« 2015年3月 | トップページ | 2015年5月 »

2015年4月24日 (金)

地方自治のあり方など

 石破 茂 です。

 統一地方選挙後半戦である市区町村長選、議員選において、無投票当選が過去最高を記録し、これについて「民主主義の危機」的な報道が多く見られます。
 その原因として「議員報酬の低さ」が指摘されていますが、つい何年か前まで「議員の報酬は高すぎる!」と批判して報酬の引き下げを主張し、地方議員年金の廃止の実現に努力していたのも一つの「民意」ではなかったでしょうか。
 議員はボランティアでやればよい、とのご主張は一見もっともらしく、完全に否定はしませんが、それは必然としてかなり金銭的に余裕のある人々しか議員になれない、という帰結をもたらします。それが本当にあるべき民主主義の姿なのでしょうか。

 我が国はこれまで、地方交付税制度のもつ財源保障機能、財源調整機能を駆使して、自治体間で極力差がつかないように配意してきました。
 それはそれで確かに「均衡ある地域の発展」には寄与してきたのですが、反面「首長や議員など誰がなっても同じだ」という、財政民主主義を根幹から否定しかねないような意識を醸成してしまった面があるようにも思われます。
 「地方自治は民主主義の学校」ということが正しいとするならば、これが国政に影響しないはずがありません。

 「地方議会はボランティアで」「誰がなっても同じ」という考えにはどこか通底したものが感じられます。無報酬の議員が地方議会を構成している例が諸外国に存在していることはもちろん承知しておりますが、そのような国における地方政治のあり方が日本とは相当に異なっている点にも留意が必要です。
 地域住民は決して「お客様」ではなく地域における「主権者」なのであり、自分が首長であれば、議員であればどうするのか、との判断が求められます。
 その意味で、今週火曜日から運用を開始した「RESAS(地域経済分析システム)」は、地方主体の自治のあり方にも大きな役割を果たすものと期待しています。

 総理官邸屋上に無人飛行体が着陸(落下)した問題で、免許制にすべし、購入時に氏名、住所などを明らかにさせるべし、等々様々な対策が提唱されており、早期の立法化が必要なのは確かです。
 無人移動体による攻撃は空のみならず、陸・海においても当然予想されることであって、包括的な立法が望まれます。
 しかしそれでもなお、攻撃の可能性は排除されないのであって、その場合の対策も併せて立てておかなくてはなりません。
 防衛の仕事をしていた頃、トム・クランシーの「合衆国崩壊」(日本国民間機がホワイトハウスに突入するところから始まる小説。新潮文庫)などを読み、「このような場合にどのように対応するのか」という議論をした記憶がありますが、危機管理とは、ありとあらゆる可能性を想定して、平素より法制、能力、運用の三つの面から対応を考えておくのがその仕事だと思います。
 従来は、ことが起こってから「これは何処の所管なのか」という議論が始まり、責任回避劇が展開される、という場面も少なからずあったように思います(このあたりについては、佐々淳行氏の「ポリティコ・ミリタリーのすすめ」慶応義塾大学講義録・都市出版、に詳しく記されています)。
 しかし今の時代、そのような無責任かつ呑気なことは言っていられません。

 週末25日土曜日は東京都大島町長選挙応援演説。
 26日日曜日は「みんなのベストアンサー」(日本テレビ系・午後1時15分・収録)にインタビュー出演の予定です。
 大島の選挙は離島問題、ジオパークの今後の展開など、地方創生を論ずる良い機会だと思います。26日の番組ではどのような取り上げ方がされるのか、興味あるところです。

 来週はもう五月なのですね。GWは「戦後70年」について、良く考えてみたいと思っています。
 皆様お元気でお過ごしくださいませ。

| | コメント (41) | トラックバック (0)

2015年4月23日 (木)

イシバチャンネル第五十四弾

 イシバチャンネル第五十四弾をアップロードしました。元総理を語るシリーズその2として竹下登先生との思い出の続きを語ります。



 ぜひご覧ください

 追伸:質問は随時受付中です。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2015年4月17日 (金)

地方創生と東京など

 石破 茂 です。
 統一地方選挙の前半戦である知事選、政令指定都市市長選、道府県議会議員選が終わり、与党系候補がほぼ順当に勝利を収め、後半戦である市町村長、同議員の選挙に向かいます。
 「政権奪還は統一地方選の勝利をもってはじめて完成する」とかねてから主張してきた私としても、その総仕上げである後半戦に向けて、出来る支援をしてまいります。

