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2022年9月30日 (金)

松尾潔さんとの対談など

 石破 茂 です。
 故・安倍元総理の国葬儀は、テロなどの事件や事故が起こることもなく、無事に終わりました。国葬儀を執り行うにあたり、不眠不休で職務に当たられた政府職員、警備に当たられた警察関係職員の方々に心より敬意を表します。

 国葬儀の法的な位置づけについて、何を根拠法とし何を手続法とするのか、この際きちんと議論した上で、結論を出すべきです。
 旧憲法下ではただお一人の主権者であらせられた天皇陛下が下賜を決定され、根拠として「国葬令」が存在していたのですが、国民が主権者である現行憲法が施行され、根拠法は存在しないことになったのではないでしょうか。今回、政府の見解としては、内閣府設置法第4条第3項が定める国がつかさどる事務「国の儀式並びに内閣の行う儀式、および行事に関すること」が根拠法となる、即位の礼もこれに該当する、手続きとしては閣議決定で足る、ということだったと思うのですが、即位の礼の根拠法は皇室典範であり、また省庁の設置法は基本的に手続法的な性格を持つものであり、これのみを根拠法とすることには無理があるのではないか、との思いがあります。ましてや、閣議決定が根拠法に代わる、との見解は、三権分立的にもかなり問題があります。
 この種の法学的な議論は一般にはなかなか理解されにくいものですが、民主主義、三権分立、法治国家、といった国家の根本にかかわることを、決して曖昧にしてはなりません。法律的にも、運営面でも、今後の糧とすべきことは多いように思います。

 葬儀は粛々淡々と行なわれ、菅前総理の思いのこもった弔辞には深く感銘を受けました。
 遠く海外から来られた方々に対して、「わざわざ来て本当によかった」と思って頂ける配慮があったことを祈ります。
 英国エリザベス女王の国葬は、黙祷、英国国教会大司教の説教、トラス首相の聖書朗読、国歌斉唱、女王直属のバグパイプ奏者による演奏などが行われ、一時間程度で終わったとの報道に接しました。日本においてこのような宗教を伴う形式は現在考えられませんが、そもそも憲法第20条の定める「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」にかかる範囲はどこまでなのでしょうか。有名な津地鎮祭事件の最高裁判決(昭和52年7月13日)は「その行為の目的が宗教的意義を持ち、その行為が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉する場合は政教分離原則違反となる」との見解を示していますが、この趣旨を踏まえてもう一度よく考えてみる意義はあるものと思われます。

 先週22日木曜日に開催した自民党鳥取県連の臨時常任総務会では、県議、市議を中心とする出席者から「自民党として旧統一教会との関係を一切断つとの党本部の見解は是とするも、それはいかなる理由によるものであり、対象範囲をどこまでとし、どのように法的な整理をするのか、期限を定めて明確にしてもらいたい」との意見が多く出されました。日々有権者と直接向き合っている地方議員にとって、これは極めて切実な問題であり、ましてや来年には統一地方選を控えています。これに迅速かつ誠実に答えるのは、党本部の責任だと思います。
 党員や支援者に対して、その都度「あなたの宗教は何か?」と問い、それを理由として入党や支援を拒否することは、現実的・法律的に可能なのでしょうか。もし仮に、「それぞれの地方組織が実情を踏まえて臨機応変に対応すべし」というようなことになれば、もはや組織政党の体をなさないとの批判を免れません。自民党の危機はいつも地方から始まることを忘れてはなりません。

 先週24日の北海道和寒町・名寄市での一連の日程は、とても有意義かつ楽しいもので、北海道の持つ無限のポテンシャルを実感するとともに、もう一度中央と地方とが一体となって地方創生に強力に取り組む必要性を痛感させられました。奥山和寒町長、加藤名寄市長はじめ、お世話様になった皆様、講演にお越しくださった方々に、心より厚くお礼申し上げます。

 今週の「サンデー毎日」に、日本レコード大賞も受賞された作家・音楽プロデューサーの松尾潔さんとの対談が掲載されていますが、示唆に富む有り難いひとときでした。本当に才能のある方との対談は、いつも自分の駄目さ加減を思い知らされます。
 対談の中で松尾さんが紹介されていた「選挙、野党、自由な報道、の三つが揃った国では、決して飢饉は起こらない」というインドのノーベル経済学賞受賞学者・アマルティア・センの言葉は強く印象に残りました。紙面の都合上、政治関係の対談部分のみが掲載されていますが、カットされてしまった音楽の話もとても面白かったので、いつか何かの形で活字になることを願っています。

