« 2023年10月 | トップページ | 2023年12月 »

2023年11月24日 (金)

北朝鮮の衛星技術など

 石破 茂 です。
 21日夜、北朝鮮が衛星を軌道に乗せることに成功したことにより、我が国周辺の安全保障環境はさらに悪化することとなりました。独自の衛星打ち上げ技術を保有する国としては11か国目となり、決して等閑視すべきものではありません。
 私はテレビをあまり視ないのですが、21日夜のNHK第一放送はJアラートの内容である「北朝鮮からミサイルが発射されました。沖縄県の方は地下か建物の中に避難してください」というメッセージを繰り返して流していましたが、発射されたのは弾道ミサイルではなく衛星を搭載したロケットであったはずで、このメッセージの内容には強い違和感を覚えました。翌日には「弾道ミサイルの技術を用いた衛星の打ち上げ」と表現振りが変わりましたが、ここを混同すれば、日本に対する脅威の本質を国民が誤解することになってしまいますし、本当にミサイルが撃たれた時に国民が「慣れっこ」になってしまい、対応が遅れることにもなりかねません。「弾道ミサイルであれ衛星であれ、国連安保理決議違反なのだから同じことだ」というのは随分と乱暴な見解だと思います。発射された飛翔体がミサイルであった場合、初速や打ち上げ角度などから、それがどこにいつ着弾するのかを正確に割り出すことが可能なはずで、そうでなければミサイル防衛システム自体が機能しません。ミサイルなのかロケットなのかわからない、などといういい加減なシステムではないはずです。この点はずっと指摘し続けているのですが、一向に改められないことが不可解でなりません。

 

 わが国がそうであるように、たとえ偵察衛星の打ち上げに成功しても、地上の情報を正確に撮影し、分析できるようになるには長大な時間を要します。高度にもよりますが、衛星が地球を回るのに数時間を要しますので、出来るだけリアルタイムに近く撮影するには複数機を打ち上げなくてはなりませんし、撮影した画像を分析するにも高度の熟練した技術を必要とします。二十数年も前のこと、自民党で情報衛星プロジェクトチームを立ち上げて、独自の情報衛星の保有の検討を開始した時、アメリカの当局者から「日本がそのようなものを持たなくてもアメリカの衛星情報で足りるはずだ。例えれば、アメリカの自動車を使えばよいのに、日本が独自の技術を持つために三輪車から始めるようなもので、無駄なことだ」と言われたことをよく覚えています。しかし、たとえ同盟国であっても一方的に依存する状態を続けるのはとても危険なことで、このようなアメリカの意向を退け、独自の衛星保有に踏み切る決断をした中山太郎プロジェクトチーム座長(元外相・今年逝去されました)は本当に偉い方だったと改めて思います。
 やがて、おそらくロシアや中国の支援も得て、北朝鮮は高度な衛星情報の取得を可能とする技術を持つものと思われ、脅威の程度は更に上がることになります。我が国は未だに静止衛星である早期警戒衛星を保有していませんが、この保有・運用は喫緊の課題だと思っております。

 

 明25日は三島由紀夫が昭和45年、東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部(現在の防衛省本省)で自決した日で、「憂国忌」として今も記念の行事が行われているようです。あの行動自体は否定されるべきものですが、三島由紀夫の思想については、もう一度よく検証し、考えてみる必要があるように思われてなりません。三島は自衛隊員たちに向けた「檄」の中でこう述べました。
 「政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善のみに捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、(我々は)歯噛みをしながら見ていなければならなかった。
 法理論的には自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、ご都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなしているのを見た。
 自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであろう。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
 今こそ我々は生命尊重以上の価値を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。我々の愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか」
 当時中学生であった私には三島事件の内容がよく理解できなかったのですが、今この「檄」を読み返して、己を顧みて思うところが多々あります。三島の豪奢華麗な文学に酔ってばかりいてはならないと痛切に思います。

 

 二子多摩川の玉川高島屋において、コント集団「ザ・ニュースペーパー」の福本ヒデさんの作品展が開かれており、日程の合間をみて行ってまいりました。古今東西の名画をもとに、政治を風刺する才能は天才的だと改めて感嘆した次第です。今回は「シゲルニカ」が秀逸でしたが、以前の作品「キョウサントウの日曜日の午後」(「グランドジャット島の日曜日の午後」をパロディ化した作品)は本当に大傑作だと思いました。才能のある方は本当に羨ましいです。