 地方創生のキーワードとして用いられる「東京の一極集中と地方の人口減少に歯止めをかける」というフレーズからは、ともすれば「東京対地方」という構図を描かれがちですが、実はそれは違うのだと思っています。

 1955年(昭和30年)から1970年(昭和45年)までの15年間に、地方から東京をはじめとする大都市圏に約800万人の若者が移り住み、地方は過疎化し、都市部に先行する形で高齢化が進行しました。
 その後60年が経過し、移り住んだ若者たちも75歳以上になっていくと、今後は大都市圏が急速に高齢化し、逆に地方の高齢化はそのピークを越えていく、というのが近未来の日本の姿です。
 現役世代が多数であった大都市圏は、そうであるが故に医療・介護の物的・人的インフラが未整備のままここまできたのですが、75歳以上の医療需要が65歳未満の需要の約5.1倍であるという事実を考え合わせると、大都市圏の将来はこのままでは相当に深刻な状況とならざるを得ません。
 
 地方の経済の生産性を高め、あるいは創業を促すことによって、かつてメインの産業であった建設業や製造業に匹敵する仕事を創出することと併せて、大都市圏の元気なシニアの地方移住も後押しし、大都市圏の医療・介護需要の集中を緩和し、余剰が発生する地方の医療資源の存続を可能とするための施策が必要です。
 
 地方創生のもう一つの重要な観点がまさにここにあるということ、地方創生は東京の富を簒奪するのではなく、東京のためでもあるという意識を東京の方々に持って頂くためには、今後一層の努力が必要です。
 2020年の東京オリンピックを「最後の祭り」などにしないためにも、精緻にデータを分析して「不都合な真実」を直視しなくてはなりません。
 内閣府の調査によれば、東京在住の50代男性の5割、女性の3割、60代男性・女性の3割が地方での居住を希望しており、このうちの1割、2割でもその希望を行動に移して頂ければ、状況は随分と変わってきます。
 「地方を姥捨て山にするのか!」「都会から出て行けと言うのか!」との短絡的・感情的な反応が時折見られますが、すでにこれだけ多くの方々が希望されているのですから、そのご希望を叶えるための環境整備をしていきたい、というのが我々の考えです。

 現在発売中の雑誌「世界」(岩波書店)五月号の特集「あるべき『地方創生』とは」では、一連の地方創生の流れがかなり批判的に論じられています。
 「世界」は一貫して反体制的・革新的な雑誌ですが、我々と反対の立場の主張を理解するためにはとても有用で、防衛の仕事をしていた時も随分と丹念に読んだものでした(かなりの忍耐を要する作業ではありましたが)。
 今回も、ここで提起されている問題点を率直に受け止めて、改めるべき点は改め、反論すべきは的確に反論しなくてはなりません。議論が交わらないまま単なるすれ違いに終わることのないよう、議会のみならず我々政府の側もさらに努力が必要です。

 後半国会ではいよいよ安全保障法制の審議が始まります。
 「防衛法研究」臨時増刊号(防衛法学会編・内外出版)の特集「新たな安全保障法制の整備の現状と課題」には優れた論考がいくつか収録されているように思います。これまた法制整備に賛成であれ、反対であれ、正確な知識に基づいた論戦が交わされることを期待しています。

 週末は18日土曜日が修学旅行で国会見学に来る地元の中学生たちへの挨拶、「2015年度大隈塾リーダーシップ・チャレンジ」での講演と田原総一朗氏との対談。
 19日日曜日は本当に久しぶりのオフなので、資料整理や体調管理(ただひたすら寝ているだけ)に充てたいと思っております。
 
 ゴールデンウィーク前は鳥取では修学旅行シーズン、私たちの頃はバスで関西方面というのが定番でしたが、今は飛行機を利用した東京方面が多いようで、時代は随分と変わったものです。
 地元の子供たちへの挨拶は出来るだけスタッフ任せにせず、自分で対応したいと思い、なるべくそのようにしています。ディズニーランドやスカイツリーでのひとときに比べれば国会見学などはそう魅力のあるイベントではないのでしょうが、そうであるだけになるべく議員本人が出て「国会とは何をするところか」(首班指名、立法、予算案の審議、条約の批准、憲法改正の発議)とか、「国民主権とは何か」などをなるべくわかりやすく話すように心掛けています。
 昭和62年、最初に話した子供たちももう42歳、地元に帰ると「国会見学で話を聞きました!」という青年男女に時々出会いますが、少しでも何かを学び取ってもらったとすればとても幸いです。

 皆様お元気でお過ごしくださいませ。


Img_4496
国会見学にお越しになった生徒さんたちへのご挨拶の様子です。

| | コメント (38) | トラックバック (0)

