« 2019年7月 | トップページ | 2019年9月 »

2019年8月30日 (金)

インド・バラナシ訪問など

 石破 茂 です。
 このたびの豪雨で被災された皆様に、お見舞いを申し上げます。

 ドイツは今日に至るまで公式にはニュルンベルグ裁判を受け入れておらず、独自に自国の刑法により戦争関係者約9千人を刑事訴追しています。
 「戦勝国による裁判」を明記したポツダム宣言を受け入れた以上、東京裁判が、法の常識である罪刑法定主義法に反した事後法で裁くというものであったとしても、結果に異議を唱えられるものではないのでしょう。しかし独立回復後、回復した日本国の主権に基づいて戦争を総括する選択肢はあったと考えますし、これは憲法改正についても同じ構図と思われます。
 戦争の総括をアメリカを中心とする連合国の手に委ね、自国で行わなかったことの代償は大きいことを自覚しなくてはなりません。
 多くのご意見を頂戴しておりますが、これは中国や韓国がどうのといった問題では全くありませんし、他国に言われてやることでもありません。独立主権国家・日本国としての、日本国民としての、果たすべき責任と矜持の問題だと、私はずっと思っております。

 第二次大戦でイタリアと共に枢軸国として三国同盟を組み、同じ敗戦国となったドイツと日本とは何故戦後の歩みがかくも異なるのか、ここ10年以上にわたってずっと考えています。
 すでに何度か本欄にも記しましたが、防衛庁長官退任後、文民統制の在り方について研究するため2回ドイツを訪問し、関係する国会議員らと面談した際、右派のキリスト教民主同盟から左派の緑の党まで全ての議員が「ドイツが徴兵制を堅持するのは、二度とナチスによる支配を繰り返さないために必要だからである。軍人は軍人である前に市民でなければならない。市民と軍人が乖離したことがナチスを生んだのだ」と述べて徴兵制を支持し、「戦争に行くのは軍人であり、自分は関係ない、という市民の感覚が戦争への道を開くのだ」と語ったことに強い衝撃を受けました。現在でもドイツにおいては、徴兵制は「停止」されているのであって「廃止」されているのではありません。
 私は徴兵制を支持するものではありませんが、このような考え方があるのだ、と彼我の意識の差を痛感したことでした。
 またドイツは、「これがドイツの国益である」として個別的自衛権を行使することは原則として行わず、あくまでNATOの集団安全保障に参加するという安全保障政策を採っています。「アメリカだけが唯一の同盟国である」としながら「集団的自衛権を全面的に容認すればアメリカの戦争に付き合うことになり認められないし、集団安全保障に参加して武力行使を行うこともない(ゆえに原則として個別的自衛権で対応する)」という我が国の立場とはほぼ真逆と言ってよいでしょう。

 結局この差は「国家の独立とは何か」という問題に帰着するように思われます。
 「自衛隊は必要最小限度の実力しか保持せず、権限も行使しないので憲法の禁ずる『戦力』には当たらず、従って軍隊ではない」などという曖昧な論理を用いて現実を直視せず、「今更そもそも論を言っても仕方ない」という姿勢を続けることは、いつの日にか恐ろしい災厄を我が民族にもたらすことを強く危惧しています。
 国家の独立を守る組織が「軍隊」なのであり、その力は相対的に強くなければならないこと。そして国内最強の集団であればこそ、司法・立法・行政の三権による厳格な統制に服し、最も厳しい規律を保持するとともに、それに相応しい高い栄誉が与えられなくてはならない、という論理的に透徹した思考を欠き、嫌なことから目を背けて情緒的に物事を律する姿勢からはいつか脱却しなくてはなりません。
 なお、ドイツについては石田勇治・東大教授の一連の論考から多くの示唆を受けました。自分が知らないことがいかに多いかを思い知らされるとともに、新聞や雑誌、ネットの記事を鵜呑みにしたり、孫引きで済ませてしまったりしたことがあったのを恥じています。

 25日からオイスカ議連会長としてインドを訪問して参りました。
 ニューデリーでの駐印日本大使や防衛駐在官との意見交換や、世界最古の都であり、ヒンドゥー教の最大の聖地であり、仏教の聖地でもあるガンジス河畔のバラナシ市における現地視察や、市民や学生たちとのミーティングはとても有意義かつ印象的なものでした。
 13億の国民を擁し、今後の発展が期待されるインドを理解するためにはヒンドゥー教についての理解が不可欠ですが、それが全く足りないことも大いに反省させられました。故・小室直樹博士や、その系譜を引く橋爪大三郎・東工大名誉教授の膨大な著作を少しでも読み、理解に努めることも国会閉会中の大きな課題だと思っております。

