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2021年3月31日 (水)

鳥取1区の皆様へ:街頭演説会中止のお知らせ

 事務局です。
 4月4日(日)に予定しておりました 自民党鳥取県第1選挙区支部 街頭演説会(1000-中部地区、1530-東部地区)は、鳥取県において新型コロナ警報が発令されたことに伴いまして、急きょ中止とさせていただきます。
 突然のご連絡で大変申し訳ございませんが、なにとぞご理解、ご協力を賜りますよう、お願い申し上げます。

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2021年3月26日 (金)

石橋湛山など

 石破 茂 です。
 河井克行元法務大臣がそれまでの主張を一転させ、参議院選挙に立候補する妻への投票に向けた買収を認めて、議員辞職を表明しました。
 買収の意図があったかどうかは本人が一番知っている(と言うより本人しかわからない)ものですし、長期間全く登院もしないで歳費を受け取ることには納税者の理解が得られず、何故突然今の時期に、と不思議に思うのは私だけではないでしょう。
 先日の党大会では誰もこの問題に触れませんでしたが、買収の原資に国民の税金による政党助成金が含まれていたとすれば、国民や政党助成金制度に対する大きな背信であることは間違いありません。今後の裁判の過程で一連の資金の流れも明らかになるのかもしれませんが、仮にそうならなくても、この解明に自民党として真摯に取り組み、自民党の平成24年憲法改正草案にあるとおり、憲法に政党を明確に位置付け、その在り方を定める政党法の制定を目指すことが必要です。
 憲法改正のテーマはなにも第9条に限らないのであり、多くの党と国民の賛同が得られるものを優先させるべきです。それによってこそ自民党にも、憲法改正にもより多くの理解と支持が得られるものと考えております。

 党大会において、党歌「われら」を参加者全員で手話を用いて黙唱(このように表現するのでしょうか?)したのは、とても良い企画でした。当コメント欄でもご指摘を頂いたような、自己満足や偽善、その場だけのパフォーマンスに終わらないよう、今後とも取り組んで参ります。
 手話言語法の制定は喫緊の課題ですが、手話には一般の日本語とは文法や語順が異なる「日本手話」と、一般の日本語を単語や助詞、動詞ごとに変換して、語順通りに並べる「日本語対応手話」(党大会ではこれを用いました)等があり、どれを「言語」とするのかが定まっていないという問題があるようですが、多くの自治体で条例が定められていることもあり、これ以上の先送りがあってはならないと思います。

 24日水曜日は、東洋経済新報社創立125周年事業の一環である「石橋湛山と保守政治」と題するパネルディスカッションに参加して参りました。歴史家・作家の保阪正康氏、元朝日新聞主筆の船橋洋一氏という、当代随一のお二方とのパネルでしたので、背伸びしてみても仕方がなく、かえって自由にものが言えたように思います。
 「フランス革命の省察」を著し、保守思想の父と呼ばれるエドマンド・バークは、「良き愛国者や政治家とは、いかにして自分の国に現存する素材で最善がなし得るかを常に考えるのであり、保存しようとする性向と、改善するための能力があいまったものが政治家の基準である」と述べ、江藤淳氏は「保守とはイデオロギーではなく感覚である」としています。
 保守とは、大切なものを維持するためにこそ自らを不完全なものと認め、異なる意見を持つ者に対する寛容さを持ち、言論の自由を尊ぶリベラリズムがその本質である、というのが現時点で私が到達した理解です。このような姿勢によって保守されるべきものとして石橋湛山が認識していたのは、あくまで平和を守り、権力ではなく権威の体現者として国民全体の統合の象徴であらせられる陛下を戴くこの国の在り方と、五箇条の御誓文に「広く会議を興し万機公論に決すべし」と明記されたデモクラシーの精神だったのでしょう。
 湛山は公選による実質的な自由民主党の初代総裁となったわけですが、そう考えると、自由民主党の英語表記であるLiberal Democratic Partyはなかなかに味わい深いものだと思います。

