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2018年2月16日 (金)

米国核態勢見直しなど

 石破 茂 です。
 米国核態勢見直しについて、あまり国会でも議論がありませんが、実は我が国にとっても根本的かつ重要な政策変更だと思っております。
 「戦略核」は、いったん使用して互いが撃ち合いになれば世界が終わってしまう「使えない兵器」としての位置づけが固定化されてしまい、抑止力の低下が懸念されるため、「戦術核」という位置づけの存在を復活させることで抑止力を高める、というのが基本的な考え方のようです。
 現状を「過去のいかなる時よりも多様で高度な核の脅威に直面している」と認識しており、核に対して基本的に「米国には核廃絶に向けた同義的な責任がある」としたオバマ政権とは相当に異なっています。
 核の使用を「米国や同盟国の利益を守るための極限的な状況に限って使用する」としている点ではオバマ前大統領と同じであるものの、根底には今や戦術核をアメリカの四倍も持つに至ったロシアへの危機感があるようです。

 今回の見直しには、①爆発力の小さい小型核の導入、②艦船搭載型の再開発への着手、③核運搬手段の三本柱の強化、④核使用は核以外の戦略的目標に対するものを排除しない、という四つのポイントがあります。
 長期的には艦船搭載型巡航核ミサイルを新たに開発するということと、米国の核の傘(拡大抑止)の信頼性向上との関係も、日本国自身の問題としてよく考えておかなくてはなりません。

 個人としてのトランプ氏は、核について過去様々な発言をしています。
 「私はソ連との核軍縮交渉の担当者になりたい。ミサイルのことをすべて学ぶのに一時間半あればよい」(38歳の時)
 「核戦争のことをいつも考えている。私の思考プロセスにおいて極めて重要な要素だ。人々は核戦争が起きないと思っているが、それは最も愚かなことだ」(90年の雑誌インタビュー)
 大統領就任後も「私が持つ核のボタンの方が金正恩のものより遥かに大きい。私は賢いというより精神的に安定した天才なのだ」と述べ、「いずれ世界の国々が一緒に核を廃絶する魔法のような瞬間が訪れるかもしれない」との発言にはシニカルな姿勢が窺われるように思います。
 これに対してハイテン米戦略軍司令官は「トランプが核攻撃を命じても違法ならば従わない」と述べ、核戦略に携わった17人の元将官は「核使用にあたっては議会や国防長官の承認があるべき」とする意見書を提出しており、米国内の専門家の意見も多岐に分かれているようです。
 日本においても感情論とは別の、もっと深い議論が必要です。

 小型核には、偶発的な核戦争の危険を高める恐れがある、との指摘があります。
 オバマ政権が艦船配備型の巡航核ミサイルを撤廃したのは、通常の巡航ミサイルによる攻撃を核攻撃と誤認または曲解して核反撃を受けることを避けるためだったのであり、核と通常兵器の区別がつきにくくなれば、偶発的な核戦争の恐れも高まると考えたことによるものでした。

 冷戦期、戦略核の「使えない」ことそれ自体が抑止力となって、「恐怖の均衡」のもとに大きな紛争がなかったことは厳然たる事実です。
 トランプ氏の言う「魔法の瞬間」の到来が当面期待できない以上、核廃絶を心から希求しつつ、パリティ(均衡)を常に保つことと、ミサイル防衛や国民保護をはじめとする「核を用いたとしても効果はない」という拒否的抑止力を向上させることが肝要であり、それを忘れてはなりません。

 今週の週刊新潮と週刊文春のグラビアには、さる10日土曜日に私が御殿場で旧日本陸海軍の軍用乗用車「くろがね四起」に乗った際の写真が、極めてよく似たアングルから撮られて掲載されています。
 ライバル誌同士にしてはとても珍しいことのように思われますが、文春の「石破が四起(ヨンキ)でやってくる」というタイトルには思わず笑ってしまいました。山田洋二監督、ハナ肇主演の往年の名作映画「馬鹿が戦車(タンク)でやってくる」(1964年・松竹)に引っ掛けたものですが、まあ本当によく考えるものですね。この映画は題名のイメージとは異なり、山田監督らしい深い味わいのあるもので、お勧めの一本です。

