« 2020年7月 | トップページ | 2020年9月 »

2020年8月28日 (金)

安倍総理の辞任ご表明など

 安倍総理の長年にわたるご努力に心より敬意を表します。
 三年余りの野党の期間を経て、安倍総裁の下で幹事長を務め、共に力を合わせて政権を奪還した時のことを感慨深く思い出しております。
 憲法改正、経済の回復、安全保障環境の改善など、方法論は違っていても目指す方向は同じであり、総理が長い間、全身全霊で国政にあたってこられたことは、幹事長の二年間、閣僚の二年間、間近で拝見して参りました。本当にお疲れ様でした、ありがとうございました、という気持ちでおります。
 総理の表明を受けて、自民党は可能な限り早い機会に後継者を決めるための手続きに入ることになろうと考えます。そしてその際には、自民党員や国民の理解と納得が十分に得られる方法を採られるものと思っております。


| | コメント (71)

イシバチャンネル特別編

事務局です。イシバチャンネル特別編をアップロードしました。

安倍首相辞任について8月28日に収録した動画です。

是非ご覧ください

| | コメント (7)

2020年8月21日 (金)

夏休みなど

 石破 茂 です。
 安倍総理の健康問題が大きく取り沙汰された一週間でした。総理がこの国で一番といえるほどの激務をこなし、たとえようもない重圧感に耐えながら職務に邁進してこられたことに心から敬意を表しますし、一刻も早く全快されて万全の態勢で職務を遂行されることを心より祈念しております。

 政治家の健康は、本人のみならず、国家国民や地域の命運にも多大の影響を与えます。あまり今まで気にしたことも無かった「休むのも仕事のうち」という言葉が妙に実感を伴って感じられます。
 昭和55年12月7日、鈴木善幸内閣の自治大臣であった父が東大病院で膵臓癌の手術を受ける前夜、私を呼び出して遺言を手渡したのち、一通の封書を別に渡して「これを明日の朝、田中(角栄元総理)の所へ持って行け」と命じました。「これは何ですか」と問う私に「大臣の辞表だ。手術中に死ぬかもしれない。その時、辞表が出ていなければ天皇陛下にご迷惑をおかけすることになる。辞表を出す、出さないも、その時期も、すべて田中に任せると伝えよ」と答えました。
 翌朝、目白の田中元総理のお宅に伺い、そのように伝えたところ、元総理はしばらく絶句された後「立派だ…」と一言仰いました。父は手術後、数日で職を辞し、翌年73歳で没するのですが、当時23歳の銀行員であった私は、明治の人(亡父は明治41年生まれでした)の価値観や人生観、吏道の一端を垣間見た思いがしたことでした。

 アメリカ大統領選挙の民主党候補にバイデン前副大統領が指名されました。11月3日の大統領選挙の結果を今から予断をもって語ることは出来ませんが、どちらが当選するにせよ、合衆国内の「対立と分断」の構図が少しでも解消に向かうことを願わずにはいられません。今のところ、両陣営とも相手候補に対する敬意が欠片も感じられないことに違和感を覚えるのは私だけではないように思います。

 必要があって満州国のことを調べているのですが、知らなかったことのあまりの多さに愕然としています。満州国のみならず、台湾、朝鮮、東南アジア諸国等々、かつての日本との関わりを知らずして未来を語ることは出来ないことを痛感させられます。

 今年は曜日配列が良くなかったこともあり、まとまったお休みもとれないままに8月も後半となってしまいました。
 遅かった梅雨明けと共に猛暑・酷暑が到来し、「危険な暑さ」などという言葉が半ば慣用句化しつつあります。
 昭和30年代後半から40年代前半、鳥取市で過ごした小学生時代は、朝6時から近くの久松山(きゅうしょうざん)鳥取城址の二の丸へ散歩に出かけ、午前中の涼しいうちに宿題をやり、午後は学校のプールで泳いで、帰宅後お昼寝を一時間、などという絵にかいたような夏休みを過ごしていたのですが、今は早朝から30度近くまで気温が上がり、「朝の涼しいうち」などということもなくなってしまったようですね。