 大正8年、結核による乳幼児の死亡率が高いことを憂いて公費で結核に対する医療を早急に整備すべきと指摘し、大正12年の関東大震災直後には、災害の経験を科学化せよと論じています。新型コロナや災害に対する対応を考えるにあたって、今でも示唆に富むものです。
 石橋湛山については、自主独立の外交論や憲法論など、学ぶべきことが極めて多く、今後何回かに分けてご紹介したいと思いますが、理解が浅薄な点はどうかご指摘ください。
 近現代史を学ぶ重要性を今回改めて痛感致しました。「石橋湛山の65日」(保阪正康著・東洋経済・最新刊)、「湛山読本」(船橋洋一著・同)、「戦う石橋湛山」(半藤一利著・ちくま文庫)などを是非ご一読ください。

 今週も、新型コロナウイルスへの対応で様々な動きがありましたが、小林よしのり氏とウイルス学者の宮沢孝幸・京都大学准教授の対談集「コロナ脳 日本人はデマに騙される」(小学館文庫・最新刊)は内容が濃く、多くの疑問に率直に答えるものです。新型コロナウイルスを侮るのではなく「正しく怖れる」というのはどういうことなのか、何故リスクの相対化が出来ないのか、メディアリテラシーの低さは何によるものなのか等々、皆様にもお考え頂ければ幸いです。
 脅威はウイルスだけではなく、外交や安全保障面においても中国や北朝鮮など、幾多の懸念が存在しますが、これらも「正しく怖れ」なければ日本は重大な結果に直面することになります。

 高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発にあたって発見された「高輪築堤」跡は、文化財としての価値が極めて高く、重要文化財として指定すべきものと考えます。
 明治5年に我が国初の鉄道として新橋・横浜間が開業した際、本芝から高輪海岸を経て品川停車場までの2.6キロの間、海上に線路を敷設するために築かれた鉄道構造物で、歴史の教科書でこれを描いた錦絵をご覧になったことがある方も少なくないと思います。法律的にはさまざまな難しい課題がありますが、皆で何とか知恵を出したいものです。

 東京都心の桜も満開となりました。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2021年3月19日 (金)

菅政権半年など

 石破 茂 です。
 どの内閣でも発足当初の高い支持率は「期待値」であって「実績値」ではありませんが、現内閣はコロナ対策、デジタル化、女性に対する施策など地道に辛抱強く課題に取り組んできたのではないでしょうか。コロナの状況と支持率が連動しているのが今までにない特色で、支持率はコロナの感染者が減れば上がり、拡大すれば「後手後手」と批判されて下がります。春になれば湿度が上がって飛沫の飛距離は短くなり、暖かくなって換気は冬場よりは頻繁になり、ワクチンの接種数の増加もあって感染は当面収束に向かうものと期待されますが、その間に、弾力性や機動性の確保、このような感染症に際しての行政の指示権の付与など、医療の体制を医療法の改正を視野に見直すことが解決すべき課題です。

 21日日曜日に、首都圏の緊急事態宣言は解除されることとなりました。この一年で新型コロナの解明は大きく進み、治療法も随分と進歩したはずなのですが、国民の恐怖感はあまり減っていないのではないでしょうか。「正しく怖れる」は必要ですが、「ただただ恐れる」であってはならず、AIを活用し、症例を収集・分析・共有することによって治療法の普遍化を図るべきです。30年前に教わった「名医という言葉があるうちは、医学は科学ではない」との状況は、今もあまり変わってはいないように思われます。
 同時に、この一年で進んでしまった「負の側面」にも目を向けるべきです。女性の自殺増や人々の孤独化、「この一年で少子高齢化は10年前倒しになった」という危機的な状況、認知症や鬱、糖尿病などの生活習慣病の増加、がん検診を控えることでの将来的ながん患者の増加などにも、早急に対策を講じなくてはなりません。