 明日から10月、本当に早いものですね。今次の台風で被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
 皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2022年9月28日 (水)

ラーメン産業展

 事務局です。

 本日、「ラーメン産業展」の日本ラーメン協会設立15周年記念特別セミナーとして、日本ラーメン協会・玉川理事長と対談させていただきました。ラーメン議連有志の先生方にもご参加いただきました。

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2022年9月22日 (木)

ローカル鉄道の今後など

 石破 茂 です。
 地方のローカル鉄道の今後の在り方について、国交省の検討会が7月に提言を取りまとめたこともあって、各地で議論を呼んでいます。「鉄オタ」と見られていることもあって(実際は単なる「乗り鉄・呑み鉄」なのですが)、最近講演やテレビ出演の際にこのテーマでの話を求められる機会が増えています。検討会の有識者の先生方は、政府の立場もあって難しい議論をしておられますが、私には日本総研主席研究員の藻谷浩介氏と、関西大学教授の宇都宮浄人先生の所論が一番わかりやすいように思われます。
 *そもそも鉄道とクルマ(道路)はイコール・フッティングになっていない(車の走る道路は税金で建設され、信号機やガードレールなどの安全施設も税金で設置・維持されているのに対し、鉄道は税金の投入は極めて少なく、ほとんどすべてを民間会社が自社で賄う)。鉄道は赤字になればすぐに廃止の議論になるが、道路の採算性が議論されることはなく、廃止された道路もない。道路は災害で橋が流出した際などは直ちに国交省地方建設局が復旧工事を始めるが、鉄道は長期間放置され、やがて廃止の議論へとつながっていく。同じ公共交通でありながら、どうしてこのように差がついているのか。
 *統計上、近年の年間の交通事故死者は3000人超、内閣府によればその経済的損失は6.7兆円と膨大なものであるが、この議論も全くない。
 *鉄道を維持する負担は利用者が負うべきで、広く税負担で支えるのは不公平というが、実は地域すべての人が受益者であり、いま利用していなくても将来利用する可能性は多くあるのではないか。
 *インバウンド客の鉄道利用を促進すると言っているのに、鉄道の切符はすべて日本語のみであるのはおかしくないか。
 ……等々、今まで気づかなかった多くの論点が提示されており、きわめて興味深いものです。
 
 そもそもお客様を増やす努力をせずに、補助金に頼る経営姿勢そのものも問題です。北海道帯広市を拠点とする「十勝バス」の事例はすべての公共交通機関に適用されるべきものなのに、これが普遍化しないのは、どこかに補助金頼みの無責任体質があるからではないでしょうか。
 なんでもヨーロッパが素晴らしいとは言いませんが、宇都宮先生が紹介しておられたオーストリア・ザルツブルグでは、20年間で自動車の交通分担率を一気に12%引き下げ、これにあたって道路の建設・維持管理予算を鉄道へ再分配する手法を採用したのだそうです。自動車王国でもある同国では反対論が強かった中、「20年後、30年後の町づくりをすることが我々の仕事であり、反対があるからできないというだけでは役人として失格だ」と述べ、住民の説得に力を尽くした同国の官僚の姿に、彼我の差を痛感したことでした。 

 

 24日土曜日は、宗谷本線活性化協議会令和4年度事業「持続可能な地方と鉄路を創造するために」で講演する予定です(午後5時15分・名寄市・グランドホテル藤花)。これを踏まえてこの問題については再度論じてみたいと思います。
 名寄市での講演の前には、「三浦綾子先生生誕100周年記念講演会 三浦文学と地方創生を考える」で講演する予定です(午後2時半・和寒町・公民館恵み野ホール)。
 和寒町は三浦綾子の代表作の一つである「塩狩峠」の舞台となったまちであり、ここでこのテーマで講演させていただくことに深い感慨を覚えています。高校2年生の冬に「塩狩峠」を読み、あまりの衝撃に2日間ほど部屋から一歩も出られませんでした。読み返すのが怖くて今まで再読していなかったのですが、半世紀近くぶりに読み返しても、深い感動を覚えます。貴重な機会を与えてくださった和寒町の皆様に心より感謝申し上げます。

 

