松尾潔さんとの対談など
石破 茂 です。
故・安倍元総理の国葬儀は、テロなどの事件や事故が起こることもなく、無事に終わりました。国葬儀を執り行うにあたり、不眠不休で職務に当たられた政府職員、警備に当たられた警察関係職員の方々に心より敬意を表します。
国葬儀の法的な位置づけについて、何を根拠法とし何を手続法とするのか、この際きちんと議論した上で、結論を出すべきです。
旧憲法下ではただお一人の主権者であらせられた天皇陛下が下賜を決定され、根拠として「国葬令」が存在していたのですが、国民が主権者である現行憲法が施行され、根拠法は存在しないことになったのではないでしょうか。今回、政府の見解としては、内閣府設置法第4条第3項が定める国がつかさどる事務「国の儀式並びに内閣の行う儀式、および行事に関すること」が根拠法となる、即位の礼もこれに該当する、手続きとしては閣議決定で足る、ということだったと思うのですが、即位の礼の根拠法は皇室典範であり、また省庁の設置法は基本的に手続法的な性格を持つものであり、これのみを根拠法とすることには無理があるのではないか、との思いがあります。ましてや、閣議決定が根拠法に代わる、との見解は、三権分立的にもかなり問題があります。
この種の法学的な議論は一般にはなかなか理解されにくいものですが、民主主義、三権分立、法治国家、といった国家の根本にかかわることを、決して曖昧にしてはなりません。法律的にも、運営面でも、今後の糧とすべきことは多いように思います。
葬儀は粛々淡々と行なわれ、菅前総理の思いのこもった弔辞には深く感銘を受けました。
遠く海外から来られた方々に対して、「わざわざ来て本当によかった」と思って頂ける配慮があったことを祈ります。
英国エリザベス女王の国葬は、黙祷、英国国教会大司教の説教、トラス首相の聖書朗読、国歌斉唱、女王直属のバグパイプ奏者による演奏などが行われ、一時間程度で終わったとの報道に接しました。日本においてこのような宗教を伴う形式は現在考えられませんが、そもそも憲法第20条の定める「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」にかかる範囲はどこまでなのでしょうか。有名な津地鎮祭事件の最高裁判決(昭和52年7月13日)は「その行為の目的が宗教的意義を持ち、その行為が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉する場合は政教分離原則違反となる」との見解を示していますが、この趣旨を踏まえてもう一度よく考えてみる意義はあるものと思われます。
先週22日木曜日に開催した自民党鳥取県連の臨時常任総務会では、県議、市議を中心とする出席者から「自民党として旧統一教会との関係を一切断つとの党本部の見解は是とするも、それはいかなる理由によるものであり、対象範囲をどこまでとし、どのように法的な整理をするのか、期限を定めて明確にしてもらいたい」との意見が多く出されました。日々有権者と直接向き合っている地方議員にとって、これは極めて切実な問題であり、ましてや来年には統一地方選を控えています。これに迅速かつ誠実に答えるのは、党本部の責任だと思います。
党員や支援者に対して、その都度「あなたの宗教は何か?」と問い、それを理由として入党や支援を拒否することは、現実的・法律的に可能なのでしょうか。もし仮に、「それぞれの地方組織が実情を踏まえて臨機応変に対応すべし」というようなことになれば、もはや組織政党の体をなさないとの批判を免れません。自民党の危機はいつも地方から始まることを忘れてはなりません。
先週24日の北海道和寒町・名寄市での一連の日程は、とても有意義かつ楽しいもので、北海道の持つ無限のポテンシャルを実感するとともに、もう一度中央と地方とが一体となって地方創生に強力に取り組む必要性を痛感させられました。奥山和寒町長、加藤名寄市長はじめ、お世話様になった皆様、講演にお越しくださった方々に、心より厚くお礼申し上げます。
今週の「サンデー毎日」に、日本レコード大賞も受賞された作家・音楽プロデューサーの松尾潔さんとの対談が掲載されていますが、示唆に富む有り難いひとときでした。本当に才能のある方との対談は、いつも自分の駄目さ加減を思い知らされます。
対談の中で松尾さんが紹介されていた「選挙、野党、自由な報道、の三つが揃った国では、決して飢饉は起こらない」というインドのノーベル経済学賞受賞学者・アマルティア・センの言葉は強く印象に残りました。紙面の都合上、政治関係の対談部分のみが掲載されていますが、カットされてしまった音楽の話もとても面白かったので、いつか何かの形で活字になることを願っています。
明日から10月、本当に早いものですね。今次の台風で被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。