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2022年2月25日 (金)

ウクライナ侵攻など

 石破 茂 です。
 ロシアのウクライナに対する軍事侵攻について、日本では「力による現状変更は国際法に明確に違反する許されない暴挙である」「G7を中心とする国際社会は結束してロシアに対して断固たる毅然とした対応をすべきである」「プーチン大統領は今からでも姿勢を改めるべきである」という論旨で一貫しているように思われます。どれも正論ではありますが、当然のことながらプーチン大統領がこれに応じて態度を改めるとは毫も思われません。
 「力による現状変更は許されない」と批判をしたところで、「現状は力によらなければ変更できない」という正反対の価値観を持つ相手は何の痛痒も感じないでしょう。NATOは少なくとも今のところ、ウクライナに対して武器の供与は行っても、自ら軍事力を行使することは明確に否定しています。今後の推移にもよりますが、NATO加盟国ではなく、従って集団安全保障の対象とならないウクライナを守るために加盟国が軍事措置の決断をすることのハードルは低くはないでしょう。アフガニスタンやイラクでの「戦争疲れ」が云々される米国内世論も同様です。
 今後、厳しい経済制裁が効果を挙げることが期待されますが、あの北朝鮮ですら長期にわたる制裁に耐え抜き、核開発を進めてきました。ロシアは世界有数のエネルギー資源大国であり、穀物ベースでの食料自給率も世界第11位の184%です。効果を上げられる経済制裁とはいかなるものか、精緻に分析しないままの楽観的な予測は禁物です。

 

 大手メディアではあまり触れられない論点ですが、ブダペスト覚書(メモランダム)が今回、完全に反故にされたことにはもっと注意が必要です。ブダペスト覚書とは、1994年、当時世界第3位の核保有国であったウクライナがNPTに加盟するにあたり、ロシア・アメリカ・イギリスの3国がウクライナの安全を保障するとした署名文書です。この覚書によって、ウクライナは自国の核をロシアに移転しました。2014年にウクライナの安全が脅かされた時、この覚書違反を指摘したのに対し、ロシアは「約束したのはウクライナを核攻撃しないということだけだ」と言い放っていますが、覚書でも一定の法的拘束力は持つはずです。
 ウクライナの東部2州の一部を独立国として勝手に承認したことで、ミンスク合意も破られました。ドイツの鉄血宰相ビスマルクの「ロシアと結ぶ合意は、そこに書かれていることに価値が無いということだ」との言葉を想起します。
 
 一方で、リビアのカダフィやイラクのフセインがそうであったように、核を手放すことには大きなリスクが伴います。私は決して核保有論者ではありませんが、日本が核兵器開発能力を維持することと、核の拡大抑止(「核の傘」)の実効性を高めていくことの重要性は、より一層高まったと言わねばなりません。
 故・村田良平外務事務次官(のちに駐米・駐独大使)は、アメリカの原潜搭載核ミサイルを日本が共用するとのアイデアを持っておられ、かなりの批判を浴びましたが、ドイツのダブルキー政策など、日本も「核を使わせないための核政策」を真剣に議論する機会とすべきです。

 

 ロシアがウクライナに武力攻撃を仕掛けたことで、NATOへの加盟願望が一層高まると考えるのが普通ですが、何故プーチン大統領がこのような決断をしたのか、理解に窮しています。
 プーチン大統領は、東西冷戦終結時(旧東ドイツがNATOに加盟した時)、これ以上のNATOの東方拡大はないと約束したではないか、だからこそワルシャワ条約機構も解体したのに、重大な約束違反だ、騙されたと主張しています。しかし口約束程度のやりとりが仮にあったにせよ、北大西洋条約そのものにいわゆる「オープンドア原則」が明記されている以上、これはかなり無理筋の主張です。
 むしろ今、日本が考えるべきは、アジア・太平洋においてNATO的な組織を構築する必要性についてでしょう。集団的自衛権の議論はまさしくこれに直結するものであり、これを等閑視することは日本と地域の安全に決して寄与しない、と私は20年来確信しています。

