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2023年3月31日 (金)

コロナ禍中の検証など

 石破 茂 です。
 26日日曜日から27日月曜日にかけて、浜松市長選挙と富山県議会議員の応援で浜松市と富山市に伺った際、東京→浜松→米原→金沢→富山と新幹線や在来線で移動したのですが、どの列車もほぼ満席、それも欧米からと思われる外国人客がその多くを占めていたことには驚かされました。正確な数字はわかりませんが、感覚的にはほとんどコロナ前に戻ったような感じで、これには急速に進んだ円安が大きく寄与しているものと思われます。外国人客が誰一人マスクをしていなかったことも極めて印象的で、ほぼ全員がまだマスクを着用している日本の光景が彼らにはとても異様に映っていることでしょう。
 インバウンドのみならず、国内に観光需要が戻ってきたこと自体は喜ばしいことですが、当然のことながら移動中の車内や観光地の混雑と喧騒も同時に戻ってきて、コロナ禍における静寂が妙に思い出されます。人間は勝手なものですね。
 
 コロナ流行下の三年間の様々な数字は可能な限り早急に明らかにされなくてはなりませんが、中でも超過死亡者数(一定の時期に、本来亡くなるはずの人の数よりも多くの方が亡くなること)の増加については注意が必要です。コロナ禍において医療逼迫が起こり、本来受けるべき治療を受ければ助かったはずの人が亡くなってしまったことが原因だとするのが一つの仮説ですが、本当にそうなのか。また、この間に癌検診などの受診数がどれほど減り、それがこの後どのような数字となって表れるのか。コロナが終息しつつあるのだから、もうそのような検証は不要だ、ということにはなりません。
 大東亜戦争・太平洋戦争に敗れた後、何故あのような勝算皆無の無謀な戦争に突入してしまったのかを検証しないままに今日まで来てしまったことが、今後大きな災いを招来するであろうことを私は強く怖れていますが、それは感染症対策についても同じことです。
 日本版CDC(疾病予防管理センター)の設立も見送られることとなりましたが、この構図は日本版FEMA(緊急事態管理庁)を含む「防災省」創設が行われないこととよく似ています。なんでもアメリカが優れているというつもりは全くありませんが、コロナを契機として、改めるべき点は改めるべきと痛感しております。

 

 岸田総理大臣のウクライナ訪問には、それなりの意義があったものと評価すべきです。
 警護体制や情報管理の困難性からこの訪問に消極的な意見が政府内にあったと聞きますが、いまなお自衛隊による海外における要人警護の必要性を主張する向きが一部にあるとすれば、それは全くの誤りです。占領下でもない独立主権国家たる他国において、自国の国家主権を体現する軍隊の活動を云々するのは、軍隊と警察の基本的な相違を認識していない議論です。米国やフランスの大統領も、英国やドイツの首相も自国の軍隊を警備のために同行させたりはしていないはずです。
 「G7の一員として」というのが最近の常套句ですが、我が国以外はすべてNATOの主要加盟国であることを看過してはなりません。敵を召し取る(飯取る)「必勝しゃもじ」をウクライナ大統領に贈呈するのも一つの趣向でしょうが、一方を犯罪者に擬えてその打倒を目指す限り、戦争の終結はおろか戦闘の停止すらも見通せないように思われます。

 

 昭和天皇のポツダム宣言受諾の詔により日本民族は絶滅の危機を免れたのですが、「一億玉砕」のスローガン通りに日本民族全滅まで戦うという戦慄すべき最悪の事態が回避されたのは、同宣言12条の「日本国国民の自由に表明された意思に従い、平和的傾向を有し、且つ責任ある政府の樹立を求める」という文言と、昭和20年8月10日の日本政府の宣言受諾通知に対して8月12日に示されたバーンズ回答の「日本の最終的な政治形態は、ポツダム宣言に従い、日本国民の自由に表明する意思によって確立される」という文言によるものでした。これらによって、形態は国民の選択による立憲君主制に移行するにしても、天皇制自体が維持される可能性が確認出来たことが、「一億玉砕」の回避に大きく役立ったのだと思います。
 日本敗戦直後の米国内の世論は、天皇の戦争責任について随分と厳しいものであった中で、その世論に流されることなく天皇制が維持されたことは、占領政策の円滑な遂行という意図があったにせよ、戦後日本にとっては素晴らしいことでした。