2015年4月10日 (金)

予算成立など

 石破 茂 です。
 二十七年度予算が昨日の参議院本会議で成立。自然成立前に成立したのですから、参議院の存在意義が示されたと言えるでしょう。
 しかし議論はどちらかといえば焦点が絞られないままに拡散し、総花的になってしまったような気が致します。われわれ政府の側も、有意義な議論が展開されるように更なる工夫が必要です。

 前にも書いたのですが、答弁資料というのは、正確性を期するあまり、そのまま朗読したのでは何を言っているのかまずわかりません。それを普通の方に聞いていただいてもわかるように「翻訳」する作業が結構大変です。あまりに「意訳」「超訳」してしまうと本来の趣旨を外れてしまうこともあり、注意しなくてはなりません。なんだか高校生時代の古文の現代語訳のようでもあり、それはそれで結構面白いのですが、「本来あるべき姿」からは乖離している、と言うべきものでしょう。
 質問を決められた通りに二日前に通告して頂けるととても助かるのですが、そうして下さらない先生方も居られます。審議の充実のためにも是非二日前通告の励行をお願いしたいものです。

 沖縄の辺野古埋め立てを巡っては、議論が完全にすれ違っているようで今後の展望がよく見えません。
 「日本で出来ることは米軍任せにすることなく可能な限り自衛隊で行う」「沖縄でなくとも発揮出来る抑止力は本土においてこれを行う」ということが基本原則であり、今後とも政府として着実にこれを進めていかなくてはなりません。
 しかし一方、能力的・地政学的に沖縄にご負担いただかざるを得ないものは必ずあるのであり、なお一層丁寧な説明が求められます。普天間基地移設問題のキーワードは「抑止力の維持と負担の軽減」であり、「抑止力の維持」についての認識の一致が更に求められるように思います。
 「上から目線」とのご指摘を受け、今後「粛々と」という言葉は使わないとのこと。かつて「辺野古移設がベスト」との言葉を使って同じようなご指摘を受けたことがありました。普天間基地の現状が、負担という意味でワーストであり、辺野古は「ベスト」ではなく「ワース(worse)」なのだとその時思い、以後改めたことですが、言葉の使い方にも細心の注意が必要ですね。

 天皇・皇后両陛下がパラオをご訪問なさったことに大きな意義を感じました。
 陛下の大御心に思いを致し、我々も過ちの無いように常に心がけていかなくてはなりません。
 なぜあのような戦争に至ったのか。異郷の地で病死し餓死していった多くの同胞の無念の思いを我々は決して忘れることなく、歴史に真摯に向き合わなくてはなりません。

 水曜日に日本テレビの特別番組「みんなのベストアンサー」(4月26日放映予定)のインタビュー収録があったのですが、「なぜ人を殺してはいけないのか」「なぜ勉強しなくてはいけないのか」という問いにはかなり苦労しました。
 哲学の古典的なテーマでもありますが、以前高名な作家がこれを問われて一瞬返答に窮したとも言われる難問で、久しぶりに哲学の基本書などを読んでみました。
 私の回答への感想はいかがなものとなるのか、お時間のある方はどうぞご覧になって下さいませ。

 週末は統一地方選前半戦の最終日、投票日となり、地元へ帰る予定に致しております。
 11日土曜日には若桜鉄道の「SL C12が若桜駅・八東駅間を走行する」という社会実験の行事にも参加の予定です。
 都心は花冷え模様です。皆様お元気でお過ごしくださいませ。

| | コメント (31) | トラックバック (0)

2015年4月 6日 (月)

イシバチャンネル第五十三弾

 イシバチャンネル第五十三弾をアップロードしました。元総理を語るシリーズその1として田中角栄先生との思い出の続きを語ります。


 ぜひご覧ください

 追伸:質問は随時受付中です。

| | コメント (14) | トラックバック (0)

2015年4月 3日 (金)

憲法論、土佐清水市など

 石破 茂 です。
 「わが軍」発言について前回私なりの見解を記しましたところ、いくつかのコメントを頂戴致しました。

 現行の日本国憲法起草者たちは、憲法第9条第1項で
「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。」
とすることにより、法的に日本が戦争を出来ないことを定め、さらに同第2項で
「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」
とすることによって、能力的にも日本が戦争を出来ないことを定めた、というのが憲法学会の通説となっており、我々もそのように教わってきました。
 これは恐らく国連憲章によって禁ぜられた「戦争」(侵略戦争)のみならず、自衛権の行使をも否定する趣旨であり、憲法前文の
「…日本国民は平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
と整合させることにより、
「世界の諸国民は皆良い人々なのであり、これを信じて生きていこう。国家固有の権利である自衛権を持ってはいるが、これを使うことは憲法で出来ないこととするし、その能力を持たないことも憲法で定めるのだ」
という「崇高な」理想を高らかに宣言したものと思われます。