 

 プーチン大統領は今回の武力行使の目的として「ウクライナの非軍事化」と「ウクライナの非ナチス化」の二つを挙げています。
 「非軍事化」とはアメリカ(を中心とする連合国)が民主化とともに日本占領政策の中核として掲げたもので、要は「軍隊の解散による国家主権の剝奪」を意味するものと考えられます(日本国憲法第9条の議論の際にこれを忘れてはなりません)。
 「非ナチス化」はポツダム宣言において明確化され、ドイツ・オーストリアの占領地域で実施された連合国によるナチズム排除のための一連の政策を指し、これによりナチス関係者の裁判と処罰が厳しく行われました。
 今のウクライナとナチスを比較するとは、これまたずいぶんな無理筋ですが、ロシア側の心情として「第二次大戦(大祖国戦争)最大の犠牲者を出しながら独ソ戦を戦い抜き、これに勝利してヨーロッパをファシズムから開放したのはソ連(そして継承国のロシア)である」という強い自負を前面に出したものでしょう。

 

 ウクライナと台湾の同時危機を論じる向きもありますし、その可能性は否定しませんが、だからこそ口先ばかり威勢のいいことを放言するのではなく、わが国として台湾有事の際の法的・運用的・装備的な検証を徹底的に行わねばなりません。正しく怖れ、正しく備えることだけが有事の回避に繋がるのであり、昨年6月に5年間延長された中露善隣友好条約と、その際に発表された共同声明が持つ意味は極めて大きいと思っています。これによってロシアと中国は準同盟国として関係を更に強化したと見るべきで、バランス・オブ・パワーを保つための更なる努力が我々にも求められています。

 

 令和4年度予算案は史上二番目の速さで衆議院を通過し、参議院での審議が始まりました。
 新しい資本主義、医療体制の抜本的改革、ウクライナ情勢など徹底的に深堀りして議論すべきテーマは衆議院においても多々あったはずなのですが、肩透かしにあったような気分です。
 予算委員会で度々質疑に立ち、経済政策や外交政策で傾聴に値する論陣を張ったのは前原誠司元外相だったのですが、委員会採決の時は委員差し替えとなり、国民民主党として予算案に賛成するという、極めて理解しにくい展開となったことには強い違和感を覚えました。予算案に賛成してもらうこと自体は政府・与党として有り難いことではあるのですが、そうであるなら予算委員会での質疑は一体何だったのでしょうか。トリガー条項につき総理の約束が得られたから、との主張のようですが、どうにも不可思議な思いが残りました。

 

 28日月曜日は「報道1930」(BS-TBS 午後7時半~)に出演する予定です。
 早いもので、この日が二月の最終日なのですね。
 まだまだ寒い日々が続きます。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2022年2月18日 (金)

ウクライナ情勢など

 石破 茂 です。
 ウクライナ情勢について、メディアは危機が差し迫っていると盛んに報じていますが、私は少々懐疑的に見ています。映像もいつ、どこで撮影されたのかもわからない同じようなものが流されていて、日時や場所が特定されたリアルなものがほとんど見られないのには大きな違和感を覚えています。
 ウクライナのNATO加盟自体、北大西洋条約の条文からはかなり困難なことと言わざるを得ず、そのウクライナを防衛することにアメリカの世論は今のところ否定的です。であるにもかかわらず、ロシアが明日にでも戦争を起こすようなイメージがむしろアメリカを中心とする欧米メディアから醸成されているように見受けられるのは、各国の色々な思惑があるものと考えられ、良く整理して考えたいと思います。
 もちろん、「力による現状変更」は全く許されるものではありません。そしてこの原則をないがしろにすると、それはただちに台湾情勢にも跳ね返ってきます。
 この原則をきちんと踏まえた上で、今ウクライナ周辺で起こっていることは、2014年の騒乱に端を発したクリミア侵攻、いわゆるドンバス地方における戦争、に重なる三つめの出来事として考えるべきです。
 ドンバス地方の戦争終結にはドイツとフランスが加わっており、この枠組みと現在の米露間におけるやりとりは基本的に別に行われています。カーボン・ニュートラルの実現に熱心なドイツにとっては、ロシアからの天然ガスの供給が重要であり、なんとしても経済制裁を回避したいという思惑もあるようです。ロシアとしても欧州に天然ガスが売れなくなる事態は避けたいのでしょうが、中国に売るという選択も十分にあり得ることだと思われます。もちろん、アメリカは二正面を相手にしたくはないでしょうし、アメリカ世論も中国に対しては強硬です。
 あまり日本国内においては報道されない北大西洋条約そのものとNATO基本文書やロシアとの合意文書をきちんと理解・分析しないままに、単純化してこの問題を論じてはならないと痛感しています。かなり前の著作ですが、「NATO 21世紀からの世界戦略」(佐瀬昌盛著・文春新書・1999年)をもう一度きちんと読み直したいと思います。

