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2015年8月28日 (金)

オーストリア出張など

 石破 茂 です。
 今日はこれより午前零時50分発の便に乗り、フランクフルト経由でオーストリア・グラーツ・ザルツブルグへ参ります。
 9月1日の早朝着便で帰国の予定で、このような日程を「2泊4日の弾丸ツアー」と言うのですが、国会開会中でもありやむを得ません。
 現地ではフィッシャー大統領、ルプレヒター農林大臣との会談や、日本CLT協会とグラーツ工科大学とのCLT技術交流協定締結式、林業現場や農山村の観光への取組の視察などの予定が入っております。

 麻生内閣の農林水産大臣在任中、来日されたオーストリアの農林大臣と会談して以来、オーストリアの林業政策には関心を持っていたのですが、十分に研究した上での自分なりの解を見出せないまま今日に至ってしまいました。 
 日本の総面積の67%は森林であり、地方ではその比率はさらに大きく、林業の再生なくして地方創生はあり得ません。日本の林業・山村の衰退、森林の荒廃の理由は「貿易の自由化により安い外材が大量に流入したため」と言われますが、果たして本当にそれだけなのか。路網の整備、コスト削減、自国産材の活用法、林業政策と住宅政策との連携、バイオエネルギーの技術的な革新など、十分な手を打たないままに今日に至ったことを謙虚に反省し、冷静な比較分析を加えた上で、今からでもオーストリアに学ぶべき点は多くあるのではないか、というのが私の問題意識です。

 オーストリアでは基本法(憲法に相当するもの)に定められた国民投票により原発の設置が禁止され、将来建設する際には国民投票による旨が法律によって規定されており、また永世中立と徴兵制も基本法に明記されています。私は原発全面禁止派でも徴兵制論者でもありませんが、ドイツやオーストリアの政策につき、国会でも党でもあまり真剣に議論された記憶がなく、この機会に深く学びたいと思っております。

 今週も参議院の予算委員会に呼ばれて答弁する機会があり、委員会室での待機時間や他の閣僚が答弁している時間に質疑を実際に見ることがあるのですが、野党、特に民主党の質疑を聴いていると、党として一体どのようなスタンスなのか、理解に苦しむ場面が多々あります。
 本欄では何度か指摘したことですが、集団的自衛権が「大国と組んで自衛に名を借りた侵略戦争に加担・参加する道を開くものだ」と本当に信じているのなら、「民主党が今度政権を担当した暁には、国連において集団的自衛権を規定した国連憲章第51条の削除を提案する」と委員会で主張し、来年の参議院選挙の公約に堂々と掲げるべきではないでしょうか。
 その本質論を回避したまま各々統一性のない議論を展開するので、見ている国民の側には何が何だかよくわからない結果になっているのではないでしょうか。国会議論を内容のあるものとするためには、政府・与党のみならず、野党もまた大きな責任を負うべきなのだと思います。

 オーストリアの林業についてご関心のある方には、7月31日にもご紹介した「里山資本主義」(藻谷浩介・NHK広島取材班著・角川書店)と、「森林の崩壊」(白井裕子著・新潮新書)がお勧めです(藻谷氏の所論については批判も寄せられていることを承知しておりますが、私自身は共感するところが多くあります)。
 今週読んだ本の中では「地方消滅 創生戦略篇」(増田寛也・冨山和彦著・中公新書)、「地方創生ビジネスの教科書」(増田寛也監修・解説・文芸春秋)から幾多の貴重な示唆を受けました。

 来週はもう9月、朝夕の寒暖の差が大きくなりそうですね。皆様お元気でお過ごしくださいませ。

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2015年8月21日 (金)

RESAS活用など

 石破 茂 です。

 14日に閣議決定された70年談話については、様々な立場から多くのご意見があるように見受けられます。
 私も閣議において花押を記し、この談話について内閣の一員として連帯して責任を負う立場にあり、「道義的責任と政治的責任」「大日本帝国と日本国の連続性」「国家と国民」等々、多々考える機会となりました。
 国内外の様々な立場に配慮したうえで、日本国として熟慮を重ねた談話であることは間違いありません。
 日中戦争(最後通牒も宣戦布告も発せられていないため、「事変」と呼称することもあります)から太平洋戦争に至るまで、戦争を体験した方々がなおご存命のうちに、自分なりの解をも見出し、次の世代に引き継ぎたいと願っています。

 最近、本のご紹介が多くて恐縮なのですが、「日本人はなぜ終戦の日付をまちがえたのか-8月15日と9月2日のはかりしれない断層」(色摩力夫著、黙出版)は、その意味において興味深い論考です。元駐チリ大使であった色摩氏の著作には「国際連合という神話」(PHP新書)など、示唆に富んだものが多くあります。