 昭和21年6月29日の制憲議会において共産党の野坂参三議員(!)が「戦争には自衛戦争と侵略戦争があり、憲法で侵略戦争は禁止しても自衛戦争は認めるべきではないか」と問うたのに対して、時の吉田茂首相が「そのような考え方自体が有害である」とこれを一蹴したのは有名なやり取りです。もちろん憲法の制定そのものはこの後のことですが、当時はまさしくそういう雰囲気だったのでしょう。
 しかし、日本はこの時まだ連合国の占領下にあって独立国ではなかったのですから、「国家の独立」という概念も「国家の独立を守るための『軍隊』」という存在も、そもそも考える余地すら無かったはずです。
 このような考え方は昭和27年4月28日に講和条約が発効し、主権を回復するまでの間にのみ成り立ちえたものであり、主権を回復して独立した後は速やかに憲法を改める必要があるとして、昭和30年の保守合同により自民党は結党されました。この結党の原点を自民党員たる者は決して忘れてはなりません。

 芦田均氏によるいわゆる「芦田修正」(憲法第9条第2項冒頭に「前項の目的を達するため」との文言を挿入することにより、「国際紛争を解決する手段〈=侵略戦争のこと〉」としては戦力も持たないし交戦権も認めないが、侵略戦争ではない自衛権の行使は法的にも能力的にも可能、とする)の立場をとれば、現行憲法でも自衛隊の存在や個別的・集団的自衛権を行使可能とする説明も比較的容易なのですが、政府はその立場に立たず、「自衛権は国家固有の権利であるから自衛隊の存在は合憲」との立場をとっており、司法も統治行為論(高度に政治的な要素を持つ事案は司法の法律判断になじまない、とする)によって明確な判断を避けているため、どうしても論理的には今一つすっきりしない感をお持ちの方々が多い、というのが現実です。
 
 …と、ここまで少しずつ書いてきて、どれだけわかって頂けるのか正直言ってあまり自信がありません。
 今週の参議院予算委員会でも、福島みずほ議員などが「日本を戦争できる国にするのか!」と発言していましたが、そもそも戦争そのものが国連憲章によって(自衛権の行使や軍事制裁を除いて)違法化されているのであり、この議論は全く成り立ちません。

 自衛隊を軍と呼称するしない以前に、「国民の生命・財産と公共の秩序」を守る「警察」とはその性格が全く異なる、「国家の独立」を守るための組織であることは間違いのない事実であり、それを国際一般においては「軍」と言っている、という話なのです。
 私とほとんど同世代の福島議員は東大法学部卒の弁護士なのですが、東大に限らず、日本の大学でリアリズムに基づく安全保障論と連動した形での憲法学を全く教えてこなかったことの弊害が如実に表れているのだと思わざるを得ません。

 「性急な議論は禁物だ、時間をかけて慎重に審議すべきだ」というのは確かにその通りですが、20年以上前から集団的自衛権を議論することの必要性を訴えても、「難しくてわからない」「今そんな議論は必要ない」などと言ってほとんど誰も関心を示してはくれませんでした。
 「国の独立」を真剣に考えてこなかったツケはとても大きいように思います。

 さる日曜日は高知県土佐清水市まで行って参りました。
 JRも高速道路も無い、東京から時間的に最も遠い市、というのをつくづくと実感するとともに、そこで独自の地方創生に向けた取り組みが行われていることに深い感銘を受けた次第です。
 今週、東京駅八重洲口に移住に関する全国の情報を提供する施設、「移住・交流情報ガーデン」もオープンし、「移住ナビ」も近く稼働、市町村へのビッグデータの提供もまもなく始まるなど、体制は着実に整いつつあります。

 週末は4日土曜日が統一地方選挙の応援で愛知県名古屋市、奈良県河合町・上牧町で演説。
 5日日曜日は新報道2001(フジテレビ系列・午前7時半)に出演した後、兵庫県姫路市での地方創生講演会に出席の予定です。

 今日の東京は朝から強風の一日、早くも桜が散り始め、結局今年もお花見らしいお花見はできませんでした。この季節にお花見をする機会があと何回残っているのかな、と思うと焦燥感にも似た気持ちが致します。
 皆様お元気でお過ごしくださいませ。

| | コメント (28) | トラックバック (0)

« 2015年3月 | トップページ | 2015年5月 »