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2020年6月26日 (金)

「政党法」など

 石破 茂 です。
 都道府県を越える移動制限が緩和され、我々も選挙区や各地に出向けるようになりました。前の週末も県連会長としての党務や、首長選挙のために地元・鳥取と大阪へ参りましたが、現政権に対する批判というよりも、これに対して異を唱えない自民党国会議員への批判が強いことを如実に感じさせられました。

 

 自民党内統治の手法として「資金」「役職」「選挙応援(公認や支援体制)」の3つを用いるのは今も昔も同じですが、そこには自ずと一定の抑制が効いていたように思います。
 その箍(たが)が外れてしまったのでしょうか。「他候補の10倍もの資金支援」「政府や党要人による手厚い選挙支援」「理由の不分明な役職起用」…昨年の参議院広島選挙区はこれらの典型と言えます。報道の通りだとすれば、空前の買収が行われたということで、その原資は党からの資金ではないと説明されているようですが、ではその資金はどのように使われたのでしょうか。「もう党費は払いたくない」との党員の声を聞くと申し訳ない気持ちになります。
 広島では河井氏から資金を受け取った市長や町長が辞任に追い込まれていますが、当該自治体の混乱を引き起こした責任は誰がどうとるのか。規模といい、内容といい、前代未聞の選挙戦を展開してまで実現したかったことは何であったのか。

 

 小選挙区制導入を柱とする政治改革でしたが、構想当時から、選挙制度だけ変えればその趣旨が実現するとは全く思っておりませんでした。地方に権限や財源を移譲する「地方分権」と、政党の在り方を定める「政党法」の制定なくして政治改革の趣旨は貫徹されない、と平成5年の衆議院政治改革特別委員会で細川総理や山花政治改革担当大臣を相手に議論したものですが、その後も選挙制度にのみ焦点が当たり、この二つは議論から切り離されてしまった感がありました。
 政党は国民の税金から政党助成金を受け取る権利を有しながら、国民に対してその使途を細部まで示すこともなく、組織としての意思決定の過程を透明性をもって開示することも義務付けられていません。「権利を享受しながら義務を負わない主体」などというものは法的に存在しえないのであり、政党法の制定は絶対に必要だと今でも思っています。
 自民党の平成24年憲法改正草案は、第4章「国会」第64条の2として「国は政党が議会制民主主義において不可欠な存在であることに鑑み、その活動の公正の確保及びその健全な発展に努めなければならない」「政党の政治活動の自由は保障する」「政党に関する事項は法律で定める」としています。
 広島選挙区の事案は、単なるスキャンダルで終わらせることなく、この「政党法」の制定に繋げるべきだと思っております。

 

 昨25日木曜日、自民党憲法改正推進本部において、国民に理解を求める方法についての紹介があったのですが、徹頭徹尾「憲法に自衛隊を明記しよう」という事項にのみに絞られたプレゼンテーションに終始し、暗然たる気持ちになりました。自然災害やコロナ禍で活躍する自衛隊の映像を流した後に、憲法学者の6割が自衛隊を違憲だと言っていることを紹介し、「こんな自衛隊を憲法に明記しなくていいのでしょうか?」と締めるパターンで、数分もののこのような何種類ものビデオを拡散せよ、とのことでした。
 いつの間に、未だに正式な党議決定もされていない「自民党改憲4項目」、さらにその中の「9条に自衛隊明記」が最優先事項となったのか。何度でも繰り返しますが、「9条に自衛隊を明記するだけで他は何も変わらない」とする改憲案には、私はほとんど意義を見出すことが出来ません。「必要最小限度の組織と行動」だから「戦力」ではなく、「戦力」ではないから「軍隊」ではない、という、国際的にも通用せず国民にも理解不能な論理から脱却すること。そして自衛隊を「国の独立を守る組織」「司法・立法・行政の厳格な統制に服する」「その行動は国際法ならびに確立した国際慣習による」とすること。そうでなければ9条を改正する意味は極めて乏しく、自衛隊の活動の充実や、日本人の安全保障観の健全な醸成にも、何ら資することはないと考えます。この考え方を「原理原則に拘る」と評する向きもあるようですが、国家の基本である安全保障の原理原則に拘りを持たないことの方が私には理解できません。
 そして、同じく「自民党改憲4項目」の一つである「合区の解消」は一体何処へ行ってしまったのでしょうか。これは正式に決定した昨年の参議院選挙の公約でもあります。「人口が減少する限られた県の問題」とでも思っているのかもしれませんが、次期参院選は2年後であり、時限性のある課題に目途をつけることも重要なはずです。

 