 今週当初はお盆が土日と重なったこともあって、永田町・霞が関はやや閑散とした感じで、そのぶん現在進行中のプロジェクトについて状況を聴く時間が出来ました。
 その中でも注目すべきは、地域経済分析システム(RESAS)の活用方法をワークショップの形で各地域において展開する取り組みです。
 さる8月11日に第一回を福岡県うきは市で開催したのですが、報告を聞くと大変に有意義であったとのこと、努力してくれたまち・ひと・しごと創生本部事務局の職員諸兄姉にも感謝したいと思います。

 地方創生、と言ってみても、それぞれの自治体に「ヒト・カネ・モノ」がどこから入り、どこへ出てゆくのか、それはどんなヒトであり、カネであり、モノであるのか、それを把握し分析しなければ出てくる政策は単に「勘と経験と思い込み」によるものになる危険性が高いと言わなくてはなりません。
 今までは行政しか持っていなかったこの種の情報を、広く一般の市民の皆様にも提供することにより、様々な気付きが生まれ、有効な政策を展開することに大きく資すると考えています。
 9月15日には「地方創生☆RESASフォーラム2015」を開催し(午後1時・日経ホール・東京大手町)、今後このワークショップを全国各地で展開して、その映像も広く提供していく予定です。

 自治体の職員はもとより、地域の主権者であり生活者である住民の方々がこれを活用し、様々な政策提言をして下さることによって、従来の「お任せ民主主義」からの転換が図られることを期待しています。
 中央政府から発信されるこのような情報を見ることもなく、単に「中央からのカネが足りない」とだけ口にする自治体幹部も問題ですが、「首長が悪い、議員が悪い」とばかり言っている住民も「誰がそのような人を選んだのか」を考えてみる必要があると思います。主権者の責任、とはそういうものではないのでしょうか。

 全国47都道府県、1718市町村、23東京特別区、それぞれが総合戦略作りを進めていますが、静岡県牧之原市の進捗状況は最も進んだものの一つではないかと思っています。また、金融機関では多摩信用金庫(東京都立川市)が極めて先駆的です。これらの様子はそれぞれホームページなどでご覧いただけます。

 ここにきて、地方創生政策について「新型交付金の額が少ないことに地方には失望感が広がっている」的な報道が、某中央紙を中心に散見されます。
 政治部(政局部?)的にはそのように報道したい何らかの意図があるのでしょうが、状況を真摯に受け止め、地道に真剣に取り組んでいる地域や企業も多くある中、「永田町的」な観点からだけのものの見方には、いつもながら一抹の哀しさを感じると共に、歎息を禁じえません。

 週末は、本日21日金曜日が岐阜県経済同友会創立30周年記念講演会で講演、岐阜県政財界の方々との懇談会(岐阜市)。
 22日土曜日が多治見市地域産業ブランド化の取り組み視察(土岐市)、全国町村会「都市・農村共生社会創造全国リレーシンポジウム」で挨拶(名古屋市)、中国地方建設青年交流会で講演(広島市)。
 23日日曜日が小坂憲次参院議員決算委員長就任祝賀会で講演(長野市)、中谷真一衆院議員を囲む会で講演(甲府市)、という日程です。
 なんだかまるで選挙中の遊説のような行程で、夏休みも無いままに平常業務が慌ただしく再開することになってしまいました。

 早朝、議員宿舎の中庭に出てみると、つくつく法師の鳴き声が聞こえるようになっていました。季節は確実に秋に向かいつつありますね。
 皆様お元気でお過ごしくださいませ。

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2015年8月12日 (水)

イシバチャンネル第五十七弾

 イシバチャンネル第五十七弾をアップロードしました。「石破茂、地方創生を語るシリーズ」が始まりました。長いので3つに分割しています。

イシバチャンネル第五十七弾 PART1 「北海道あれこれ」

イシバチャンネル第五十七弾 PART2 「海士町、ナポレオンの村など」

イシバチャンネル第五十七弾 PART3 「移住と雇用、本棚その1」


 ぜひご覧ください

 追伸:質問は随時受付中です。

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2015年8月 7日 (金)

戦後70年など

 石破 茂です。
 
 酷暑の日々が続きます。昭和53(1978)年、暑い中を就職活動で会社訪問をしていた37年前の大学四年生の夏をふと思い出します。漠然と新聞社かテレビ局を就職先の候補として考えていたのですが、当時参議院議員であった父親から「それだけは絶対に駄目だ。他人を批判ばかりしている職業に就くことは許さない」と一喝され、国鉄や航空会社にも難色を示されて、結局都市銀行(当時はメガバンクなどという言葉はまだ無く、都銀だけで14行もありました)に絞って就職活動をしていました。中央官僚、県知事、参院議員であった父親はそれなりにマスコミを大切にしていたようにも思うのですが、倅をその仕事に就かせることには相当に強い拒否感があったようです。