 新型コロナは地方創生の必要性を強く示唆するものでもあります。Go to キャンペーンの再開による関連産業の下支えは、あくまでカンフル的なものであって、終了すれば反動もまた大きくなります。地域を限ったマイクロツーリズムの振興をもっと図るべきですし、オフピーク運賃にも大きな意義があります。地元の人が地域の魅力を知らなくて地域の発展はあり得ませんし、テレワークやワーケーションも日本の形や日本人の生き方を変えるものです。

 バイデン大統領が菅総理を世界の首脳で初めて招いて会談することや、今週開催された日米2+2の共同発表は、米新政権の日本に対する期待の表れであり、同時に日本に責任と負担、覚悟を求めるものでもあります。
 中国の台頭を睨んだ「ポストINF」の時代にあっては、日本の主体的な取り組みこそが問われます。イージスアショアの代替策の決定、敵基地反撃能力保有の判断、アジア・太平洋地域における同盟の在り方の再構築は喫緊の課題です。バイデン政権は損得やディールを重視したトランプ政権とは異なり、同盟重視と言われていますが、それだけ日本には、単なるアメリカ追従ではなく、負担と責任が求められます。
 中国にとって、台湾の独立を阻止することは死活的に重要で、香港に対する対応はその布石と考えるのがある意味自然です。「漢民族」ではない「中華民族」と言う概念を打ち出し、「中国の夢」を唱え、力による現状変更を躊躇しないのは、「戦略的国境」(国力が大きければ国境線も膨張する)との考えに基づくものであって、今に始まったものではありません。
 味方が相手の五倍の兵力なら攻撃し、二倍ならば相手を分断し、勝てない時は戦わないのが「孫子の兵法」を信奉する中国の伝統的な手法ですが、戦力バランスが激変しつつある今、中国海警法の持つ国際法的な問題点をともに懸念する国を増やすとともに、法的・能力的な海上保安庁及び自衛隊の強化により、相対的な抑止力を向上させなくてはなりません。
 2月19日、バイデン大統領は就任後初のG7オンライン会議で、同盟の強化につき「一国に対する攻撃は全加盟国に対する攻撃である」とNATO体制に言及する形で強調しましたが、NATO条約と日米安保条約のコミットメントについての規定ぶりには明らかな相違があることにも注意が必要です。
 NATO条約においては「その必要と認める行動(兵力の使用を含む)を個別的に及び他の締約国と共同して、直ちに執る」とありますが、日米安保条約においては「自国の憲法上の規定と手続きに従って共通の危険に対処するように行動する」という国内法の留保がついています。
 すなわち、米国大統領は戦争権限法による制約(議会の同意が無ければ60日以内に軍を撤退させること、議会が撤退の議決をした場合にも撤退させること)を受けることを明確にしています。
 このように、日米安保条約は日米地位協定、同盟国に防衛力の増強を求めるバンデンバーグ決議、および戦争権限法とセットで理解しなければならないものであり、外務・防衛当局のみならず、我々政治にもこの事実を踏まえた上での政策立案が今後さらに強く求められます。

 東京の桜も間もなく見頃となります。来年のこの季節には、大勢で楽しい花見が出来るようになっていることを心より願います。
 皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2021年3月12日 (金)