 イージス・アショアについては前回も記しましたが、秋田・山口の予定地への配備について「ブースターを演習地内に確実に落下させることが難しく、その回避のためには多額の費用と時間を要し、迎撃範囲も大幅に縮小する」というのが停止の理由だとすれば、洋上(人口島や無人島など)に配備すれば済むのではないでしょうか。
 抑止力の向上は、米国の拡大抑止体制(核の傘)の信頼性、シェルター整備などの国民保護体制の充実と併せて論ぜられるべきものであり、いきなり「日本も策源地攻撃能力、つまり『矛』を持つべきだ」との議論に直結するものではありません。「大きな一石を投じる」ことを重視するあまり、論理的整合性を捨象してしまうことは、決して良い結果には繋がりません。

 

 中公文庫より猪瀬直樹氏の名著「昭和16年夏の敗戦」が新版として発売され、巻末には10年前の猪瀬氏と私との対談も収録されています。単行本は1983年、文庫は1986年と2010年、新書(「空気と戦争」)は2007年に発刊されており、既にお読みの方も多いと思いますが、この機会にまた一人でも多くの方にお読みいただきたいと思っております。
 今日の都心は梅雨の晴れ間ものぞいています。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

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2020年6月19日 (金)

イージスアショアの計画停止など

 石破 茂 です。
 
 先の内閣改造において河井克行氏を法相に起用したのは、国家国民にとって最も適材適所であったのか。昨年の参院選挙広島選挙区において案里氏を破格の厚遇で支援したのは何故か。
 捜査の行方は分かりませんし、現時点では両氏に推定無罪が働いていますが、私が素朴に疑問に思うのはこの二点です。
 河井氏が法相を続けていれば、国会で大議論となった検察庁法の改正を担当したはずです。「検察官も国家公務員である以上、(定年について特別法である検察庁法ではなく)国家公務員法が適用される」という内容は、特別法が一般法に優先する法の常識や、従来の政府答弁を根本から覆すことから、相当な困難の予想されるものでした。また、法務大臣が検事総長に対する指揮権を有していることも軽視してはなりません。
 閣僚ポストは国家国民のためにある。このようなあまりに当たり前のことを言わねばならないことを、とても悲しく、情けなく思います。
 
 案里候補に破格の資金を提供し、異例の厚い選挙応援体制を敷いてまで実現したかったのは何であったのか。「二人区の広島で二議席を確保する」と言うのは簡単ですが、過去、広島で自民党が二議席独占できたことはありません。新人とはいえ、衆議院当選7期で総理の側近を自任しておられた克行氏の配偶者であり、県議を4期務め、2009年には県知事選にも立候補した案里氏にはそれなりの知名度もあったはずです。
 各種の指標に基づいて精緻に分析した自民党の世論調査に基づく情勢判断はかなり的確で、幹事長在任中に「選挙は科学である」ことを心底実感した覚えがあります。接戦区においては、さらに精密な調査を行い、最も効果的な支援を行えるように情報収集します。
 昨年の参院選では、秋田、山形、宮城、滋賀、大分など、接戦の末に自民党候補が野党候補に敗れた選挙区がいくつかありました。河合案里候補に投入した支援体制をこれらの選挙区にも効果的に配分していれば、自民党はもっと多くの議席が獲得できたのではないかと思うと、残念な思いがします。
 今回の河井夫妻の逮捕を、自民党のあり方を見直す機会としなければなりません。国会で説明することもなく、時が過ぎればやがて国民は忘れる、などと考えてしまえば、次期総選挙で国民から厳しい審判を受けるのは必定です。

 イージス・アショア(地上イージス)について、河野防衛相は「山口県と秋田県への配備計画を停止する」と述べられましたが、「停止」とはいったい何を意味するのか、判然としません。
 ミサイルに対する抑止力はミサイル防衛システムだけで万全なものではなく、「米国の核の傘(拡大抑止)」「ミサイル防衛システム」「国民の避難計画やシェルターの整備などの国民保護体制の構築」の三者が一体となって機能するものであり、単に費用対効果だけで論じられるものでもありません。
 「停止」は「中止」ではなく、現在の候補地の他に、ブースターが落下しても被害が生じないような適地があれば計画を再開するのか、陸上に適地がなければイージス艦を増隻するのか、対空護衛艦としてのイージス艦ではなく、ミサイル防衛機能にのみ特化した洋上のシステムを整備するのか(私は現時点ではこれが一番適しているのではないかと考えています)。
 「策源地(ミサイル発射地)攻撃能力」保有の是非等々を整理し、解決しなければならない課題は多くあるのですが、それらの議論の道筋が示されないままに混乱だけが生じているのは全くよくありません。安全保障はウケ狙いやその場の思い付きだけでやってはならないものであり、法律も、能力も、安全保障条約の内容もきちんと理解している専門家を中心に早急に議論を詰めなくてはなりません。
 なお「抑止力神話の先へ」(自衛隊を活かす会編・かもがわ出版・2020年)は、抑止力についての頭を整理するのにとても役立ちます。

