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2018年7月27日 (金)

自民党綱領など

 石破 茂 です。
 党の基本を定めた自民党綱領(下野時の平成22年1月24日に新綱領を制定)に則り、その範囲内において所属党員や所属議員がそれぞれの信じるところを表明し、その実現のために尽力するのは極めて当然のことであり、責務でもあります。
 党綱領は野党時代に下野するに至った要因を真摯に反省しながら、国会議員のみならず地方の代表も交えて侃々諤々の議論の末に定められたものであり、このもとに自民党は政権に復帰したはずです。自民党とは何か、を論ずる際には常にこの綱領に立ち返ることが必要です。全文は党のホームページやネット上でご覧いただけますが、大意は以下のようなものです。
1.我が党は常に進歩を目指す保守政党である。勇気をもって自由闊達に真実を語り、協議し、決断する。多様な組織と対話・調整し、国会を公正に運営し、政府を謙虚に機能させる。
2.基本的考え方 日本らしい日本の姿を示し、世界に貢献できる新憲法の制定を目指す。日本の主権は自らの努力により護る。自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組みを充実する。政府は全ての人に公正な政策や条件づくりに努める。将来の納税者の汗の結晶の使用選択権を奪わぬよう、財政の効率化と税制改正により財政を再建する。
 是非全文を別途ご覧いただきたいのですが、自民党はこの綱領に則って運営され、政策を実現する政党なのであり、これに反することは断固として糾されなくてはなりません。
 自民党内において勇気をもって自由闊達な議論が行われているか、多様な組織と対話・調整し、政府を謙虚に機能させているか、日本の主権を自らが護る体制を整えつつあるか、政府は全ての人に公正な政策や条件づくりに努めているか、財政再建への努力はなされているか。総裁選挙においてはこれが議論されなくてはなりません。党綱領は党の憲法ともいうべきものであり、これを蔑ろにすることは党を否定すること以外の何物でもありません。
 時折「野党の時に作ったものだから」という理由で野党時代にまとめた政策や方針を否定する意見がありますが、私はこの立場には与しません。我が党は、いったん自民党を下野させた主権者たる国民の審判に常に謙虚でなければならないのであり、これを忘れたとき、再び国民は自民党を見放すでしょう。他に代わる政党が存在しない以上、それは日本国にとってこの上ない不幸であることを肝に銘じなくてはなりません。

 岸田氏が総裁選挙への出馬を見送ることを表明されました。様々な論評が報道されていますが、総裁選挙に立候補するか否かという決断は、本当に幾晩も寝られない懊悩が続く苦しいものです。
 かつて故・中川一郎代議士が総裁選に出馬、敗退した後に自らその命を絶たれた時、その恐ろしさをまざまざと感じたものでした。事実かどうか確認するすべもありませんが、岸田氏の不出馬会見を受けて「今更遅い」「岸田派は人事で干しあげるべきだ」などという声が主流派幹部から発せられているとの報道があります。これが本当だとすれば、なんと傲慢で不遜なことか。自民党は一部のみの政党ではない。党員すべてのものであり、政権政党である以上国民すべてに奉仕する政党でなければならないと強く思います。

 永田町は総裁選モードに移行しつつあり、私の動向も焦点の一つとなっているようです。三年前に引き続いて今回も無投票ということは党員に対する背信であり、決してあってはなりません。
 政策も、党の在り方も堂々たる論戦が交わされるべきであり、私もその中の一人たるべく、十分に想を練り、推薦していただける議員をお一人でも多く募る努力をし、しかるべき時期に態度を明らかにしなくてはなりません。

 週末は、自民党支部の大会や講演で愛知県・兵庫県・滋賀県へ参ります。
 猛暑の中、台風の接近も予想されています。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2018年7月20日 (金)