 

 NATOからはドイツ製のレオパルド2戦車やアメリカのエイブラムス戦車が供与されますが、それが戦局を転換するものとなるかどうかはわかりませんし、ウクライナの兵士や弾薬類がどれほど消耗しているのかについても、ほとんど情報がありません。ジャベリンなどの兵器をロシアがどれほど鹵獲(ろかく)し、それがどのように使われているのかも不明です。祖国防衛のために戦うウクライナ国民に日本と世界の多くの人々が共感し、連帯し、激励するのは素晴らしいことですが、停戦の呼びかけは必要です。広島サミットまであまり間がありませんが、単にG7の結束の確認に留まることなく、停戦に向けた討議を議長国である日本が主導することを願ってやみません。

 

 もう一つ、広島サミットにおいて、我が国として、昭和20年8月8日の旧ソ連の参戦とその後の一連の不法行為について、改めて世界に向けて発信すべきだと思います。ソ連は日本との中立条約を一方的に破って参戦し、8月15日以降、ポツダム宣言受諾によって既に戦闘を止めていた日本軍将兵や民間人を殺戮しあるいは暴行・凌辱を加え(約8万人の将兵が戦死、民間人約20万人余が死亡)、約57万人を抑留して強制労働に服させ、そのうち5万8千人を死に至らしめ、ロシア連邦となった今も北方領土を未だに不法占拠しています。ロシアはソ連の正当な継承国であることを明言していますが、旧ソ連の非道も、今回のウクライナにおける蛮行も本質は同じことであり、ロシアの国際法違反の蛮行を強く非難することと、この戦闘を早く終結させることを我が国として両立して主張せねばなりません。

 

 来年度予算案も波乱なく成立し、安堵したような雰囲気が漂っています。野党の無力ぶりが一層明らかになり、これに乗じたかのような早期衆院解散説がどこからともなく流れていますが、衆院の解散・総選挙は、内閣不信任案が可決されたり、予算案や重要法案が否決されるなど、内閣と衆議院の意思が異なった場合に主権者である国民の判断を仰ぐために行われるのが憲法の趣旨であり、時の内閣の基盤を安定させるために行うといった発想はとるべきものではありません。憲法第69条によるのみならず、第7条による解散も認める立場に立つ以上は、衆院解散は総理の専権事項であり、現在の憲法解釈上、誰も異論を唱えられないのは事実ですが、主権者たる国民の前に謙虚であるべきこと、権力は恣意的に行使すべきでないことは、どの政権や為政者においても極めて重要なことです。

 

 日刊工業新聞社より故・田中角榮先生の「日本列島改造論」の復刻版が出版されています。昭和47年6月の発売時と全く同じ装丁で、とても懐かしく思いました。本書は91万部の大ベストセラーとなり、その内容に日本中が沸き立ったものでした。最近「田中角榮がもし今ありせば」的な議論がありますが、それは田中先生を直に知っている者がほとんど居なくなって、角榮先生が「歴史」になったからなのでしょう。織田信長にしても豊臣秀吉にしても、存命中や没後まだ利害関係者が残っていた間は毀誉褒貶が凄まじかったのだろうなと思います。
 ジャーナリストの高野孟氏がご自身のメールマガジンで「石破が防衛族でありながらゴリゴリのタカ派でないのは、彼が元々田中派の出身だからである。田中の進退に染み付いた(戦争体験の)世代感覚は、小沢、橋本、羽田、梶山らに引き継がれ、たぶん石破が最後のほうだ」と述べておられますが、そういうことなのかもしれません。

 