 ウイルス感染の爆発的拡大は抑えられ、規制も段階的に解除されつつありますが、これは一時の静けさであるように思われます。ワクチンと治療薬の開発への更なる資金の投入、PCR検査体制の整備、医療体制の強化、給付金の対象から外れて困窮しておられる方々への支援(予備費の最大限の活用)など、早急に行うべきことは明らかです。
 百年に一度、と常套句のように評される今回のウイルス禍ですが、この言葉の持つ意味をよく考えなくてはなりません。第一次世界大戦(1914~1918)、スペイン風邪の世界的大流行(1918~1920)、世界大恐慌(1929)、第二次大戦(1939~1945)、というのが百年前に起こった一連の出来事であり、当時のグローバル経済は終焉し、世界経済に占める貿易依存度が再び第一次大戦前の水準に戻ったのは1970年代後半。その間に約60年の歳月を要しました。
 百年前と今とで多くの状況が異なっていることは当然ですが、その近似性にも改めて驚かされます。世界史の大変革期において、ウイルス禍はその一つの契機にしか過ぎなかったのであり、歴史の大きな流れを見据えなければなりません。「グローバリズムが世界を滅ぼす」(エマニュエル・トッド、中野剛志、藤井聡、柴山桂太他著・文春新書・2014年)を読んで、そのように思いました。

 今日の東京は朝から雨模様の肌寒い天気です。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2020年6月12日 (金)

吉原恒雄先生ご逝去など

 石破 茂 です。
 第二次補正予算も成立し、通常国会は延長もないままに来週17日で閉会となる見込みですが、ここ数日、今秋の衆院解散説が取り沙汰され、9月末解散、10月25日投票など、具体的な日程までがまことしやかに語られています。
 政治の世界では何が起こっても不思議はないのですが、私は衆議院の解散は、憲法第69条による「内閣不信任案が可決された場合」の他に、「内閣信任案が否決された場合」「予算案や、内閣が最重要課題と位置付ける法案が否決された場合」「前の解散の時には想定されていなかった国政上の重要な課題について国民の判断を仰ぐ必要がある場合」に限定されるべきものと考えており、天皇陛下の国事行為を限定列挙している憲法第7条による解散には否定的な立場です。第7条は解散の形式要件を定めたものにしか過ぎません(佐藤功「解散権濫用の戒めー保利茂の遺構」・法学セミナー1979年6月号をご参照ください)。
 7条解散について、最高裁が統治行為論を用いて判断を避けている以上、これを否定することは出来ませんが、「内閣の見解と衆議院の見解とが異なった場合に主権者である国民の判断を仰ぐ」というのが憲法の想定している解散の趣旨であり、これにできるだけ沿うべきものと考えています。
 かつて故・宮澤喜一総理は「解散権は好き勝手に振り回してはいけない。あれは存在するが使わないことに意味がある権限で、滅多なことで使ってはいけない。それをやったら自民党はいずれ滅びる」と語っておられたそうですが、けだし名言と思います。
 宮沢内閣不信任案が可決され、衆議院が解散されたのは平成5(1993)年6月18日のことでした。当時私は当選2回で、現職の農林水産政務次官を辞職し不信任案に賛成したのですが、決断に至るまでに幾晩も眠れない夜を過ごしたことが随分と昔のことのように思われます。
 あれからもう27年が経ちました。会期末の6月には、いつも複雑な感慨が去来します。

 米軍制服組のトップであるミリー統合参謀本部議長が6月1日にトランプ大統領の写真撮影に同行したことを「私は行くべきではなかった。私があの場所にいたことで軍が政治に関与しているという印象を作ってしまった」と11日に述べたことが報ぜられましたが、自らの誤りを率直に認める姿勢に軍人の矜持を感じました。
 マティス前国防長官に加えて、ブッシュ政権の国務長官であった共和党重鎮のコリン・パウエル元統合参謀本部議長も7日、トランプ氏の姿勢を厳しく批判し、民主党のバイデン氏支持を明確にしました。他国の国民の選択に言及することは慎まねばなりませんし、凄絶な権力闘争の一環であることも事実なのでしょうが、党利党略を超えた米国の良識に触れた思いです。「軍は国家に隷属するのであって、政府に隷属するのではない。」改めてこの言葉の持つ意味と厳格な文民統制の必要性を思います。