 週末は、17日土曜日が公明党鳥取県本部新春の集い(11時鳥取市白兎会館・18時倉吉シティホテル)、鳥取城北高校相撲部後援会総会・諸大会好成績祝賀会(19時・ホテルニューオータニ鳥取)。
 18日日曜日は自民党鳥取県国会議員新春懇談会(10時・ホテルニューオータニ鳥取、13時半・倉吉シティホテル、16時半米子ワシントンホテル)という日程です。

 多くの皆様に誕生日ならびに2月14日のお気遣いを賜りましたことに厚くお礼申し上げます。
 皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2018年2月 9日 (金)

真に必要な国民的議論など

 石破 茂 です。
 陸上自衛隊目達原駐屯地所属のアパッチ・ロングボウ対戦車ヘリコプターの事故には言葉がありません。被害に遭われた神埼市の皆様に元防衛大臣・自民党安全保障調査会顧問としてお詫びとお見舞いを申し上げますとともに、殉職された、技量高く人望の厚かった機長・斎藤謙一2等陸佐と、結婚されたばかりであった副操縦士・高山啓希1等陸曹の御霊の安らかならんことを心よりお祈り致します。

 AH-1S対戦車ヘリの後継機として導入したAH-64Dは、当初62機の調達を予定していたのですが、価格があまりに高いことなどを理由に13機で調達が打ち切られました。同時に10個以上の目標を探知し、攻撃の優先順位を識別できるという高性能機なのですが、基本的に対戦車ヘリである以上、敵がどれほどの数で我が国に侵略を加え、それを排除するには何機が必要なのか、我が方の戦車の数と対戦車ヘリの機数の比率はいかにあるべきか等が綿密に計算されて必要な調達数が決定されていたはずです。
 事故原因はこれからの調査の結果を待つ他はありませんが、機数が少ない分、稼働率が高くなり現場に過度の負担がかかっていたのではないか、との指摘もあり、この構想に中途まで関わっていた者として、大きな責任を感じています。
 装備の調達、人員の確保、運用体制の整備などの予算や、権限を付与する法律の制定など「軍政」の分野は一にかかって政治の責任です(作戦など「軍令」の分野は制服に権限が属しますが、日本ではこれがやや不明確です)。

 予算委員会の質疑を聞いていても、スタンドオフミサイルは敵地攻撃能力を有するのか、いずも型護衛艦に固定翼機を乗せれば専守防衛に反するのではないか、等々の質問ばかりで(それも大切な議論ではありますが)、どのような脅威に対してどのような態勢で抑止力を保持すべきなのか、という本質的な議論はあまり聞かれません。
 軍事についてささやかな知識を持ち、自らの思いを述べれば、「軍事マニア・軍事オタク・好戦家」のレッテルを張られて異端視される雰囲気はどう見ても異様ですし、危険極まりないことだと思います。「それはお前の不徳の致すところだ」と言われてしまえばそれまでですが、このような雰囲気で本当に必要な安全保障体制が構築できるのでしょうか。

 自民党内における憲法の議論で、私が「陸海空軍その他の戦力は保持しない」「国の交戦権はこれを認めない」という第9条2項の削除を主張しているのは、「自衛隊は国際的には軍隊だが国内的にはそうではない」「必要最小限度の実力しか保持しないのだから戦力ではなく陸海空軍でもない」「日本国は交戦権を行使できるが、憲法で禁じられているから、これを『自衛行動権』と称するのだ」などという、摩訶不思議な、一般の方にはまず理解不能な論理が罷り通り、国会の議論が法律細部論に終始している限りは、この国に真に必要な国民的議論が行われないと信じるからであり、国会でなんとか辻褄を合わせた答弁をしてきた者だからこそ、痛切にそう思うのです。
 国民の命と暮らしや権利を保障する国家の独立に関わる問題であるからこそ、政治は真剣に、誠心誠意国民に語る真摯さを持つべきです。
 マスコミは相も変わらず「安倍総裁の意向に沿った憲法改正推進本部幹部VS石破」的な報道しかしませんが、そのようなつまらないことで議論しているのではありません。担当記者諸兄姉は多少なりとも議論の内容を理解しているのでしょうが、上層部の判断であのような報道になるのでしょうか。とても情けなく、悲しい気持ちにさせられます。