 

 来週ははや師走となります。皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

20231120_160327

| | コメント (10)

2023年11月19日 (日)

イシバチャンネル第百三十九弾「食料自給率」について

イシバチャンネル第百三十九弾「食料自給率」についてをアップしました

ぜひご覧ください

| | コメント (3)

2023年11月17日 (金)

緊急事態において衆議院議員の任期を延長する憲法改正の是非など

 石破 茂 です。
 11月10日から13日に行われた時事通信社の世論調査では、内閣支持率が前月比5ポイント減の21.3%、自民党支持率が1.9ポイント減の19.1%で、どちらも2012年12月の政権復帰以来最低となったそうです。
 政権復帰後に当選した自民党議員が、衆・参共に所属議員の半数を超えている中、このような逆境は彼ら・彼女らにとってみれば初めての体験なのでしょう。永田町は騒然とした雰囲気となっていますが、このような時に周到狼狽、右往左往して突如として政権批判を始めるような振る舞いは必ず有権者に見透かされます。「菅政権では自分たちの選挙が危ない」などと、党員投票で示された自民党員の意思をも覆すような形で岸田政権を選んだのですから、その責任は当然我々自民党所属国会議員が負わねばなりません。
 党の運営方針であれ政策であれ、おかしいと思うものは各種の会議で指摘すべきであり、自民党にはその仕組みが整っています。日本国憲法に定められている通り、国会議員は一人一人が「全国民の代表者」であって、そこに当選回数や年齢による差別的な扱いはありません。当選期数の少ない頃、大先輩の議員から「キミたちは地元に頻繁に帰れるし、まだ大した役職にも就いていないのだから選挙区の人たちも遠慮なく本当のことを言ってくれる。それを中央で発言することが大事なのだ。自分たちが一番国民に近いということを決して忘れるな」と教わったことがありますが、まさしくその通りだと思います。  
 政務三役が不祥事の発覚により辞任するという事態が相次ぎ、所沢市、立川市、青梅市など首都圏の地方選でも自民党系の候補の落選が続いています。内閣支持率の低下も確かに影響してはいるのでしょうが、このような時こそ、より丁寧に、地道に地元を廻らなくてはなりません。逆風下でも勝てる体制を作っておかなくては、時流に阿った発言や行動をしてしまい、政治を誤ることになりかねません。自分自身を顧み、自重自戒しながら日々を勤めていきたいものだと思っております。

 ガザ地区では凄惨な戦闘が続いています。軽々な判断は控えるべきですが、「国際人道法違反」と言うのなら(イスラエルもハマスも互いにそう主張しているようです)、いかなる行為が、どの国際法規の、どの条文に該当するのかを明らかにした上で、議論を精緻に詰めていかねばなりません。ジュネーブ諸条約は、加盟国に、その国民に対して、平時から条約の内容を教育する義務を定めていますが、我が国においてはほとんど行われていませんし、私も習った覚えが全くありません。「入試に出ないものは勉強しても仕方がない」ということで全く習わないことが多くありますが、少なくともこれは憲法第98条に定められた条約遵守義務と大きく乖離するものだと思います。

 今週の憲法審査会では、戦争、テロ、大規模自然災害などの緊急事態において、衆議院議員の任期を延長する改正の是非について議論が交わされました。解散によって衆議院議員は日本から一人もいなくなり、衆参同日選挙が行われた場合、選挙の日程によっては参議院の半分の議員しか国会議員がいないという事態も確かに起こり得るのですが、その場合でも参議院の緊急集会では何故駄目なのか、今一つ釈然としませんし、国民に改正の意義がよく伝わっていないように思われます。国民民主党の玉木代表は自民党の憲法改正に向けた姿勢を「やるやる詐欺」とまで酷評していましたが、先の国会休会中に自民党で憲法に関する会議が開かれなかったところを見ると、玉木氏の表現の仕方はともかくとして、全くの的外れとも言えなくなりそうです。
 どの党も反対しないと思われる「要求のあった日から20日以内の臨時国会の召集」(自民党憲法改正草案第53条)など、できる改正からまずやってみてはどうかとかねてより思っているのですが、なかなか賛同が拡がらないのは不徳の致すところです。

