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2023年8月25日 (金)

岩手県議会議員選挙

 事務局です。
 本日、岩手県議会議員選挙が告示となります。
 石破代議士は1800- 高橋こうすけ候補 個人演説会(@住吉神社、盛岡市)にお伺いします。
 お近くの方がおられましたら、応援よろしくお願い申し上げます。

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慶應義塾高校優勝など

 石破 茂 です。
 先般の台風7号による鳥取県東・中部の被災に対し、多くの方々からお見舞いの電話やメールを頂戴しましたことに厚く御礼申し上げます。
 先週末に鳥取市佐治町、八頭郡八頭町上私都地区、東伯郡三朝町の被災現場に、谷公一防災担当大臣や現地首長・県議さん方とともに入ってまいりましたが、橋の崩落や道路の損傷などの惨状を目の当たりにして、早期復旧への思いを強くしたことでした。
 本県はかなり早くからダム建設や河川改修などの防災対策に取り組んでおり、今回もこれに加えて完成後初の佐治川ダムからの事前放流を適宜行うなど、相当に的確な対応をしていたのですが、それでもこのような被害が出てしまうことに衝撃を受けています。災害発生の頻度が急速に上がり、復旧がやっと果たせたと安堵したらまた次の災害が発生するという事態となっており、ダムの能力向上や河川改修(それでも膨大な資金と長大な時間を要します)だけでは済まないのかもしれません。
 一昨年10月、横浜国立大学に日本初の台風研究専門機関である「台風科学技術研究センター」が開設され、台風制御の可能性を追求する「タイフーンショット計画」がスタートしたとの記事に接しました(雑誌「経済界」2023年10月号)。このような研究に対し、国家として可能な限りの支援をしていく必要性を痛感しております。
 ラジウム含有量日本一を誇る三朝町の三朝温泉では、名所である河畔の共同露天風呂や歴史的な建築で有名な大橋旅館の浴場が大きな被害を受けましたが、現地の方々やボランティアの皆様の懸命な努力により、9月初旬には河畔の露天風呂が再開されそうです。風評の払拭は容易なことではありませんが、嘆いてばかりいてもどうにもなりません。
 特産二十世紀梨のシーズンでもある鳥取の初秋は、本当に爽やかで素敵な季節です。全国の皆様、三朝温泉をはじめ、鳥取県は元気です!台風被害に負けずに頑張っている鳥取県に是非お越しくださいませ。

 昨日より福島原発のALPS処理水の放出が始まりましたが、これまた風評被害による水産物の価格が下落気味でいささか気がかりです。モニタリングを丁寧に行い、安全性を強く発信するとともに、価格に対する補償を迅速に実行することによって、漁業者の生活を守ることこそが政府・与党の使命です。中国の、ためにするとしか思われない輸入制限にも決して負けてはなりません。「漁業者に寄り添う」という言葉が実感していただけるように、最大限の努力を致してまいります。

 24日早暁の北朝鮮による衛星発射は、失敗に終わったとはいえ、我が国や周辺地域に対する大きな脅威です。同じ弾道ミサイルの技術を用いてはいても、ミサイルと衛星の発射とは大きく異なるものであり、国民に対する情報の発信にはより緻密さが要求されると感じております。宇宙空間で第一宇宙速度に達し、衛星となって地球を周回する軌道に乗るためには、弾道ミサイルとは初速等々が大きく違うはずで、「正しく怖れる」ためにもここをよく説明していく必要があります。
 一昨日午前4時からのニュースでは、沖縄県地方に向けて「頑丈な建物に非難し、近くにない場合は出来るだけ窓の近くから離れるように」との政府からの指示が繰り返されていました。ほかに手立てはなかったのでやむを得ないものだったのでしょうが、この指示の発信方法についても、一つ間違えれば大パニックにもなりかねないものであり、更なる工夫が必要です。大きな拒否的抑止力となるシェルターの整備の緊要性について、機運が高まるように努めてまいります。

