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2022年5月20日 (金)

早期停戦の働きかけなど

 石破 茂 です。
 ウクライナにおける武力行使の事態(違法化されている「戦争」ではない、国連憲章で認められている「集団的自衛権の行使」でもない、とすると佐藤卓己・京大大学院教授が指摘されているように「ウクライナ事変」と呼称すべきものなのでしょうか)は、開始後三カ月を経て、長期化の様相を呈しつつあります。
 日本国内の大方の議論は「我々はウクライナと共にあり、G7の一員として一致してロシアの暴虐な蛮行を許さない立場で行動する」というものであるように思われます。日本政府としてウクライナと共にあることを表明したのは当然ですし、ウクライナに物資を提供している以上、国際法における「中立」の立場にはありません。しかし一般メディアが「独裁者プーチンは悪魔」「ゼレンスキーは祖国の独立と民主主義を守る英雄」といった善悪二元論をふりかざすほど、無辜の民が殺傷されていく現状を止めることが難しくなっていきます。
 佐藤教授は「歴史家として私は『非ナチ化』を掲げる戦争を支持するロシア国民の心情を理解することはできる。むろん、理解はできるが共感などできない。ロシアの軍事侵攻を批判する一方で、日本に暮らす私たちが思いを致すべきなのは、かつて日本も現在のロシアと同じような過ちを犯してしまったという負の歴史だ」と述べておられ(月刊「潮」5月号)、これは極めて重い指摘だと感じます。
 大東亜戦争・太平洋戦争(東条内閣は昭和16年12月12日の閣議で「この対英米戦争は支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す」と定めました。太平洋戦争という呼称は日本では戦争中使われていません)にあたって、日本は「五族協和」「八紘一宇」「東亜新秩序」という大義を掲げて戦い、多くの国民はこれを熱烈に支持しました。戦争には当事国の数だけの大義が存在し、その是非に決着をつけようとする限り、極限まで戦いが続くことを忘れてはならないと思います。
 中立の立場ではないにせよ、日本はNATOの一員でも欧州の一員でもなく、ロシアと直接対峙もしていません。大東亜戦争におけるわが国の振る舞い、終盤におけるソ連の振る舞いを経験した日本だからこそ、まずは戦闘を停止させることを優先すべきと国際社会に訴え、国際連合などの場を通じて人道的観点からの早期停戦に向け、国際社会が動くことを主張すべきです。
 停戦は終戦ではありません。勝敗や是非などの戦争の結果とは無関係です。当事国双方の合意条件や、戦争犯罪の取扱いは、むしろ戦闘行為が中断されてから時間をかけて議論されるべきものです。
 今まで「国連中心主義」という不可思議な目標を掲げてまで、国連による国際平和実現を信じてきた日本が、人道的観点を優先する国連による行動を促すのはある意味当然ではないでしょうか。1956年のスエズ動乱の際など、十分に参考に値する先例もあります。国連緊急総会による停戦勧告、国連の仲介による停戦合意の実現、停戦監視団の派遣を働きかけるべきです。

 

 竹森俊平・元慶大教授をはじめとする幾人かの方は、ロシア国民の心情について、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の中にある「大審問官の章」を採り上げて論じておられます。キリストと向き合うカトリックの高官である大審問官は「自由とパンとはいかなる人間にとっても両立しがたいもの」であり「もし人々が自由を与えられて、やがて食べるものが無くなれば、主人のもとに帰ってきて『飢えて今にも死にそうなときに自由が何の役に立つのか。どうぞ自由の代わりにパンを恵んでください』と言うだろう」と独白するのですが、ロシア国民の心情はこれに近く、プーチンのような強い指導者を求めている、との指摘です。この見方を敷衍すれば、仮にプーチンが倒れても、次もまた同様の、あるいはもっと強硬な指導者がとって代わるだけのこと、ということなのでしょうか。学生時代にドストエフスキーの著作に挑戦したのですが、あまりに登場人物も多く難解であったため、十分の一も読まないままに投げ出してしまったことを深く反省しています。
 2020年の憲法改正において事実上ロシアの国教と位置付けられたロシア正教も、今回のウクライナとの問題では大きな要素となっています。国家の指導原理であった共産主義が正当性や信頼を失った後、代わってそこに位置付けられたのが、ロシアにおいてはロシア正教、中国においては「中華民族の偉大な復興」「中国の夢」といった民族主義であり、それらが他国との軋轢の一因となっている、と理解しています。