 週末は31日土曜日が鳥取県ファンの集いin関西に出席した後、鳥取県中部1市4町の「元気な中部を創る議員の会」で講演。
 9月1日日曜日は神奈川県小田原市での政策集団「水月会」の研修会に参加します。
 来週からは9月に入ります。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

| | コメント (23)

2019年8月23日 (金)

日韓GSOMIA、訪印など

 石破 茂 です。
 韓国政府によるGSOMIA(軍事情報包括保護協定)の破棄により、日韓関係は問題解決の見込みの全く立たない状態に陥ってしまいましたが、日本にも、韓国にも、「このままでよいはずがない、何とか解決して、かつての小渕恵三総理・金大中大統領時代のような良好な関係を取り戻したい」と思っている人は少なからずいるはずです。
 防衛庁長官在任中、アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)でシンガポールを訪問し、リ・クアンユー首相(当時)と会談した際、親日家の同首相は日星安全保障協力の重要性について語った後、私に「ところで貴大臣は日本がシンガポールを占領した時のことをどれほど知っているか」と尋ねました。歴史の教科書程度の知識しか持っていなかった私に対し、同首相は少し悲しそうな表情で「更に学んでもらいたい」と述べました。意外に思うとともに、自分の不勉強を恥じたことでした。
 毎年8月8日、シンガポールのマレーシアからの独立(1965年)を祝う独立記念日になると「許そう、しかし忘れない(Forgive, but never forget)」という同首相の言葉が多くメディアに登場するそうです。この言葉は、第二次大戦後に東欧諸国がドイツと和解する際にも用いられたと聞いていますが、国や民族同士の和解には膨大な時間と労力がかかるものです。
 シンガポールと韓国とは歴史も、民族性も、宗教観も全く異なるので同一に論じることは勿論出来ませんが、日本と朝鮮半島の歴史、特に明治維新後の両国関係を学ぶことの必要性を強く感じています。日韓関係については、前回ご紹介した碩学、故小室直樹博士の「韓国の悲劇」が最も読みやすく、戦争を知っている世代の韓国論としては、「月刊日本」9月号の西原春夫元早大総長の論考も示唆に富むものでした。

 我が国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にあり、それが今日様々な形で表面化しているように思われます。これは国体の護持と密接不可分であったため、諸般の事情をすべて呑み込んだ形で戦後日本は歩んできたのですし、多くの成功も収めましたが、ニュルンベルグ裁判とは別に戦争責任を自らの手で明らかにしたドイツとの違いは認識しなくてはならないと考えます(政府自体がヒトラーの自決によって不存在となったドイツとは当然異なることも考慮した上で、です)。17日にNHKで放映された「拝謁記」における昭和天皇様と田島道治初代宮内庁長官とのやり取りを、畏れ多くも複雑な感慨を持って視たことでした。

 国会開会中のように一日中予定が詰まっていたわけではないのですが、今年のお盆も年中行事であるお初盆参りの他に、講演や選挙応援などの日程がバラバラと分散して入ってしまい、結局纏まったお休みも取れないままに過ぎてしまいました。新幹線や飛行機で移動していると、スーツなど着ているのは私一人だけという有り様で、楽しそうなご家族連れの中でとても違和感がありました。オフの取り方や過ごし方を完全に忘れてしまったようで、これは本当に不味いなと思います。

 19日日曜日、川村伸浩・岩手県議会議員の集会で花巻市を訪問いたしました。集会前に少しだけ時間に余裕があったので、昭和のデパート大食堂を市民の手で復活させた「マルカンビル大食堂」を覗いてみたのですが、メニューも、サービスも、ウエイトレスさんの装いも昭和テイストがそのまま残っており、実に味わい深いものでした。
 昭和30年代から40年代にかけて育った我々の世代にとって、デパートの大食堂と屋上の遊園地はまさに非日常の憧れの場であり(私にとっては鳥取大丸)、お子様ランチのオムライスの上に載った小さな日の丸の旗を大切に持ち帰って、家で作ったオムライスの上に載せて喜んでいたものでした。
 日本中でこのような食堂が残っているのはおそらくごく僅かだと思いますが、これが市民の手で復活したというのが実に素晴らしいと思います。看板メニューの10段重ねソフトクリーム230円、ナポリカツ780円の他、メニューは100品以上あるようで、ショーケースを見るだけでもワクワクします。花巻市は宮沢賢治や新渡戸稲造の出身地でもありますが、「注文の多い料理店」の拝金主義批判や、国際連盟初代事務次長を務めた新渡戸稲造の国際感覚には今も不滅の価値がありますし、花巻温泉の素晴らしさも特筆ものです。是非一度お出かけくださいませ。