 先回「田中角栄100の言葉」新版の紹介をしたところ、いくつかの反応を頂戴致しました。当然のことながら随分と否定的な見解もありましたが、かつて大学生の頃、亡父から「お前は田中に会ったことがあるか。会ったこともない人間を新聞がこう書いている、テレビがこう言っているからと批判することがあってはならない。」と厳しく諭された時のことを思い出しました。もちろん誰にでもそのような機会があるわけではありませんし、公人たるものは批判されて当然の立場ではありますが、商業的なスタンスからの言動にはよく注意しなければならないと思います。

 先週の細田博之前衆院議長に引き続き、今週も保利耕輔元自民党政務調査会長、若林正俊元農水相と、お世話になった方々の訃報が続きました。農政の権威でもあった保利先生は、常に冷静沈着、本当にこの上なく誠実で真面目な方でした。出来ればご尊父・保利茂先生に続く、父子二代の衆議院議長になって頂きたかったと残念でなりません。晩年は憲法改正に心血を注がれた先生のご功績に、謹んで心よりの敬意を表します。
 今週末の都心は寒くて風の強い日が続きました。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

| | コメント (10)

2023年11月10日 (金)

細田博之先生ご逝去など

 石破 茂 です。
 油断は禁物ですが、コロナ禍も収束に向かいつつあり、鳥取県内でも4年振りに各種の会合やお祭りが開催され、どこも相当な賑わいです。久しぶりに対面で多くの方々と懇談する機会が出来てとても有り難いことなのですが、現政権に対する批判的な見方が多いことに驚かされます。年内の解散・総選挙は見送りとなるとの報道ですが、先延ばしをしている間に国民の不満が更に鬱積して、いつかは必ず到来する総選挙の機会に決定的な審判が下されないとも限りません。自民党議員は、とにかく選挙区を丁寧に歩き、街頭演説や小規模集会を繰り返して自分の支持を拡大する他はないのであって、選挙の厳しさを政権の所為にするのは責任転嫁というものです。政権が順風の時は誉めそやし、逆風になると一転して批判に転じるのはあまり感心致しません。いかなる逆風下であっても選挙はあくまで自分でやるものだと私はかねてより思っております。

 

 本日の総務会において新たな経済対策の柱となる補正予算案が承認されましたが、席上で幹事長も言及していたように、国民の皆様の理解は未だに不十分です。毎回指摘して恐縮ですが、物価高による消費税、名目賃金の上昇や株高による所得税、一部輸出関連製造業の好業績による法人税の増収によるところが大きい税収増を「経済成長の成果」とすることに対する疑念や、物価高の影響は行政サービスを提供する政府にも当然及ぶことを無視して「還元」とすることの疑問、物価高の主たる要因である円安に対してどのように対処するのか等々、人々が抱く素朴な疑問に正面から答える姿勢を持たねばなりません。不人気な政策を実行するときこそ、政府・与党は国民に正面から向き合い、わかりやすい説明に努めなくてはなりません。かつて福田康夫内閣で、インド洋の海上自衛隊による各国艦船への補給活動を継続するためのテロ特措法を延長する際、町村官房長官、高村外務大臣と共に防衛大臣として渋谷や新宿の街頭に立ったことを思い出します。動員したわけでもないのに多くの人が足を止め、聞いてくださった光景が忘れられません。決して逃げることなく国民に正面から向き合い、雄弁饒舌でなくとも誠心誠意説明すれば、多くの人にわかっていただけるはずです。

 

 国民はむしろ、負担の不公平さに違和感を持っているように感じます。純金融資産が1億円以上の「富裕層」はここ10年でほぼ倍増の148万世帯、全世帯の2.5%となっていますが、一方において資産がゼロの世帯は2人以上世帯の22%、単身世帯では33%を占めるに至っており、格差の拡大が近年鮮明になりつつあります。税を納める力のある人がそれに相応しい納税を果たすという、日本国憲法の定める「法の下の平等」に基づく「応能負担の原則」が我が国においてどれほど実施されているのか、きちんとした検証が行われなくてはなりません。「増税」と批判されてただ怯えることなく、あるべき公平な税制の姿を訴えることが肝要です。