 私の母校である慶應義塾高校が107年ぶりに優勝し(前回1916年は、慶應義塾普通部として第2回全国中等学校野球大会で優勝。甲子園球場はまだ建てられておらず、会場は豊中球場だったとか)、卒業生として本当に嬉しく思うとともに、半世紀も前の高校時代を懐かしく思い返したことでした。年間の半分近くがお休みで、特段の禁止事項はない代わりに自己責任が厳しく問われる、という実にユニークな(いい加減な?)学校でしたが、後輩諸君は文武両道に励んでいるようで、実に立派なものだと思いました。
 甲子園で流される「慶応高校校歌」は、幼稚舎(小学校)から大学院までの「慶応義塾塾歌」であって、「慶應義塾高校の歌」は別にあるのですが、結構いい歌なのに在校生の多くがその存在すら知らず、体育会の試合でもセレモニーでも全く歌われることのない、実に不思議な歌です。今は知りませんが、私が高校生時代、音楽を選択した者は一年生の4月にポピュラーな「塾歌」「若き血」「慶応賛歌」から「丘の上」「三色旗の下に」、果ては「福沢諭吉ここにあり」に至るまで、徹底的に慶應義塾の歌を教え込まれたもので(音楽の教師が女優の紺野美沙子さんの父上であったことは大学卒業後に知りました)、超マイナーな「慶応義塾高校の歌」が歌えるのはこのような人々に限られるのです。
 慶應社中総出の感もあった甲子園での応援ぶりがあまりに盛大かつ強烈であったことが一部で批判の対象となっています。神宮球場の春秋の早慶戦では当たり前の光景ですし、そこまで目くじらを立てることではないようにも思われますが、他人様に不快な思いをさせてはならず、品位の問題との指摘もあることですから、今後よく検討するに越したことではないのでしょうね。

 厳しい残暑が続いております。今年はこの時期になっても夏の終わりを知らせるつくつく法師の鳴き声が聞こえず、異様な感じがしております。夏の終わりの寂寥感が好きで、荒井由実の「晩夏 ひとりの季節」(1976年)を聴いてみたくなるのですが、晩夏も初秋もないままに季節が移っていくとすれば、なんとも味気ないことです。
 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2023年8月18日 (金)

台風被害など

 石破 茂 です。
 鳥取県東部における台風7号の被害に対するお見舞いを多くの方々から頂戴致しましたことに厚くお礼申し上げます。幸い、死傷者等の人的被害は今のところ報告されていないようですが(避難所で食べ物を喉に詰まらせて亡くなった高齢の女性が一名おられたのと、用瀬町で行方不明の方が一名おられます)、橋の流出、道路の崩壊、孤立集落の発生、収穫間近の二十世紀梨の落果等々の被害が発生しており、早急に対応すべく努力したいと思っております。
 今回、千代川(せんだいがわ)の氾濫を防ぐため、上流のダムからの放流を早めに行う措置(事前放流)も実施されたようですが、それでも被害を完全に防ぐことは出来ませんでした。建設省出身の亡父が、昭和33年から49年までの県知事在任中に随分とダムの整備を進めていたことを記憶していますが、近年の異常気象の頻発に鑑み、今後はダムの能力向上も図っていかねばならないように思います。
 近年の異常気象はおそらく温室効果ガスによる地球温暖化に起因するものと思われますが(一部に異説があることは承知しております)、この解決には時間を要し、その間の災害に対応することを考えると、防災インフラの整備だけでは不十分ではないでしょうか。中国やロシア、アメリカ等では気象制御の研究がかなり進んでいると聞いており、我が国においても研究の必要性が災害対策基本法に明記され、一部で進められているようです。先般、台風の進路を変更する研究についてご教示をいただいたことがあります。
 気象制御技術は活用次第では大きな軍事的脅威にもなり得るものであり、環境改変技術敵対的使用禁止条約には我が国も批准していますが、この分野についてさらなる知見をお持ちの方は是非お知らせくださいませ。

 

 数日のお休みの間、何冊か本は読んでみたものの、あまり目覚ましい成果が上がらなかったのは偏に怠惰と能力不足によるもので、深く反省しております。
 「課題図書」ではありませんでしたが、書棚の中から見つけた「山口多聞 空母飛龍に殉じた果断の提督」(星亮一著・PHP文庫・1998年)は示唆に富むもので、大変感銘深く読みました。本書の中で出てくる日米開戦直前の山口多聞と山本五十六との対話の場面は極めて印象的です。
 「負ける戦を何故やるのですか、司令長官、やめることは出来ないのですか」
 「外交はもはや無力だ。皆逃げておる」
 「そこを何とか」
 「それを言うな。君の命は預かるぞ。軍人は国家の命令には従わねばならぬ。仮に俺が止めても次が選ばれ、戦争に突入しよう。まだしも俺の方が、戦争を早く終結させることが出来るかもしれぬ。君は親父が島根だから分らぬだろうが、結局、明治という国のゆがみが一気に噴き出たんだ。無理に戦争を起こして、長岡や会津に攻め入り、略奪の限りを尽くした。そうして出来上がった明治国家が暴走したんだ。人の苦しみがわからない、そういう国を作ったんだ。俺は蔣介石の気持ちがよくわかる。その明治国家の後始末を、長岡の俺とか、仙台の井上(成美)とか、米沢の南雲(忠一)がやらされるんだ。盛岡の米内さんはつぶれてしまったがな」
 山本の眼に涙が光った。御前会議で開戦が決まったのだ。もはや火の玉となって真珠湾の攻撃に向かうしかない。
 「長官、やらせていただきます」
 山口は頭を下げた。

