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2023年10月27日 (金)

津島雄二先生ご逝去など

 石破 茂 です。
 最近、仕事関係の書籍や資料を読んでいると、ただでさえ回らない頭が痺れてきて、思考停止状態になってしまうことが多いのですが、そのような時は昔読んだ本を読み返すのが効果的なように思います。
 立原正秋や五木寛之、渡辺淳一の比較的初期の作品が好きなのですが、高校生や大学生の時に読んだ三島由紀夫の一連の作品を改めて読んでいると、あの豪奢で華麗な文章に魅了されてしまい、資料の精読に戻ることなくついつい時間が過ぎてしまいます。遺作となった「豊饒の海」四部作は相当に重いのですが、「美徳のよろめき」「女神」などは比較的気楽に読めますし、「午後の曳航」の強烈な恐ろしさは何度読んでも変わることがありません。
 三島が陸上自衛隊東部方面総監部で壮烈な自決を遂げたのは昭和45年11月25日のことで、当時中学2年生だった私にはその意味が全く理解出来なかったのですが、今週「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」(山本舜勝著・講談社刊・平成13年)を改めて読み返してみて、深く考えさせられるものがありました。著者の山本陸将補(故人)は三島が傾倒していた陸上自衛官だったそうですが、没後50余年を経て、三島の国家観、歴史観、皇室観が主観を排して客観的に語られるようになったのだと思います。混迷混濁の今の時代に改めてその思いを突き詰めて考えてみたいと思っています。

 

 今週は衆参両院本会議で総理の所信表明演説に対する質疑が行われました。総理が「経済、経済、経済」と連呼したのに対し、野党党首が「給付、給付、給付」「改革、改革、改革」「賃上げ、賃上げ、賃上げ」と連呼する様(さま)は、まさしくイメージ先行のワンフレーズ・ポリティクスを象徴しているようで、ストーリー性に欠けたあまり噛み合わない議論が展開されたのは残念なことでした。

 

 減税や給付の規模や対象ばかりが議論されていますが、この議論のそもそもの発端は総理が「経済成長の成果である税収増などを国民に適切に還元すべく対策を実施したい」と発言されたことにあります。基幹三税の税収増は物価高(消費税)、名目賃金の上昇(所得税)、円安による輸出企業の利益(法人税)によるものですが、物価高の影響は当然、税の対価としてのサービスを実施する政府にも及ぶのであって、サービスの水準を維持するとすれば、そこに「還元」する原資は存在しないのではないでしょうか。行政サービスの水準以上に税をとりすぎてしまったのなら当然「還元」すべきですが、今の状態はそれとは逆であり、加えて「異次元の少子化対策」「防衛費の大幅増」などの行政サービスに要する費用は増大するのですから、「還元」などしている余裕はないはずです。
 再三の指摘となって恐縮ですが、日本国憲法は税負担について応能主義をとっており、税負担能力の上がった個人(この10年で1億円以上の純金融資産を持つ世帯は81万世帯から149万世帯へとほぼ倍増しています)や、円安で空前の利益を上げている大企業などは担税能力があると考えるべきではないでしょうか。「富裕層や大企業が海外に逃避してしまう」とよく言われますが、本当にそうなのかはきちんとした検証が必要です。
 今までは需給ギャップの存在が経済対策を必要とする理由であったと思うのですが、直近で需給ギャップはプラスに転じているはずで、それでもなお経済対策を必要とする理由についても、わかりやすい説明が求められます。昨今の物価高は、大規模な金融緩和による円安、加えてウクライナや中東情勢の緊迫化によるエネルギー価格の高騰と、原発停止による輸入化石燃料の増大によるもので、短期的な減税や給付金で一時的な効果があったとしても、根本的な解決にはなりません。
 日本経済だけが成長しなかったのは、低金利、通貨安と低賃金によるコストカット経営を続けてきたからであり、かなりの期間、多くの人々がこれを是認してきたわけですから、払拭しようとすればそれなりの時間と負担がかかります。それでも我が国の将来を考えれば、日本は高付加価値型のモノづくりを真剣に追求すべきであり、そのための体制整備こそが必要なのではないでしょうか。

 

 かつて橋本内閣の時代、参院選において減税についての政府の説明が揺らぎ、国民の不信を招いて大敗を喫したことがありました。国民に対して、ストーリー性のあるわかりやすい説明が必要です。国民はその場しのぎの解決などは求めていないのであり、我々は国民に正面から向き合い、説得する姿勢を持たねばなりません。