 今日から41道府県において議会議員選挙が始まりましたため、鳥取県内を中心としていくつかの府県を回ります。
 これが終われば春爛漫、皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

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2023年3月24日 (金)

統一地方選挙など

 石破 茂 です。
 昨日より統一地方選挙が始まり、鳥取県でも県知事選挙が告示され、5選を目指す現職の平井伸治氏を推薦している自民党鳥取県支部連合会長として(4期以上の首長候補者の公認・推薦については各都道府県連の責任において判断します)、鳥取市、倉吉市の出陣式で演説し、道中は選挙カーのマイクをもって街宣活動を行いました。
 全国各地で行われる知事選挙では、奈良や徳島など保守分裂選挙となっているところもありますが、鳥取県においては決してそのような事態とならないよう、細心の注意を払ってきたつもりです。過去一度だけ、平成11年に、4期務めた西尾邑次知事の後継者を決める際、候補に挙がっていた当時の自治官僚2人のどちらにするかを巡って、自民党分裂の危機に瀕したことがありました。当時の西田司自治大臣(故人)と平林鴻三代議士(元鳥取県知事・元郵政相・比例中国ブロック選出)の英断により、県議会自民党若手と私が推していた片山善博氏に落ち着き、事なきを得たものでした。当時、自治省仮庁舎の大臣室で、西田大臣と平林先生と私の三者協議の場が持たれたのですが、その席で西田大臣から意見を求められた平林代議士が「石破さんのいいようにしてあげてください」と言われた時の光景を、今も私は忘れません。片山県政は2期で終わりましたが、その間の多くの方々の努力や譲歩もあって人間関係が修復され、今日の安定に至っているのはとても有り難いことだと思っております。
 私は政治において安定こそが至上の価値だとは思っておりませんが、国政と異なり、首長も議員も有権者から直接選ばれる二元代表制を採る地方政治において与党が分裂することには、権力闘争以外の意味がほとんどなく、地域住民にとってマイナスの方がはるかに大きいため、可能な限り回避すべきものだと思っています。
 平井知事は権力を恣意的に用いることなく、誠実かつ着実に改革を進め、本県を地方創生のモデル県にしつつあります。多くの県民のご支持を頂き、立派な得票で仕上げの5期目を迎えるべく、自民党県連としても力を尽くしたいと思っています。

 先週末、滋賀県議会議員の県政報告会で講演するため近江八幡市を訪れる機会があったのですが、江戸時代に日本を訪れた朝鮮通信使(聘礼使)を徳川政権がどれほど厚く接遇したかの記録に接し、深い感慨を覚えたことでした。朝鮮出兵で極度に悪化した朝鮮との関係を修復するため、幕府を開いて間もない徳川家康はたびたび李氏朝鮮に使者を送って通信使の来訪を懇請し、1607年に実現します。一行は約500人という大規模なもので、接遇に要した費用は幕府直轄領400万石の4分の1に当たる100万石相当(約100万両・現在の価値で約1000億円)にものぼったと伝えられています。今も昔も、朝鮮半島との関係は我が国の命運を左右するのであり、徳川家康の深い洞察に学ぶべき点は多いように思います。

 中山太郎先生(元外務大臣・総務庁長官・憲法審査会会長)が老衰のため98歳で逝去されました。当選5回生の頃、外交をメインの仕事として衆議院外務委員会の筆頭理事や自民党外交調査会の事務局長などを務めていましたが、当時自民党外交調査会長であった中山先生からは本当に親身なご指導を賜り、何度か海外視察にも同行させていただきました。温容な中にも筋の通った、決して偏ることのない広い視野をお持ちの、心から尊敬できる立派な方でした。近年はお目にかかる機会もないままにご訃報に接することとなってしまい、己の怠惰を心より申し訳なく思っております。出来れば衆議院議長として本来あるべき議会の姿を実現していただきたかったと切に思います。先生の御霊の安らかならんことを心よりお祈り申し上げます。

 早くも東京の桜は散り始めてしまいました。今年もまだお花見は出来ておりません。
 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2023年3月20日 (月)