 

 本日の予算委員会集中審議では、野田佳彦元総理と玄葉光一郎元外相の質問が本質を突いたとても聴き応えのあるものでした。野党も、かつて政権中枢にあった議員がもっと時間を取って質問すれば随分と充実した審議となり、国民も関心を持つようになるはずなのですが、何故そうしないのか不思議でなりません。自民党が野党時代は閣僚経験者が多く質疑に立ち、民主党の閣僚たちと丁々発止の議論を展開し、それが早期の政権奪還に繋がったと思うのですが、今の野党にはその気が無いのかもしれませんね。

 

 安全保障を巡っての政府答弁では「国民の生命と暮らしを守ることが国家の責務」というフレーズが多用されます。それは確かにその通りなのですが、「国家の独立を守る」ということが全く言われないことに強い違和感を覚えています。これは単なる用語の使い方の問題ではなく、国家と国民の覚悟の問題であり、今回の安全保障戦略の見直しにおいて、正面から向き合わなければならない課題です。

 

 昨日、毎年恒例の日本食糧新聞社主催の「食品ヒット大賞」受賞記念パーティに出席して短いスピーチをして参りました。この会は毎年とても楽しみにしており、今回も大賞となった「アサヒスーパードライ生ジョッキ缶」をはじめ、知恵と工夫を凝らした各社の商品の数々に深い感銘を受けました。スピーチでも少し触れたのですが、日本のエンゲル係数は昨年、一昨年と上昇しています。その要因には、単に分母となる消費が減ったから、というだけでは説明しきれないものがあるようです。年収500万円世帯での食料関係支出は月額4000円程度増えており、「高所得になればエンゲル係数が低下する」という定説も崩れつつあるとのことで、更によく考えてみる必要がありそうです。

 

 さる13日日曜日に開催された自民党鳥取県連の選対委員会とその後の常任総務会において、今夏の参議院選挙特定枠の候補者に藤井一博県議会議員を選出・承認し、党本部に上申することと致しました。
 鳥取・島根や徳島・高知のように、有権者の減少によって合区となった結果として自県から候補者を出せなくなった県には、「特定枠」と称する比例区名簿の上位に登載されることによる議席の確保が、3年前の参議院選挙から認められています。
 自民党公認候補として比例区から立候補すればほぼ自動的に当選が保障されるこの制度は、有権者が名前を書いて投票して多数を得た者が当選する、という本来の選挙のあり方からすればかなり異例の緊急避難的な措置ですが、そうであるだけに候補者の選定に当たっては出来るだけ県内の自民党員の意向を反映させたいと思ってきました。
 しかし、県連の候補者選定規約に「比例区の候補者は選挙対策委員会において選考する」と明記されている以上、県連に所属する党員全員の投票という手法は採れず、さりとてコロナ禍において県連規約改正のための臨時県連大会の開催も困難であったため、現職と新人二人の候補者の政見発表とその後の質疑応答に選挙対策委員以外の地域と職域の支部長にも参加して頂き、その後、選対委員による投票で決する、という手法を採らざるを得ませんでした。
 当日は活発な質疑応答が行われて一定の成果は得られたとは思うのですが、今後、より党員の権利を尊重する開かれた自民党の在り方を実現すべく、5月の県連大会までに一定の方向性を打ち出さねばならないと思っています。

