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2020年5月29日 (金)

憲法審査会発言など

 石破 茂 です。 
 再来週は予算委員会に於いて第二次補正予算の審議が行われる見込みです。早期成立を期すべきことは当然ですが、使途につき国会審議を経る必要のない予備費10兆円は、財政民主主義の観点から議論の余地があります。
 財政の持続可能性については、消費税が果たすべき役割の変化(格差の拡大という背景)、グローバリゼーションを前提とした法人課税の在り方、一人一人の幸せの実現を志向した社会保障制度の再検討(特に医療制度)等が必要です。
 官の一貫した価値観は公平性と公正性ですが、現下の非常時にあっては迅速性と簡便性がそれに勝るのであり、その責任を負うことこそが政治の役割であることを十二分に承知した上でそのように考えております。

 

 プロレスラー・木村花さんの訃報には言いえないやりきれなさを感じます。報道によれば、SNSを通じて彼女を攻撃した投稿者が、身元が判明するのを怖れてそのツイートを削除しつつあるとのことですが、自分の身元が明らかにならなければどんなに他人を攻撃しても構わない、という考え方は何故形成されてしまったのでしょうか。「お前は悪くて勉強が足りない。自分は正しくてよくモノを知っている」という、この種の投稿に共通した文体にも嫌悪感を覚えます。
 SNSを使った誹謗・中傷であっても、名誉棄損罪や侮辱罪の構成要件に該当すると思われます。実際に起訴・裁判に持ち込むのは困難でも、「これは犯罪である」ことを明確にする必要があります。
 責任の全く伴わない自由、などという概念はそもそも存在しません。不正を糾すための匿名の告発などは公益目的のために許容されても、人を傷つけるような言論や通信の秘密を害することは憲法で保障されるものではありません。自由と人権の両立を図るべき、と言うのは簡単ですが、いかなる立場の人のいかなる自由であり人権なのか、より重視されるのはどの価値観なのか、をはっきりさせなくてはなりません。
 テレビ局もしかりです。視聴率がとれるならどんな番組を作ってもよいわけではありませんし、スポンサーや広告代理店も全く知らぬ顔を決め込むとしたら無責任の謗りは免れません。
 私は「テラスハウス」という番組を見たこともありませんが「台本の無いリアリティ番組」で、いわゆる「やらせ」や演出などはないことがセールスポイントだったそうです。試合用の衣装を洗濯して縮ませてしまった同居男性に罵詈雑言を浴びせる彼女の姿に「許せない!死ね!消えろ!」などという批判が殺到したとのことですが、制作側のテレビ局の責任も当然自社内で追及されなければなりません。「台本はなかったがストーリーはあった」とは一体何のことなのか。それでは一種の欺罔行為に近いのではないでしょうか。「ご飯論法」などと批判する資格すらありません。検証は是非とも行なうべきですし、テレビ局がやらないのなら、民放連が行えばよいのです。
 木村花さんは、さらなるスターとなることを夢見て、幾多の辛いことにも耐えてきたのでしょう。この悲劇を繰り返さないために、何が出来るのかを考えております。

 

 28日木曜日、衆議院憲法審査会で発言の機会がありました。新聞報道によれば私が国会で発言するのは、地方創生大臣として最後に答弁して以来4年振りとのことです。発言したこと自体が記事になったことに驚きつつ、内容についてはあまり報道が無かったのですが、以下にその原稿を載せておきますので、ご関心のある方はご覧ください。時間の制約上、このすべては発言出来なかったことをお断りしておきます。

 

 来週はもう6月です。今日の都心は久しぶりに爽やかな晴天の一日でした。
 徐々に世の中が平常を取り戻していくことを心より祈っております。
 皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

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2020年5月22日 (金)

検事長辞任など

 石破 茂 です。
 週刊誌の報道により、黒川検事長の辞任・訓告処分という事態となり、世の中では黒川氏の処分が軽いことに対する批判が強まり、首相官邸は稲田検事総長の監督責任を問う形で引責辞任を求めるという大混乱の状態になりつつあります。このままでは政治に対する不信は高まるばかりです。正直言って「もういい加減にしてもらいたい」との思いが募ります。