 

 相当旧聞に属する話で申し訳ないのですが、昨2021年の出生数は前年を2万9786人下回る84万2897人と、6年連続減少の過去最低、婚姻件数も51万4242件と、これも前年比2万3341件減少の過去最低、ということなのだそうです。
 コロナ禍の影響も多分にあるのでしょうが、出生数はピークの3分の1、婚姻数は2分の1以下、というのは実に怖ろしい事態が進行しつつあるということだと思います。人口の増加、適正な金利、よりよい生活の指向(ゾンバルト流の言い方をすれば「贅沢願望」)は、資本主義を牽引する要素であり、これらが急速に失われつつあることに対する危機感を改めて感じています。これについては次回に改めて論じてみたいと思います。

 

 週末は、21日土曜日が自民党鳥取県連総務会、第67回定期大会、参議院選挙決起集会(午前11時15分~・とりぎん文化会館・鳥取市尚徳町)、自民党米子市河崎支部・彦名支部青木一彦参院議員国政報告会(午後6時半~・米子市文化ホール・米子市末広町)。
 22日日曜日は自民党鳥取県連街頭宣伝活動(午前7時半~八頭郡若桜町、午前9時~八頭郡旧八東町、午前10時~同旧郡家町・船岡町、午後1時~鳥取市)、公明党時局講演会(午後2時・とりぎん文化会館)、という日程です。
 参議院合区選挙区は、鳥取県の東端から島根県の西端までが東京・名古屋間よりも長距離の上、隠岐諸島まで含む恐ろしく広大な選挙区で、とても有権者一人一人と接することは出来ません。一票の価値の平等の重要性は十分に理解するのですが、有権者が候補者にアクセス出来る機会が人口の多い都会地と比べて格段に少ないこともまた事実です。「有権者が候補者にアクセスする権利」などという概念は憲法学上も存在しませんが、選挙中に候補者に接する機会が一度も無いということを避けるため、出来る限りの努力をしたいと思っています。
 選挙は勝ちさえすればそれでよいというものでは決してなく、主権者である国民に何を訴え、何を選択して頂くのかが一番重要であり、可能な限り「ユーザーフレンドリー」であるべきもので、政党や候補者の都合や利害は劣後して当然です。他の都道府県は知らず、少なくとも鳥取県においては県連会長の責任としてこの実現に向け最大限の努力をしたいと思います。
 5月も下旬となりました。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

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2022年5月13日 (金)

野口裕之氏ご逝去など

 石破 茂 です。
 気がかりだった5月9日のロシアの独ソ戦(大祖国戦争)戦勝記念日には、懸念されていた核兵器の使用も、戦争体制(戦争は国際法的に違法化されているので、正確には国民の召集や権利の制限、物資の収用などを可能とする戒厳体制)への移行宣言も無く、淡々と諸行事が行われました。それだけに、この戦闘状態は逆に長期化するのではないかとも思われます。
 ロシアの暴挙は決して容認できない、プーチンを戦争犯罪人として軍事裁判にかけるべきだ、などという「暴露膺懲」的な議論もありますが、戦闘の勝利をもってこの結果を求めようとすれば、無辜のウクライナ市民や何も知らされないままに命令に従って行動しているロシア兵がさらに傷つき、その命が失われていく現状が続くことを認識せねばなりません。
 今一番重要なのはとにかく戦闘状態を止めることの一点に尽きるのであり、それはプーチンに味方することとは全く別のものです。戦闘で正義を追求する限り、核の使用を防衛戦略に明記しているロシアの核使用のリスクを孕みながら死傷者が増え続けることになってしまいます。国連はこれを念頭に置いて行動すべきですし、インドが微妙な立場を堅持していることにも注目が必要です。
 プーチン大統領はグテーレス国連事務総長との会談において、「ロシアは国連憲章第51条の集団的自衛権を行使している」と述べていますが、ロシアが一方的に「独立」させた「ドネツク人民共和国」や「ルガンスク人民共和国」がウクライナから急迫不正の武力攻撃を受けたわけでもなく、傀儡国家による救援要請は集団的自衛権行使の要件を満たさないのであって、この主張は国際法的に明らかな誤りです。それが分かっているからこそ、「特別軍事作戦」という耳慣れない言葉を使っているものと思われます。
 間違っているのは明らかにロシアであり、徹底的に糾弾されるべきものですが、それはこれ以上人命が失われる事態を防いでからでも可能なはずです。