 昨日ダイヤモンド社の企画で、レーガン政権からオバマ政権まで国防長官顧問を務められたハーバード大学ケネディ行政大学院初代学長のグレアム・アリソン博士と対談をしたのですが、とてもスリリングかつ有意義な2時間でした。
 博士の最新の所論は、以前もご紹介した「米中戦争前夜」(ダイヤモンド社)に述べられており、深い歴史的考察に基づいたとても興味深い一冊です。
 「あなたはアベノミクスで幸せになれるか」(市川眞一著・日本経済新聞出版社)も、客観的な視点から今後の日本経済の在り方を論じたもので、多くの示唆を受けました。

 10日土曜日が旧陸海軍95式小型乗用車見学会(午前10時半・御殿場観光ホテル)、防衛技術博物館を創る会活動報告会にて講演、その後の懇親会(午前11時・同)。
 11日建国記念日は「時事放談」出演(午前6時・TBS系列・収録)、八頭町西御門地区初総会(午前8時・西御門集会所)、郡家殿地区初総会(午前8時半・郡家殿公民館)、建国・紀元祭(聖神社・鳥取市行徳)、山陰新幹線の早期実現を求める松江大会(午後1時・ホテル白鳥・松江市千鳥町)、ビッグツール(株)工場見学並びに懇談会(午後3時・鳥取県日吉津村)、という日程となっています。

 地元の聖神社で行われる建国記念の日のお祭りに参加するのは久しぶりです。典雅で清々しい「紀元節の歌」を歌えることを楽しみにしています。

 豪雪の被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。
 三連休の方も、休まずお仕事の方も、ご健勝にてお過ごしくださいませ。


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2018年2月 2日 (金)

憲法9条、野中先生ご逝去など

 石破 茂 です。
 憲法改正についての党内議論が進んでいます。

日本国憲法 第9条 第1項
 「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」
同 第2項
 「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」

 一読して、これが何を意味しているのか理解できる人はそうは多くないはずですが、制定当初に日本国政府がどのように考えていたかは「あたらしい憲法のはなし」(1947年文部省中学1年生用教科書)を見るのが一番わかりやすいと思います。そもそも中学生が読んでわからないようなものは憲法として失格です。以下該当部分を引用します。

 「こんどの憲法では、日本が二度と戦争をしないように、二つのことを決めました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっしてこころぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国によりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
 もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって相手をまかしてじぶんのいいぶんをとおそうとしないということを決めたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょくじぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、良い友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです」 (原文ママ)

 戦車も軍艦も戦闘機も一切持たず、すべては話し合いによって解決する。制定当初の意図は間違いなくこのようなものだったのですし、素直に読めばこれ以外の解釈はありえないでしょう。
 ここにおいては「芦田修正」的な考え方、つまり「前項の目的」を「侵略戦争はしないが自衛戦争はできる」ものとし、自衛のための陸海空軍は保持でき、交戦権も認められる、とする考え方は一切見られません。

 その後、警察予備隊を創設し、保安隊、自衛隊へと移っていく中にあっても、芦田修正が取り上げられることはなく、自衛権は固有の権利として国家に認められており、その根拠を憲法前文の「平和的生存権」「幸福追求権」に求め、外部からの武力攻撃によって国民のこれらの権利が侵害され、生命や身体が危険に陥った時にのみ、必要最小限の武力を行使してこれを排除できる、という論法を用いています。
 しかし、前文において明文で定められているように、平和的生存権は「全世界の国民」が有するものであり、世界中に適用されるべきもののはずです。そこから「必要最小限度」という考えが論理的に導き出されることはありません。

