「水月会」発足記者会見の様子です。
事務局です。
「水月会」発足記者会見の様子です。
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石破 茂 です。
シルバーウィークなるものも終わり、世の中は平常の体制に戻りつつあるようです。
日頃の疲れを癒された方、行楽地にお出かけになった方、連休と関係なくお仕事をなさっておられた方、いろいろな過ごされかたがあったことかと思います。
私は後半の二日間、何年振りになるのか、全く予定の入らない時間を過ごしました。有り難いことでした。日頃寝ていない分を取り戻して、少しでも良い状態で今後に臨もうと思ってはみたのですが、あれこれ仕事のことが頭に浮かんで寝付けない、やっと寝たらいろいろな夢を見て目が覚める、結局仕事の本を読んで何とか精神の安定を保つ、というような有り様で、ワーカホリックもかなり重症です。
しかし、日頃見ないNHKのBS番組をいくつか見られたのはとても幸いでした。以前も放映された「映像の世紀」のデジタルリマスター版と、NHKスペシャル「憎しみはこうして激化した 戦争とプロパガンダ」の再放送は極めて秀逸なものでした。オンデマンドでも配信されていますので、是非ご覧頂きたいと思います。
安全保障法案について、本欄をご覧の皆様にどうしてもお考え頂きたいのは「同盟のジレンマ」、すなわち「戦争に巻き込まれる恐怖」と「同盟国から見捨てられる恐怖」についてです。前者のみが強調され、国会においての議論も集中したように思われますが、後者についてどのように考えるべきなのか。
有史以来、集団的自衛権という概念が確立する遥かに前から、同盟を結んだあらゆる国々は、このジレンマの相克に悩みながら自国の安全保障について政策を立案してきたのですし、成功例も、失敗例も枚挙に暇がありません。
日本において前者のみが強調され、後者についてほとんど議論がなされないことがいかに異様で、いかに恐ろしいものなのか。後者が現実となった時に慌てふためいても、装備の造成にも、部隊の錬成にも、恐ろしく長大な時間と膨大な労力とがかかるのであり、これらを為さないままに辿るであろう国家国民の運命に思いを馳せたことがあるのだろうか。それが国民に対して責任ある国家の為すことなのか。私は決してそうは思いません。長くこの仕事に関わってきた者として、痛切な反省とともにそう思います。
今から13年前、初めて防衛庁長官を拝命した時、「日本にはなぜ海兵隊が無いのか」と尋ねたことがありましたが、当時防衛庁・自衛隊の幹部から明確な答えはありませんでした。
「アメリカ海兵隊があるから」というのがその答えであり、彼らもそのことは十分に承知していたはずですが、「軍事的には日本にも領土防衛と海外の自国民保護とを主任務とする海兵隊的な組織が必要であると考えるが、その是非の判断は政治が責任を持って行うべきである」という議論がなされない言論空間に強い違和感を覚えたものでした。
太平洋戦争中の硫黄島のイメージが強烈なせいかもしれませんが、海兵隊はよく言われる「殴り込み部隊」というよりは、国家主権である領土の防衛と海外における自国民の保護とを主任務とするものであり、それを他国に委ねる独立主権国家とは一体何なのか。この議論を提起してこなかったのも、専ら政治の責任です。
立憲主義との関係についても、何故それに反すると主張されるのか、法理論的に明確な説明をされた方をあまり知りません(あまり「法理論的に」などという言い方はしたくないのですが、議論の性格上ご容赦ください)。
そもそも創憲議会における吉田総理の答弁にあるように、「個別的自衛権を認めること自体有害である」という立場を当時の政府は採っていたはずでした。保安隊の創設の際にそれまでの解釈を改めて個別的自衛権の行使を認め、それが時間を経るにつれて政府の解釈として定着し、国民もそれを当然のこととして認識するようになったのです。国会の議論で「集団的自衛権の容認は立憲主義に反する」と唱えられた方はこれをどのように考えるのか。
そもそも量的かつ相対的な「必要最小限」という概念を「憲法判断」としたこと自体に無理があったのではないか、との考えも成り立ちえます。
また、刑法において「正当防衛」の中に「他人のためにする防衛」も違法性阻却事由として位置づけられているのは、自然権と共に法秩序の保護が正当化事由とされていることによるものですが、国家の自衛権においてこれが否定される理由は見当たりません。
前回も記したように、安全保障法制はまだ一歩進んだに過ぎないのであり、これから先の展開こそが重要です。これを一過性のものとしてしまっては我が国の独立と平和を保つことはできません。その道は遥かで遠く、険しいものですが、地道な努力を欠いてはならないと思っております。