 ごく一部の報道でしか報ぜられなかったので不覚にも知らなかったのですが、この言葉を私に紹介してくださった元拓殖大学教授で軍事評論家の吉原恒雄先生が4月11日逝去されました。享年80歳。派手な活躍をされてはいなかったのでそれほど有名ではなかったかもしれませんが、私が最も尊敬し、影響を受けた学者のお一人でしたので、残念でなりません。
 広島女子大学教授時代に書かれた論文「『集団的自衛権行使違憲論』批判 有権解釈の矛盾と変更の必要性」(広島女子大学国際文化学部紀要・1996年)は「集団的自衛権 論争のために」(佐瀬昌盛著・PHP新書・2001年)と並んで憲法第9条についての私の考え方の原点となったものですし、最近の論考「改憲支持の低下は改憲内容のダンピング」(新国策・2018年6月号)も示唆に富むものでした。
 著書は少ないのですが「国家安全保障の政治経済学」(泰流社・1988年・絶版)は実に内容の深い、不滅の価値を持った素晴らしい論説集で、今でも折に触れて読み返しています。
 平成12年12月、森喜朗内閣の防衛総括政務次官(後の副長官)を拝命した際、吉原先生を政務次官室にお招きしてお話を伺ったことがありました。先生は開口一番「石破さん、貴方は自衛隊を好きですか?」と意外な質問をされ、「もちろん好きです」と答えたところ、「そうですか。総括政務次官を退任される頃には間違いなく自衛隊を嫌いになられますよ」とおっしゃいました。
 驚いて「何故ですか?」と問う私に、「貴方は自衛隊が好きだから、陸自はここを改めるべきだ、海自は、空自はこうあらねばならないなどと言われるのでしょう。言えば言うほど敬遠され、疎まれるようになる。全部が全部そうだとは言わないが、残念ながらここはそういう組織なのです」少し悲しそうなお顔でそう言われたことを今も鮮明に覚えています。
 その後、防衛庁副長官、長官、防衛大臣を務めましたが、従来の方針とは異なる改革的な主張を唱えると、内部から出たとしか思えない誹謗・中傷が週刊誌に載ったりして、成程、先生の言われたのはこういうことであったのかと幾度か思いました。私の意志が強いというよりも生来鈍感なせいか、防衛省・自衛隊を嫌いになることもなく今でも防衛系議員の一端に名を連ねていますが、自衛隊とは何か、国家の独立とは、同盟とは何かという思いに目覚めさせてくださった吉原先生の御霊の安らかならんことを心よりお祈り致します。

 さる5日、横田めぐみさんのご尊父で、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」の初代会長を務められた横田滋氏が逝去されました。慎んでお悔やみ申し上げます。

 クーデターの起こった北朝鮮から拉致被害者を、自衛隊が現行法ギリギリの範囲で奪還する、との内容の小説「邦人奪還」が17日に新潮社より発売されます。著者の伊藤祐靖氏はイージス艦「みょうこう」航海長として能登半島沖北朝鮮不審船事案に遭遇した後、海上自衛隊初の特殊部隊である特別警備隊の創設に深く関わった元二等海佐で、細部に至るまでリアリティに満ちた筆致は見事です。是非ご一読ください。
 伊藤氏も、陸上自衛隊特殊作戦群初代群長であった荒谷卓氏も、中途で退官されましたことは誠に残念でしたが、国防について多くの思いを今もお持ちのことと拝察します。

 東京は11日木曜日に梅雨入りし、不安定な天候が続きました。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2020年6月 5日 (金)

アメリカの暴動など

 石破 茂 です。
 新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(以下、専門家会議と略)の議論が、議事録ではなく概要でしか示されないのはやはり不適切ではないでしょうか。概要では誰が何を主張し、それに誰がどう反論し、どのような議論の展開の末に結論が得られたのかが分かりません。
 「政策の決定または了解がなされる会議は議事録の作成が義務付けられる」ということで、専門家会議はこれに該当しないのだそうですが、専門家会議の見解は最大限に尊重されているのでしょうし、少なくとも後の検証のためにも詳細な議事録は残しておくべきだと思います。
 発言者が明らかになると闊達な議論にならない、とはよく言われることなのですが、政府の意思を大きく方向づける会議のメンバーとして選ばれている方々なのですから、責任をもって自らの立場を明らかにされることと思います。
 もし外交や防衛のように機密事項に関わる案件が今回にも一部あるのであれば、一定の期間の経過後に国民に明らかにするべきでしょう。