賭博罪(刑法第185条)
第百八十五条  賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。

 「一時の娯楽に供する物」とは、その場で飲食する飲食物、煙草などが挙げられます。金銭はその多寡にかかわらず許されないとされています(大審院判例・大正13年2月9日)。

常習賭博罪(刑法第186条第1項)
 常習として賭博をした者は、三年以下の懲役に処する。

 賭博の常習者とは、賭博行為を反復・継続して行う習癖を有する者をいい、刑法典の中で唯一の常習犯規定であり、身分犯です。

 氏が「常習者」に該当するかどうかはわかりませんが、報道が仮に事実とすれば少なくとも単純賭博罪に当たることは間違いないでしょう。1998年、漫画家の蛭子能収氏が新宿の麻雀店で賭け麻雀中に現行犯逮捕・書類送検された事件もありました。法務省の処分も、国家公務員法に定められた「戒告」ではなく、非公式な「訓告」(訓告が3回続くと戒告相当となる)で済むというのはどういう判断基準に基づくものなのか、私にはよく理解が出来ません。

 私が当選2回の1992(平成4)年、東京佐川急便からの5億円の供与が発覚した金丸信自民党副総裁は、これを認めて副総裁を辞任、東京地検特捜部は金丸氏を政治資金規正法違反で略式起訴し、罰金20万円の略式命令を受けることになったのですが、あまりに軽い処分に世論は猛反発、検察庁の表札にペンキがかけられるという事態となり、現職札幌高等検察庁検事長の佐藤道夫氏(後に参議院議員)が新聞に批判の投稿をしたことも話題となりました。翌年、東京地検特捜部は既に議員を辞職していた金丸氏を相続税法違反容疑で逮捕、家宅捜索が行われて数十億円の蓄財が見つかります。事案の性格は全く異なりますが、世論と検察内部からの批判という点では類似しています。

 黒川氏が定年を延長されたのは、黒川氏がいなくては進まない捜査案件があったから、ということだったはずで、今回の辞任によってそれは一体どうなるのでしょう。捜査は進まず、国民にとって大きな不利益が生ずることになるはずなのですが、そのリスクはどのようにして回避されるのか。黒川氏がいなくとも捜査は進展するというのなら、何故定年は延長されたのか。
 安倍総理は先週、「検察庁法の改正は全て法務省の考えであって官邸は全く関与していない」と述べられました。であるならば法務省は、昨年秋の検察庁法改正案には全く入っていなかった「公務の運営に著しい支障が生ずると認められる事由として内閣が定める事由があると認めるとき」との規定をなぜ突然今回の改正案に入れたのか、明確に説明する責任があります。

 「検察官は、刑事訴訟法により、唯一の公訴提起機関として規定されており、検察官の職務執行の公正なりや否やは、直接刑事裁判の結果に重大な影響を及ぼす。このような職責の特殊性に鑑み、従来検察官については、一般行政官と異なり、裁判官に準ずる身分の保証と待遇をあたえられており、国家公務員法施行後といえども、この検察官の特殊性は何ら変わることなく、その任免については一般の国家公務員とはおのずからその取扱いを異にすべきものである」(昭和24年5月11日・高橋一郎法務庁検務局長答弁)
 この国会答弁を閣議決定で覆すこと自体、立憲主義(憲法そのものではありませんが憲法秩序という意味で)と民主主義(多数を恃むという意味で)との抵触の一場面でもあるように思われます。

 検察庁法の改正案は撤回されたのではなく、国家公務員法改正案とセットの「併せ法案」として秋に予定される臨時国会で審議されると報じられています。国家公務員法と並んで検察官の定年を延長すること自体は妥当なものですが、次長検事・検事長などの高位の検察官は63歳で一般の(ヒラの)検事に戻り65歳で定年となるが、内閣が特に認めた場合はヒラに戻ることなく高位に留まったままで最長2年務めることが出来る、という規定については再考が必要です。