 

 この連休中、いくつかのテレビやネットメディアに、核シェアリングと、シェルター整備を中心とする国民保護体制に関連して出演したのですが、私の年来の言い方が不十分だったためか、世論の認識の低さには驚くばかりでした。
 核シェアリングは核の使用に関し、拡大抑止(「核の傘」)を提供する国との間で、意思決定過程と政治責任を共有する体制を本質とするものであり、正確には「核シェアリング体制」と称すべきものです。これについて何ら議論をしないままに「アメリカの拡大抑止の信頼性を向上させる」といくら言ってみたところでほとんど意味はありません。
 拡大抑止の実効性を確保する体制も、国民保護の整備も、制服軍人の確保も(政策的な当否は別として北欧やスイスをはじめとする諸国は徴兵制を採っています)、民間防衛組織も全く不十分なままに今の危機的状況を迎えてしまったことは、一にかかって我々政治、なかんずく安全保障に長く関わってきた私自身の責任が極めて重いことを、改めて痛切に感じております。
 有事法制を成立させた後しばらくは、テレビなどでも多く説明の機会を与えられ、これに応えて国民保護の避難訓練などを行った自治体もあったのですが、その後残念ながらこの動きは全くなくなってしまいました。
 欧州諸国では法律や予算の裏付けのもと、核抑止や国民保護の体制を構築してきました。それよりはるかに安全保障環境が厳しい我が国において、今早急にこれらの課題に取り組まなければならないことは自明すぎるほど自明のことです。近々予定されているバイデン米国大統領の訪日の際、首脳会談においてこのテーマは是非とも日本側から提起してもらいたいものですし、それが大きな抑止力の向上に直結するものと考えています。

 

 さる4日、元産経新聞ロンドン支局長・九州総局長で、安全保障政策に高い見識を持っていた軍事・外交ジャーナリストの野口裕之氏が63歳の若さで急逝されました。在学中は存じ上げなかったのですが、慶應義塾高校・大学で私の2級下にあたりました。
 「タカ派の中のタカ派」との異名をとっておられましたが、産経新聞に連載していたコラムは偏狭な精神論を排した冷静かつ国際的な広い視野に裏付けられたもので、随分と示唆を受けたものでした。数年前に「専守防衛の本質は持久戦であり、米軍の来援までの間、人員・弾薬・燃料・食料が十分になければ、そもそも成り立たない。加えて国土が狭隘で縦深性に欠ける日本においてこれを行うのは極めて困難だが、日本にはその意識が無いままに『専守防衛』さえ唱えていれば大丈夫だと思っている政治家が多いのではないか」という趣旨のコラムを読み、まさしく然りと思ったことでした。「野口裕之の安全保障読本」(PHP研究所・2014年)を再読してみたいと思います。
 一昨日ミサが執り行われ、参列させていただきましたが、実に安らかなお顔をしておられました。御霊の安らかならんことを心よりお祈り申し上げます。

 

 連休中、あれもこれもと随分と読むべき本を積み上げたのですが、ほとんど読まないまま、もしくはよく理解出来ないままに終わってしまいました。雑誌では「『プーチンの戦争』が揺らした世界の秩序」(鈴木一人・小泉悠・細谷雄一・奈良岡聡智の4教授による座談会・「公研」4月号・公益産業研究調査会)、「令和の『敵基地攻撃能力』の全貌」(尾上定正元空将・「軍事研究」6月号・ジャパン・ミリタリー・レビュー)から貴重な示唆を受けました。
 「日本は第二のウクライナになるか」(第二海援隊刊)、「戦略の地政学」(秋元千明著・ウェッジ刊・2017年)も、随分と参考になりました。
 「核兵器の拡散 終わりなき論争」(スコット・セーガン、ケネス・ウォルツ著・川上高司監訳・勁草書房)はとても内容の深い本ですが、未だ読了しておりません。今月中に何とか読み切ってしまいたいと思っていますが、難しすぎて無理かなと危惧しております。