 

 パレスチナ情勢が全く予断を許さない状況となっています。ラビン首相を暗殺して1993年のオスロ合意を無意味にしてしまったのは主にイスラエルの過激な勢力でしたが、今もその危険性がなくなったわけではありません。現ネタニヤフ政権には極右勢力も含まれており、司法に対する立法府の優先を認めるなど、かなりの危うさを感じます。イスラエル国内の政権基盤も弱体化しており、今回のハマスのイスラエルに対する攻撃は、この状況を見てのことなのかと思わされます。ネタニヤフ政権としては、ガザ地区に対する全面攻撃によってハマスを殲滅しない限り政権の維持が困難になるとの判断がありえますが、イスラエルの非を世界に知らしめることこそがハマスの本当の狙いだったのかもしれません。
 イスラエルのガザ地区に対する空爆は、自衛的な行為であるとされていますが、もしこれを国連憲章第51条に定められた個別的自衛権の行使とするなら国連安保理に対する報告が必要で、今回いまだに報告はなされていません。ハマスの行為はイスラエルにとっての9.11だ、というのもかなり皮相的であるように思われます。「天井なき牢獄」とも言われるガザ地区の封鎖も国際法的にかなり問題ですし、1948年の国連決議第194号で認められたパレスチナ人の「帰還権」についても、きちんとした整理が必要です。
 ユダヤのシオニズムとパレスチナの論理には「落としどころ」を見つけるのは困難ですが、イスラエルが1947年に国連によって建国された国である以上、この解決は国連の場でなされなくてはなりません。安保理の非常任理事国である日本国の果たすべき役割にも、大きなものがあるはずです。

 

 中国の李克強前首相が、突然の心臓の病で68歳で死去したことには、かなり異様な感じがしてなりません。7月には外相、先日は国防相が解任されていますが、中国共産党の内部で権力闘争が激化し、構造的な変化が起こりつつあるのではないでしょうか。ウクライナ、中東、北東アジアで起こっていることを俯瞰して、我が国が採るべき道について政府・与党内で徹底した議論が必要です。

 

 厚生大臣や自民党税調会長などを歴任された津島雄二先生が老衰のため逝去されました。極めて明晰な頭脳を持たれ、闊達で洒脱なお人柄がとても好きでした。出来れば自民党の政務調査会長や衆議院議長を務めて頂きたかったと思っております。御霊の安らかならんことを切に祈ります。

 

 今日から29日まで、豊洲のパークセンターにおいて東京味わいフェスタが開催されています。駒場学園高校のキッチンカーで東京の食材も使ったジビエバーガーが販売されており、ジビエ議連会長として試食に行ってまいりました。なかなかの美味で、お時間のあられる方はぜひお出かけください。
 皆様、よい週末をお過ごしくださいませ。

 

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2023年10月20日 (金)

谷村新司さん、岩國哲人先生ご逝去など

 石破 茂 です。
 谷村新司さんのご逝去の報に接し、いささか寂しい思いが致しました。享年74歳。御霊の安らかならんことを切にお祈り申し上げます。
 昭和23年のお生まれだったので私より少しだけ上の世代になりますが、大ヒット曲である「昴」(昭和55年)や「群青」(昭和56年)はもとより、「帰らざる日々」(昭和51年)や「秋止符」(昭和54年・作曲は堀内孝雄)の2曲がとても好きでした。私が大学生や駆け出しの銀行員だった頃で、今でもこれらの曲を聴くと夢があって甘く切なかった当時のことが鮮やかに思い出されます。「群青」は東宝映画「連合艦隊」の主題歌ですが、ラストの場面で流れるこの歌は哀切感に満ちて極めて印象的でした。当時はオフコースや風の全盛期で、LPレコードやカセットテープを買い求めてはよく聴いていたものです(CDがまだなかった時代です)。オフコースでは昭和55年発表の「時に愛は」、風では昭和51年発表の「ほおづえをつく女」が特に好きでした。ひとつの時代が終わりつつあることを実感せざるを得ませんが、アリスの堀内孝雄さんや矢沢徹さん、オフコースの小田和正さんや風の伊勢正三さんはまだまだ現役でご活躍中ですので、今後一層のご健勝を心より願っております。

