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2022年10月28日 (金)

安倍元総理追悼演説など

 さる25日、衆議院本会議場での野田佳彦元内閣総理大臣による故・安倍晋三元内閣総理大臣に対する追悼演説は、一点の非の打ちどころもない、実に見事なものでした。衆議院の議会史に残る、名演説であったと思います。
 総理大臣という他に比べるべくもない重圧と孤独を知る者でなければ決して語れない言葉でした。野田元総理と安倍元総理は、政策も政治姿勢も異にした政治家であり、安倍元総理を美辞麗句で誉めそやすようなことはありませんでした。有権者と常に正面から向き合い、言葉で説得して理解を求める政治姿勢を身上とされる野田元総理に対し、安倍元総理は、特に第二次政権以降、政治は結果がすべてであると敢えて割り切られ、敵と味方を峻別する手法をたびたび用いられました。結果は野田政権がわずか一年で潰え、安倍政権は史上最長の在任期間を記録しました。それが国民の選択であったことに、野田氏は割り切れない思いを持っていたのかもしれません。
 追悼演説の白眉は後段の部分でした。
 「長く国家の舵取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。安倍晋三とはいったい何者であったのか。あなたがこの国に遺したものは何だったのか」「その『答え』は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。そうであったとしても私はあなたのことを問い続けたい」「国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして問い続けたい。問い続けなければならないのです」
 野田氏の言葉は、故・安倍氏に向けられていると同時に、我々議員に対しても、国民すべてに対しても向けられたものでした。その言葉どおり、今こそ冷静に光と影を検証し、次代に繋ぐ糧としなければなりません。
 ここ十年あまり、政治やジャーナリズムの言葉が粗くて、心に響かない、空疎なものになってしまったように思います。何故政治はこのようなことになってしまったのか、己を顧み、反省しなくてはなりません。
 良かれと信じて導入した小選挙区制でしたが、野党の無気力と分裂状態に助けられて、自民党が自滅したごく一時期を除いて自民一強が続き、厳しい議論や有権者に対する真摯な説明の機会が失われてしまったことは否めません。人々の心を震わせて政治を動かすのはあくまで言論の力であり、我々はその修練にもっと力を尽くすべきことを改めて感じさせられた野田氏の追悼演説でした。

 山際大臣の辞任に伴い、極めて異例の総理大臣の謝罪発言と、これに対する野党の「質問」、総理の「答弁」(形式上は質問でもなければ答弁でもなかったのですが)。こちらはあまり人々の心を震わせるものではなかったように思えました。
 併せて己を顧み、自重自戒せねばと思います。

 本日の総務会で経済対策について政府より説明があり、了承されました。
 総務会の前には各省庁の幹部が総務一人一人に説明をするのが慣わしで、そこで了とした以上、総務会で否定的な発言するのはフェアではありません。経済対策それ自体はあまり目新しいものもなく、当面為すべきことを総花的に羅列した印象ですが、今求められているのは「物価上昇と賃金上昇の好循環」なのではないでしょうか。
 円安やウクライナ情勢による物価上昇に対して当面の対策が必要なのは当然ですが、日本特有の「安売り競争による労働者の賃金抑制」の構造を改めない限り、経済の回復はおぼつかないように思われます。消費者がモノやサービスに対して安さを求めるのは当然の心理かもしれませんが、それが労働者の賃金を抑えてきたことをもっと正面から論じなくてはなりません。労働者(労働組合)も、雇用の安定を重視するあまり、正当な労働の対価としての賃金の上昇にかつてのような熱意を失ってしまったように見えるのは私だけなのでしょうか。
 渡辺努・東大大学院教授の論考によれば、米国の大恐慌(1929年)において生じたデフレに対し、当時のルーズベルト大統領は公共事業を主体とするニューディールと共に、物価値上げを目的とする企業のカルテルを一時的に容認する政策を採ったとのことですが、傾聴に値するものではないかと考えています。

