つい何年か前まで「議員の報酬は高すぎる!」と批判して報酬の引き下げを主張し、地方議員年金の廃止の実現に努力していたのも一つの「民意」ではなかったでしょうか。
議員はボランティアでやればよい、とのご主張は一見もっともらしく、完全に否定はしませんが、それは必然としてかなり金銭的に余裕のある人々しか議員になれない、という帰結をもたらします。それが本当にあるべき民主主義の姿なのでしょうか。
我が国はこれまで、地方交付税制度のもつ財源保障機能、財源調整機能を駆使して、自治体間で極力差がつかないように配意してきました。
それはそれで確かに「均衡ある地域の発展」には寄与してきたのですが、反面「首長や議員など誰がなっても同じだ」という、財政民主主義を根幹から否定しかねないような意識を醸成してしまった面があるようにも思われます。
「地方自治は民主主義の学校」ということが正しいとするならば、これが国政に影響しないはずがありません。
「地方議会はボランティアで」「誰がなっても同じ」という考えにはどこか通底したものが感じられます。無報酬の議員が地方議会を構成している例が諸外国に存在していることはもちろん承知しておりますが、そのような国における地方政治のあり方が日本とは相当に異なっている点にも留意が必要です。
地域住民は決して「お客様」ではなく地域における「主権者」なのであり、自分が首長であれば、議員であればどうするのか、との判断が求められます。
その意味で、今週火曜日から運用を開始した「RESAS(地域経済分析システム)」は、地方主体の自治のあり方にも大きな役割を果たすものと期待しています。
総理官邸屋上に無人飛行体が着陸(落下)した問題で、免許制にすべし、購入時に氏名、住所などを明らかにさせるべし、等々様々な対策が提唱されており、早期の立法化が必要なのは確かです。
無人移動体による攻撃は空のみならず、陸・海においても当然予想されることであって、包括的な立法が望まれます。
しかしそれでもなお、攻撃の可能性は排除されないのであって、その場合の対策も併せて立てておかなくてはなりません。
防衛の仕事をしていた頃、トム・クランシーの「合衆国崩壊」(日本国民間機がホワイトハウスに突入するところから始まる小説。新潮文庫)などを読み、「このような場合にどのように対応するのか」という議論をした記憶がありますが、危機管理とは、ありとあらゆる可能性を想定して、平素より法制、能力、運用の三つの面から対応を考えておくのがその仕事だと思います。
従来は、ことが起こってから「これは何処の所管なのか」という議論が始まり、責任回避劇が展開される、という場面も少なからずあったように思います(このあたりについては、佐々淳行氏の「ポリティコ・ミリタリーのすすめ」慶応義塾大学講義録・都市出版、に詳しく記されています)。
しかし今の時代、そのような無責任かつ呑気なことは言っていられません。
週末25日土曜日は東京都大島町長選挙応援演説。
26日日曜日は「みんなのベストアンサー」(日本テレビ系・午後1時15分・収録)にインタビュー出演の予定です。
大島の選挙は離島問題、ジオパークの今後の展開など、地方創生を論ずる良い機会だと思います。26日の番組ではどのような取り上げ方がされるのか、興味あるところです。
来週はもう五月なのですね。GWは「戦後70年」について、良く考えてみたいと思っています。
皆様お元気でお過ごしくださいませ。
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