 島根県出雲市長や衆議院議員を歴任された岩國哲人先生が6日、シカゴの病院で87歳で逝去されました。民主党副代表もお務めになっておられましたが、退任後、当時私が会長を務めていた自民党政務調査会の顧問にご就任頂きました。国際的な広い視野と卓越した見識をお持ちの方で、下野していた自民党の再生にお力を賜りたかったのですが、それを十分に生かせなかったことをとても申し訳なく思っております。どうか安らかにお眠りくださいませ。

 ロシアとウクライナの戦争の見通しが全く立たない中、ハマスのイスラエルへの攻撃とイスラエルの反撃がかつてない烈度で始まり、国際情勢は混沌と緊迫の度を増しています。バイデン大統領は「ハマスの攻撃は許されざるテロ行為」であり「これに報復するのはイスラエルの権利であるとともに責務である」「アメリカはイスラエルと共にある」と述べていますが、今回の事態を国際法的にどのように理解するべきなのか、段階を追って整理する必要があります。ハマスは国際紛争の当事者たりうる「国または国に準ずる組織(排他的な領土、アイデンティティを共有する国民、その地域を統治する機構の存在が国家の三要素)」ではありませんから、今起こっている事態はどんなに被害が甚大であっても国際紛争とは評価されず、イスラエルが行使できる権利は警察権であって自衛権ではない、というのが従来の国際法的な理解のはずです。

 9.11同時多発テロを仕掛けたアルカイーダも、領土も国民も統治機構も有さないため国際紛争の主体とは評価されませんでした。にもかかわらずアメリカは個別的自衛権の行使、NATO諸国はアメリカに対する集団的自衛権の行使と表明しました。これは、アフガニスタンのタリバン政権がアルカイーダを匿って、アメリカの警察権の行使を阻害していたので、これをまず打倒するための自衛権行使が正当化されるというロジックでした。しかし、ハマスと、パレスチナ解放勢力(PLO)の主要勢力で現在パレスチナ自治政府の政権を担っているファタハは対立関係にあり、今回この構図が妥当するとは思えません(ガザ地区においてハマスが政権を担っているとの見解があることは承知しております)。
 昨日の国連安保理事会で提出された「人道支援のための戦闘の一時中断の決議」はアメリカ一国の拒否権の行使によって否決され、その理由は「決議案の中にイスラエルの自衛権についての言及がない」というものでした。しかし、イスラエルが現在行使しているのは、果たして国連憲章が定める「自衛権」なのでしょうか?そして今後ガザ地区におけるハマス勢力を一掃するために行われるであろう実力行使においてもまた同様の論理が用いられるのでしょうか?
 面倒な法律論を持ち出すな、とのご批判を浴びそうですが、わが国が「国際法に基づいて外交政策を展開する」ことを標榜している以上、現状の法的整理はどの国よりもきちんと行わなければなりません。国際法を熟知していることが周辺国へのけん制ともなりますし、この点を詰めておかなければ、感情論に基づいた殺戮行為の限りない拡大を止めることはできません。21世紀のテロの恐ろしさは、従来は国家しか持ち得なかったような強力な破壊力を、テロリストやテロ組織が保有するようになった点にあります。20年以上前に自民党で憲法第9条の改正を議論した際、私は「憲法第9条第2項の全面改正は勿論のこと、1929年に発効した不戦条約をほぼそのまま書き写した第1項の『国際紛争を解決する手段としては』の部分も『侵略の手段としては』と改めるべきだ」と主張して舛添要一参院議員(当時)と大論争になったのですが、あの時もっと議論を詰めておけばよかったと悔やまれてなりません。いわゆる自衛隊明記案(第9条第1項、第2項はそのまま存置し、新たに自衛隊を明記する第3項を新設する)の提案者に悪意や邪気があったとは思いませんが、その場しのぎの不徹底な議論は必ず後世に禍根を残します。