 日本政府がトマホーク導入に向けて米国に対し打診している旨が本日の読売新聞朝刊一面に大きく掲載され、テレビ・ラジオでも報じられています。防衛関係でこのようなスクープが出るのはいつものことで、なんらかのリークがあったことは想像に難くありませんが、20年前にも当時の防衛庁内で同じ議論がありました。当時の北朝鮮の弾道ミサイルは液体を燃料とする固定式のもので、燃料充填に数時間を要し、移動も困難であったのでトマホークの有用性について積極的な意見が出されたのですが、米側からはほとんど等閑視されたように記憶しています。
 現在は固体燃料で発射までの時間は極めて短く、その多くが輸送起立発射機(TEL)から発射されます。そのような目標に正確に命中させるために必要な前提はなにか。トマホークは基本的に亜音速で飛行する飛行機類似のものなので、発射の兆候を早期に捉えられなければ、目標に到達したときには既に発射が終わっているという事態もなしとはしません。十分な破壊力を有する弾頭についても検討が必要です。
 信頼する浜田靖一大臣のことですから、これらもすべて検討したうえで最終的な判断がなされることと思いますが、議論を専門家(自衛官を含む)任せにしないことが真の文民統制に繋がるのだと思っております。

 今週の都心は爽やかな秋晴れの日が続きました。来週はもう11月、皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。 

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2022年10月21日 (金)

令和の万葉大茶会など

 石破 茂 です。
 今週17日・18日に行われた衆議院予算委員会の質疑は、その時間の多くが旧統一教会問題に費やされ、外交についての議論はほとんどなく、安全保障も防衛費の増額の是非と財源論に終始した感があり、やや残念な思いが致しました。ロシア・ウクライナ、中国・台湾等々問題は山積しているのに外交に関する質問が極めて少なく、林大臣が手持ち無沙汰な様子であったことには、強い違和感を覚えました。
 旧統一教会が重大な問題であることは論を俟ちませんが、総理大臣が、所轄庁である文科省(文化庁)に対して、宗教法人法に定める質問権を行使することの検討を命じたことで一歩は前進したものと思います。質問の内容を検討する専門家会議の議論や宗教法人審議会(宗教法人法によって設置された文科大臣の諮問機関)への諮問などを粗略にしてはなりませんが、濃密かつスピード感を持った対応が望まれます。

 文化庁は質問権を行使するものの、独自の捜査権や機関を持ってはいませんので、自ずから一定の限界があるのかもしれません。強大な権限を有し、「公益の代表者」である検察が今回裁判所に対する請求を行わない理由が今一つ不分明ですが(オウム真理教の場合、検察は東京都と共に請求しました)、文化庁に対して検察官の出向などの協力が行えるのかどうか、前例は一つもないながら宗教法人法が定める「裁判所の職権による解散命令」はどのような場合を想定して設けられた規定なのか等々、よく調べてみたいと思っております。
 統一教会の信仰と一体となった霊感商法で印鑑を販売していた有限会社「新世」の幹部が東京地裁で執行猶予付きの有罪となった2009年の「新世事件」の際、所轄庁や検察から解散命令の請求がなされなかったことや、2015年に統一教会が「世界平和統一家庭連合」に名称変更されたことについて、教会と深い関係を有する自民党が特段の便宜を図った、などと一部報道されており、そのような事実はなかったと明白にするためにも、本問題については徹底して峻厳な姿勢で臨むべきものです。

 19日水曜日の参議院予算委員会の質疑で、総理は前日の衆議院予算委員会での答弁を修正し、民法上の不法行為も宗教法人法第81条にいう「著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」に該当し得る、と述べました。刑法上の犯罪には当たらず、民法上の不法行為のみに該当する場合で、なおかつ宗教法人法に定める厳格な要件に該当するのはどのような事例なのか、どこかで政府から例示が出るとわかりやすいのではないかと思います。
 宗教法人が税法上などにおいて法的な優遇を受けるのは、世の中のためになる「公益性」を有するからなのであって、その法人と「絶縁する」のならばその理由を示し、法的な手当てをしなければ筋が通らないのは自明のことです。政府として法的な問題点、あいまいな点をよく精査し、今後のより良い制度設計につなげる議論にしていきたいと思っております。

 宗教とお金儲けは洋の東西を問わず昔から深い関係があったようで、宗教改革の発端となったとされるマルチン・ルターの「95か条の論題」(1517年)は、当時のローマ・カトリックが贖宥状(免罪符)を発行して行っていた金儲けを厳しく批判したものでした。中学や高校の歴史の時間に習ったことを久々に思い出しましたが、ただ年号を暗記するだけであまり深い内容を理解していなかったことを今更ながらに反省しています。