 来週火曜日27日には安倍元総理の国葬が執り行われます。第二次安倍政権において、幹事長や国務大臣として四年間、安倍総理にお仕えした者として、当然参列し、静かにお見送りしたいと思っております。当選同期で、畏友でもある村上誠一郎議員は国葬への欠席を表明されましたが、村上議員がその見識と責任において判断されたことです。自民党は国民政党であればこそ、国民の意見を反映した闊達な議論があって当然であると思っています。
 英国のエリザベス二世女王陛下の葬儀にまつわる映像の中で、まだ女王に就任される前に「すべてを英国に捧げることを誓う」旨発言しておられたものがありました。「すべての英国国民のために」との思い、「分断を避けるために一身を捧げる」という尊いお心、まさにその通りのご生涯であったからこそ、あのような素晴らしい葬儀になったものと思います。我々政治家も立場は大きく違えど、心して臨まねばならない姿勢だと思いました。
 日本の国葬においては宗教色を一切排すこととなっており、これもまた憲法の要請であるということになっているのですが、それは本当に現行憲法の意図する趣旨に沿ったものなのか、いま一度よく考えたいと思います。

 

 今週は実働が四日しかなかったため、とても慌ただしい一週間となってしまいました。
 皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2022年9月16日 (金)

古川貞二郎さんご逝去など

 石破 茂 です。
 安倍元総理の国葬儀は、決まった以上は淡々粛々と行うべきであり、私自身、幹事長や国務大臣として安倍総理の下で働いたご縁があり、参列するのが当然だと思っておりますが、国葬儀が目前に迫った今もなお賛成世論が半数以下であることは、由々しき事態と考えるべきです。
 我が国の民主主義を守るという決意を示すための国葬儀であるなら、残された一週間余りの間、賛成が過半数となるべく最大限の努力をすべきですし、民主主義の本質である意思決定に至る手続きの整備において、将来のために何らかの方向性を示さねばならないものと思います。
 「今からでも国葬をやめれば内閣支持率は上がる」などという次元で物事を考えるのは論外です。
 国葬の在り方については、過去の国会でも随分と議論があり、多くの担当大臣が「国葬に法律や基準は必要ない」と答弁する中にあって、「やはり何らかの基準を作っておく必要がある。そうすれば予備費の支出も問題がなくなる」(昭和43年5月9日 衆議院決算委員会・水田三喜男大蔵大臣答弁)、「国民の考え方が定着してくると(国葬は)法律化されることになる。まだ懸案となっているが、いずれこれは検討すべきものであり、検討しなければならない」(昭和44年7月1日 参議院内閣委員会・床次徳二総理府総務長官答弁)という至極真っ当な答弁もありました。この当時に真摯に課題を解決しておけば、今のような事態にはならなかったのでしょう。

 

 なお、先般メディアとの質疑で「英国エリザベス二世女王陛下の国葬においても英国議会の議決があった」と述べたことがあったのですが、国王や女王の国葬に議会の議決は必要がないとのことで、私の事実誤認でした。お詫びして訂正させて頂きます。大変失礼致しました。

 

 旧統一教会については、自民党として「何が問題だと考え、何を理由として今後一切の関係を断つこととするのか」を明確に示さなければなりません。宗教法人は、なんらかの理由で世の中の役に立っている(公益性がある)からこそ、国家として法律上一定の優遇措置を認めているのですから、これとの関係も整理しなければなりません。
 宗教法人の公益性については様々な議論がありますが、「神仏や祖先、地域社会を大切にするという日本の醇風美俗を守ることに寄与する」「神社仏閣などの文化的な価値のあるものを維持している」といった理由は素直に肯けるものです。「個人の心の拠り所となっている」という理由も理解できますが、当該宗教法人が組織的かつ計画的に公益に反する行為をしていたと認められる場合には、社会に及ぼしている不利益との比較衡量の上で否定的に解される場合があるように思います。
 仮にこのような「公益性を失った」といった理由で裁判所が宗教法人に解散命令を発したとしても、それは法人格を失うだけであり、基本的人権として重視される信教の自由には抵触しない、という判例もあります。この問題に政府として直ちに正面から取り組むのは困難であるとしても、党としての方向性はできるだけ早急に示すべきです。

 