東日本大震災・大津波・原発事故10年など

 石破 茂 です。
 東日本大震災・大津波・原発事故から10年、改めて粛然たる思いにさせられます。
 発災1年後、初めての追悼式典が天皇・皇后両陛下ご臨席のもと国立劇場で執り行われた際の、岩手・宮城・福島の遺族代表の方々のご挨拶は今も耳朶に残って離れることはなく、あれが自民党政権復帰への決意の原点であったと今も私は思っています。
 「あの震災の少し前に、皆が宝物のように思っていた孫の誕生日を家族、親族が集まって祝った。ささやかでも、幸せというものがあるのだととても嬉しかったが、3月11日にその多くが消えてしまった。この世に神も仏もないと思った」(岩手県代表の男性)
 「命からがら避難した丘の上から瓦礫の山となった自分の街を見たとき、地獄とはまさしくここのことなのだと思った」(宮城県代表の女性)
 「津波が来ると必死に逃げて走っていたら反対側から来た車が停まり、窓からお父さんが顔を出して『みんな無事か?お父さんは消防団員だから、これから現場に向かうぞ』と言った。それがお父さんを見た最後だった。冷たくなってお父さんは帰ってきた。お父さん、頑張ったんだね、でももう私と遊んでくれないんだね、と思うと悲しくて涙がとまらなかった」(福島県代表の女子中学生)
 大意このようなことだったと記憶しますが、これらの挨拶を聞いて、その場の多くの人が涙しました。当時野党だった我々は民主党政権の拙劣な対応を強く批判してはいたのですが、このような政権を国民に選択させてしまった責任は、驕った立ち居振る舞いで人心の離反を招いた我々自民党にあり、一日も早く党の体質を刷新して政権に復帰し、被災地の復興と被災者の支援に力を尽くせる立場にならねばならない、それが犠牲者や被災者の方々に対するせめてもの償いなのだ、との思いを強く持ったことが思い出されます。

 10周年にあたって、時間の許す限り関連する文献に目を通してみたのですが、「ゼロリスク幻想と安全神話のゆらぎ」(今田高俊・東工大大学院教授、西山昇・千葉商科大学客員教授 千葉商科大学CUC View&Vision 2012年9月)は、今読んでみても示唆に富むものです。
 「日本はゼロリスクを要求する個人によって構成された社会であり、政府や企業は風評被害の発生を怖れて情報を隠匿し、メディアもパニックが発生する恐れのある報道には慎重になる。人々のゼロリスク要求が適切な情報共有を妨げており、今後のエネルギー政策を議論するためには原発推進か脱原発かの二者択一ではなく、専門家から提示された多数の選択肢の持つそれぞれのリスクを十分に理解した上での熟議を市民レベルで進めることが不可欠である」と論じます(大学の紀要などに掲載される、この種の希少な論考にアクセス出来ることが国立国会図書館の持つ利点のひとつであり、我々がこれを活用しなければ納税者に申し訳がないと思います)。
 新型コロナウイルス対応を巡っての議論の混乱も、命か経済か、という二者択一性に起因するところが大きいように思います。
 直近のものでは、石橋克彦・神戸大学名誉教授(地震学)へのインタビュー(朝日新聞3月11日付朝刊)が参考になりました。「原発に対する指摘が生かされてこなかったのは、根拠のない自己過信や失敗を率直に認めない態度、起きて困ることは起きないことにするなどという、敗戦の時と変わらない当事者の体質が大きな要因である」これも実に耳の痛い指摘です。
 
 一連の復興施策は、被災地においてあるべき日本の未来像を示すことを目指したものでした。災害に対する地域の強靭化など、達成されたか、されつつあるものも多く、関係者の尽力に深く敬意を表しますが、一方で人口急減、急速な高齢化と孤独化の進行、被災地・被災者間の格差の拡大など、危惧される将来の姿が逆に先取りされる形で進行していることも直視しなければならない現実です。
 被災地復興の考え方は地方創生とも通底するもので、ハードだけではなく、その地域においてどれほど特色を生かした他地域にはない魅力を発信するかが極めて重要です。
 昨晩のBS番組に出演する準備の際に知ったのですが、原発事故によって甚大な被害を受け、今なお多くの方が帰還出来ない状態が続いている福島県浪江町で、「道の駅なみえ」が今月20日に全面オープンする予定だそうです。同町の請戸(うけど)漁港で水揚げされる絶品のヒラメや白魚を使った料理(白魚は今が旬)、名物の浪江ソース焼きそば(麺の太さは平均的な焼きそばの3倍)などが提供され、地元の料理には地元の酒を、ということで再建された全国でも珍しい駅構内の酒蔵もあるようです。「チーム浪江G&B」(じいさま・ばあさま)という、子供たちを支援する高齢者の組織などもユニークなもので、県内外から観光客や移住者を呼び込むための地元の熱意を今回知ることが出来たことを、とても嬉しく思いました。
 同番組でご一緒した五百簱頭眞先生が座長となって「7つの提言」を取りまとめられた復興構想会議は、提言を提出した後に解散してしまいましたが、本来は形を変えて存続させ、政策の検証を不断に行うべきものであったと思います。
 新型コロナ対応との類似性も含めて、様々な点で省みることの多い10周年でした。