新たな政策集団については、次回に記したいと思います。自民党創設以来、全く新しい集団の発足は初めてであり、それだけに批判も多いのは当然のことです。世に問うべき50年後、100年後を展望した政策を絶え間なく立案し、国民に直接向き合い、語りかける。そのような集団を目指しています。
週末は26日土曜日が、10月25日放映予定のBSーTBS番組の岡山県、鳥取県、島根県を走るJR西日本列車乗車取材。
27日日曜日は東京鳥取県人会総会・懇親会に出席の予定です。
国会も事実上閉幕し、少しだけ安堵したような感じです。
皆様お元気でお過ごしくださいませ。
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石破 茂 です。
様々な紆余曲折の末に、安全保障関連法案が可決・成立致しました。関係されたすべての皆様に心から敬意を表します。成立した以降も、この法案の意義を引き続きよく説明しなくてはなりません。
一昨年自民党が党議決定し、総選挙において有権者に示した自民党の安全保障基本法案も、総理の私的諮問機関であった安全保障と防衛力に関する懇談会の報告書も、「憲法上、集団的自衛権は全面的に認められるが、その行使は法律によって厳しく制限される」との考えでしたが、今国会において政府は「集団的自衛権の行使はこの法案に示されたもの以上は現行憲法上認められず、これ以上の行使を可能とするためには憲法の改正が必要」との立場を明らかにしました。
法的安定性と、憲法第9条に関する今日までの答弁との整合性を重視したものですが、一方において今回の安保法制によっても「米国は日本を防衛する義務を負う。日本は集団的自衛権の行使としての武力行使が出来ないので、国土を米国に対し基地として提供する義務を負い、これによって(非対称的)双務性を確保する」との日米の関係には何ら変更はありません。この議論は今後の課題です。
法案成立後は憲法改正を目指す、というのが総理のお考えであり、もともと自民党は自主憲法の制定を党是の一つとして結党された政党です。
私は日本国憲法は大日本帝国憲法の改正手続きに則って成立したものであると考えており、形式論としての無効論には立ちません。しかしその内容については改正すべきと考えます。
未だ独立を果たしていない時に成立した憲法であるが故に、「国家の独立についての条文」が設けられていないのは、ある意味当然の論理的帰結でした。昭和27年に独立を果たし、主権を回復したからには、憲法を改正して「国家の独立を守るための組織である軍隊」や「独立が脅かされた際の国家緊急事態」についての条文を明記すべきである、とわが党の先人たちは考えていたはずです。
私も含め、ほとんどの日本人は、
「国家の独立を守るのが軍隊、国民の生命・身体・財産、公の秩序を守るのが警察」
「国家の独立とは、領土・国民・統治機構という国家主権を外国の侵略勢力から守ること」
といった、政治的立場やイデオロギーとは関係なく国際社会において基本的な常識とされていることを、小学校から大学に至るまでの教育の過程においても、社会に出てからも全く教わってきませんでした。
特に大学においては、法学部法律学科であればどこもそうだと思いますが、「自衛隊は憲法違反」との憲法学の通説を教わるのみでした。
ましてや「抑止力」がいかなる概念なのか、「拒否的抑止力」と「報復的抑止力」との差異とは何かなど、ごく一部の国際法概論などの授業以外には教わらないでしょうし、「同盟のジレンマ」に至ってはほとんどの国民が聞いたこともないもののはずです。
賛成・反対、いずれの立場に立つにせよ、国会ではこれらについての議論がもっと深く、真摯に行われることが期待されたのですが、もともと素地が無いところに理解を求めることは極めて困難なことでした。
その責任の多くは、戦後長く政権を担ってきた我々自民党が負うべきものですし、これからもそうなのでしょう。だからこそ、今後とも更なる努力が必要だと強く思う所以です。
すべて国民は「言論の自由」「思想・信条の自由」「結社の自由」「信教の自由」等の権利を有し、自由を享受しています。それが何人(なんぴと)かにより侵害された時、その侵害を排除し、権利や自由を守ってくれるのは「国家」以外にあり得ません。その国家自体が外国勢力により脅かされ、崩壊に至った時、国民の権利や自由は一体誰が守ってくれるのか。「国家など信用できない」と言うのなら、国民国家、市民国家とは一体何なのか。国家の独立を守る、というのは畢竟、国民の自由や権利を守るためのものなのだと私は思います。
「集団的自衛権の行使は憲法違反」との議論がこの度大きな論点となりましたが、過去の経緯について論じる方は多くても、憲法第9条、すなわち