 21日水曜日は、講演と懇親会で岐阜県飛騨市に行って参りました。人口3万人足らずの小さなまちですが、ユネスコ文化遺産に登録された「古川まつり」、泉鏡花の幻想的小説「高野聖」や中河与一の純愛小説「天の夕顔」の舞台となった「天生(あもう)湿原」「山之村」、飛騨牛・飛騨蕎麦・朴葉味噌などの名産、白真弓・蓬莱・飛騨娘等の銘酒、最先端科学技術のスーパーカミオカンデ、廃線となった路線にディーゼルカー「おくひだ号」が年三回復活運転し、レールマウンテンバイク「ガッタンゴー」が走る旧神岡鉄道等々、他にないこの地だけの魅力に溢れたまちでした。東京からは北陸新幹線で富山まで行き、そこから高山線の特急に乗って飛騨古川で下車となります。これもぜひお訪ねいただきたいと思います。

 何だか「夏休みの日記」風になってしまいました。ご容赦くださいませ。
 25日日曜日からはオイスカ(OISCA、Organization For Industrial, Spiritual and Cultural Advancement)議員連盟の会長としてインドにおけるプロジェクト視察のため訪印いたします。インドは防衛庁長官や自民党外交調査会事務局長当時に首都デリーを含め何度か行ったことがあるのですが、バラナシ(ワーラーナシー)へ行くのは初めてです。実り多い旅となることを期待しています。
 来週は8月も最終週となります。
 残暑厳しき折、皆様お元気でお過ごしくださいませ。

| | コメント (119)

2019年8月 9日 (金)

佐久訪問など

石破 茂です。
 8日木曜日に講演してきた長野県佐久市には、貞祥寺という同市を代表する古刹があるのですが、ここに太平洋戦争末期に帝国海軍で使用された人間魚雷「回天」の模型と世界平和を祈念する「回天の碑」があります。戦局の悪化を何とか打開すべく、その願いを込めて「回天」と名付けられた人間魚雷は、昭和19年11月にウルシー泊地攻撃(玄作戦)のため初めて使用され、終戦までに49隻が出撃したものの、大きな戦果を挙げることもないままに平均年齢21歳、145人の戦死者を出しました。この開発に携わり、11月20日に玄作戦で戦死した仁科関夫少佐(2階級特進・享年21歳)の父君の出身地が佐久市であったため、貞祥寺にこの碑と模型があるのだそうです。当初この計画に強く難色を示した海軍首脳部は、乗員脱出装置の装着を開発の条件としましたが、結局それも実現はしませんでした。

 前回、戦艦大和について記しましたが、神風特攻隊や回天など、愛する祖国や家族を想い、生還が不可能な作戦に殉じた人々の思いを我々はもう一度想起しなければならないと痛感しております。
佐久市は11の酒蔵を有する日本酒の街であり、安養寺味噌や安養寺らーめん、五郎兵衛米、鯉料理などの豊かな食文化や、バルーンフェスタなどのイベント、さらには「北斗の拳」の作者である武論尊氏の出身地としても知られていますが、この次行く機会には是非この貞祥寺も訪れてみたいと思っています。

 アメリカの提唱するホルムズ海峡での有志連合に我が国が参加するか否か、政府部内でも意見が分かれているようです。自民党内にも様々な意見がありますが、5日月曜日の会議において「そもそも海上自衛隊を派遣するような状況なのか、そこが明らかにならなければ議論する意味がない」「国民に対して明確な説明もないままに、自衛官の生命を賭けて派遣することはあり得ない」等々、真っ当な意見が展開されたことはとても良かったと思いました。事柄の性質上、公に言えないこともあることは十分に承知していますが、政府はきちんと議員の問いに答えるべきです。わざと答えを避けたり、はぐらかしたりするような対応は厳に慎んでもらいたいと思います。
臨時国会において、院の構成をしなければならない参議院は別として、衆議院においては全く議論のないままに閉会となりましたが、日米貿易交渉、米中貿易摩擦、日韓問題、中東情勢等々、議論しなければならない課題が山積しているときに、これで本当に良いとは全く思いません。「参院選において、憲法について議論すべきとの多くの声を頂いた」と言うのなら、これを受けて国会休会中に三日間でも四日間でも、自民党において集中して憲法問題を議論すれば、国民に自民党の真剣さが伝わると思うのですが、それも全くないままに夏休みに突入して永田町は閑散としていますし、マスコミの関心も九月に行われる政府・党役員人事に集中しつつあるようです。国会議員の責務とは何か、今更ながらに懊悩する日々が続きます。