イシバチャンネル第百三十二弾

イシバチャンネル第百三十二弾、「追悼 松本零士先生、放送法など」をアップしました。


ぜひご覧ください

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2023年3月17日 (金)

尹大統領訪日など

 石破 茂 です。
 韓国の尹錫悦大統領の来日は、大いに評価されるべきことだと思います。
 昭和58年1月、中曽根康弘総理が総理就任後、最初に訪問先に選んだ国は、アメリカではなく韓国でした。全斗喚大統領と会談後、猛勉強された韓国語でスピーチを行い、余興のカラオケも韓国語で歌われたと伝えられます。その後日韓関係は大きく改善し、韓国大統領としては初めての全大統領の訪日へと繋がりました。
 尹大統領が米国よりも先に日本を訪問されたのも同大統領の並々ならぬ決意の表れと見るべきで、「たとえ支持率が10%台に下がっても日韓関係を改善させる」と語った言葉はそれをよく示しています。徴用工問題の解決策については、韓国国内で多くの批判があるようですが、大きなリスクを背負ってまでも日韓関係を改善させたいという同大統領の思いに、日本国として誠実に応えなくてはなりません。
 我々は今こそ日韓現代史をよく学ぶ必要があります。「かつて台湾にも朝鮮にも、日本は同じように帝国大学や旧制高校を開設し、交通インフラを整備し、医療水準を向上させ、農業技術を発展させるという統治を行ったのに、台湾は親日、韓国・北朝鮮は反日なのは、朝鮮人が忘恩の徒だからだ」的な暴論を今でも時折耳にしますが、それは根本から誤っています。
 日清戦争敗北の結果として清国は、異民族が住み、治安や衛生水準が極めて悪い、中華文明が及ばない「化外(けがい)の地」であった台湾を日本に割譲しました(下関条約・1895年)が、台湾は「島」であって「独立国」ではありませんでした。これに対し、大韓帝国は当時どんなに国内が混乱していたにせよ、独立国であったものを「併合」した(韓国併合ニ関スル条約・1910年)のであり、その本質は全く異なると言わねばなりません。たとえ善意に基づくものであったとしても、一国の文化や言語、制度や軍隊をも失わせしめる「併合」がどれほど相手国の国民の誇りを傷つけるものであったのか、このことに対する理解を欠いたままでは、日韓の真の信頼関係は築けないと思います。
 仮に日本のどこかがロシアに「併合」され、「今日から貴方はロシア人。ロシア名を名乗り、ロシア語を話し、ロシア正教を信じたほうが優遇される」となったらどのような思いがするか、少し想像力を働かせてみればわかることです。
 イギリスやアメリカによるアジアの植民地支配は、日本とは比べるべくもないほどに過酷なものでしたが、彼らはリスクを計算して決してインドやフィリピンを「併合」しませんでした。やはり日本が「遅れてきた帝国主義」であったことは認めざるを得ません。

 故・安倍晋三元総理は「謝罪を次の世代に背負わせてはならない」と述べられました。日本国内には「いつまで謝りつづければ、韓国は許すと言うのだ」といった憤りもありますが、それは謝る回数や年月の長さの問題ではなく、日本国民の真摯で誠実な気持ちが韓国国民に伝わるかどうかの問題なのでしょう。故・小室直樹博士は「『同化政策』が、韓国のごとき、長い歴史と高い文化を持ち、また、社会構造的に宗教的に、日本と全く異質的な韓国において失敗することは火を見るより明らかであった。日本人が、韓国人に嫌われる最大の原因は『同化政策』なのである」と述べていますが(「韓国の悲劇」・光文社)、日本の教育ではこのことにほとんど触れていません。
 「正しい歴史」とは、かつての日本を全面的に肯定することでも否定をすることでもないはずです。尹大統領の訪日を機に、日韓に新たな歴史が刻まれ、それが北東アジア地域の平和と安定に大きく寄与することを願っています。