 

 週末は、14日土曜日が「参議院千葉選挙区・臼井正一候補予定者 総決起大会in安孫子」で応援演説(午後2時・アビイホール・我孫子市本町)、「中部大志会 令和4年度第1回例会」(午後6時半・倉吉市内)。
 15日日曜日は自民党鳥取県連 県中部 街頭宣伝行動(午前8時半・JA河北支所、午前9時10分・三朝町役場、午前9時50分・JA満菜館・倉吉市西倉吉町)、政府主催 沖縄復帰50周年記念式典(午後2時・グランドプリンスホテル新高輪)、との日程となっております。

 

 大型連休も終わり、7月18日の海の日まで祝日はありません。日本の祝日数16日は世界第3位の多さだそうですが(1位はインドとコロンビアの年間18日)、6月は12月とともに祝日のない月なのですね。祝祭日といっても本当に休める日はごく僅かなのですが、やはり気分的には楽な思いが致します。
 今週火曜日あたりから永田町も平常の日々が戻ってきました。連休に英気を養われた方も、変わらずにお仕事をなさった方も、どうかご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

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2022年5月 6日 (金)

五木寛之全集など

 石破 茂 です。
 連休も終盤となりました。
 かつて銀行員だった頃、春や秋の連休、お盆、年末年始などは休みを取ることなく好んで出勤しておりました。銀行に入ってまだ数年の新人でそれほど大きな責任も負わされず、窓口の女性(「テラー」と言っていました。綺麗でテキパキとした人が多かったように思います)の後ろでコンピューターの端末機を操作したり、融資でも比較的シンプルな個人様向けの商品を担当するなど、体力勝負的な仕事が多くてそれなりに毎日が楽しかったこともあるのですが、配属された支店が中央区日本橋本町という都心にあったため、お休み中の来店客が極めて少ないのに加えて、上司の多くがお休みをとっていてお小言を言われることもなく、少数の幹部行員と若手行員だけでとても楽しく仕事をしていた記憶があります。銀行も合理化が進んで、そのような光景はもう見られないのでしょうが、年齢を重ねたせいか、40年以上も昔のことが妙に懐かしく思い出されます。
 コロナ禍が発生した一昨年以来、それまで恒例となっていた安全保障関係議員による訪米もなくなり、地元の行事も激減したため、テレビ出演や地元の会議で日帰りで帰郷する他は比較的余裕のある日程となっています。
 核共有体制(核兵器共有とは異なる概念です)やシェルター整備をはじめとする国民保護についての書籍や論文を読むことに充ててはいますが、生来の怠惰癖のためなかなか捗らないのはいつもながら困ったことです。
 本棚を整理していたら学生時代に読んだ五木寛之全集が出てきて、久しぶりに夢中で読み返してしまいました。現代の小説家の中でストーリーテラーとして五木氏の右に出る人はいないとかねてから思っているのですが、初期の作品群の中でも「蒼ざめた馬を見よ」「霧のカレリア」「ソフィアの秋」「赤い広場の女」などの旧ソ連、東欧、北欧を舞台としたものが特に好きでした。夏目漱石や三島由紀夫もそうですが、この齢になって読み返してみると、若い頃とはまた違った感慨があってとても楽しいものです。
 核共有体制や核不拡散、サイバー戦や電子戦等について、青木節子、広瀬陽子両慶大教授、岩間陽子政策研究大学院大学教授等の論考から大きな示唆を受けております。学生時代、刑法の中谷墐子教授、民法の林脇トシ子教授、商法の米津昭子教授などの女性教授から随分と厳しい指導を受けたことを懐かしく思い出したことでした。

 7日土曜日は「News BAR 橋下」の収録が予定されております(Abema配信は5月14日)。
 連休終盤は概ね好天の地域が多いようです。お休みの方も、お仕事の方も、どうかご健勝にてお過ごしくださいませ。

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