北朝鮮の衛星技術など
石破 茂 です。
21日夜、北朝鮮が衛星を軌道に乗せることに成功したことにより、我が国周辺の安全保障環境はさらに悪化することとなりました。独自の衛星打ち上げ技術を保有する国としては11か国目となり、決して等閑視すべきものではありません。
私はテレビをあまり視ないのですが、21日夜のNHK第一放送はJアラートの内容である「北朝鮮からミサイルが発射されました。沖縄県の方は地下か建物の中に避難してください」というメッセージを繰り返して流していましたが、発射されたのは弾道ミサイルではなく衛星を搭載したロケットであったはずで、このメッセージの内容には強い違和感を覚えました。翌日には「弾道ミサイルの技術を用いた衛星の打ち上げ」と表現振りが変わりましたが、ここを混同すれば、日本に対する脅威の本質を国民が誤解することになってしまいますし、本当にミサイルが撃たれた時に国民が「慣れっこ」になってしまい、対応が遅れることにもなりかねません。「弾道ミサイルであれ衛星であれ、国連安保理決議違反なのだから同じことだ」というのは随分と乱暴な見解だと思います。発射された飛翔体がミサイルであった場合、初速や打ち上げ角度などから、それがどこにいつ着弾するのかを正確に割り出すことが可能なはずで、そうでなければミサイル防衛システム自体が機能しません。ミサイルなのかロケットなのかわからない、などといういい加減なシステムではないはずです。この点はずっと指摘し続けているのですが、一向に改められないことが不可解でなりません。
わが国がそうであるように、たとえ偵察衛星の打ち上げに成功しても、地上の情報を正確に撮影し、分析できるようになるには長大な時間を要します。高度にもよりますが、衛星が地球を回るのに数時間を要しますので、出来るだけリアルタイムに近く撮影するには複数機を打ち上げなくてはなりませんし、撮影した画像を分析するにも高度の熟練した技術を必要とします。二十数年も前のこと、自民党で情報衛星プロジェクトチームを立ち上げて、独自の情報衛星の保有の検討を開始した時、アメリカの当局者から「日本がそのようなものを持たなくてもアメリカの衛星情報で足りるはずだ。例えれば、アメリカの自動車を使えばよいのに、日本が独自の技術を持つために三輪車から始めるようなもので、無駄なことだ」と言われたことをよく覚えています。しかし、たとえ同盟国であっても一方的に依存する状態を続けるのはとても危険なことで、このようなアメリカの意向を退け、独自の衛星保有に踏み切る決断をした中山太郎プロジェクトチーム座長(元外相・今年逝去されました)は本当に偉い方だったと改めて思います。
やがて、おそらくロシアや中国の支援も得て、北朝鮮は高度な衛星情報の取得を可能とする技術を持つものと思われ、脅威の程度は更に上がることになります。我が国は未だに静止衛星である早期警戒衛星を保有していませんが、この保有・運用は喫緊の課題だと思っております。
明25日は三島由紀夫が昭和45年、東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部(現在の防衛省本省)で自決した日で、「憂国忌」として今も記念の行事が行われているようです。あの行動自体は否定されるべきものですが、三島由紀夫の思想については、もう一度よく検証し、考えてみる必要があるように思われてなりません。三島は自衛隊員たちに向けた「檄」の中でこう述べました。
「政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善のみに捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、(我々は)歯噛みをしながら見ていなければならなかった。
法理論的には自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、ご都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなしているのを見た。
自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであろう。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
今こそ我々は生命尊重以上の価値を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。我々の愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか」
当時中学生であった私には三島事件の内容がよく理解できなかったのですが、今この「檄」を読み返して、己を顧みて思うところが多々あります。三島の豪奢華麗な文学に酔ってばかりいてはならないと痛切に思います。
二子多摩川の玉川高島屋において、コント集団「ザ・ニュースペーパー」の福本ヒデさんの作品展が開かれており、日程の合間をみて行ってまいりました。古今東西の名画をもとに、政治を風刺する才能は天才的だと改めて感嘆した次第です。今回は「シゲルニカ」が秀逸でしたが、以前の作品「キョウサントウの日曜日の午後」(「グランドジャット島の日曜日の午後」をパロディ化した作品)は本当に大傑作だと思いました。才能のある方は本当に羨ましいです。
来週ははや師走となります。皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。