 昨16日、自民党外交調査会の国連改革についての勉強会でスピーチをする機会があったのですが、国連憲章第53条と107条に定められている「敵国条項」について調べてみたところ、1945年4月25日に国連憲章作成のために米・英・ソ連・中華民国が主導して開催されたサンフランシスコ会議に招請されたのは「1945年3月1日までに枢軸国に対して宣戦布告をした国」に限られていたのだそうで、「戦勝国連合」をその本質とするUnited Nationsに加盟したいがために、慌てて日本に対して宣戦布告した国も多かったのだそうです。最終的に日本に対して宣戦布告した国の数は50か国に達しており、このことを全く知らなかったことを大いに反省したことでした。
 「敵国条項はもはや死文化しており、これを削除することにあまり意味はない」との意見もありますが、条項が残っていることにはそれなりの意味や思惑があることを忘れてはなりません。これについてはまた機会を改めて記したいと思います。

 東京は桜の開花宣言もなされましたが、今日はやや肌寒い一日となりました。
 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2023年3月10日 (金)

政府とメディアの関係など

 石破 茂 です。
 放送法についての総務省の文書が捏造か否かについて知る由もありませんが、あの議論があったとされる当時、政府とメディアとの関係は微妙なものがあったように思います。「時事放談」(TBS系列)や「週刊ニュース新書」(テレビ東京系列)などの、歯に衣着せぬ、時には政権に批判的な論者を起用していた対談番組が相次いで姿を消し、その後の番組は旅行やグルメなどの無難なものになっていきました。日曜早朝の番組でしたからそう高い視聴率が取れたものではなかったと思いますが、ゴルフに出掛ける前の壮年層など、一定の固定視聴者が存在し、商業的にはそれなりに成り立っていると聞いていたので、番組の打ち切りに違和感を覚えたことを憶えています。

 

 小泉内閣や福田内閣で防衛庁長官、防衛大臣を務め、有事法制やイラク派遣、テロ特措法の延長など、世論の批判の強い政策を担当していた頃、「筑紫哲也のニュース23」等の政府に批判的な番組になるべく出るように心がけていたのは、フジテレビの「報道2001」など政府の政策に理解のある層が視ている番組に出ているだけでは国民的な支持は拡がらず(勿論依頼があれば出演していましたが)、批判的な層が視ている番組にこそ出なければならないと思ったからに他なりません。

 

 メディアと権力との闘争を描いた五木寛之氏の「樹氷」(1970年)の中に、「僕はテレビからドキュメンタリーや報道番組が消えて、クイズ番組と歌謡ショウだけになっていくことに反対なんだ。どんなに視聴率が取れてもそれはテレビの荒野だ」というような主人公(テレビディレクター)の台詞があったことを記憶しています。もう半世紀も前の作品ですが、権力とメディアが癒着した時、民主主義も、国の命運も誤る、というのは昔も今も変わらないようです。
 昨年の「安保三文書」の内容には評価されるべき点が多々ありますが、策定の際に政府に設けられた「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」に、テレビや新聞などの大手メディアの経営や論説のトップが名を連ねていたことには、正直驚きと戸惑いを強く感じたものでした。
 政府や党で役職を務めていると、「どうして新聞やテレビはこんなことを書いたり放送したりするのだろう」と慨嘆、憤慨することも多々ありますが、一歩引いて考えれば、権力を振りかざして言論を統制するよりも報道の自由があった方が、よりよい社会、よりよい政治がつくれるのだと思います。だからこそ、立法や行政の側が「マスコミは偏向していて怪しからん、もっと公正な報道をするように指導すべきだ」と言い出すのは、気持ちとしてはわかりますが、実際には重々抑制すべきことなのでしょう。公共放送はさておき、商業報道はメディア自体よりもスポンサーの問題も大きいのではないでしょうか。

 