 

 明日19日土曜日は、「石破茂×モーリー・ロバートソン×プチ鹿島」の生配信番組に出演します(スカパーYouTube、午前11時)。テーマは「日本の安全保障と資本主義をどう描くか」という誠に大きなものですが、モーリー・ロバートソン氏やプチ鹿島氏との議論には地上波やBSにありがちな引っ掛け的な進行が無いので、私は好きな番組の一つです。
 寒さがまだまだ続きそうです。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

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2022年2月10日 (木)

スピード審議など

 石破 茂 です。
 予算委員会の審議が信じられないほどの速いスピードで進み、随分と緊張感に乏しい国会が続いています。政府・与党にしてみればこれほど有り難いことはないのですが、「新しい資本主義」や「敵基地攻撃能力保持の是非」についても全く議論が深まらず、こんなことで本当にいいのか不安になってきます。

 金融を緩和すれば円安になり、輸出企業の収益が改善するわけですが、残念ながら日本の生産性や国際競争力は高まったとはいえず、賃金も上がらず、設備投資や研究開発投資もまだ期待される水準にはありません。
 アメリカ経済はインフレの様相を呈しつつあり、連邦準備理事会(FRB)や欧州中央銀行は金利の引き上げを強く示唆しています。おカネは金利の低い方から高い方に流れていくので、今後円安が加速され、輸入物価は更に上昇すると予測するのが自然でしょう。さりとてここまで大量の国債を発行し続け、日銀が521兆円もの国債を保有するに至っては、金利を上げると利払い額が急増して国債費が財政を今以上に圧迫することになりかねません。しかしこのまま日本だけが今のような金融緩和を続けていれば、「悪い円安」と「悪い物価上昇」を引き起こす懸念があります。非常に難しいかじ取りを迫られる財政運営について、真剣に語られないのは何故なのでしょう。

 「日本は盾、アメリカは矛という基本的な役割分担は変わらないが、敵基地攻撃能力を含め、あらゆる選択肢を排除しない」と総理は再三述べておられますが、どのような形で具体化するのかについては、かなり精緻な議論が必要です。
 従来政府は一貫して「専守防衛とは相手から武力攻撃を受けたとき初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限度にとどめ、また保持する防衛力も自衛のための必要最小限度のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢をいう」と述べてきており、「敵基地攻撃能力」のあり方によっては、従来の解釈のうち少なくとも一部の変更を余儀なくされます。マジックワードのように使ってきた「専守防衛」概念と、「必要最小限度」という量的概念と質的概念を敢えて意識的に混濁させた論理が、ついに限界を迎えたように思われます。
 「盾と矛」論についても、「核兵器による懲罰的な抑止力を持つような攻撃力(矛)は米国に委ねて日本はこれを保持しないが、それ以外は保持可能」というような議論が最近一部で見られるようになりましたが、「日米の基本的役割分担は変わらない」というのは果たしてそういうことなのでしょうか。
 私自身は策源地攻撃能力を保持することは否定しませんし、それを法的に可能とする答弁も国会で何度も行いました。しかし、法的に可能であってもそれを実現するにはまだ相当に超えねばならないハードルがあります。
 言うまでもないことですが、いかにして戦争に至ることなく、日本の独立と平和を維持するかが一番重要なことです。そこに至るまでには徹底的な議論と、透徹かつ一貫した論理構成が必要です。これを捨象して得られるのは、それに相応しい脆弱なものでしかありません。

 本日の衆議院憲法審査会で久々に発言の機会を得ました。前身である憲法調査会時代を含めれば、二十年以上この会に籍を置いていますが、議論が全くと言っていいほどに進展しないのには慨歎する他はありません。今日も自由討議とはいえ、ほとんどが言いっ放し、聞きっ放しに終始してしまいました。審査会の幹事諸兄姉の努力に心から敬意を表すとともに、今後さらに頻度を増して開催されること、そしてその議論が賛否含めてきちんと積み重ねられることを望みます。