「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」
このどの部分からそれが導き出されるのか、ということについて論理的に展開された方は、一連の審議の過程においてあまりなかったように思います。
軍事的に言えば、日露戦争における機関銃、第一次大戦における飛行機、第二次大戦における核兵器、現代戦における核兵器搭載弾道ミサイルやサイバー攻撃など、「具体的な脅威」は規模においてもスピードにおいても、時代とともにその大きさや速さが格段に増しています。
「あれは他国に対する攻撃で我が国とは関係ない」などと言っているうちに、瞬時に我が国の国民の生存を根底から脅かす事態になる可能性は決して否定できないのです。
「集団的自衛権」自体は国連憲章において初めて明文化された概念ですが、日露戦争時における日英同盟は今日で言う集団的自衛権の一種です。日英同盟がなかったならば、日本は帝政ロシアに敗北していたに違いありません。
国連憲章上、何故わざわざ集団的自衛権が明記されたかは以前に論じたとおりですし、民主党の諸兄姉が「集団的自衛権は他国の戦争に巻き込まれ、他国と組んで侵略戦争を行う危険で邪悪な権利だ」と本気で思っておられるのなら、次期参議院選挙の公約に「民主党が政権を取ったら、国連において集団的自衛権の国連憲章からの削除を求めます」と掲げられればよいのです。
私は日本人がロジカルに物事を考えることが苦手な国民だとは決して思わないのですが、いつまでもこの法案を「戦争法案」ときめつけ、「絶対反対」と叫ぶ方々を見ていると、やはり情緒が先立っているように感じられてなりませんでした。
論理ではなく情緒で動くのは、瞬時にどちらの立場にも変わりうる危険性を内在しているのであり、それはとても恐ろしいことのように思われます。
今後の道程も眩暈がしそうなほどに遠く遥かなものですが、この平和で自由な国を次の世代に何としても残すために、決して諦めることなく地道に、愚直に歩を進めて参ります。
所管の地方創生では、今週は経済同友会における講演と討論、リーサスフォーラムなどいくつかのイベントに出席して参りました。少しずつではありますが、理解が深まりつつあるように思っております。
発売中の「新潮45」には「人口急減という『静かなる有事』」と題する河合雅司氏と私との対談が掲載されております。この雑誌には、かつて「諸君!」や「正論」が持っていた冷静な保守のテイストが時折感じられます。
週末は19日土曜日が第4回アジア太平洋ジオパークネットワーク山陰海岸シンポジウム閉会式(午後6時・鳥取環境大学)、どんどろけの会総会(午後7時・鳥取市内)。
20日日曜日は時事放談出演(TBS系列・藤井裕久元財務相との対談・午前6時・収録)、自民党鳥取県連臨時大会(午後2時半・倉吉市内)、八頭町議会有志との懇談会(午後6時半・鳥取市内)、という日程です。
父親、母親の命日月、結婚記念日の月、初めて小泉内閣で閣僚に任ぜられた月…9月は嬉しかったこと、悲しかったこと、何かと思い出の多い月であり、私にとって平穏に過ぎた9月はあまり無かったように思います。
平穏無事、というのはとても素晴らしいことですし、私もそうありたいと願うものですが、皆が皆、批判を恐れてそのように行動していたのでは世の中は全く変わりません。
いつの日か平穏な9月が過ごせることを心から願いながら、残る9月の日々を精一杯に過ごしたいと思います。
豪雨被災地の方々に心からお見舞いを申し上げますとともに、皆様のご健勝をお祈り申し上げます。
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石破 茂 です。
昭和30年の保守合同によって自民党は結党され、31年12月の総裁選挙において8つの派閥が結成されました。
ある人から指摘されて初めて知ったのですが、60年後の今日自民党に存在している7つの派閥はすべて何らかの形でこの8つの派閥の系譜を引いており、全く初めての派閥というのは近年ないのだそうで、何だかベンチャー企業の創設のような感じです。
地方創生の大きな鍵の一つは全国、特に地方におけるベンチャー企業の創設なのですが、それには多くの困難が伴っています。それを一つ一つ解消するべく努力しているのですが、自民党においてそれを始めることがこんなにも多くの波紋を呼ぶのだということを改めて感じています。
日本国を、政権を担うことがいかに困難なことか、議員を30年近く勤め、閣僚や党役員を多く経験させていただいて、それを痛感しています。10年先、100年先の日本を見据えたビジョンを作るのに費やすべき時間と労力はどれほどあってもこれで十分ということはありません。
