イシバチャンネル第八十九弾
事務局です。イシバチャンネル第八十九弾をアップロードしました。「総裁選を振り返って」 です。
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石破 茂 です。
前回の本欄で江藤淳氏の「1946年憲法 その拘束」をご紹介致しましたが、読んでくださった方がおられてとても嬉しく思いました。文春文庫版は容易に入手できますので、皆様是非お読みください。
一般論として、ある意見に反対の場合でも、見解を述べる際にはその拠って立つ論理を明らかにするべきだと思いますし、そうでなければ議論にはなりません。答えに至るまでの論理をほとんど明らかにしないまま、結論のみを述べて賛成か反対かを迫る手法には、恐ろしさと忌避感を覚えます。先人たちが営々と築いてきたプロセス重視の民主主義は、意外と脆く崩れる危うさを持っているようにも感じます。
「憲法第9条第1項・第2項を残したまま、自衛隊の存在を第3項として書き込む」案について、論理的な正当性や安全保障政策における妥当性を述べた論考を私は寡聞にして知りません。恐らく論理的な正しさはなく、安全保障政策としても(「何も変わらない」と言われているわけですから)特段の妥当性はないのではないでしょうか。そうであるにもかかわらず、「どうせ国民にはわかりはしない」とばかりに民主主義的なプロセスを省略し、論理的整合性を無視して「政治は結果こそすべてだ」と主張するのだとすれば、その危険性をもっと論じなくてはならないと思っております。
安倍総理は水曜日の所信表明で「国の理想を語るものは憲法」であり「憲法審査会において、政党が具体的な改正案を示すことで、国民の理解を深めていく努力を重ねていく中からできるだけ幅広い合意が得られると確信する」と述べられました。
現行憲法の前文に語られている「理想」は、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というような抽象的でユートピア的なものですが、このあまりに非現実的な「理想」からどのように脱却し、どのような新たな「理想」を掲げるのか、が問われることになりましょう。
「政党が具体的な案を示す」ということですから、当然自民党が率先して示すべきものだと思います。
その際には、自民党で党議決定した平成24年憲法改正草案を覆す案、すなわち第9条第1項と第2項を残したままで、自衛隊の存在を第3項に明記する案について、出来る限り総裁ご自身がその意図をご説明いただくべきものですし、総裁選中における私との討論の際にも安倍総裁はそのように仰いました。
何らかの理由で総裁ご自身がこれをなさることができない場合には、誰か総裁の意図を正確に体現した人が責任をもって行わなくてはなりません。内閣法制局も、衆議院や参議院の法制局も答える立場にはありません。普通の法案ですら踏む当たり前のプロセスを、最上位法である憲法で省略していいはずがないからです。
政策的な立場は全く違いますが、立憲民主党の山尾志桜里衆院議員の対談集「立憲的改憲」(ちくま新書)は極めて示唆に富むものでした。これは法律家でもある山尾議員と、阪田雅裕・元内閣法制局長官、伊勢崎賢治・東京外語大教授、井上達夫・東大教授、駒村圭吾・慶大教授など、比較的新しい世代で、かつ教条主義的ではない専門家たちとの対談集なのですが、相当程度、頭の整理になり、展開されている論理も精緻なものだと感じました。
このような議論が野党内で活発に行われ、それが国会で論じられるようになればよいのですが、立憲民主党がかつての社会党的体質を引き継ぐようであれば難しいのかもしれません。そのような政党には広範な国民的支持も集まらず、政治を変える力も決して持ち得ません。
消費税率引き上げ、外国人人材受け入れなど、今国会で議論されるべき課題は多くあります。どの問題もその根底にあるのは日本の急激な人口減少と高齢化であり、弥縫策的な対応の積み重ねには限界があります。
消費税率の引き上げと社会保障の改革はあくまで一体のものでなければならないのですが、これらの課題についてはいずれまた論じたいと思います。
週末は先週に引き続き、自民党鳥取県連会長として党の会合を主催する他、いくつかのイベントに参加する予定です。
皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。
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石破 茂 です。
先週のブログは、私のパソコン操作ミスにより、途中で切れた形で終わってしまい、大変失礼致しました。
パソコンのワードプロセッサー機能は、かつてのワープロ専用機に比べると私にはとても使いにくいものです。ポータブルのワープロ専用機はとても使いやすく、その場で印刷も出来て実に便利だったのですが、今や絶滅状態。どこかもう一度発売してくれないものでしょうか。
あの後に申し上げたかったのは、日本国憲法上、明確に交戦権が否定されているのは、明らかに日本国の主権制限条項であるということ、交戦権が否定されていることが日本の安全保障にとってどのような影響を与えているのかを、法律論とは別に検証する責任を保守・革新(当時はそのような分け方がされていました)共に有しているという認識を江藤淳氏は持っておられ、それは今でも正しいということでした。
交戦権の問題の本質は、集団的自衛権や日米安全保障条約・日米地位協定と並んで「日本国は果たして主権独立国家なのか」という一点にあるのですが、この議論は最近全くと言ってよいほどになされません。
日本国憲法の三大原理の一つである国民主権については小学生の時から徹底して教わるのですが、国家主権については全く教わらない。従って「国家主権を守ることが国の独立であり、それを果たすのが軍隊の唯一の役割である」と言っても、それは一体何のことだかほとんどの人が理解できない。