 昨今の新たな経済政策の議論の中で「成長の果実を国民に還元する」とのフレーズが語られます。発端は9月25日に総理が「経済成長の成果である税収増を国民に適切に還元すべく対策を実施したい」と発言されたことにあります。しかし、税収増は本当に経済成長の成果なのでしょうか?本欄で何度か述べたように、名目賃金が上昇すれば実質賃金が上がらなくても所得税は増収となりますし、物価が上昇すれば消費税は当然増収となります。円安で大きなメリットを受ける一部の輸出大企業が増収・増益となれば法人税も増収となるのですが、これを「経済成長の成果」と言うのにはかなりの違和感を覚えますし、「国民に還元する」と言ったときの「国民」は現在の国民だけなのでしょうか。将来の国民のことは考えないのでしょうか。
 コロナ禍の3年間に講じた総額40兆円にもなる経済対策によって我が国の財政は極度に悪化し、いつかは必ず到来する次の経済危機の際の対応力は大きく失われつつあります。増税はいつの時代も極めて評判の悪いものですが、経済情勢の変化により税負担能力の高くなった世帯や法人に、応能負担の原則に従って相応の税負担増を求めるのは当然のことだと思います。
 憲法第14条が定める法の下の平等は実質的な平等を指すと解されるので、税負担が応能負担であるべき根拠はここに見出されるのですが、今の税制は必ずしもこの趣旨を体現しているとは言えません。税収増の部分は防衛費や少子化対策の財源に充て、税負担能力が増した層からの税収増分を低所得者層の負担減に充てるというのが一番すっきりした論理のように思います。「選挙を控えた人気取りの意図が見え透いた減税」「大企業と富裕層に奉仕する自民党」などという批判を浴びないためにも、応能負担の在り方について自民党内で徹底した議論が行われることを強く望みますし、自分としての考えをより精緻なものにまとめてみたいと思っております。

 今日の都心は爽やかな秋晴れの一日となりました。皆様よい週末をお過ごしくださいませ。

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2023年10月14日 (土)

イシバチャンネル第百三十八弾


イシバチャンネル第百三十八弾「沈黙の艦隊」をアップしました

ぜひご覧ください

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2023年10月13日 (金)

参議院徳島・高知合区選挙区補欠選挙など

 石破 茂 です。
 さる7日午後から8日午前中にかけて、10月22日投開票の参議院徳島・高知合区選挙区補欠選挙の応援で高知県安芸市、南国市、高知市へ行ってまいりました。
 自民党公認・公明党推薦の西内健候補は1967年生まれ、慶應義塾大学法学部法律学科の後輩で、三越に勤務した後、地元に帰り民間企業に勤務、四期にわたり高知県議会議員を務め、自民党県連幹事長など要職を歴任した後、今回の補選に立候補しています。演説の内容も立派で論旨も極めて理路整然としており、当選すれば良い議員として活躍することと思います。自民党議員の不祥事による辞職に伴うもので、当然まずお詫びから話を始めなければならないのが辛いところですが、様々な困難な状況を乗り切って当選してもらいたいものです。高知・徳島合区選挙区の皆様、どうかよろしくお願い申し上げます。

 

 「この海を渡ったら朝鮮半島」という我々山陰と「この海の向こうはアメリカぜよ」という高知とは多くの点で対極的なのですが、亡父が旧制高知高校出身だったこともあって、強いシンパシーを感じています。旧制松江高校、旧制姫路高校、旧制第六高校(岡山)と、近隣県にも旧制高校はあったのですが、「とにかく雪のないところに行きたかった」というのが高知高校に行った動機だったのだそうで、亡くなるひと月ほど前の昭和56年8月、風呂に入りながら「よさこい節」を歌っていたのが、私が父の歌を聞いた最初で最後の機会でした。人生の最後を間近にして、高知で過ごした青春の思い出に浸っていたのかもしれません。
 かつて南国市に所在した旧海軍航空隊の跡は現在、高知龍馬空港になっていますが、海軍の零戦、陸軍の「隼」や「飛燕」など戦闘機の多くを特攻作戦に投入したために残存戦闘機が少なくなり、ついには武装もほとんど搭載されていない練習機「白菊」まで特攻機として沖縄方面に突入させることとなり、その搭乗員はまだ17、8歳の若者であったそうです。250㎏爆弾を両翼下に装着した為に速度は180㎞しか出ず、鹿屋基地経由で出撃した白菊隊は夜間に低空から敵の意表を突く形で突入し、当初はある程度の戦果を挙げたものの、その後やすやすと撃墜され、26機52名の若者が沖縄の空に散華したとのことです。忠魂碑の建つ龍馬空港近くには航空機の掩体(えんたい)壕が残されており、戦争の悲惨さを今に伝えています。
 翌8日日曜日の朝は300年続く高知の日曜市を歩行遊説したのですが、その賑わい振りには心底驚かされました。午前6時から午後3時ごろまで、高知城下の追手筋の1㎞にわたって約300店が軒を並べ、果物、野菜、総菜、刃物、金物、植木等々多彩な品々が売られており、高知独特の「おきゃく文化(宴会大好き文化?)」と相俟って朝からほとんどお祭り状態、県内外から1日1万7000人が訪れるそうですが、熱気と明るさにただただ圧倒されてしまいました。これはなかなか他の地域が真似のできるものではありませんが、明るく楽しいことにどこか及び腰の私の地元でも取り入れられるものがないか、チャレンジしてみたいと思ったことでした。
 南国市は「土佐日記」を綴った紀貫之が第48代土佐国司として赴任した地です。任期を終えて都に帰るまでの55日間を、高知のおきゃく文化も交えて面白おかしく記した、今でいえば「旅日記ブログ」のようなものでしょうか。小学生の頃「『男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり』で始まる土佐日記の著者は紀貫之」と暗記しただけで、内容を全く読まなかったことを今になって後悔しています。