合区解消、大平記念館訪問など

 石破 茂 です。
 一昨日の衆議院本会議において、鳥取・島根、徳島・高知のような、参議院選挙区が合区の対象となり、自県から国会議員を出せない県への対応として、参議院の比例区名簿に一部拘束式を導入し、当該県の候補者を上位に搭載することにより、この状態を緊急避難的に改善するための公職選挙法案が成立しました。
 1票の格差を3倍以内に収めるために、最も一票の軽い埼玉選挙区の定数を1議席増やし、職能代表的性格を有する比例区に、自県から出せない県の候補者が優先的に上位に2名搭載されることに対応して比例区を2議席増やす(参議院は3年ごとに半数改選なので、3×2=6議席の増となる計算です)、というのがその内容です。
 場当たり、お手盛り、党利党略、わかりにくいと散々に批判されていますし、定数増が世間に理解されないのもよくわかるのですが、衆議院と参議院の役割を憲法上明確に分け(議院内閣制の下での二院制の在り方は、一方が「権力を作る院」であり、もう一方は政府に役職者を出さない「権力を監視する院」であるのが望ましいと思っております)、それによって参議院における一票の格差を容認するような憲法の改正が、時間的に来年の改選までには間に合わず、都市部の定数を大幅に増やすようなことも、比例区の定数を削減して選挙区に回すことも到底容認され得ず、そうなれば結果として現状が固定されることとなってしまうのですが、それでもよしとするのでしょうか。
 合区の解消は自民党だけが主張しているのではなく、全国知事会、全国市長会、全国町村長会やそれぞれの議長会など地方六団体の総意であるばかりでなく、ほとんどすべての政党が賛成しているのであり、ベストが望めないからといって現状のままでよいということにはならないでしょう。批判される方は、是非この点にもご留意を頂きたいと思うのです。

 そうは言ってみても、合区対象県の悲しみや苦しみは、それ以外の地域の方々には理解されにくいのだろうなと思います。現行憲法制定時には、今のような東京や首都圏への一極集中も、地方の急激な人口減少も想定されておらず、二院制のあり方も、立法と司法との関係も、深く考えられることはなかったのであり、その歪みがこのような形で現れているのだと思っています。
 昭和50年、大学1年の憲法の講義で教授がこの問題を採り上げ、一番1票の重い鳥取選挙区選出の参議院議員を父親に持っていた私は随分と複雑な思いをしたものでした。あれからもう43年、議員になってから早32年。憲法に正面から取り組んでこなかったことへの自責の念を強く感じています。

 先週末、香川県宇多津町自民党支部研修会における講演の際、事前の時間を使って観音寺市にある故・大平正芳総理大臣のお墓にお参りし、記念館を訪問する機会を得ました。
 昭和54年秋、不人気を承知の上で敢えて大型間接税導入を掲げて総選挙に敗れ、その後自民党内では党内抗争が激化、政権が不安定となる中、昭和55年の通常国会において自民党から造反者が出て内閣不信任案は可決、総理は即座に解散を決断し、史上初の衆参同日選挙となりました。
 総選挙告示の5月30日、街頭演説で倒れた総理は虎の門病院に入院、そのまま6月12日に逝去されました。当時私は社会人二年目でしたが、亡父の二回目の参議院議員選挙だったこともあり、ありありと覚えています。
記念館にはその最後の演説の壮絶な写真が掲げられているのですが、政治家が国事に命を賭けるという鬼気迫る姿に接し、しばし見入ったことでした。

 今日で国会は事実上閉会となりましたが、政府・与党と野党の対立ばかりが際立ち、成立したとはいえIR法にしても働き方改革法にしても、国民の十分な納得が得られたとはいい難い結果であったように思います。法律は多くの国民の納得と共感を得て執行されなくてはその意味を成しません。
 私たちが努力してきたチケット高額転売禁止などの議員立法も、その多くが廃案となり臨時国会に先送りされる見込みです。子供たちが夏休みを迎える前に、チケット高額販売禁止法案は是非とも成立させたかったのですが。
 森友、加計問題に多くの時間を費やしたことが大きく響いていますが、法に抵触はしていないとしても、政府が非を非として認め、公文書の取り扱いも含めて、行政の公平な執行について誠実に丁寧に説明する姿勢が求められていたのだろうと思うと残念な気が致します。 

 防災省の設置について、政府から否定的な見解が相次いで述べられています。曰く、権限を集中させることは困難だ、今のままで上手くいっている、行政改革に逆行する、この時期に政争の具にするのは怪しからん等々、本当にそう思っているのでしょうか。
 防災は経験の蓄積と伝承、そして共有が肝心なのであって、権限を中央に集中させることを意図する必要はありませんし、今のままで上手くいっているとは私には思えません。災害大国日本にあって、多くの職務を所掌する内閣府の大臣が、その任務の一つとしてのみ防災を分掌するという体制では、不十分だと私は思います。同様に、担当する官僚が各省庁から数年ずつ出向する組織体制では、どうしても経験の蓄積、伝承が十分になされません。行政は国民の役に立つことが目的なのであり、行革それ自体が目的なのではありません。
 防災省の設置はもう3年以上も前から提唱しており、昨日今日言い始めたのではありません。とにかく全否定してしまうというのでは、決して世の中の進歩にはつながらないのではないかと考えます。