 それでも2日間だけ連続して休みを取ったのですが、数冊の本を読んだだけで、ほとんど無為かつ怠惰に過ごしてしまいました。いつも休み前にはあれもやろう、これもやろうと気宇壮大(?)な計画を立てるのですが、実現できたためしがありません。随分以前にご紹介した、高校生時代に読んだ柏原兵三の短編小説「短い夏」最後の一節「思っていたことの何分の一も実現できないまま、僕は秋の中にいた」を今年も思い出しました。
 38歳で早逝した芥川賞作家の柏原兵三(1933~1972)の作品は高校生から大学生の頃に随分と愛読し、今も好きな作家の一人です。「短い夏」の姉妹作である「夏休みの絵」(三笠書房・1971)は青春小説の秀作ですし、母方の祖父である陸軍中将をモデルとした芥川賞受賞作「徳山道助の帰郷」や、ベルリン留学時代を描いた遺作「ベルリン漂泊」も好きでした。

 猛暑が続きますが、赤坂宿舎の中庭ではミンミン蝉とつくつく法師が競うように鳴いています。つくつく法師が鳴き始めると、夏が過ぎ去っていく焦燥感と寂寥感に駆られるのですが、今年の短い夏もピークを過ぎつつあるようです。
 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

| | コメント (42)

2020年8月 7日 (金)

核廃絶など

 石破 茂 です。
 都市、地方を問わずマスクを着用していない人をほとんど見かけません。さすが日本人の生真面目さ、それは望ましいことなのですが、やはり「声が聞き取りにくい」「呼吸がしづらい」ことに加えて「目しか見えないので表情がほとんど読み取れない」という点で、困惑することが実に多くなってしまいました。ウイルス禍は今後なお続くのであり、これは日本社会にこれからも大きな影響を与え続けるのではないでしょうか。
 梅雨も明けて暑さが厳しくなっていますが、日中屋外でお仕事をなさる方のマスク着用の負担はとても大きいことと思います。今日は猛暑日でしたが、事故のないことをひたすら願っております。

 

 ソーシャル・ディスタンス、ニューノーマル、ウィズ・コロナ、アフター・コロナ等々、昨今横文字が氾濫していますが、社会的距離、新しい日常などの日本語で表現することに何か差し支えでもあるのか、とても不思議に思います。まさか、格好いいからというわけでもないでしょうし、英語があまり得手ではない私の僻みなのかもしれませんが、どこかで是正できないものかと思います。
 福沢諭吉先生の日本語訳の中でも秀逸だと思うのはspeechを「演説」とされたことですが、一方でCompanyは「社中」と名訳されたにもかかわらず、これが定着せずに「会社」となってしまったことで、その意味が本質から外れてしまうことになったことを思うと、訳というのは実に難しいことなのだなと思います。

 

 臨時国会の早期開会に否定的な見解が政府・与党から示されています。審議すべき法律案も予算案も無いままに国会を開くのは意味がありませんし、ことの是非はともかくも膨大な予備費を含む補正予算が執行中なので補正予算編成も当面行われないのですが、感染拡大が止まらない現状を踏まえた特措法の改正と、ウイルスなどに対応する日本型CDC(疾病予防管理センター・Centers for Disease Control and Prevention)の設立の必要性、その組織・運用の在り方について、などは国会における議論が必要不可欠であり、準備が整い次第、臨時国会召集の手続きを行うという意思表明をすべきものではないでしょうか。「議論から逃げている」などという批判を受けることは、決して国家国民のためにも、政権のためにもなりません。

 

 今週水曜日に、故・李登輝元台湾総統の弔問記帳に台北駐日経済文化代表処(大使館)に伺い、謝長廷代表(大使)と懇談する機会を得たのですが、その際「台湾がコロナ対策に成功している大きな理由の一つはCDCが有効に機能したことだ」とのお話を承りました。台湾の副総統(副大統領)が公衆衛生学の専門家、行政院副院長(副首相)が産婦人科の医師であったことに加え、一連の対策のリーダーシップを感染症専門医ではなく公衆衛生分野の専門家に任せた点も奏功したようです。

 

 感染拡大が止まらない現状に鑑みれば、緊急事態宣言を再び発出することも考えなければなりませんが、その際、緊急事態の宣言の目的は「感染の拡大を防ぐこと」と「医療崩壊を防ぐこと」であり、「47都道府県知事がそれぞれの地域の実情に的確に即した対応を行うもので、決して全国一律に行うものではない」という法の趣旨の原点に立ち返ることが是非とも必要ですし、これは何かと批判も多いGo to キャンペーンとの整合性を検証することにもつながると思っています。