 

 ここ数日にわかに減税論が高まっていますが、どの層を対象として、どのような方法で減税するのか、空前の利益を上げている大企業や急増する富裕層などの担税力がある層に対する増税は全く議論されなくて本当によいのか、もう少し落ち着いて議論をしたいものです。成長の成果を国民に還元する、と言われていますが、この増収は本当に「成長の成果」なのでしょうか。名目賃金と物価が上がれば所得税と消費税が、輸出企業が円安で円換算した数字の上で増益になれば法人税が、増収になるのは極めて当然のことで、これを「成長の成果」と評価するのはあまり正確ではないのではないでしょうか。

 

 8日日曜日夕刻は、40年にわたって山形県議会議員を務められ、先帝陛下のご譲位に合わせる形で勇退された後藤源・元山形県議会議長の叙勲祝賀会に出席するため、米沢市に参りました。米沢女子短期大学の四年制大学への移行や、今や全国に1209ある道の駅の中で来客の満足度第5位となった「道の駅・米沢」の開業など多くの業績を残され、後進を育てる余力を持って勇退されたのは本当に立派なことだと思います。射水市の四方正治・元富山県議会議長もそうですが、地方議会には本当に立派な方々が多く居られることを改めて痛感しております。

 

 今日の都心は、秋らしい爽やかな天候となりました。来週はもう十月も半ばとなります。皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

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2023年10月 6日 (金)

食料自給力など

 臨時国会の召集日がほぼ10月20日に確定し、解散・総選挙の有無が取り沙汰されています。
 所信表明演説も行わないまま冒頭解散、などということはよもやないと思われますが、最低限、補正予算の成立までは解散・総選挙など行うべきではありませんし、国民の信を問うのであれば、防衛予算と少子化対策の財源をきちんと示したうえで問うべきです。
 増税分は国民に還元する、という減税話は一時的に好感されて支持を伸ばすのかもしれませんが、防衛にしても少子化対策にしても、政策が恒久的であるのなら財源も恒久的なものを併せて提示すべきもので、それを国民に向けて説明し、実行するのが責任政党の矜持というものではないでしょうか。名目賃金(実質賃金ではなく)や物価が上昇すれば所得税や消費税が、円安で輸出企業の円建ての利益が増加すれば法人税が増収になるのは至極当然のことで、税収が伸びた分は当面、防衛費や少子化対策(本来あるべきは「少母化対策」です)にこそ充てるべきであり、安易に減税に走るとますます将来の財政的自由度が失われ、目の前の人気取り政策と言われても仕方ありません。法人税減税にめぼしい意義は見出せず、もしも経済的格差の拡大を是正する方向性を考えるのであれば、消費税の逆進性の軽減を議論すべきではないでしょうか。