 ガーシー(東谷義和)参院議員の除名について、我々衆院議員がとやかく言うべきものではありませんが、「登院しない」ことを公言し、これを是として29万票に近い有権者が投票し、当選した議員を除名することについては、どこか釈然としないところがありました。しかし、国会議員は憲法第43条(「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」)に定められる通り、実際に票を投じた有権者のみの代表ではないのですから、登院し、意見を述べ、採決に参加するという「全国民に対する責務」を果たさない以上、国会に籍を置くのは相応しくない、ということになるのでしょう。「NHKから国民を守る党」「NHK受信料を支払わない国民を守る党」などという党名も随分とふざけたものでしたが、今度は「政治家女子48党」を名乗るそうです。ここまで来るととても理解は出来ませんが、民主主義とは、多くのリスクを抱えているものなのだと改めて思います。

 

 昨9日夕刻は、浜松市での企業・団体集会に出席し、短い講演をしてまいりました。浜松市、と言えば浜名湖→鰻→うなぎパイ→浜松餃子、という実に貧困な連想しかできなかったのですが、調べてみればみるほどに興味の尽きない街です。
 地方創生大臣当時、総務省から内閣府に出向して秘書官として支えてくれた、浜松市長選候補予定者の中野祐介氏も、随分と演説が上手くなり、飾ったり、大言壮語するのではなく、人柄そのままの演説からは誠意と熱意が伝わってきました。支援の輪がさらに大きく広がることを願っております。

 

 今週後半の都心は、春を通り過ぎて初夏の趣すら感じられる暖かさでした。
 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

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2023年3月 3日 (金)

近藤道生氏著書など

 石破 茂 です。
 令和5年度予算は2月28日火曜日に何の波乱もなく衆議院で可決、参議院に送付されて年度内成立が確実となりました。政府・与党としては目出度い限りですが、予算委員会での質疑を聞く限り、安全保障政策にしても少子化対策にしても、主権者である国民や納税者が十分に得心・出来る説明がなされたかどうかは、自分の質疑についての反省も込めて言えば、やや疑問なしとしません。
 今回の「安全保障政策の大転換」とは何かといえば、究極的には「従来、法的には認められていても、その力を保持し行使することは政策的に行わない」としてきたものを可能とした点です。どのような場合に反撃力を行使するのか、審議の過程で政府はこれを「個別具体的に判断する」と述べるだけでその具体例を一切明示しませんでしたが、典型例として挙げれば、某国が我が国にミサイルで攻撃を行い、我が国がミサイル防衛システムで迎撃するも、我が国の保有する迎撃ミサイルの弾数を超えるミサイル数を発射し(飽和攻撃)、米軍も何らかの事情(同時に他地域で発生している戦闘に対処している等)でこれへの対応が能力的に困難な場合、我が国が某国の攻撃能力を減殺するために反撃能力を行使する、という場合は、当然許容されうるケースと言えます。
 これを基本形としてさまざまなバリエーションを法的、能力的、任務体系的に整理・検証し、構築していかなくてはならないものと考えています。
 「安全保障政策の大転換」についての議論が深まらないのは、決して好ましいことではありません。「手の内を明らかにするような答弁は差し控える」という状況が続くならば、憲法第57条但書に定められた秘密会の開催を真剣に考えるのが議会の責任ではないかと思います(旧憲法下では政府の要求によって秘密会が容易に行われる弊害があったため、現行憲法ではこれを専ら議院の判断によるものとしています)。もっとも、秘密会とは「公開を停止して開かれる会議」というだけの意味しかなく、秘密の厳格な保全については別途憲法の範囲内で改めて定める必要があり、これは極めて難しい課題ですが、避けて通るべきではありません。