 衆議院議員の定数配分が一対二を越えて違憲状態であるとの判決を受けて、改めて一票の格差と法の下の平等とは何かという議論が再燃していますが、「自民党の党利党略である」というような矮小化した批判は本質を見失うような気がしています。もちろん自民党として党利党略・孤利孤略による反対などは厳に慎むべきですが、むしろブロック制を基礎とした中選挙区制度への変更など、大きな枠組みで議論した方が建設的なのかもしれません。私自身、小選挙区制度の導入に政治改革の大きな期待をかけたものですが、以前の中選挙区制度の大きな弊害であった「金権政治」的な側面は相当程度是正することができたようにも思います。現実との乖離に愕然としてばかりもしてはいられないと思うこの頃です。

 明日は建国記念の日(紀元節)です。例年地元の聖(ひじり)神社において建国記念のお祭りに参加することを習いとしているのですが、昨年・今年とコロナ禍で行けないのがとても残念です。「紀元節唱歌」は旋律のとても美しい佳曲で、来年は晴れて歌えることを楽しみにしております。
 日曜も、自民党鳥取県連関連の会議で鳥取に戻る予定です。
 東京は雪混じりの霙模様となりました。
 皆様ご健勝にて三連休をお過ごしくださいませ。

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2022年2月 4日 (金)

F-15戦闘機失探など

 石破 茂 です。
 航空自衛隊小松基地飛行教導群所属のF-15戦闘機の事故は大変に気掛かりです。搭乗していた飛行教導群司令の田中公司一等空佐と植田竜生一等空尉の無事を祈るばかりです。防衛庁長官在任時に、新田原基地でアグレッサー部隊を視察し、実際にアグレッサーのF-15に搭乗したことがあり、パイロットたちの技量と人格の素晴らしさに深い感銘を受けたことをよく記憶しています。
 我が国で最も熟練したパイロットが操る、機体も整備も最高水準の戦闘機に一体何が起こったのか。主力機であるF-15はツインエンジンを搭載して安定性がよく、主翼が相当に破損しても飛行が続けられる構造となっていると聞いていますが、原因の究明は徹底的に行われなければなりません。事態の深刻さを思うとき、身が震えるような怖れを感じています。なお、本件に関し、ストール・スタグネーションについて詳しい方があればご教示くださいませ。

 ウクライナ情勢について、我々は、遠い地のことではなく、我がこととして深く考えなければなりません。
 ロシアの「力による現状変更」は、ロシアを中国に置き換えてみれば、決して容認されることではないことが分かるはずです。北東アジアにおけるバランス・オブ・パワーを維持するための「アジア太平洋版NATO」設立の必要性は私のかねてからの持論であり、そのためにも集団的自衛権の行使は全面的に容認されるべきものですが、予算委員会においてこの議論もほとんど行われないことはとても残念です。

 聞き応えのある議論が少ない予算委員会ですが、本日の参考人質疑はかなり中身のあるものであったと思います。参考人質疑の時間がもっとあってもよいのに、といつも感じております。

 安倍元総理が在任中に計画され、結果的に大量の在庫が残っているマスクについては、国民に最も財政的な負担がかからないやり方で行われるべきではないでしょうか。各々の数字についてはきちんとした検証が必要ですが、廃棄にかかる費用に比べて送料が随分と高額になるのであれば、様々な理由から配布を希望しておられる方々に自己負担をして頂くのが公平性確保の観点から妥当ではないかと思います。

 衆議院議員選挙における一票の格差については、「法の下の平等とは何か」という観点から徹底した議論が必要です。一票の価値が一番重いのは私の選挙区である鳥取県第一区なのですが、個人の利害得失を離れ、もう一度本質論をよく考えてみたいと思っております。

 今週はほとんど終日予算委員会に出席しておりましたため、本欄を書く時間があまりありませんでしたことをお詫び申し上げます。
 皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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