 党大会、両院議員総会に次ぐ自民党の意思決定機関である総務会のメンバーに久し振りになり(中国地方選出の総務は中国5県の回り持ちとなっています)、先週、今週と出席しました。発言は主として私の当選同期である村上誠一郎議員、大御所の衛藤征士郎議員と私ぐらいのもので、その後はあまり議論らしい議論もなく、遠藤総務会長が「執行部で協議する」「政府に伝える」と引き取られて終了する、というパターンが続いています。
 我々衆議院議員が「代議士」と呼称されるのは「国民に代わって議論する士(サムライ・男性に限らない)」だからなのであって、国民の間に様々な意見がある以上、それぞれを代弁する形で自由闊達に議論をすることこそが「代議士」の職責なのではないでしょうか(ちなみに旧憲法下では勅選であった貴族院議員は代議士とは呼ばれませんでしたが、公選制である現在の参議院議員もまた代議士と呼ぶべき存在です)。
 かつての総務会には加藤紘一、亀井静香、古賀誠、小泉純一郎各先生などの錚々たる顔触れが並び、長時間にわたって侃々諤々の激論が交わされ、何とかご納得いただいて議論を収束させることを四先輩方のイニシャルをとって「K点越え」と称していたものでした。
 党の組織上、執行部と切り離された総務会は他党に例を見ない自民党独特の機関で、これこそが自民党の活力の源泉であるはずです。せっかくこの多難な時期に総務になったのですから、日本国のため、自民党のために言うべきことを言い続けなくてはならないと思っています。遠藤総務会長はいつも誠実に対処してくださっており、今後にも期待してやみません。

 

 元内閣官房副長官・元厚生事務次官、古川貞二郎さんが87歳で逝去されました。今まで随分と多くの官僚の方々とお付き合いをしてきまし
たが、古川さんほど私心なく、透徹した国家観と倫理観を持ち、吏道を全うされた方を私は知りません。
 平成4年12月、当時厚生省の官房長であった古川さんが私の議員会館事務所を訪ねられ、「明日の宮沢改造内閣の政務次官人事では貴方が厚生政務次官になりそうです。一緒に仕事ができるのが楽しみです」と言ってくださったことがありました。当選二回生の頃、私はメインの仕事を厚生分野に絞り、この分野で政治家人生を全うしようと思っておりましたので、本当に嬉しかったことをよく覚えています。実際は派閥人事の都合で農林水産政務次官に回ったのですが、あの時厚生政務次官になっていればその後の人生は全く違ったものになったかもしれません。
 その後、私が小泉内閣で防衛庁長官を務めた時には、古川さんは事務の官房副長官でしたが、有事法制制定や自衛隊のイラク派遣で困難を極めていた時にも随分と助けていただきました。
 「忖度」が流行語となるような昨今の世の中にあって、吏道を体現する官僚が少なくなってきたように思いますが、それは我々政治家の責任でもあります。古川さんの御霊が安らかならんことを心より祈ります。

 

 今日は41年前に亡くなった父・石破二朗の命日です。身内の私が言うのもおかしいのですが、亡父も旧内務官僚・陸軍司政官・建設官僚・県知事として吏道を全うした人でした。
 私自身には官吏の経験はないのですが、同じ公人として、自分が亡父の足許にも及ばないことを思うと恥じ入るばかりです。しかし、一生かかっても越えられない親を持ったことは、ある意味とても幸せなことであるのかもしれません。

 

 この週末にでも、時間を見つけて「朝鮮併合」(森万祐子著・中公新書・最新刊)、「新装版 小室直樹の学問と思想」(橋爪大三郎・副島隆彦両氏の対談・ビジネス社・同)を読んでみたいと思っております。日韓併合は国際法的には完全に合法である、というのが日本政府の立場であり、私もそのように考えておりますが、歴史的によく検証しないままに安易に語ってはなりません。小室ゼミの門下生である橋爪氏、副島氏は共に鬼才的な異能の研究者ですが、今の時代にこそ小室博士の思想や論理を知ることが求められていると思います。

 

 九月も半ばを過ぎました。この時期になるといつも「九月の雨」(太田裕美・1977年)と「九月の色」(久保田早紀・1980年)を無性に聴
いてみたくなります。この2曲は今聴いても全く旧さを感じさせない名曲です。
 まだまだ残暑が続きますが、どうか皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2022年9月 9日 (金)