 かつての高度成長期の日本のような、「国内で作って海外に売る」というビジネスモデルには好循環が構造的に機能したが、これが近年のように「海外で作って海外に売る」という形に転換してしまうと、「成長するために国内の労働者に対する分配を減ずる」という手法に走る傾向があり、成長と分配とは循環よりむしろトレード・オフの関係にとなるのではないか、というのが社会学者の大澤真幸氏の主張です。
 「裕福な国の金持ちと貧困な国の労働者との間には利害の一致があり、そこから外されているのが裕福な国の労働者である。経済成長は前者を増すことになるが、後者はその恩恵を受けられない。成長すればするほど、裕福な国では格差が拡大する傾向にある。」
 「20世紀末以降のグローバル化した資本主義の下では、成長と分配はトレード・オフの関係にある。それなのにたいした策もなしに『成長と分配の好循環』をスローガンに掲げ、それを『新しい資本主義』と名付けるのは能天気であるという他ない」
 「日本がグローバルノースに属する他の国々と比べると今のところ格差が小さいのは、分配がうまくいっているからではなく、日本経済だけが成長していないからである」(以上、「『新しい資本主義』のその先へ」Voice・2023年10月号所載)。
 同氏はこのように述べた上で、インターネットなどを運営する巨大なプラットフォーマーがネット上で提供しているサービス空間を中世の荘園に擬え、「本来私的に所有されるべきものではないモノ(情報プラットフォーム)に私的所有権が打ち立てられているテクノ封建主義」の下で格差が極端に広がるのは当然であって、成長と分配のメカニズムを機能させるためには巨大なプラットフォーマーたちが持っている「デジタルな荘園」をコモンズとして開放する国際的なルールの確立が必要であり、日本は他国の指導者やステークホルダーたちと連携する外交を展開すべきであるとの結論を導いておられます。
 「Voice]のような雑誌にこういった論考が載ること自体、興味深いことだと思いますし、現状の分析はかなり的確であるように思われます。前回ご紹介した「お金の向こうに人がいる」(田中学著・ダイヤモンド社刊)もそうですが、斬新な視点の論考に接するのはとても知的にスリリングな体験です。

 次期通常国会に提出が予定されている「食料・農業・農村基本法」の改正では、「食糧安全保障の強化」が謳われるとのことですが、自給率の分母を「全ての国民が生存に必要とするカロリー」とし、どのくらい国内自給のみで持ちこたえるのか、想定する期間を明確にすることが極めて重要で、「銀座のネズミも糖尿病になる」などという飽食の食生活水準を分母に置くこと自体、非常識で不真面目です。自分に対する多大の反省を込めて言えば、防衛分野での「継戦能力」と同様、食料自給力(率ではありません)の内容を今まで精密に分析して真剣に考えてきたとは思われません。
 森喜朗内閣の農林水産総括政務次官(今の副大臣)在任中、分母の設定次第でどうにでも変わり得る「自給率」ではなく、農地面積、農業者の持続的な人口構成、農業インフラの整備率、反収などの技術をそれぞれ指標化し、これを総合した「自給力」を目標値とすべきであることを提唱したのですが、内閣退陣に伴う退任で具体化はしませんでした。
 多大の税金を投じてコメの生産を抑制し、米価を高く誘導して消費者に二重の負担を強いてきたにもかかわらず、自給率が低下し続けてきたことの検証も不可欠です。防衛大臣在任中に「防衛省改革」、農水大臣在任中に「コメ政策改革の方向」をそれぞれ文書として取りまとめて発表したのですが、どちらも当時に想定した地点にはいまだに至っていないことに忸怩たる思いです。防衛にせよ食料にせよ、安全保障についての議論を今度こそ避けてはなりませんし、たとえ既得権を侵害するとして不人気な政策であっても断固としてやり抜かなくては、将来の日本に禍根を残すことになります。我々は決して、人気取りや票集めを目標としてはならないのです。

 

 参議院高知・徳島合区選挙区の補欠選挙が22日に投票となり、衆議院長崎四区の補欠選挙も同日に予定されております。どちらも与野党一騎打ちの様相となっています。高野光二郎参院議員の辞職、北村誠吾衆院議員の逝去に伴うもので、どちらも元々自民党の議席だったのですが、情勢は予断を許さないようです。特に高知・徳島は合区の補欠選挙であることに加えて、自民党議員の不祥事が原因で行われる選挙という悪条件が重なっており、いままでのような「立憲共産党!」などという野党批判だけでは勝利は難しいと思います。私も明日6日には安芸市と南国市に参りますが、地元の課題を正確に把握したうえで、驕り高ぶることなく低姿勢に徹し、ひたすら謙虚に誠心誠意お願いする他はないと思っております。

 

 随分と昔のことで、覚えているのは我々衆院当選12回生以上しかいなくなってしまいましたが、平成元年6月の参議院新潟選挙区の補欠選挙で、自民党公認候補が、リクルート事件など当時の政治状況を厳しく糾弾する土井たか子社会党委員長のマドンナブームに乗った社会党公認の女性候補に惨敗したことが、その後の宇野総理の下での参院選大敗、宮沢内閣不信任案可決、自民党下野に繋がりました。参議院の補選を決して甘く見てはなりません。

 

 秋の爽やかさが感じられないままに、季節が初冬へと移ったかのような今週末の都心でした。今年もあと百日も残っておらず、時の経つのが加速度的に早くなる時期を迎えます。皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

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