 

 小説ですから実際にこのようなやり取りがあったかどうかも定かではありませんが、開戦に至るまでの苦悩は察するに余りあるものがあります。随分の昔に読んだ阿川弘之の「山本五十六」「米内光政」「井上成美」の三部作をもう一度読み返してみたいと強く思ったことでした。
 また、これも「課題図書」外なのですが、お休み中に久しぶりに読み返した三島由紀夫の「午後の曳航」(新潮文庫)には、改めて強烈な衝撃を受けました。独創的なストーリーと絢爛豪華な文体は全く余人の追随を許すものではなく、本当の天才は、やはり三島だけだったのではないかと強く思います。

 

 残暑厳しき折、皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

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2023年8月10日 (木)

ソ連対日参戦記念日など

 石破 茂 です。
 昨9日は、昭和20年、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して我が国に宣戦を布告して満州国に侵攻した日です。多くの民間人を含む日本人が死傷し、約57万5千人が抑留され、5万8千人が死亡したとされています。
 昨日朝からの報道をすべて見たり聞いたりしたわけでは勿論ありませんが、長崎原爆の日はどのメディアも報道していたのに対し、この日はソ連が日本に攻め込んだ日であることを報道したメディアはなかったのではないでしょうか。反ロ感情を徒に煽るつもりはありませんが、ウクライナの情勢を踏まえて今後の日ロ関係を論ずる際に、近現代史を深く学ぶことの必要性を改めて痛感させられます。
 なお、満州国とは何であったのかを学ぶにあたり、満州からの引揚者であった故・なかにし礼氏の「赤い月」「夜の歌」などの一連の著作はとても有益なものと思います。「われ先に逃げたのはふんぞり返っていた軍人たちだった」「国家は国民を捨て、裏切ることがある」との言葉は、実際にこの過酷で悲惨な体験をした人でなければ語れないものであり、今を生きる我々は粛然とこれに耳を傾けなくてはなりません。
 「日本国憲法は最高の芸術作品であり、絶対に変えてはならない」とされた同氏の主張は私とは相容れないものでしたが、その考えが観念論や政治的ポーズではないだけに、一度お話を伺ってみたかったことでした。最晩年、ある雑誌を通じて対談のお申し出を頂いていたのですが、体調を崩されて実現が叶わなかったことが残念でなりません。
 朝鮮・平壌からの引揚者である五木寛之氏も同様の体験をされたのですが、それを描かれた小説は無かったように思います(わずかに1968年の「恋歌」に描かれていたかと記憶します)。「わが引揚港からニライカナイへ」(筑摩書房・2014年)というエッセイは引き揚げが主題のひとつのようなので、夏休みに是非読んでみたいと思っております。

 

 この夏は少しだけお休みが取れそうですが、このような機会でなければ読めない本をせめて数冊だけでも読みたいものだと思っております。遠大な計画を立ててもいつも計画倒れで、高校生の頃に読んだ柏原兵三の短編「短い夏」(1971年・文春文庫)の末尾の「計画したことの何分の一もこなせないまま、僕は秋の中にいた」という一節を思い出すのもいつものことですが。

 

 この夏、自民党議員の行動が様々に報道されております。党や国会の委員会の海外視察や研修には、私も当選期数の若い頃によく参加したものですが、編成される団によって随分と内容が異なっていたように記憶しています。
 すべての時間を公的なものに充てていたのかと問われると自信があるわけではありませんが、平成2年、当選2回生の頃、前年に総理を退任された竹下登先生が日仏議連の会長に就かれ、大統領はじめフランス要人との会談のために渡仏される際、随行させて頂いた時のことは強烈に印象に残っています。飛行機が成田を飛び立って水平飛行に移ったあたりで竹下先生の席に呼ばれ、「お前さんはフランスで何を勉強したいのか?」と訊ねられました。「フランスが核兵器を保有している理由について学びたい」旨お答えしたところ、「お前などでは無理だろうが、竹下さんがお願いすれば誰かしかるべき人が会ってくれるだろう」と仰り、実際にフランス国防省の責任者(たしか後に外相となったシュベルマン氏であったかと思います)との会合をセットしてくださいました。渡航費用等はおそらく議員連盟の積立金や竹下先生のポケットマネーで賄われていたのだと思いますが、「何を勉強したいのか」を数名の随行議員のすべてに訊ねておられたのを見て、本当に偉い方とはこういうものだと感銘を深くしたことでした。
 議員たる者、その言動に自重自戒しつつ、自己研鑽に努めなくてはならない、と改めて思っております。