 東京の桜の開花は今月16日、満開は22日と予想されており、本格的な春も間近です。
 皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2021年3月 5日 (金)

深まらない議論など

 石破 茂 です。
 予算委員会は大きな混乱もないままに質疑が淡々と進み、2日火曜日に予算案は衆議院を通過して参議院に送付され、年度内成立が確実となりました。
 米中対立や最近の中国の動向を踏まえた外交・安全保障論議や、新型コロナの陰で進行が一層加速する少子高齢化への対応などの議論がほとんど深まらなかったのには、切歯扼腕する思いでした。総務省や農水省などの問題は、参議院の審議においてさらに解明されなくてはなりませんし、政府は国民の理解が得られるように一層努めなくてはなりません。

 衆議院の予算審議において野党の追及が拍子抜けするほどに迫力不足だったのは、新型コロナ禍の中にあって、予算の成立を遅らせて国民の批判を浴びることを怖れたからなのでしょう。行動制限を緩めることなく緊張感を維持し、補償は更に手厚くすべきだ、との論調には基本的に誰も反対できませんし、政府がそれに応えた形で一定の譲歩をすれば野党の顔もそれなりに立つというものですが、これはあくまで国会の中の駆け引きなのであって、国民の抱く疑問や不安に十分に応えたことにはなりません。
 野党は「ゼロコロナ」などという一般受けしそうなフレーズを使っていますが、コロナウイルスがゼロになるなどということはあり得ないのであって、当面の間は経済と安全のバランスを取りつつ、ワクチン接種を進めて、終息を待つ他はありません。

 緊急事態宣言の目的は、あくまで「医療崩壊の阻止」にあったはずであり、国民に「活動の自粛」という負担を求め続けるのは均衡を失するものではないでしょうか。飲食店が「クラスター発生の元凶」として集中的にターゲットになっていますが、飲食店という「場所」が問題なのではなく、人数の多寡にかかわらず、密接な距離で、酒が入って大声で会話をしながら飲食するという「行為」が問題であるはずなのに、そういう議論にはならないままに多くの飲食店が危機に瀕しているのは異様なことです。
 建築基準法により換気が義務付けられた会場で、客が消毒と検温を徹底し、会話・発声を禁止して開催されるコンサートや演劇などのライブ・エンターテイメントも同様で、これらは基準を明確にしたうえでなるべく早く通常に戻さなければなりません。マスク着用、消毒、手洗い、換気などの徹底により、感染機会を更に減らしつつ、接触機会を是認する方向に転換すべき時です。
 「コロナとの戦い」と言うからには、敵を知り己を知らなければこれに勝つことは出来ないのですが、敵の正体を仔細に見極めないままに一律に「鬼畜米英」的に一括りにして、これに異を唱えれば「非国民」扱いされて村八分ならぬ「コロナ八分」にされてしまう、などという風潮はどこかで改めなければなりません。輿論(よろん)ではなく、作られた世論(せろん)で社会が左右されてはならないのです。

 医療崩壊を起こさないためには、国民に自粛を求めるばかりではなく医療の供給体制を見直すことも同時に必要なのですが、それはこの一年でどれほど進んだのでしょうか。
 この一年で新型コロナウイルスの正体は相当に解明されて治療法は随分と進み、致死率は下がり、救命率も上がったはずなのですが、そういった情報も決して十分ではありません。
 情報の発信についても、比較する上で確実性のない陽性者数や感染者数を、現実と時間的に差がある「報告日ベース」によって発表するのではなく、発症者・重症者・死亡者を「発生日ベース」によって発表する方が、国民に正しく現状を把握してもらえるのではないでしょうか。
 新型コロナウイルスを決して侮ることなく、「正しく知り、正しく怖れる」ことが必要です。