 ちなみに「芦田修正」はなかなか魅力的ですが、これにも難点はあります。
①もし第1項を「自衛のための武力の行使はできる」と解するならば、そのための戦力を保持できることは自明のことであり、第二項をわざわざ置く意味は全くなく、むしろ「前項の目的を達するため陸海空軍その他の戦力を保持する」と書く方が自然なのではないか
②同時に憲法に自衛のための組織に関する統制の規定や、自衛権行使にあたっての規定を置くのが当然ではないか
③「前項の目的を達するため」は「国の交戦権はこれを認めない」という部分にはかかっておらず、この部分は芦田修正にかかわらず生きているのではないか
という3点です。

 いずれにせよ、あれこれ無理やりに解釈を加え、委曲を尽くして現状に合わせようとすることには明らかに限界があります。
 「必要最小限度内の実力しか保持しないのだから自衛隊は戦力ではない」
 「戦力ではないから自衛隊は陸海空軍ではない」
 「交戦権は認められないが、普通の交戦国がやることと大体似たようなことを国内でやる自衛行動権は認められる」
 「自衛行動権とは、自衛権からくる制約のある交戦権である」
などという論理は、その道のプロである内閣法制局長官や外務省国際法局長には理解できても、普通の人、一般の国民に理解していただけるとはとても思えません。
 国の安全保障政策の根幹である日本国憲法第9条がそのような状態で、国民に真に理解される安全保障政策が構築できるのでしょうか。我が国における安全保障についての議論が深まらない大きな一因はここにあると私は思っています。

 私自身、政府の立場にあるときは、四苦八苦しながらなんとか辻褄の合う答弁をするように努めてきましたが、国会における安全保障審議の大半は憲法論議と法律論議に費やされ、本来なされるべき「日本にとっての脅威とは何か」「保持すべき抑止力とは何か」などについての議論が極めて少ないことにずっと危機感を抱いてきました。
 もし、巷間言われる「第三項加憲」が「第三項に自衛隊を明記するだけであり、あとは何も変わらない」とする立場だとすれば、このような問題は引き続きそのまま残ることになります。

 先日の予算委員会審議において、安倍総理が「フルスペックの集団的自衛権は認められない」と発言され、その際に、「石破委員がこちらを見ているが、第2項を削除すべきだという議論もある」と述べられました。
 平成24年の自民党憲法改正草案は、集団的自衛権の行使は憲法上全面的に認められるとしつつも、その行使の態様は新しく定める安全保障基本法によって厳しく制約を受けるという考えです。
 集団的自衛権を憲法上全面容認するという考えは、「日本国を真の独立国とすることを目指す」という点に一番のポイントがあるのですが、これをほとんどの大手メディアが全く論じないことが不思議でなりません。沖縄に限らず、基地問題の本質はここにこそあるのです。

 憲法改正にあたっては、「新しい憲法のはなし」の現代版が書けることを第一に心掛けなくてはなりません。真実から目を背け続けることは、いつか必ずその報いを受けます。国民の理解がない防衛政策がいかに危険なものであるのかを改めて痛感しています。

 野中広務先生が逝去されました。
 先生との最初の出会いは、昭和58年夏、衆議院京都第二区の補欠選挙に立候補された際、東京との連絡要員としてお手伝いに出向いた時のことでした。
 当時私は26歳の田中派事務局職員でしたが、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で始まる先生の演説に魅了されたことを昨日のことのように思い出します。
あれからはや34年、先生とは立場を異にすることもありましたが、いつでもあの夏のことを覚えてくださっていたことはとても有り難いことでした。御霊の安らかならんことをひたすらお祈り申し上げます。

週末は、2月3日土曜日が資料整理と原稿書き、4日日曜日は滋賀県へ参ります。
皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2018年2月 1日 (木)

水月会 総会の様子です

 事務局です。
 本日(2/1)行われた、水月会 総会の様子です。
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 水月会のHP(こちら)より、総会でのご挨拶の様子もご覧になれます。

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