 

 地元・鳥取ではあちらこちらで久しぶりの夏祭りや花火大会が開催され、コロナ禍で中止されていた三年間の鬱憤を晴らすかのようにどこもかなりの賑わいでしたが、監視員さんが足りないせいなのか、私が子供の頃は大賑わいだった海水浴場の多くが閉鎖されており、寂しい思いが致しました。「恋のバカンス」(1963年)や「天使の誘惑」(1968年)が大音量で流れていたあの昭和の光景が遠い夢のように思われます。

 

 酷暑が続きます。皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

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2023年8月 4日 (金)

「モーレツ社員」など

 石破 茂 です。
 ビッグモーターの兼重前社長のような経営者や上司は昭和の昔だけではなく、今も相当数いるに違いありません。兼重氏は今でこそ悪の権化のように言われていますが、この問題がここまで社会問題化するまでは、同氏を「一代で今日の会社を育て上げた伝説の名経営者」と称賛する提灯記事的な報道もかなりあったのではないでしょうか。そのような記事を書いたライターも、記事を掲載したメディアも今は全く知らぬ顔をしているのですから、世の中とはことほど左様にかなりいい加減なものです(ビッグモーターの顧客はネット利用率が低く、チラシなどの紙媒体やラジオによって情報を入手する中高年層が多いのだそうです)。

 私が銀行の新入行員だった昭和50年代には、「モーレツぶり」を絵に描いたような経営者や上司が確かに多く居たものです。部下たる我々は朝の8時前には出勤し、窓口業務をこなし、シャッターを降ろしてお客様が来られなくなった午後3時からは内部の業務が始まります。営業会議(「資金会議」と言っていました)は毎晩夜の9時頃からで、終電で帰る日も多くありました。労働組合が改善を要求などしようものならば、某支店長は「キミ達が無能だからこんなに遅くまで働くことになるのだ。銀行としてはキミ達に電気代と水道代を請求したい」と言い放ち、資金会議中の夜11時頃にサッと会議室のカーテンを開けて「見ろ、隣の太陽神戸銀行にはまだ灯りがついている。あそこにはまだカネがあるのだ。あの店が潰れるまでやって、やって、やり抜くのだ!」と檄を飛ばしたとか。まるで山崎豊子の小説「華麗なる一族」に出てくる阪神銀行池田支店のような世界が本当に展開されていました。しかしどんなに厳しい上司でも、本当に自分の出世しか考えていない人と、実は心の温かな人との見分けは自然とついていたように記憶します。
 名誉欲や出世欲に取り憑かれて、部下を踏み台にし、お客様をないがしろにする経営者や上司はどこにでもいますが、その暴走を止めるために存在している取締役会や公益通報者保護制度などが機能しなかったことが今回の問題の根底にはあるのでしょう。「結果がすべて」とばかりに組織内のプロセスを無視した意思決定がなされ、構成員が懲罰人事を恐れ、保身を図ってモノを言わなくなり、媚び阿るような者がトップを取り囲むような組織はやがて瓦解します。他人事と思わず、自民党がそうならないように努力しなければなりません。

 今年も夏の高校野球が甲子園で開幕しますが、この異常な酷暑の中、真昼間にドームでもない球場で開催するのはそろそろ考え直すべきではないでしょうか。夏休みだから今の時期なのは仕方ないとしても、ナイターにするとか(延長になると夜遅くなるからダメなのでしょうか?)、エアコンのついたドーム型球場に変更するとか、といった改善ができない理由は一体何なのでしょう?熱中症による事故が起きてからでは遅いと思うのですが、国民にこれほどまでに熱中症対策を呼び掛けているマスコミが、夏の甲子園だけは無条件に礼賛している様にはいつもかなりの違和感を覚えます。

 様々な事件の報道で「○○であることが捜査関係者への取材でわかりました」と言われることが多いのですが、「捜査関係者」はどこまで何を話してよいのでしょう?あの種の報道がある限り取材合戦は過熱するばかりでしょうし、「捜査関係者」の優越的な立場は変わらないのでしょうね。

 昨日夕刻から栄養教諭全国大会が鳥取市であり、帰鳥と上京を繰り返す週末となっております。頻繁に関わることのない政策分野でスピーチをする機会も、勉強になって有り難いものです。関連で調べていたところ、公立学校教員の精神疾患による休職者数は、2021年には5897名となり、1994年(1188名)の5倍になっているのだそうです。また、これと保育所児童数との相関係数は0.9で、直接的な因果関係があるとの仮説が唱えられているそうです。改めて子育て政策が色々な要素を含んでいること、それゆえの難しさを痛感しております。

 相変わらず酷暑の日々が続いています。台風の被害も心配なところです。
 皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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