 尖閣海域での中国の動きに関連して「外国公船乗員が上陸を試みた場合、海保がこれを阻止するため、重大凶悪犯罪とみなして危害射撃も可能」との見解が政府から示されていますが、外国の国家主権の行使によって我が国の国家主権が侵害されることに対して、これを「犯罪」として警察権によって対処することが本当に最も適当なのか、という疑問が拭えません。
 私は海上保安庁法、および自衛隊法の規定を改正し、領海警備的な概念をもった行動規定を創設すべきではないのかと長年考えていますが、面子や精神論に捉われることなく、よく検証して結論を出さなくてはなりません。警察権と自衛権の質的な相違、急迫不正の武力攻撃によらない国家主権の侵害(いわゆるグレーゾーン事態)への対処等、本質的な議論を先送りし続けてきたのは全て我々の責任なのです。

 繰り返しになって恐縮ですが、自民党が国民の厳しい批判を浴びながらも、野党への支持が広がらないのは、「支持率」という数字の意味するところを誤解しているからです。どんなに的確で鋭い批判をしても、「この党に政権を任せてみよう」という支持率には全く直結しません。両者はその質を異にするものなのに、今の野党はそれに気付いていないか、気付いていても敢えてそれに目を瞑っているかのどらかではないでしょうか。民主党政権はそのすべてが「悪夢」だったのではなく、論戦のやり甲斐がある優れた閣僚もおられたのですが、彼らが質問に立つ機会がほとんどないか、立っても時間が極めて短いかのどちらかで、随分と勿体ないことでした。内容の濃い議論があってこそ、与野党協同による国民のための政治が出来るのだと思います。

 近々関連するパネル・ディスカッションに参加するため、今更ながら石橋湛山元首相について調べています。
 首相在任は昭和31年12月23日から32年2月25日までのわずか65日間という短いものでしたが(その間の昭和32年2月に私は生まれています)、徹底した自由主義者、気骨のジャーナリストとして軍国主義に徹底して反対し、領土拡大に異を唱えて「小日本主義」を提唱、国民を扇動するマスコミを厳しく批判した戦前の峻烈な姿勢は、今の政治にもメディアにも見られなくなってしまいました。
 戦後、一貫して集団安全保障の重要性を主張しているのも、現在のアジア・太平洋の安全保障環境の緊迫化を考えると極めて先見性のあるものです。「石橋湛山評論集」(岩波文庫)、「戦う石橋湛山」(半藤一利著・ちくま文庫)、「湛山読本」(船橋洋一著・東洋経済新報社)、「石橋湛山と小国主義」(井出孫六著・岩波ブックレット)、「日本のリベラルと石橋湛山」(田中秀征著・講談社)などからは大きな示唆を受けています。新型コロナウイルス禍で思いがけず出来た時間にも、有り難いことがあるものだと感じております。
 「私が今の政治家を見て一番痛感するのは『自分』が欠けているという点である。『自分』とは自らの信念だ。自分の信ずるところに従って行動するという大事な点を忘れ、まるで他人の道具に成り下がっている人が多い。政治の堕落といわれるものの大部分はここに起因すると思う。政治家にはいろいろなタイプの人がいるが、最もつまらぬタイプは自分の考えを持たない政治家だ。金を集めることが上手で、大勢の子分を抱えているというだけでは本当の政治家ではない。政治家に大事なことは、まず自分に忠実であること、自分を偽らぬことである」(「政治家にのぞむこと」昭和42年)
 湛山のこの言葉に接し、自らを省みて足らざるところの多いことを恥じるばかりです。
 皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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