 稲田検事総長の辞任を首相官邸が求めている、とも報ぜられていますが、検事総長の定年は65歳であり、退官を強制することは出来ないはずで、誰がどのような思惑でそう言っているのか全く分かりません。
 一方で、制度的担保として、検察の独走や暴走を抑止する仕組みを考えておくことも必要だと思います。
 現在の我が国において、自衛隊によるクーデターを阻止するものは、自衛官諸官の個人的な高い見識のみです。本来、ここにも立法・行政・司法それぞれの機能からの厳格な文民統制の仕組みを、憲法上規定すべきものです。
 これにも似て、検察庁が行政権から一定程度独立すべきとしても、その独走・暴走を阻止するものが検察官個々の見識と正義感のみ、というのは、危ういことのように思われます。

 23日(土)は東京からテレビ西日本に中継出演致します(「福岡NEWSファイルCUBE」午前10時25分)。
 今週末は、「コロナショック・サバイバル」(富山和彦著・文藝春秋)、「朝鮮半島と日本の未来」(姜尚中著・集英社新書)、「物語 韓国人」(田中昭著・文春新書)を読了したいと思っております。
 今週も多くのご意見・ご指摘を頂き誠に有り難うございました。蒙を啓かれるもの、新たな見識を与えられるものも数多く、感謝しております。
 皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2020年5月18日 (月)

検察庁法改正案見送りなど

 石破 茂 です。
 本日5月18日、総理と自民党二階幹事長の会談、それを受けた自民党・公明党の幹事長・国対委員長会談で、今国会における国家公務員法と検察庁法の改正案の成立が見送られることとなりました。法案の修正や撤回ではなく「国民の理解が得られない限り前へは進めない」との理由により継続審議となる見通しです。「国民の理解が得られる状況」を作るために、もう一度自民党において根本から議論し直すべきでしょう。

 元々、昨年秋の法務省の案には「検事の定年を現在の63歳から65歳に引き上げる」「次長検事及び検事長は63歳に達した翌日から(ヒラの)検事になる」としか記されていなかったのですが、今回の改正案には「次長検事と検事長は内閣が定めた事情がある場合、最長3年間、65歳まで務めることが出来る」との規定が追加されました。
 今回の改正の根底にあるのは、総理や法務大臣が何度も言及している「検事も行政官なのだから、一般法である国家公務員法が適用されるのは当然」との考えです。これは「検察官には国家公務員法の適用はない」としてきた検察庁法施行(昭和22年5月3日。検察庁法には、わざわざ「この法律は日本国憲法施行の日から施行する」と書かれています。この書き方は裁判所法も同じです)以来の政府の立場を、閣議決定による解釈によって変更したものであり、今回の法改正はこの解釈変更と検察庁法との整合性を図ろうとするものでした。
 しかし、国家公務員法や人事院の権能との整合も、もう一度考え直さなくてはなりません。今回の検察庁法の改正によって、高位の検察官の定年延長に当たっては人事院の承認が必要となるはずですが、天皇陛下の御認証を賜る認証官の身分について、人事院の承認が必要とされることは本当に正しいのかについても検討し、結論を得なくてはなりません。

 今日の決定は、そのような議論を精緻に行うための時間を確保するものだと認識しています。ツイート件数の激増は、世論を体現するものでしょう。検察OBの方々の意見は、正義と公正を実現すべく検察官の職に人生をかけてきた方々の思いとして大きな力がありました。我々はこれに謙虚に向き合わなくてはなりません。単なる結論先送りや世論の鎮静化までの時間稼ぎに堕することのないよう、我々の努力と見識が問われています。ここに至るまでの自分の不勉強と努力不足に深い反省の気持ちを持っております。

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2020年5月15日 (金)