日本国憲法が制定された時に日本国は連合国の占領下にあり、主権独立国家ではなかったので、憲法に国家主権も軍隊も書かれていないことは論理的には当然のことだったのですが、サンフランシスコ講和条約が発効して独立を回復した時に当然憲法を改正しておくべきところ、これを怠ったまま今日に至り、意識すら風化してしまったのが現実です。
大切なものは努力しなければ守ることは出来ないのであり、その価値を見失い、それがあたかも所与のものであるかのように思ってしまったとき、それはいつの間にか自分の手から離れてしまうものなのだ、といったことを論じていたのは、中学生のころ読んだイザヤ・ベンダサン(山本七平)氏の「日本人とユダヤ人」であったように記憶していますが、国家主権・国家の独立はその最たるものでしょう。
そして、憲法前文も、第9条第2項もそのままにして、第3項に自衛隊を書く、という摩訶不思議な論に自民党内から異論が噴出せず、マスコミもこれを政局的な観点からしか報道しないのは、風化がそこまで進んでしまったということなのでしょう。
政府が連綿として構築してきた憲法論には、「それがいかに精緻であったとしても、日本に手を掛けようとする国にはどのように映るのか」という意識が決定的に欠けているように思われます。政府の一員として何度も答弁してきた自分自身の責任を痛感しつつ、これは一種天動説的という思いがしてなりません。そのツケは、政治ではなく国民や自衛官たちが負わねばならないことを思うとき、慄然たる思いにかられます。
自分の使命はいまなお終わらないと強く思う所以です。
江藤氏の「1946年憲法 その拘束」は容易に入手できますので、多くの方にお読み頂きたいと切望しております。
今月十日に逝去された初代内閣安全保障室長・元防衛施設庁長官 佐々淳行氏の葬儀が今週執り行われ、参列してまいりました。慶應義塾大学での講義録である「ポリティコ・ミリタリーのすすめ 日本の安全保障行政の現場から」(1994年・都市出版)を読んで蒙を啓かれて以来、何度かご指導を賜ってきたのですが、愛国心と使命感を持たれた立派な方でした。
今週は元内閣官房長官 仙谷由人氏の訃報も報じられました。「赤い官房長官」などと酷評され、野党時代の私も何度か追及質問に立ちましたが、立場は全く異なるものの、教養の深い、行動力に溢れた方であったと思います。
官房長官時代「自衛隊という暴力装置」との発言が問題となりましたが、私は内心秘かに「この人はマックス・ウエーバーの『職業としての政治』を読んでいる」と思ったことでした。総裁選直後にTBSの「時事放談」でご一緒したのが最後となってしまいました。
お二人の御霊の安らかならんことを切にお祈り申し上げます。
週末は地元に帰り、自民党鳥取県連会長として来年の統一地方選や参議院選に向けた会議を主催する他、いくつかの地元後援会の会合やお祭りに顔を出す予定です。
季節は急速に秋になりつつあります。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。
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石破 茂 です。
故・江藤淳氏の著作「1946年憲法 その拘束」(初出・「諸君!」1980年8月号、文藝春秋・学芸ライブラリー 2015年)を久しぶりに読み返してみて、まさしく然りと思ったことでした。
1980年、昭和55年は私が三井銀行に入って2年目、高校生の時から極めて真っ当な保守の論客である江藤淳氏のファンではあったものの、日々の業務に忙殺されてきちんと読んで理解する機会もないままに今日に至ってしまいました。
「独立国家日本の主権回復」ということを真剣に、まともに考えればこうなる、ということですが、江藤氏もその思いを遂げることのないまま99年に自らその命を絶たれました。今改めて抱く感慨には極めて複雑なものがあります。
週末は13日土曜日が自民党金沢支部政経セミナーにて講演。
14日日曜日は言論NPO主催「第14回 東京-北京フォーラム」にてパネルディスカッションの予定です。
皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。
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石破 茂 です。
自民党総裁選挙では、皆様に大変お世話様になりました。厚くお礼申し上げます。反省点・改善点は多々あり、詳細に分析し、今後に備えて研鑽努力を致してまいります。
総裁選挙中も申し上げたことですが、国民の意識と自民党、就中国会議員との意識に乖離があるのは決して良いことではありません。選挙で示された結果をどのように受け止め、改めるべき点は改めるかが、極めて大切だと思います。
この選挙で印象的であったのは、「政治家に初めて手紙を書くのだが、自民党にも我々の立場を考えてくれる人がいることを知ってとても嬉しかった」といった趣旨の自筆のお手紙を多く頂いたこと、「私は自民党員ではありませんが、応援しています」と言って駆け寄ってくださる方が多くおられたことでした。
自民党はこのような方々にも目を向けて、施策を講じていかねばなりません。
沖縄県知事選挙は残念な結果となりました。私も最終盤に応援に入りましたが、「弔い合戦」の色彩と知名度不足だけが敗因であったとは片づけられないものを強く感じた次第です。
総裁選後もあれこれと日程が入っており、今回は十分に記すことが出来ません。来週なんとか時間を作って書ければと思っておりますが、何卒ご容赦くださいませ。
週末はまた台風の接近が予想されております。三連休の方も、カレンダーと関係なくお仕事の方も、どうかご健勝にてお過ごしくださいませ。
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