 17日月曜日の予算委員会において、萩生田政調会長が、防衛費に海上保安庁の予算が含まれるかについて質問していましたが、これは海上保安庁・海上自衛隊の創設時からの根源的な問題です。
 1948年制定の海上保安庁法第25条は「この法律のいかなる規定も海上保安庁またはその職員が軍隊として組織され、訓練され、または軍隊の機能を営むものとこれを解釈してはならない」と定めますが、1954年制定の自衛隊法第80条には「内閣総理大臣は治安出動または防衛出動の規定による自衛隊の全部または一部に対する出動命令があった場合において、特別の必要があると認めるときは、海上保安庁の全部または一部を防衛大臣の統制下に入れることが出来る」と書かれており、この二つの条文はどのように整合的に理解すべきなのか、実はまだ明確にされていません。
 海上保安庁法が制定された時には、まだ自衛隊の前身である警察予備隊も発足していなかったので、このような問題は存在していなかったのですが、軍隊の本質である自衛権の行使を任務とする保安庁法が1952年に成立した際、この点をきちんと整理しておくべきでした。
 領土保全の最前線である尖閣海域などにおいて、身命を賭して日夜任務に当たっている海上保安官諸官には最大限の敬意を表すべきです。であればこそ、この問題を先送りしたままで、いざ自衛隊に治安出動や防衛出動命令を下令せねばならないような事態となった時に、法令の解釈や実際の運用で現場に大混乱が生ずるようなことは未然に防止しなければなりません。これは、海保の予算を防衛予算に含むか否かというテクニカルな問題では決してないのです。

 先週の15日土曜日に開催された「万葉集編纂者・大伴家持ゆかりの地『因幡』を訪ねて」と銘打った「令和の万葉大茶会2022鳥取大会」は、想像した以上に楽しく、興味深いものでした。
 秋晴れの好天の下、万葉集ゆかりの地である宮城県多賀城市、富山県高岡市、東京都調布市・狛江市、福岡県太宰府市等、全国各地からお越しの皆様を迎えて行われた茶会も大変に雅なものでしたが、夕刻に行われた交流会で講演された歌人・小島ゆかりさんのお話は久々に聞く実に面白いもので、学生時代、古文はとても好きだったのに、なぜか万葉集にはあまり興味を持たなかったことを今更ながらにとても残念に思いました。歴史の年号丸暗記と同じく、文法の勉強ばかりでテストの点を取っていたような気がします。
 万葉集に収められた家持と笠女郎(かさのいらつめ)との歌のやり取りや、九州の防衛の任に当たった防人たちの歌、伯耆国守(現在の鳥取県中・西部。国府は倉吉市に所在した)であった山上憶良の詠んだ庶民の困窮を思い遣る貧窮問答歌など、今からでもよく勉強して味わってみたいと強く思ったことでした。このような殺伐とした世界で長く仕事をしていると、文化に疎くなってしまったことを痛感させられます。

 早いもので、10月も下旬となってしまいました。皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2022年10月14日 (金)

北朝鮮「核武力政策についての法令」など

 石破 茂 です。
 北朝鮮のミサイル発射が続いています。日本国内ではあまり大きく報道されませんでしたが、北朝鮮は建国記念日前日の9月8日に最高人民会議を開催し、核兵器を使用する際の指揮権や条件などを明記した「核武力政策についての法令」を採択しました。ここで「国家存立や人民の生命安全に破局的な危機をもたらす場合」「国家指導部や核武力指揮機構に対する核および非核攻撃」などの要件が列挙されています。北朝鮮にとっての核使用のハードルがそれほど高くないこと、核保有国の中で初めて核兵器の先制使用を明記していること、に着目し、警戒すべきです。
 北朝鮮はおそらく、ウクライナが核を放棄し、その代わりに米・露・英・仏・中の核保有国がウクライナの安全を保障する、という(子細に読めばそのような内容ではないのですが)「ブダペスト覚書」があっさりと反故にされたのを見て、核を放棄しないという意思を更に強めたのでしょうし、核の使用を仄めかせばアメリカ自身は軍事介入をしないことも改めて学んだと見るのが自然です。
 北朝鮮の核ミサイル能力は変則軌道能力も含めて着実に向上しつつあるのに、我が国の対応のスピードが追い付いていないのは極めて問題です。我が国と距離が近接しているので、国民の避難に時間的な猶予がないことをやむを得ないものとする見解がありますが、イスラエルは昨年5月のハマスから受けた3000発のロケット攻撃の約9割をミサイル防衛システムで撃ち落としていますし、国民が避難するシェルターの整備率も100パーセントです。イスラエルにできることが何故わが国にはできないのか。Jアラートを改善することも急務ですし、シェルターの整備にいたっては本格的検討の俎上にすら乗っていません。
 政府は北のミサイル発射の度に「外交ルートを通じて厳重に抗議した」としていますが、それに北が痛痒を感じるはずはありませんし、そもそも一体誰に抗議し、その相手はどのように応答したのかも全く不明です。国民の不安感を払拭するために、我々は一層の努力をせねばなりませんし、ミサイル発射が常態化することにより、国民が「ああ、またか」と警戒感が薄れてしまうことにも私は強い危機感を持つものです。