検察庁法改正など

 石破 茂 です。
 本日、武田良太行政改革担当大臣の不信任案が提出されたことにより、検察庁法の改正は来週以降に持ち越されることとなりました。
 今回の改正検察庁法の施行は再来年2022年の4月1日であり、黒川東京高検検事長の定年延長とは全く関係がありません。巷間指摘されている「黒川氏を次期検事総長に就任させるための法改正」との論も、直接の関係はありません。
 今年1月31日の閣議決定により、今年2月8日で定年の63歳となる黒川氏の定年を半年延長して8月7日まで務めることを可能としました。今年の7月25日に、2年の在任期間を迎える現検事総長の稲田伸夫氏が「検事総長の在任は二年」という慣例に従って退官すれば、黒川検事総長ということもあり得るのですが、稲田総長が検事総長の定年である65歳まで務めるとすれば(検事は罷免できない)、同氏は誕生日である来年の8月13日まで務めることになり、黒川氏を総長にするためには任期の再延長をしなくてはならなくなってしまいます。これは相当に難しい話でしょう。

 特別法である検察庁法で身分が律せられている検察官に、一般法である国家公務員法を適用するのは法の常識に反するものでしたが、その事の当否は別として、黒川氏の定年延長は国家公務員法第81条の3(その退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるとき。人事院はこれに合わせて「①退職予定者が名人芸的な才能を持っている②離島勤務等で代替者を探すことが困難③ビッグプロジェクトの主要な構成員で、退職することで完成が著しく遅延する」等を具体例とする通知を発しています)に基づくものでした。
 この閣議決定の時に、閣議決定ではなく法改正を、と野党に批判されたこともあって、今回の法改正に至っているのでしょう。
 
 本件最大の問題は、「行政権による立法権の侵害を、その不作為によって立法府自身が認めてしまう」ことにあると考えます。
 1981(昭和56)年に国家公務員法を改正し、定年を延長した際、「この改正は検察官には適用されない」とする政府答弁があり、この解釈のもとに国会は法改正を行いました。
 このような経緯がありながら、黒川氏の定年延長を閣議決定だけで変更したことは三権分立に反するものだったのであり、今回の法改正はむしろそれを正す機会であるはずです。
 検事長や次長検事など高位の検事は役職定年制により63歳でヒラの検事に戻る、という役職定年制は人件費削減のためにも有効なものですが、「内閣が定めた事情」があるときはこれを延長し、引き続き次長検事・検事長として勤務できるとされています。
 政府はこの判断の基準を「施行日までに明らかにする」としていますが、それは法案採決までにできる限り明確にされなければなりません。これは特段難しいことではないと考えます。昭和56年から比べれば、今は取り扱う事件が相当に高度化・複雑化していて、当該高位検事が中途で定年退官することで捜査に著しい支障を生ずるような事態が生起する、ということを具体的に説明すればよいだけの話です。
 国会が内閣に対して白紙委任をするに等しいようなことは、三権分立を危うくするものであると考えます。高位の検察官は法務大臣ではなく内閣の任命による役職なのですから、本来は総理も出席し、当該基準をできる限り明確に示した上で採決がなされるべきでしょう。

 著名人を含む反対のツイートの激増は、国民の意見が具体的な数字で体現されたものと考えるべきです。「国民主権で選ばれた政府が人事を掌握するのは当然」と断言するのは危険な考えです。国民主権に基づく民主主義による結果が常に正しいとは限らないからです。先人の英知の積み重ねの所産である立憲主義と、今を生きる人の意思や利益が反映される民主主義の結果は往々にして対立するのであって、この止揚(aufheben)の実現のために政治は呻吟しなければならないのです。最も民主的とされたワイマール憲法によってナチス政権が誕生したことを忘れてはなりません。
「ちゃんと勉強しているのか」「芸能人はその本業に精励すればよい」というような高圧的な見解にも強い違和感を覚えます。かつて有事法制やイラク派遣特措法に携わっていた時、ファンだった女優さんや俳優さんに反対意見を述べられて辛い思いをしたこともありましたが、それでその人を否定したこともありません。