国葬についての議論など

 石破 茂 です。
 昨日は衆参両院の議院運営委員会で国葬についての議論が交わされましたが、あまり深まりも進展もないままに終わったようで、残念なことでした。決まった以上、安倍元総理の国葬は粛々・淡々と行うべきですが、それとは別に議論そのものについてはこの際うやむやにせず、進化させておくこともまた、絶対に必要です。
 国葬(国葬儀)について、1960年代には政府も「内閣として法的な整備が必要である」としていたのですが、一転して1972(昭和47年)に「国葬は単なる事実行為であり、法制化の必要はない」と変更しました。今回の国葬についてはこの決定を踏襲したものと思われます。
 その後1975(昭和50)年6月3日未明に佐藤栄作元総理が逝去した際、同日午前8時に急遽開催された政府・自民党の首脳会議に陪席した吉国一郎法制局長官(当時)は、「司法・立法・行政の合意が必要」と述べた、と報ぜられています(同日日経新聞夕刊)。当時の最大野党であった日本社会党が国葬に否定的であったこともあり、佐藤元総理の葬儀は国葬ではなく、政府・自民党の他に財界なども主催者となって費用を分担する「国民葬」として執り行われました。私にはこの吉国長官の発言の方が、より説得的であるように思われます。
 以前本欄で指摘したように、旧憲法下における「国葬令」に基づく国葬は、唯一の主権者であった天皇から下賜されるものであったため、その決定に異議をはさむ余地は法的にも全くなかったのですが、現行憲法下で主権者が国民となった以上、今後国葬を執り行うに当たっては、この「国民の意思」が表明される必要があるものと考えます。
 「誰を国葬とすべきか」の基準を定めることはまず不可能でしょうが、決定に至るプロセスにおいて「主権者である国民の意思」が表明される、ということが重要です。そしてそれには、憲法上「国権の最高機関」と位置づけられ、全国民を代表する議員によって構成される国会の議決がまず必要でしょう。両院の議決があって、意見を求められた内閣(内閣総理大臣)が、これに異存のない旨を表明する、という流れが考えられます。もちろん、内閣から国会に対して国葬を執り行いたい旨の提案があり、これに国会が同意する、という形式も当然ありうることで、これは今後の議論です。なお、司法の合意をどのように得るのかについては、最高裁長官の談話の発出などが考えられますが、そもそも司法の合意が果たして必要なのかにつき、私はやや懐疑的です。
 そして、国葬に関する議決は、可能な限り全会一致によるのが望ましいというべきでしょう。
 国葬まであと二週間余り、せっかく議論を進めるべき機会に、徒に時間を浪費し、問題を先送りするようなことはすべきではありません。

 自民党が旧統一教会(世界平和統一家庭連合)と一切の関係を断つ、とする方針を打ち出したことはよかったと思いますが、前回も記したように、この方針を貫徹するのであれば、宗教法人として公益性を認め、それゆえに税制等の様々な優遇がなされていることについても、否定的に考えるべきなのではないでしょうか。もちろん宗教法人法第81条に定める解散命令の発出を申し立てるにあたっては、慎重なうえにも慎重であるべきですが、「解散命令は、信者の宗教上の行為を禁止したり制限したりする法的効果を一切伴わない」とのオウム真理教事件特別抗告審における最高裁判所の判示もあります。「公益性とは何か」について、よく考えたいと思います。

 9月に入り、朝夕は随分と凌ぎやすくなってきました。
 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2022年9月 4日 (日)

イシバチャンネル第百二十六弾

イシバチャンネル第百二十六弾、「台湾訪問について」をアップロードしました

ぜひご覧ください

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2022年9月 2日 (金)