 今週、武貞秀士・拓大教授の講演を聞く機会があったのですが、プーチン大統領が「ウクライナはもともとロシアと兄弟なのであり、独立すること自体認められない」としていることと、北朝鮮が「韓国はアメリカの傀儡国家であり、その存在は認められず、北朝鮮による統一こそが正義である」としていることは極めて酷似している、との指摘を聞き、なるほど然りと深く納得したことでした。我々の理解を遥かに超えていても、そのような国が(どちらも)我が国の隣国として現実に存在していること、中朝、露朝、中露はそれぞれが密接に関係しており、それらが今後一層連動するであろうことにも強い警戒が必要です。

 このような状況を踏まえれば、防衛費の増額自体は間違いなく必要ですが、必要な項目の積み上げについても、陸・海・空各自衛隊それぞれがバラバラに行うことなく、宇宙やサイバーも含めた統合的なオペレーションを前提としてなされなくてはなりません。財源についても安易に国債に依存するとの姿勢は持続性を損なうものです。国家の独立と安全が全国民の利益である以上、財源もできる限り「今」を生きる国民全体の負担によるべきことを基本とすべきですし、これを正面から訴える気概を政府・与党は持たねばなりません。

 「国賊」発言をしたとされる村上誠一郎議員に対して、役職停止一年間の処分が自民党党紀委員会においてなされました。
 村上議員も発言した記憶はないとしながらも、これを撤回して謝罪すると述べているので、これで決着ということになるのでしょうし、意見を述べる立場にもありませんが、自民党総務は執行部の役職とは異なり執行部の方針に対して意見を述べる立場なので、また別の選択もあったのかもしれません。遠藤総務会長が述べたように、礼節を守りつつ、自由闊達な議論が行われる自民党であるべきですし、村上議員には今後とも経験と見識を生かして正論を述べていただきたいと思っています。

 寒暖差の大きい日々が続いています。皆様どうかご自愛の上、ご健勝でお過ごしくださいませ。

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2022年10月 7日 (金)

セクハラ問題と軍法など

 石破 茂 です。
 北朝鮮が異例の頻度でミサイルの発射を続けている意図は不明ですが、その能力が確実に高まりつつあることに対する我が国の対応は十分とは言い難いものがあります。「許されざる暴挙であり最大限に非難する」といくら言ってみても、相手は何ら痛痒を感じないのであり、問題はこれだけ安全保障環境が激変する中で、日本の「専守防衛に徹する」「非核三原則は堅持する」等の根本的な姿勢を維持したままでよいのかが問われます。
 「専守防衛」は畢竟、国土が戦場になることを所与のものとする最も難しい防衛姿勢であり、持久戦を本質とするため、人員・弾薬・燃料・食糧等々が十分に確保され、継戦能力が維持されていなければそもそも成り立つものではありませんし、国土の縦深性を欠いている我が国においてはその困難性がさらに高いことを正確に認識しなければなりません。政府は一貫して専守防衛を「憲法の精神にのっとった防衛戦略」(安倍内閣答弁書・平成27年3月24日)と言い切っており、ここにいう「憲法の精神」とは、憲法の三大原則の一つである「平和主義」のことである以上、これを変更するのは容易なことではありませんが、平和主義と専守防衛はいかなる論理的整合性を持つのかを根本から議論すべき時期に来ていると思います。
 これに比べれば核兵器の保有については、政府として「(必要最小限度に留まるものがあるとすれば)保有することは必ずしも憲法の禁止するところではない」(同・平成28年4月1日)との考えで一貫しており、必要最小限度論に若干の無理はあるものの、憲法的な制約は少ないと言うべきですが、核共有についてさえ議論がほとんど進捗していないことは極めて由々しき問題です。
 今回の北朝鮮のミサイルは4600キロを飛翔し、グアムまで届くことを実証したのであり、アメリカ西海岸、東海岸まで到達する能力を持つのも時間の問題です。ここで拡大抑止(核の傘)の実効性を高めることを議論しないでどうするのか。
 4日火曜日早朝に発せられたJアラートも、不正確で遅いと批判されました。5年前にも類似の事態があり改善を求めたのですが、その後政府としてどのような対応をとったのか、何故今回、官房長官が「システムの不具合があった」などと弁明するようなこととなったのか。シェルター整備の決定的な遅れも本質は同じですが、国民保護についての政府の見識が問われており、与党としてこれを早急に正さねばなりません。