 政府は全国39県において緊急事態の宣言を解除しました。「接触機会は増えたとしても、マスクの装着、手洗いや換気の徹底などによって感染機会はさらに減少させる」ということが大切です。
 そもそも47都道府県それぞれに事情は異なるのであり、各知事と議会が、二元代表制の趣旨を踏まえ、感染者の数や医療体制の整備状況などを見つつ、各都道府県民に対して責任を持って判断すべきであったと思います。日頃地方分権を唱えながら、このような時には政府の判断を仰ぐとの地方の姿勢はどうにも理解しにくいものです。
 医療用のマスクやガウンなどの不足も未だに伝えられていますが、各知事が特措法にある「売渡の要請や収用」の権限を行使して物資の適正な確保がなされているのか、これがほとんど明らかにされていないのも不思議なことです。
 コロナ禍は中央と地方の役割分担の在り方を根本から問うものなのであり、この検証が絶対に必要です。

 新型コロナの治療薬として期待できるレムデシベルの特例承認が認められました。アビガンについても5月中に特例承認が認められる見通し、との報道もあり、事実であれば望ましいことです。リスクを最小化したいのは誰でも同じですが、政治家は最小化するための努力を最大限に行った上でもなお存在するリスクを負うために存在しているのであり、これは官僚にも、学者にもできることではありません。

 この週末も在京です。「東アジアの論理」(岡本隆司著・中公新書)、「立憲主義について」(佐藤幸治著・放送大学叢書)、「皇国日本とアメリカ大権」(橋爪大三郎著・筑摩選書)、「地方に社会システム産業をつくる」(玉田樹著・工作舎)などを読んでみたいと思います。
 皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2020年5月 8日 (金)

緊急事態宣言延長など

 緊急事態宣言が47都道府県を対象として延長されました。一方で、未だに解決されていない点も残っています。
 例えば、総理はPCR検査を一日2万人まで増やす、と以前から明言されているのに、一向に増えないのはどうしてなのか。これについては、
①陽性患者が「陰性」と誤判断される確率が3割程度あり、これがウイルスを拡大させる危険性がある
②検査を求めて検査機関に人が殺到して現場が混乱し、医療関係者に感染が拡大する危険性がある
③検査に必要な人員・機器が不足しており、早急な確保は難しい
との3点が指摘されてきましたが、少なくとも③について、2カ月前と同じことを言うのは説得力を持つものではありませんし、②についても方策はあるはずです。①についてはどの検査でもある程度同じことが言えますが、検査をしなければ疫学的に今後の戦略を練ることができません。何が問題で、それをいつまでに、どのようにして改善するのかが見えないことに、国民は不安を感じているのではないでしょうか。

 医療用マスクやガウンも依然として足りないようです。メーカーは増産体制に入り、刑務所でも作業を行うと報道されていますが、これもまた同様に、具体的に、どこでどれだけ足りないのかが把握できていなければ、現場にモノは渡りません。それこそ、緊急事態宣言の下にあるのですから、各知事が県内の状況を具体的に把握し、不足物資について買い上げ、売り渡し要請を行うことが求められます。
 
 このように、緊急事態宣言を延長することの意味は、国民に自粛を求め続けることだけにあるのではありません。それぞれの知事が都道府県内の状況をつぶさに把握し、国任せではなく自らの権限としてこれを最大限に行使するのが本来の趣旨であり、それは医療用器具に限ったことではありません。

 新型コロナウイルスの治療薬として、「レムデシビル」が本日承認にこぎつけました。続いて「アビガン」も5月中の承認に向け作業を加速するとのことです。先週も申し上げた通り、これは一日も早く行うべきです。すでに政府は「観察研究」の枠を拡大すべく通知していますが、病院の倫理委員会の許可などの手続きをさらに簡素化・迅速化するとともに、承認自体の手続きもさらに急ぐ方策を探るべきと考えます。「レムデシビル」の特例承認がこれだけ早いのであれば、海外の治験・承認を端緒として、同様の特例承認とすることもありうるのではないでしょうか。