丸由百貨店など

 石破 茂 です。
 旧統一教会についての議論が続いています。
 宗教法人法第81条に基づいて「著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」「宗教団体の目的を著しく逸脱した行為」を為した宗教法人に対して裁判所が解散命令を発出することは、宗教法人が持つ様々な特権を剝奪するものであって、憲法によって保障された基本的人権である「信教の自由」を侵害するものではありません。一方で「著しく」の認定は難しいのですが、これは社会通念による他はありません。
 旧統一教会に対する本条の適用の是非について、法治国家としてきちんとした結論を出さなくてはならず、ここを曖昧にしてはなりません。自民党が解散命令発出の是非について議論をしないのは、旧統一教会と抜き差しならない関係にあるからだ、などと言われるのは極めて迷惑なことです。
 以前も述べたとおり、「日本は(旧約聖書にあるアダムとイブの物語に言う)原罪を負ったエバ(イブ)国であり、アダム国である朝鮮(韓国)に対して贖罪として献金すべきは当然である」との考えは、わが国において「真の保守」を標榜する勢力の立場とは本来全く相容れないもののはずですが、この両者が単に「反共」という一点において結びついていたのなら、ご都合主義の典型のようなものでしょう。
 アメリカにおける統一教会系の新聞である「ワシントン・タイムス」がレーガン大統領の愛読紙であったのは有名な話ですが、トランプ氏に至るまで連綿と続く同教会とアメリカの保守層との関係も看過すべきではありません。
 自民党として、今後一切、旧統一教会とは一切の関係を断つ、そうあるべきものですが、宗教法人に限らず、いわゆる反社会的勢力との関係について、この際明確な基準を設けることが必要です。ここに曖昧性を残してしまえば魔女狩り的な権力闘争に利用されかねません。警察や検察などの国家機構が権力者あるいは世論に対する阿りや忖度などによってその機能を歪めると、法的安定性や法による社会正義は実現されなくなります。旧統一教会の弊害に目を向けるあまり、国家権力の肥大化や変質に多数の国民が賛成してしまうような風潮になることを危惧します。

 岸田首相は、国会(おそらく議院運営委員会)において、安倍元総理の国葬を執り行う理由を説明されるそうです。国葬の決断をしたのが首相である以上当然のことですし、国民の納得の得られるような説明を期待しています。賛否両論が交錯する中では、故人を静かに見送る、というあるべき環境が失われかねないのですから、総理の「話す力」が遺憾なく発揮されることを望みます。その意味でも、国会における説明はより早い方が、費用も含めて内容はより詳細である方が望ましいと思っておりますし、最終的な責任は、選挙によって我々与党が負うべきものです。

 一昨日、テレビ朝日のワイドショーの企画で台湾有事に対する我が国の対応について意見を求められたのですが、コメンテーターの玉川徹氏から「台湾有事において米軍基地は中国の攻撃対象となり、その存在によって我が国も戦争に巻き込まれる」との古典的な主張が展開されて、いささか驚愕致しました。玉川氏は主婦層を中心としてかなりの人気を集めておられる方と伺っており、今後の議論の容易ならざることを痛感したことでした。
 集団的自衛権の国際法的な行使が憲法上できない、としているからこそ、日米安保体制は双務条約ではあるけれど非対称的であり、我が国の領土に基地を置くことを条約上の義務として履行せざるを得ない、というのが物事の本質です。ここから長らく目を背け続けてきたことのツケは極めて大きく、暗然たらざるを得ませんが、誤魔化したり逃げたりせずに正面から語っていかねばなりません。憲法第9条の改正を熱心に唱える方々も、米軍基地反対を熱心に唱える方々も、ほぼ一貫してこの点をスルーしておられることが、私にはどうしても解せません。

 昭和24年以来、73年にわたって鳥取駅前で営業してきた「鳥取大丸」が、商号・商標権に関するライセンス契約の終了により、新たに3日土曜日から「丸由(まるゆう)百貨店」として再スタートすることとなり、週末土曜日は開店セレモニーに出席する予定です。
 県都鳥取市は人口が18万人余の都市ですが、鳥取大丸の存在は市民のささやかな誇りでもあっただけに、今回の商号変更には一抹の寂しさを感じています。昭和30年代の終わりから40年代初めのころ、鳥取大丸の玩具売り場を覗き、最上階にあった食堂でお子様ランチ(ケチャップ味のチキンライスには必ず小さな日の丸の旗が立っていました)を食べ、屋上の遊園地でコーヒーカップやメリーゴーランドに乗るのは、鳥取の子供たちにとって憧れのハレのひとときでした。あれから60年近くが経ち、時の流れを感じずにはいられません。世の中は今よりもはるかに貧しかったのですが、そこにはきらきらと輝き、希望と活気に満ちた地方の姿が確かにありました。
 1937年創業のころの名前にもう一度戻って再スタートする「丸由百貨店」が、百貨店が持っていた楽しさやワクワクを取り戻し、そのキャッチフレーズどおり「鳥取を笑顔の溢れる街にする」ことを楽しみにしています。

 九月に入り、朝夕は涼しさを感じる日々となりました。
 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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