 週末は、党地方支部の会合などで愛知県と富山県に参ります。
 猛暑の日々、皆様くれぐれも健康にご留意の上ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2018年7月13日 (金)

豪雨災害など

 石破 茂 です。
 西日本の記録的豪雨により、広島県・岡山県を中心に甚大な被害が発生しています。同じ西日本ということで、私の鳥取県についても多くの方にご心配を頂いており、お気遣いに感謝申し上げます。
 鳥取県も岡山と結ぶ因美線・伯備線が依然として不通となっており、特に伯備線は復旧の目途すら全く立っておらず、田畑の冠水など農業被害も多く発生していますが、その他の被災地の皆様にも心よりお見舞いを申し上げますとともに、亡くなられた方々に心よりお悔やみを申し上げます

 異常気象による災害のみならず、首都直下型地震や南海トラフ地震などの巨大な天変地異が確実視される中にあって、かねてから申し上げている通り、防災を専門とする防災省・防災庁のような行政組織の創設は喫緊の課題だと私は思っております。
 旧国土庁の防災局を引き継ぐ形で内閣府に防災担当部局が設置されていますが、専任の大臣を置くこと、そしてなによりもその分野に通暁し、他に異動することのない高度な能力を有するスタッフを揃えた組織であることが要諦です。そして国への権限の集中という観点ではなく、全国すべての基礎自治体の防災態勢を徹底的に点検し、その向上を図ることと、被災の教訓の伝承と共有、行政版のDMAT的な体制の整備などの役割を担うべきと考えています。これはアメリカのFEMAを視察した時に学んだことであり、国柄の相違を超えて学ぶべきことは多いと痛感したことでした。行政改革に逆行する、権限争いに終始してしまう、アメリカとは国と地方との関係が異なる、などという批判もありますが、省庁再編で対応できることでしょうし、日本の組織ならではの創り方があるはずです。創らないための理屈ばかり並べていても全く埒はあきません。

 最近の各地での講演では、地方創生に加えて、憲法改正や安全保障もテーマとするようにとのご要請を多く頂くようになりました。憲法改正や安全保障については、この春の党内論議の際に見られたように「石破案対執行部案」的な取り上げ方が今もなされがちですが、この認識は基本的に全く間違っています。私が申し上げていることは「石破案」ではなく、野党時代に侃々諤々の議論の末に党議決定し、今でも生きている「自民党平成24年憲法改正草案」と「国家安全保障基本法案概要」をベースにしています。
 自民党改正草案は、第9条のみならず、ほとんどすべての現行憲法に関する論点を網羅し、改正案を示したものなのですが、この全体を理解している議員はあまり多くはないと思いますし、マスコミもほとんど読んでいないままに政局的な報道しかされないのが現実です。
 自民党改正草案の内容をすると、「そんな話は初めて聞いた」「そうだったのか」との反応が大半で、今までの営々たる努力を水泡に帰してしまうようなことになりはしないかと危惧しています。折角、解説本も出し、改訂版も作って、国民の理解が深まる端緒が見られていたのに、残念でなりません。
 この三月の党大会までは、まがりなりにも何度も憲法改正推進本部の会合が開かれて意見聴取を行っていたのですが、その後は全くと言っていいほどに本部会合は開かれず、約束されたはずの総裁の意見表明も行われないままです。国の根幹である憲法に対するこのような姿勢に、私は強い問題意識を持っています。

 オウムの一連の事件は、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚らの刑執行によって終焉したのではないと思います。確信犯的なテロリストには、罪刑法定主義の持つ犯罪抑止機能が作用しない場合があり、その対策には法的にも、能力的にも更に改善すべき点が山積しています。国会はこの問題にも力を尽くさねばなりません。                     
 週末は、愛知県、香川県、徳島県において自民党の支部大会での講演、JC地区大会での講演やパネルディスカッションなどに参加するとともに、選挙区の被災状況を視察する予定です。
 三連休の方も、連休にもお仕事をなさる方も、どうかご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2018年7月 6日 (金)