 自分も父親と同じ政治の仕事に就いてみて、彼の言っていたことが少しわかるような気がします。もちろん健全な民主主義の発展のためには批判勢力の存在が必要不可欠であり、
我々が報道に対し可能な限り誠実丁寧に接すべきことは当然です。しかし、自分自身、若しくは自社の考えを何ら示すことなく「あの人がこう言っている」「この人がこう言っている」ということを単に面白おかしく繋ぎ合わせて、最後に「批判が予想される」「成り行きが注目される」的に締めてしまう単なる「瓦版」的な報道に接すると、言いようのない情けなさを感じると共に歎息を禁じえません。

 誰が書いていたのか忘れてしまいましたが、高校生の頃読んだ総合誌の論説に「以前の新聞社では報道の姿勢として『成り行きが注目される』で締める『成り注記事』は厳に戒められていたのだが、最近はそのような無責任な記事が多くなって実に嘆かわしい」というような内容があったことを覚えています。もう40年も昔のことですが、状況はあまり変わっていないようです。
 勿論、自分の考えをきちんと持ち、報道の使命を認識している尊敬すべき記者さんたちが少なからずいることも事実です。自分が報道関係の職に就かなかった分、そのような人たちに期待するところもまた大なのです。

 4日水曜日、東洋大学のPPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)に関するフォーラムでマハティール・マレーシア元首相と相前後して講演する機会がありました。マハティール氏の主張には、我が国政府の立場と異なる点が多々あるものの、傾聴に値するところも多くあり、良い機会を得られたと思っています。先般逝去されたリー・クァン・ユー元シンガポール首相もそうでしたが、東南アジアの指導者の中には、深い考察力と洞察力を持つ方が多いように感じます。
 
 戦後70年、様々な動きがありますが、いつもこの時期になると思い出す文章があります。父の没後、所縁のあった方々が回想録(追想編)を出して下さったのですが、その中で前田光嘉氏(元建設事務次官・故人)が「石破さんの思い出」と題してお寄せ頂いた追悼文の冒頭には次のように記されています。

 昭和30年頃であったと思う。ある会合の挨拶文の決裁を貰いに行った時のことである。公用の挨拶文の例として先ず時局について簡単に触れるのが常であったし、そのころの例文として、「終戦後ここに○○年云々」、と書いてあった、石破次官はその文案を見るなり即座に「文書課長、終戦とはどういうことだね」、私は次官の真意を測りかねて、「戦争が終わったから終戦と云うのではないでしょうか」、次官の顔色がさっと変わった。「だから君たちは駄目だと云うんだ、我が国は戦争に敗けたのではなかったのか、ポツダム宣言を受諾して日本は無条件降伏したのだ、これを敗戦と云わないで終戦などと分かったような分からないようなことを云うから、ことの本質を見失うんだ」。私はこの石破次官の激しい言葉を聞いて、流石、次官は偉いと思った。あの当時は日本の敗戦を敗戦とズバリと云い切れる人は何人おったであろうか、心の中では敗戦であることを知りつつもこれをあえて口にしないのが通常の人々の態度ではなかったかと思う。(原文のまま)
 
 亡父とは49歳も歳が離れていたためか、戦争についてあまり話をしてくれた記憶がありませんが、実際に陸軍司政官として戦地に赴き、様々な体験をしたことと思います。その言葉の重さと深さに、謙虚に学びたいと思っています。前にもご紹介しましたが、先の戦争について考えるとき、猪瀬直樹氏の「昭和16年夏の敗戦」、NHK取材班編の「太平洋戦争日本の敗因」第1巻「日米開戦勝算なし」(角川文庫)からは貴重な示唆を受けます。

 週末は8日土曜日が埼玉県知事選挙街頭演説会・5区打ち上げ式(正午・大宮駅西口)、9日日曜日が若桜民工芸館オープン行事、若桜町八幡広場グラウンドゴルフ場オープニングセレモニー、どんどろけの会会員家族会野外パーティ(以上鳥取県若桜町)、隼まつり(鳥取県八頭町)という日程です。

 今年は明日が立秋なのですね。世の中は夏休みを楽しんでおられる方もいらっしゃいますが、当方はお休みが全くないままに夏が過ぎ去ろうとしています。夏が終わりに近づくこの季節になると、荒井(松任谷)由実の「晩夏(ひとりの季節)」と「 Hello, my friend」を無性に聴きたくなります。

 皆様、お元気でお過ごしくださいませ。

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