 政府が1世帯に2枚を早急に届けると約束した「布マスク」が、未だに全世帯に行き渡らないことも問題となっています。日本の優れた郵便事情であれば、発送すれば数日で全国に届くはずであり、生産が間に合わないのか、封筒詰めや宛名書きが遅れているのか、何か原因があるはずで、それを明らかにしないと国民はさらに不信感を持つのではないでしょうか。
 さらに、届いたマスクには生産したメーカーの名も、連絡先も記載がありません。マスクには法的な表示義務はないものの「全国マスク工業会」の自主的な表示基準として記載すべき事項が列挙されているのですが、これら事項の表示もありません。
 内閣総理大臣肝いりの政策がこんな杜撰なことでよいわけがありません。総理が自らご指示されたにもかかわらず、目標が達成されていないのは、行政組織のどこかに不具合があるのではないでしょうか。
 持続化給付金の再委託問題も、基本的な無責任の構図は同じなのではないかと懸念します。これを糾すのは野党よりも我々与党の責務です。

 アメリカ各地で発生している暴動は1960年代の公民権運動を彷彿とさせますが、小学校高学年の頃に何度も読んだケネディの伝記(世界偉人伝全集第50巻・細野軍治著・偕成社・1966年)の中に出てくる、ケネディ大統領が人種差別問題に取り組んだ際の場面を今も鮮明に記憶しています。
 1962年、ミシシッピ州やアラバマ州で起こった大規模なデモに対してケネディは最終的に連邦軍を出動させたのですが、直後に「アメリカ人は何人(なんびと)もその人種や皮膚の色に関わりなく、アメリカ人である特典を享有できるものでなければならない」と訴え、黒人の公民権を広く認める公民権法案を議会に提出したのでした(ケネディ暗殺後、後継のジョンソン政権下で成立)。私はケネディ大統領を全面的に礼賛するものではありませんが、軍の派遣に懊悩し、多くの反対に直面しながらも高い理想を掲げ続けた彼の政治姿勢には、子供心に強い共感を覚えました。

 「軍は国家に隷属し、警察は政府に隷属する」という言葉は日本では全くと言っていいほどに語られることはありませんが、文民統制の必要性を明確に述べたものであり、同時に軍の国内における極力抑制的な行動を求める根拠ともなるものです。
 トランプ大統領の今回の一連の言動はこの基本的な考えに反しており、軍人出身であるエスパー国防長官およびマティス前長官が安易な軍の介入に否定的な発言をしていることは正しいものと考えます。
 わが国でも、60年安保闘争の時、鎮圧のため自衛隊に治安出動を命じようとした岸信介総理に対して、赤城宗徳防衛庁長官が職を賭してこれを阻止したことがありました。
 「猛犬」とのニックネームで呼ばれながらも軍内部での信頼が厚かったマティス元海兵隊大将を政権初代の国防長官に起用しながら、シリア撤退で政策が一致しなければ更迭し「彼は最も過大評価されている将軍だ」と突然に酷評するトランプ大統領の思考は、どうにも一貫性がないように見えます。そもそも彼がそのような人物だったのであれば、起用した大統領の責任です。唯一の同盟国の指導者の、他人の意見を聞く耳を持たず、自分に付き従う者のみを重用するような姿勢には、大きな違和感を覚えます。
 4日に31周年を迎えた天安門事件について、「残酷だったが、力で抑え込んだ。我々の国は弱いとみられている」と、肯定的とも受け取れる見解を述べ、民主党系の知事たちに対しても「弱腰だ。圧倒しなければ時間の無駄だ」と発言し、マケナニー・ホワイトハウス報道官がエスパー長官の更迭まで示唆する、という一連の報道を見ていると、秋の大統領選挙を控えたアメリカは一体どこへ行くのか、との危惧を感じます。
 香港、台湾など、我が国を取り巻く情勢は米中の対立を軸に今後更に緊迫するものと思われ、決して対岸の火事ではありません。

 東京都は独自の「東京アラート」を発令しており、なお警戒が続いています。このアラートの意味は今一つ判然としませんが、赤くライトアップされた都庁を見物に多くの人が訪れる光景を見ると、なんだかなあ…という気がしないではありません。
 永田町の日程も徐々に通常モードに戻りつつありますが、他道府県への移動はまだ制限があり、今週末も在京の予定です。
 7日日曜日は「激論!クロスファイア」(午後6時・BS朝日・収録)、週明け8日月曜日は「報道1930」(午後7時半・BS-TBS)に出演致します。
 今週の東京は夏日が続きました。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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