 アメリカのポンペオ国務長官は6日、「中国の武漢研究所からのウイルス流出説に確たる証拠はない」と述べましたが、これはトランプ大統領の「中国はひどい間違いを犯したが、これを認めたくないので隠蔽を試みた」(5月3日)という発言とどのように整合するのでしょうか。米国大統領の確たる証拠を示すことのない発言で世界が混乱し、米国の信頼が揺らぐことは、世界のためにも日本のためにもなりません。
 他方、古来より中国は、支配者と被支配者が歴然と分かれた「官民乖離」の国と言われています。つまり、中央が地域や民間の状況を十分に把握していない間の初動は遅れるのですが、ひとたび中央の意思が決定すれば、被支配層や地域に対して強権的かつ迅速に対応する国だということです。中国の少なくとも一部には、「このような中国のシステムは危機に迅速に対応できるものだから、世界に広げるべきだ」とする意図があり、この誘惑にとらわれる国が出ることも予想されます。これが、「民主主義への挑戦」と言われる所以です。
 民主主義が正常に機能するためには、3条件、すなわち
①多くの有権者が選挙に参加すること(投票率の向上)
②有権者の判断に必要な情報が公平・公正・正確に提供される言論空間が存在すること
③少数意見が尊重されること
が満たされねばならず、同時に三権分立が正しく機能しなければなりません。
 日本における三権分立は、最高裁判所裁判官国民審査の形骸化、議院内閣制における行政権の優位などにより、近年その機能が低下しつつあると考えます。これを回復するためには、憲法改正において臨時国会召集に必要な期間の明記(自民党改正草案においては「衆・参いずれかの総議員の4分の1以上の要求があった時に20日以内に召集」としています)や最高裁裁判官国民審査の方式の変更(同草案においては立法化を明記しています)などにより、司法や立法の権能の強化を図らなければバランスが取れません。

 外交評論家の岡本行夫氏が4月24日、逝去されました。享年74歳。
 外務省安全保障課長時代からのお付き合いで、小泉内閣において自衛隊のイラク派遣を実施した際には、小泉総理の補佐官であった岡本氏と何度も協議したものでしたし、その後も折に触れて多くのご教示を頂いて参りました。アメリカをはじめとする日本外交を知り尽くした上での冷静な分析力、透徹した確固たる歴史観、祖国日本と人々に対する限りなく温かい眼差しを持った方でしたし、いつの時にも心のこもった見事な文章やスピーチを披露される方でした。特に2003年、イラクにおいて奧克彦・外務省参事官(当時。没後大使に特進)が射殺された際、「君は死んで英雄になったのではない。英雄が死んだのだ」とスピーチされたことは強烈に印象に残っていますし、小坂憲次・元文科大臣が逝去された際、友人代表として述べられた弔辞にも深く感動させられたものでした。
 まだまた多くのことを語り合い、ご教示を頂きたかっただけに本当に残念でなりません。御霊の安らかならんことを切に祈ります。

 連休中、本や資料の精読に努めたのですが、(やはり、というべきか)計画の半分も出来ませんでした。その中で、「首都感染」(高嶋哲夫著・2010年・講談社文庫)には、これをもっと早く読んでおくべきであったと痛感させられました。ご一読を強くお勧めいたします。
 皆様、良い週末をお過ごしくださいませ。

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2020年5月 1日 (金)

平素の準備の重要性など

 石破 茂 です。
 新型コロナウイルスの罹患者で軽症の方々には、新型インフルエンザ治療薬「アビガン」の使用を直ちに認めるべきです。
 現在、新型インフルエンザの治療薬として200万人分(新型コロナウイルスに対しては投薬量が異なるため人数はさらに少ないか)の国家備蓄が行われていますが、新型コロナに対しては、①ご本人の希望、②病院の倫理委員会の了承、③治験ではなく観察研究の形式を採る、という形でなければ使えないとするのが政府の立場です(安倍総理答弁)。
 ②でいう「病院」とは20床以上の病床を必要とし、一般の開業医や診療所は該当しません。「倫理委員会」は現在全国で98委員会ありますが、主に大学病院にしか設置されておらず、設置のためには医学・自然科学・法律学・人文社会科学の有識者、専門家や、患者など一般の立場から意見を述べられる者が女性を含めて5人以上いなければなりませんし、投与対象者一人一人に対して審査がなされ、全会一致が原則とのことです。要件はそれなりにとても理にかなったものですが、そのような委員会がたくさん設置できるとは思われませんし、長大な時間と膨大な手間を擁することになるでしょう。
 ③でいう「観察研究」とは、新薬が使えるようになる過程としての臨床試験(治験)ではなく、あくまでその前の段階である「研究」を指すものではないかと思われます。
 以上から考えるに、いまの政府の立場からすれば、事実上、アビガンを一般に広く使っていただくことは困難になってしまうのではないでしょうか。。
 