 ここしばらく日韓関係について可能な限りの文献を読んでいるのですが、故・小室直樹博士の「韓国の悲劇」(カッパビジネス・昭和60年)は誠に優れた深い論考です。30年以上も前の、中曽根康弘総理・全斗煥大統領時代に書かれたものですが、それだけに本質を見極めておられるように思いました。
小室博士の「日本国民に告ぐ」(ワック出版・平成17年)や「国家権力の解剖」(総合法令・平成6年・色摩力夫氏との共著)「国民のための戦争と平和の法」(同・平成5年・同)など一連の著作には随分と蒙を啓かれたものですが、本作も、いま書店に平積みしてある「嫌韓本」とは全く厚みを異にする論考です。既に絶版とはなっていますが、入手は可能と思います。ご一読をお勧めいたします。

 7日水曜日には、鉄道雑誌の企画で宇都宮浄人・関西大学教授と対談させて頂き、同教授の交通政策論・都市政策論には随分と啓発されました。私自身、単なる「鉄道好き・乗り物好き」であってはならないことを反省させられたことでした。

 週末は地元でお初盆のご家庭を何軒かお参りさせて頂く予定です。酷暑の日々が続きます。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

| | コメント (32)

2019年8月 2日 (金)

太平洋戦争を題材とした映画など

 石破 茂です。
 夏になり終戦(敗戦)記念日が近づくと、太平洋戦争を題材とした映画が公開されます。「連合艦隊司令長官山本五十六」「トラ!トラ!トラ!」「男たちの大和」など多くが公開されてきましたが、私が特に好きなのは、森繁久彌、鶴田浩二、中井貴一、古手川祐子などが出演した昭和56年の東宝映画「連合艦隊」で、これは何度見ても泣ける作品です。映画をご覧になっていない方も、谷村新司の歌う主題歌「群青」をご存知の方もおられるかもしれません。
 今年は同じく戦艦大和を描いた同じく東宝映画「アルキメデスの大戦」が現在公開中で、私はまだ観ておりませんが、かなりのヒットとなっていると聞いています。航空機が主力となる時代の変化の中にあって、大和型戦艦の建造計画に危機感を抱いた山本五十六が、東大数学科の天才・櫂直(かい・ただし)を海軍にスカウトし、数字でこの計画の誤りを指摘してこれを阻止しようとするストーリーだそうで、是非観てみたいものだと思っております。

「戦艦大和」はよくも悪しくも日本国の在り方そのものを体現したものであり、その本質は戦後74年を経た今もあまり変わっていないと思います。時代が全く変わっているのに既存の方針を変えない、個別の利益が優先されて全体の利益を考えない、責任の所在が何処にあるのかが明確にされないままに物事が決まっていく、異論を唱える者は排斥され、「あのときはあれでやむを得なかったのだ」との責任回避が横行する、正確な情報や数字を直視せず、都合の良い情報や数字しか見ず、ロジスティックス(兵站)を軽視し、勇ましい精神論が強調される…。
 斉藤隆夫の反軍演説とその後の衆議院除名(昭和15年2月・NHK「その時歴史が動いた」2003年)、総力戦研究所設立と報告書の握りつぶし(猪瀬直樹著「昭和16年夏の敗戦 日本人はなぜ戦争をしたか」文春文庫)等々、歴史に学ばねばならないことは数多くあります。
 昭和20年4月7日、沖縄特攻作戦に出撃し、不沈を謳われた大和は米海軍機の猛攻を受け、僅か2時間足らずで3千人の将兵と共にその姿を海に没しました。前夜開かれた最後の酒宴の席で、若い海軍士官が「日本は滅んで目覚める。我々はその魁となるのだ。それでいいではないか」と語る場面が「連合艦隊」の中にありましたが、日本人は本当に目覚めたのでしょうか。8月になると、いつもそのようなことを思います。

 今週は、来日した韓国国会議員との会議や討論、必ずしも得手としない分野での講演などが多くあり、心身ともかなり疲れました。
 体調が今一つ回復しないこともあり、週末は少しお休みを頂きたいと思っております。あまり深く学んでこなかった分野について少しでも知見が深まったことはとても有り難いことでした。

 今週の都心は、梅雨も明けて猛暑が到来致しました。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

| | コメント (29)

« 2019年7月 | トップページ | 2019年9月 »