いま日本が抱えている課題、安倍政権が必死に取り組んでいる課題のほとんど全ては、「これを言っても理解してもらえない、これを言ったら票が減る」と言って課題を先送りしてきたものなのではないでしょうか。そしてその責任は、長く議員や政府・党の役職をお預かりしてきた私も当然負わねばならないものだと思います。
現政権を全力で支えつつ、10年先、100年先を見据えた、政策立案中心の本来の政策集団を、一人一人の国民や党員の方々にその軸足を置き、その納得と共感が頂ける自民党を作りたいと思っています。
「明るく、楽しく、元気よく。地道に、愚直に、徹底的に。」私が敬愛するある企業経営者のスローガンを、とても共感を持って感じます。
準備の動きが出始めたのは今週前半にも関わらず、報道が豪雨災害と重なったこともあり、「なぜこの時期に」などと各方面からのご意見・ご批判はそれこそ雨霰のように飛んできますが、新しいことを始めるときにはこのようなことはつきものなのでしょう。「棺を蓋って人の評価は定まる」そういうものだと改めて強く思っています。
本日はこれから山形市長選挙の応援街頭演説会。
週末は12日土曜日が静岡大学地域課題解決支援プロジェクト浜松都市環境フォーラム「地方創生市民シンポジウム」で講演(10時・浜松市勤労会館)、ふるさと回帰支援センター記念シンポジウム「そうだ、地方で暮らそう」国民会議で講演(午後2時・砂防会館・千代田区平河町)。
13日日曜日は下関JC「みんなで話そう作戦会議2015」で講演(13時・海峡メッセ下関)、という日程です。
不順な天候が続いた一週間でした。東日本一帯で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
皆様どうかご自愛くださいませ。
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イシバチャンネル第五十九弾 をアップロードしました。「石破茂、地方創生を語るシリーズ その3」です。長いので2つに分割しています。
イシバチャンネル第五十九弾 PART1「水月会とは」
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イシバチャンネル第五十九弾 PART2「バルコス、本棚その3」
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ぜひご覧ください
追伸:質問は随時受付中です。
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石破 茂 です。
今週火曜日早朝、羽田着の便で、二泊四日のオーストリア出張から帰国致しました。
林業現場、CLT工場、CLT建築や農村観光の現場視察、フィッシャー大統領やルプレヒター農林・環境・水利担当大臣との会談など、息つく暇もない日程でしたが、得るところが非常に大きい有意義な出張となりました。
ご尽力頂いた竹歳誠・駐オーストリア日本大使、大使館スタッフの皆様、まち・ひと・しごと創生本部の皆様のおかげと、深く感謝申し上げます。
人口八百万人、北海道くらいの広さしかない国において、何故林業が主要産業であり、人口の三倍の外国人観光客を集客し、一人当たりの国民所得は日本より多く、原発なしでやっていけるのか。
地盤が固くて林道網の整備が容易でコストが低い、陸続きの国からの客が多く送電も受けられる、人口の少ない小国であるが故に労働生産性の低い産業が無い、等々と一言で片付けてしまうのは簡単ですが、それで終わってしまっては何の進歩もありません。
実に当たり前の話、百聞は一見に如かずなのであり、今後よく分析して我が国の政策に生かすべく、考察を重ねてどこかで近々記したいと思います。
帰国後、昨日は単独選となった岩手県議選の応援で二戸市と久慈市へ、今日はこれから市長選の応援で山形県酒田市へ、明日は北海道長万部の東京理科大学長万部キャンパスでの「地方創生サミット」と自民党札幌市支部連合会のセミナーで講演、明後日は自民党茨城県連創設50周年大会で講演と引き続き慌ただしい日程が組まれています。
日々の用務に追われる毎日に恐怖に近いものを感じていますが、人事は棺を蓋うて定まる、という言葉を何故かしみじみと思うこの頃です。
テレビはその瞬間、新聞はその日、週刊誌はその週だけを追っており、これはその性格上当然のことなのですが、その評価の対象である我々は、もう一度この言葉の意味を噛みしめなくてはならないのだと思います。
都心は暑さが戻ってきたような日々が続きました。ご健勝にてお過ごしくださいませ。
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