 薬機法(医薬品、医療機器等の品質・有効性及び安全性の確保に関する法律)第14条第3項は、「特例承認」として、
 「国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがある疾病のまん延その他の健康被害の拡大を防止するため緊急に使用されることが必要な医薬品または医療機器であり、かつ、当該医薬品または医療機器の使用以外に適当な方法がない」場合には、厚生労働大臣は製造販売の承認を与えることができる、と定めます。
 「これ以外に適当な方法がない、とは直ちに言えない」として慎重な姿勢を崩さないことも考えられますが、この特例が使えないのなら、新たに立法する他はないように思います。
 
 医療行政や関連法令に通暁していない者がこのような主張をすることは適当ではないのかもしれませんが、リスクを負うことができるのは国民から選挙で選ばれる政治家の立場であり、これがリスクを負いえない官僚や学者と決定的に異なる点です。政治主導の本質はまさしくここにあるのであり、昭和35年に「すべての責任は私にある」と述べて、当時未承認であったポリオワクチンを1343万人分、ソ連から緊急輸入して、小児麻痺から日本の子供たち(その中には私も含まれます)を救った古井喜実厚生大臣の決断に学ぶことは多いと考えます。

 新型コロナウイルスの感染が拡大し、非常事態宣言が続いている現状を「有事対応」「新型コロナウイルスとの戦争」と表現する向きも多いのですが、事態を真剣かつ深刻にとらえておられることは百も万も承知の上で敢えて申し上げれば、「有事」や「戦争」(国際法上「戦争」は違法とされているので正確には「武力の行使」)という言葉はあくまで「我が国に対する急迫不正の武力攻撃があった際」において使われるものであって、あまり汎用性を持って使ってしまうと、事の本質を見誤るように思います。
 戦争においては能力と意思の積である脅威の分析、抑止力の構築等が可能ですが、ウイルスが相手ではそれはできません。
 一方で、感染症であれ、武力攻撃であれ、どちらも平素からの準備と、可能な限り正確な数値に基づく現状把握が無ければ、その対応は困難を極めます。
 感染症対策は単純化すれば「検査と隔離」であり、「日本では検査件数が少なかったから感染者数も少なく、病院に患者が殺到して医療崩壊を起こすようなことはなかった」、というのは論理が全く逆です。SARSや新型インフルエンザは、幸運なことに日本で大流行することがなかったということもあったでしょうが、新型ウイルス感染症に対する検査体制や人員・設備・備品などの医療体制を十分に構築せず、保健所の予算やそこに働く職員を削減してきたためにこのようなことになったのであって、私も含めて政治の責任は極めて重いことを痛感します。
 国家の存立が危機的状況になる武力攻撃事態においても、「体制が整っていないのでそのようなことは起こらない」などと言えるはずはありません。「平素から準備していなければ、本番には対応できない」という危機管理の鉄則を改めて徹底しなければなりません。