 自衛隊内でのセクシャル・ハラスメント問題の本質は「軍隊(自衛隊)内の規律をいかに維持すべきか」ということだと思います。被害にあった女性自衛官は防衛大臣の直属組織である警務隊に訴えたのですが、検察が「被疑者を有罪にする十分な証拠がない」として不起訴処分としたため(検察審査会は9月12日に不起訴不当と議決)、今回の告発に至ったとのことです。
 近代において、どこの国の軍隊にも軍刑法と軍法会議をセットとする「軍司法」が存在しているのは、軍隊が「国の独立の保持」という目的の実現を図る重要な組織であることに加え、他のいかなる組織も抗えない実力を持つ軍隊が、国家体制(民主主義国家においては民主主義体制)の破壊や人権の蹂躙などの重大な事態を引き起こすことを防ぐためである、とされています。そのため、軍司法の主目的は「軍の秩序の維持」であり、副目的として「軍人の人権の保全」が挙げられますし、性格上、迅速性と専門性も要求されます。
 今の日本においては「そもそも『軍』は存在しない」「憲法第76条の定める特別裁判所禁止の規定に抵触する」との理由により設置されておらず、その取扱いはすべて刑法(行政刑法などの特別刑法を含む)と一般の司法に委ねられています。本当にそれでよいのか、真剣な議論が必要です。
 自衛隊は日本国における最高の実力組織であるが故に最高の規律が求められるのはむしろ当然のことです。国民の基本的人権が侵害されたときに、これを守ってくれるのは国家しかありえないのですが、国家自体が存亡の危機に瀕した時に国の独立を守る組織には最高の規律が保たれていなければなりません。そしてこれに携わる人たちには最高の栄誉が与えられてしかるべきです。
 このような考えの下、自民党の平成24年憲法改正草案は「国防軍に審判所を置く」と定めましたが「命令違反した者を重罰に処そうとしている」「旧憲法下の軍法会議の復活を目論んでいる」などとマスコミや世間の評判は極めて悪く、その後の議論は全く進展していません。ご理解が得られていないのは私の説明能力不足と不徳の致すところですが、軍隊の本質を看過することはむしろ極めて危険なことだと思います。言うまでもなく、「非公開・一審制・弁護人なし」などという旧軍法会議の欠陥は改めることが前提です。
 自衛隊や自衛官に憧れて入隊した隊員に、失望感を与えてしまったことは実に残念なことであり、私を含めて政治の責任も極めて重いことを深く認識しています。今回の事案において、この視点から論ずるものが全く無いので、敢えて書かせて頂いた次第です。
 なお、このテーマに関しては「軍法会議のない『軍隊』」(霞信彦 慶大名誉教授著・慶應義塾大学出版会刊・2017年)で詳しく論じられていますので、是非ご参照ください。

 本日、日本橋室町の三井ホールで開催された「木づかいシンポジウム2022」に「CLTで地方創生を実現する議員連盟」の会長として参加して短い講演を致しましたが、多くの参加者を得て盛況でした。
 日本の国土面積に占める森林率がフィンランド、スウェーデンに次いで世界第3位であること、木の体積である森林総蓄積量がカナダ、アメリカ、コロンビアに次いで世界第4位であること、は知っていたのですが、主に木材利用に供される目的で植えられた人工林の総蓄積量がアメリカに次ぐ世界第2位であることは今回初めて知りました。
 北欧や北米に比べて不利な条件も多々ありますが、日本の森林資源を最大限に活用するのは、地方創生の観点からも極めて重要かつ有望なことであると改めて認識致しました。建設・建築のみならず、銀行・保険などの金融界からも多くの参加がありましたが、東京海上日動の隅相談役(元社長・元会長))のお話からは今回も大きな示唆を受けたことでした。

 今日の都心は冷たい雨模様の一日となりました。季節の変わり目、皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2022年10月 4日 (火)

イシバチャンネル第百二十七弾

イシバチャンネル第百二十七弾、「ローカル鉄道について」をアップしました。

是非ご覧ください

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