 総理のウクライナ・キーウの訪問について、様々な報道がなされ、賛否両論が交錯しています。
 先月20日のバイデン米国大統領の電撃訪問は数か月前から周到に準備され、厳重な報道管制の下、随行も数名の側近、カメラマン、医療チーム、警護隊、同行記者も2名に限定されたそうです。国境付近上空には監視・警戒のための米軍機が飛んでいたとのことですが、ウクライナには米軍が駐留していないため、警護隊の負担は想像を遥かに超えるものだったのでしょう。
 しかし、翌21日にキーウを訪問したイタリアのメローニ首相は、19日にはその訪問がメディアで報ぜられ、2月3日に訪問したEUのミシェル大統領(元ベルギー首相)一行も1月4日には訪問日程を公表しており、「事前に訪問予定が漏れたら安全が確保できない」ということではないようですし、イタリア軍やベルギー軍が警護に当たったのでもありません。
 そもそも、被占領国でもない主権独立国家内において、他国の軍隊が活動してよいはずがありませんし、仮に例外的にそのようなことが行われる場合には、当事国間で地位協定が締結されなければなりません。
 そのように考えると「訪問が事前に漏れると危険が増す」「自衛隊法に海外における日本要人警護の任務が定められていないので安全が確保できない」というような理由は全く正しくありません。「自衛隊が警護できないから訪問しない」などというのは見当違いの、ためにする批判です。もちろんNATO加盟国と我が国とでは様々な点において事情が大きく異なり、一概に論ずることは出来ませんし、兵器供与などの軍事的な貢献が出来ない日本の首相が行っても意味はないとの主張があることも承知しておりますが、岸田首相が「訪問したい」との熱意をお持ちであるならば、政府・自民党として可能な限り実現に向けた努力をすべきです。なお、立憲民主党の泉代表が、訪問には国会の事前承認が必要な旨述べていますが、総理や閣僚の国会欠席の事前承認は、あくまで通例であって、法律でも国会規則でもありません。

 本日の日韓議連役員会において、10年間会長職を務められた額賀福志郎元財務大臣に代わり、菅義偉前総理が会長に就任されました。
 日韓関係の改善は我が国や北東アジアのみならず、アジア太平洋地域の平和と安定に不可欠な、最重要かつ喫緊の課題です。領土、慰安婦・徴用工などの歴史問題等、双方に大きな隔たりがある課題は多くありますが、その根底にあるのは明治維新・日清戦争から日韓併合に至る近現代の認識の相違です。1909年にハルビン駅頭で伊藤博文を暗殺した安重根は日本では許されざるテロリストですが、韓国では民族の英雄であり、この認識の相違は決定的です。安重根は裁判において、伊藤博文は韓国の独立を願った明治天皇に背いた逆臣であると述べていました。日本側も、韓国側も、事実をよく知らないままに関係を積み重ねてはいないでしょうか。故・小室直樹博士や故・岡崎久彦氏は著書の中で、日本が韓国に対して行った同化政策の誤りを指摘しています。いわゆる保守派の論客がこれを論じていたことに、大きな意味があると思います。

 予算案が衆議院を通過したので、審議中手を付けないままに乱雑の極みになっている書籍や書類を整理していたら、近藤道生(こんどう・みちたか 元国税庁長官・博報堂社長・会長・故人)の著書「国を誤りたもうことなかれ」(中公新書・2006年)が出てきて、改めて読みなおして深い感慨を覚えました。大蔵省入省後、直ちに海軍主計士官となって主に南方で勤務した同氏の回想や、21世紀のあるべき日本の姿についての想いは、戦争体験がないままに今の混迷の時代を生きる我々にとって極めて示唆に富むものであり、是非ご一読いただきたいと思います。
 亡父・石破二朗も昭和18年2月、勤務していた内務省から陸軍司政官としてスマトラに赴き、占領地行政に当たっておりましたが、私に戦争について語ったことはほとんどありませんでした。昭和13年夏、内務省から宮城県社会教育課長に出向中、来県するヒットラー・ユーゲントの歓迎行事の担当を命じられた際に「奴らと仲良うすると良いことありやせんぞ」と部下に語るなど、開戦前より軍国主義やファシズムに対しては随分と批判的であったそうですが、父から戦争についての思いを聞くことが出来なかった私にとって、近藤氏の著書はとても有り難いものでした。

 今日は桃の節句です。子供の頃、二人の姉たちのために大きな雛人形を飾っていた亡母・和子の姿が思い出されます。
 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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