 全国を対象とした緊急事態宣言が一か月程度延長される見込みですが、この宣言の目的はあくまで「感染拡大と医療崩壊の阻止」であり、都道府県知事たちが自主的な判断を行うことに法的根拠を与えるもののはずです。
 感染の拡大が止まらない東京の過密地域と、過疎地域を全く同一に取り扱うことに合理性は乏しく、法はそもそもそのようなことを予定してはいません。
 あくまでも検査を十分に行った上で、感染者が極めて少なく、クラスターも確認されず、医療体制の整備も進んだ地域においては、考えられる限りの対策を講じ、日にちや人数を厳格に絞った上で、図書館や美術館などの限定的な利用を始めるという選択が知事の判断(併せて議会の承認)においてあってもよいのではないでしょうか。「全国一律」「生命か経済か」のようなオール・オア・ナッシング、もしくは二者択一的な発想だけでこの危機が迅速・的確に乗り切れるとは思いません。
 収束に向けて全国が一丸となっている時に何事か、とのご批判を浴びることは十二分に承知しておりますが、科学的に感染状況を可能な限り把握した上での判断の選択肢として申し上げております。状況が把握できないままの対策が当を得たものとなるはずはなく、だからこそ検査体制を早急に整備すべきなのです。
 都道府県間の移動制限は憲法の基本的人権の尊重との関係で難しい問題ですが、国民の生命と健康の保持は当然、日本国憲法第13条にいう「公共の福祉」に含まれるのであり、合理的な制限は許されるものと考えます。また、現在否定的に考えられている「企業・事業者に対する補償」は、補償という用語を使うかどうかは別として、憲法第29条に定める「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることが出来る」と関連付けて考えられないか、思案しております。

 前回ご紹介した岡田晴恵教授の「人類VS感染症」を読むと、人類の歴史がウイルスとの戦いであったことに改めて気付かされます。地球が誕生したのは46億年前、ウイルスの誕生は30億年前、現在の人類の誕生は20万年前のことですから(諸説あり。地球の誕生から現在までを1年365日に換算すると、人類の誕生は12月31日午後11時37分になるとのこと)、我々よりもはるかに長くこの地球において生き抜いてきたウイルスは実に容易ならざる相手です。
 東大寺の大仏の建立も、平氏の滅亡も、アステカ文明の終焉も、第一次大戦におけるドイツの敗北と大戦の終結も、すべて感染症と深い関りを持っています。
 
 東京五輪が延期となり、聖火リレーも日本に到着したままその後行われていませんが、そもそも「聖火リレー」はナチス・ドイツの威信を示すためにゲッペルス宣伝相の主導で、1936年のベルリン大会から始まったこと、ナチス式敬礼の原型となったムッソリーニ発案のローマ式敬礼は、握手によってウイルスに感染することを防ぐために考案されたこと、などなど、自分の知らないことが多くあることを改めて認識させられています。オリンピックは「平和の祭典」と礼賛することに異論はありませんが、歴史を見る限り、それは同時に往々にして政治の一つの手段であったことも確かなようです。

 入学や学年開始を9月とする、という案が急に取沙汰されるようになり、全国知事会の一部をはじめとして賛成の意見が多く聞かれます。
 外国の制度と基準を合わせることにより留学等の不都合が解消される、日本中で定着している「年度」との整合を巡って社会が混乱する、など、メリット・デメリットが多く指摘されており、この一つ一つを詳細に検討しなければなりませんし、何よりも教育現場の意見を十分に聴かずに進めるのは、拙速以外の何物でもありません。それでなくてもコロナ禍で混乱している中、論点を詰めないままに「今をおいてない」というような雰囲気に引きずられて、つい先般の大学入試改革の轍を踏むことのないよう、適切な対応がなされることを望みます。

 先週から、毎週木曜日正午に開催される政策集団「水月会」の総会をウェブ形式としています。当初、やや違和感もあったのですが、いつものみんなで集まって昼食をとりながら、という形式よりも、一人一人の発言を集中して聞くことができ、教育や仕事などをこの方式で行うことの利点を実感した思いがしております。出席者全員が、よく考えられた深い内容の発言をそれぞれにされている様子を見て、本当に意義のある政策集団であることを、改めて有難く思いました。

 大型連休に入りました。本来この時期、米国における政府・議会・シンクタンク関係者との議論や講演を行っていたはずだったのですが、当然中止となり、地元にも地方にも出向けず、議員会館と宿舎で過ごす他はありません。
 早期の終息を願い、皆様と同じくそのための努力を致しますが、コロナ禍後の日本と世界の在り方を考える時もまた、今をおいて他にありません。
 皆様どうかご健勝にてお過ごしくださいませ。

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