児童虐待と保育など

 石破 茂 です。
 「あしたはできるようにするからもうお願い許して」「遊ぶってあほみたいやからやめるのでもう絶対やらないからね」
 やや旧聞に属することで恐縮ですが、このような文章を遺して亡くなった船戸結愛ちゃん(当時五歳)は、逮捕された義父の船戸雄大容疑者に午前4時から平仮名の練習を強要されていたと報じられています。死亡時の体重は12.2キロ、言いようのない痛ましい事件でした。
 これに対して、各都道府県に設置されている児童相談所の機能を強化するとともに、警察との連携を強化すべきとの対応策が検討されていますが、同時に保育園を活用したシステムを構築することもまた必要です。

 2015年から始まった「子供子育て支援制度」では保育の要件が変わり、保護者の従来のフルタイム就労にパートタイムも追加され、更に「虐待やDVの恐れがあること」も加わりました。虐待やDVが明確でなくともよく、保護者が育児に困難を感じていれば預けることが出来るようにも明示されました。ガイドラインは「保護者との信頼関係を築きながら保育を進めるとともに、保護者からの相談に応じ、保護者の支援に努めていくこと」と定めており、保育所が担う役割が変わったことを現場に周知しなくてはなりません。
 その場合、保育所が必要以上に保育時間などを厳格に管理したり、上から目線の「親教育」に偏ったりしてはかえって親を追い詰めてしまうことにもなりかねませんが、「保護者の信頼関係を築くこと」と「親からの虐待に遭っている児童の保護」という、共に崇高でありながらも一種異なる目標を両立させることには大きな困難が伴うのであり、これを児童相談所や保育園の現場だけに委ねてしまうことがあってはなりません。
 報道によれば、2016年3月の社会保障審議会専門委員会の提言を受けて、その後の改正児童福祉法の付則に「2年以内に児童相談所の在り方を検討し必要な措置をとる」と定められ、厚労省内に検討会が設置されたのですが、作業は立ち消えとなったまま今日に至っているとのことです。真相はわかりませんが、どうしてこのようなことになってしまうのか。
 あまりに痛ましく悲惨な事件であったため、両親に対する批判が沸き起こり、それは当然でもありますが、両親の資質のみに問題を限定してしまうようなことは避けるべきです。

 待機児童ゼロの目標の下で保育所の整備が進んでおり、それ自体は望ましいことなのですが、「量」とともに「質」の向上も併せて進めていかなくてはなりません。若い保育士の離職率が高いこと、資格を持ちながら現場に出ていない保育士が60万人もいること、改善が進められているとはいえ、保育士の待遇は小学校教諭とはまだまだ大きな差があることなど、問題は山積しています。

 意外に思われるかもしれませんし、講演などの際にご紹介いただく私の経歴の中にもまったく入っていないのですが、当選二回の時は厚生分野の専門家を志して社会労働委員会(現在の厚生労働委員会)にずっと籍を置き、理事も務めて医療法の改正などに携わっておりました。貧しい人のために働きたい、との思いから内務省に入り、昭和13年に内務省から分かれて厚生省が発足した時には厚生事務官となった亡父の影響もあったように思います。厚生政務次官を望んだこともあったのですが、様々な事情からその時は農林水産政務次官を拝命することとなり、その後この分野に携わることはありませんでした。もしあの時、希望通り厚生政務次官を拝命していればその後の人生は今とは全く違ったものになっていたに違いありませんし、今でも弱い立場、辛い立場の人々のためにこそ働きたいという思いは強くあります。11日水曜日に保育関係の集会で講演をしながら、ふとそんなことを考えたことでした。

 週末は、7日土曜日が新潟県で講演や諸会合に出席、8日日曜日は「時事放談」出演(午前6時・TBS系列・収録)、年一回の大集会「どうする日本」で講演(午前10時・JA中央・倉吉市越殿町、午後1時半・とりぎん文化会館・鳥取市尚徳町)、鳥取県看護連盟通常総会(午後1時・同)、鳥取市湖南地区石破後援会で講演・懇親会(午後4時・鳥取市吉岡温泉町)という日程です。

 明日7日から衆議院議員在職33年目に入ります。初当選した32年前のことが、ついこの前のことのようにも、ずいぶんと昔のことのようにも思い出されます。
 梅雨明けしたはずなのですが、各地で豪雨が続いています。被害にあわれた方には心よりお見舞い申し上げます。
 皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。


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