 

 昨日は広島に原子爆弾が投下されてから75年の節目の日でした。明後日は長崎の原爆の日を迎えます。昭和43(1968)年、小学校6年生当時だったかと思いますが、NHKで米国から公開された原爆投下の記録映像を観て、あまりの惨たらしさに強い衝撃を受けたときの記憶は今も鮮明です。
 「核兵器の廃絶は被爆国日本の願い」というのは、私もその通りだと思いますが、一方で日本が核の傘(拡大抑止)によってロシア、中国、北朝鮮の核攻撃に対する抑止力を米国から提供されていることも厳然たる事実であり、この拡大抑止の信頼性を高めることも日本の安全保障政策の重要な課題です。この二つをどのように整合的に理解すればよいのかについては、悩み続けています。ミサイル・ディフェンス(MD)による拒否的抑止力の実効性の拡大は一つの答えではありますが、MDではスーツケース型の小型核爆弾などには対応出来ません。政治に携わる者として大きな悩みの一つであり続けています。

 

 韓国が徴用工問題について、日本製鉄の資産の売却を進めるための手続きに入っていることは、極めて深刻な問題と捉えています。経緯について今更書くことは致しませんが、1965年の日韓請求権協定には財産・請求権問題の解決が明記されており、韓国もその立場であったところ、韓国最高裁がこれを一方的に覆し、法律家でもある文大統領も「三権分立の立場から司法の判断を尊重する」と述べています。
 このようなことが通用するならば二国間の関係は極めて不安定なものとなるのであって、韓国の判断は国際的な常識からも逸脱しています。どうしてこのようなことになるのか、理解不能としか言いようがありません。最近韓国に設置された、日本国に対する品位や礼節に欠けた像についても然りです。
 「韓国の社会では、約束を守らない、破ってみせられる立場こそ地位が高く、尊敬を受ける。そういう観察を聞いた当初はやや極端ではないかと思っていたが、(徴用工についての対応を見ると)一理ありそうに映る」(岡本隆司・京都府立大学教授著「東アジアの論理」中公新書・2020年・117ページ)
 「(正統を争う)党争と同じ文脈にあるのがいわゆる「徴用工」「慰安婦」の問題に他ならない。これも伝統的な正統・正義がしからしめるところであり、正統の政権である以上、道義的に誤っている右派や日本の言い分はどうあっても正さねばならない。それに比べれば条約にせよ外交にせよ些末なことなのである」(同書132ページ)
との解説を読むと、慨歎と嘆息を禁じ得ませんが、岡本教授の所説に加えて小倉紀蔵・京大教授の「北朝鮮とは何か 思想的考察」(藤原書店・2015年)を併せ読んでみると、今まで全く理解不能であったことがおぼろげながら見えてくるように思います。
 中国、韓国、北朝鮮を理解不能と断じて批判するのは容易ですし、そのように言っていれば一部のメディアや世論からも強く支持されるのでしょうが、それでは何も変わらず、国益に資することにもなりません。この二冊はよく読んで理解・咀嚼しなければならないと思っています。京都大学系の学者の論考からは学ぶべきことがとても多いように最近感じております。
 誤解があるといけないのですが、両教授とも極めて冷静かつ客観的・学究的に論じておられるのであって、政治的に一方の立場に偏るということは全くありません。学問というのはかくあってほしいと切に思います。御用学者的な教授がその権威をもって政治に加担して国を誤ることに繋がった過去の例は少なくはないのですから。

 

 人事異動の時期のため、各省庁幹部の皆様の御来訪が多い一週間でした。日頃あまりお付き合いの無い役所の方と所掌分野についてお話しする時間は、新しい気付きも多くあって示唆に富むひとときです。

 

 都心は梅雨も明けて暑さの日々が続いています。蝉の声だけは今も昔も変わることがなく、聴いているとふと子供時代に立ち返る気がします。暦の上では今年は今日が立秋なのだそうですが、近年は秋がないままにいきなり冬になってしまうような妙な気候です。
 皆様どうかご健勝にてお過ごしください。なお、来週は本欄の更新をお休みさせて頂きます。何卒ご寛容くださいませ。

 

| | コメント (44)

« 2020年7月 | トップページ | 2020年9月 »