 

 必要があって日本における医療麻薬の適正な使用について調べているのですが、国際麻薬統制委員会の統計によれば、日本の1日当たりのモルヒネの使用料はイギリス、アメリカ、カナダの約30分の1、フランス、ドイツの約20分の1から10分の1、イタリアの半分以下なのだそうです。医療用麻薬は医師の厳正な管理のもとに使用されるので、常習性による中毒などが起こるはずもないのですが、何故このようになっているのか、どうにも判然と致しません。40年以上前に亡くなった私の父は膵臓癌でしたが、亡くなる前の痛みは相当のものでした。日本の医療界では「1分でも1秒でも長く生かすことが医学の勝利」なのだそうですが、Quality Of Life という考え方をもっと生かすべきなのではないか、ととても疑問に思っております。
 高校生の頃に読んだ渡辺淳一氏の初期の作品である「無影灯」(1971年)の中に、主人公である癌に侵された医師が「医者は本来殺し屋なのだ。日本の大学医学部に死なせ方の講座はないが、もしあったら俺が教授になるのだった」と語る場面があるのですが、それ以来これがずっと気になっています。武谷牧子氏の日経小説大賞受賞作「テムズのあぶく」(2006年)にも、余命いくばくもない癌患者である機械メーカーのロンドン駐在員である主人公が、薬局でモルヒネの錠剤を購入して使用し、穏やかな最期を迎えるという場面が描かれますが、これを読んだ際にも同じ思いを抱きました。齢を重ねてくると、自分の周りにも亡くなっていく人がだんだんと見られるようになってきて、人生の終わり方についても、日本には突き詰めた議論がなお足りないことを痛感しています。

 

 前衆議院議長の細田博之衆議院議員が急逝されました。享年79。当選は私が一期上でしたが、隣県の島根選出でもあり、内閣や党の執行部で一緒に仕事をしたことも多々ありましたので、極めて残念に思っています。明晰な頭脳を持ち、常に冷静であった在りし日のお姿を偲び、御霊の安らかならんことを祈ります。
 島田三郎参院議員、竹下亘元総務会長、青木幹雄元参議院議員会長、そして今度の細田先生と、島根の政治家のご逝去が続き、とても寂しい思いが致します。山陰の田舎の想いを、我々残った者たちが受け継いでいかなくてはなりません。

 

 宝島社より「没後30年 田中角栄100の言葉」の新版が発刊されました。巻頭企画に私のインタビューも載っていますが、改めて田中角栄先生の一言一言の重さと温かさを感じさせられます。私は実際にご活躍されていた田中角栄先生を知る最後の議員として、魔神、鬼神、天才としか表しようのない先生の教えを現代に述べ伝える責任の一端でも果たしたいと思います。

 

 11月も半ばとなり、今週後半の都心はようやく寒さが感じられるようになった日々でした。
 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

| | コメント (18)

2023年11月 2日 (木)

野党質問など

 石破 茂 です。
 今週行われた衆・参両院の予算委員会を聴いていて、いつものことながら野党側の姿勢には強い疑問を感ぜざるを得ませんでした。政府・与党にとっては有り難いことではあるのですが、議論の場としての国会のあり方がこれでよいはずがありませんし、野党の追及があのように甘ければ、政府の側もこんなものだと高を括ってしまい、能力も低下して国民に対する緊張感も失われ、国家国民のためには全くなりません。
 最近昔話ばかりが多くて大変恐縮ですが、私が閣僚を務めていた小泉・福田・麻生内閣時代の野党の予算委員会での質問は、岡田克也氏、前原誠司氏、長妻昭氏等の名だたる論客が質問に立ち、一人が最低でも一時間、多いときは二時間近くの質疑時間を使って鋭い質問を政府に浴びせていました。我々閣僚は時計を見ながら早く時間が経たないかと念じていたのですが、そのような時にはなかなか時間が進まないように思った記憶があります。ベテラン閣僚の中には、わざと論点をずらしたりして時間稼ぎをするテクニックを得手とする人もいたのですが、時間が多くあるとこの技があまり効果を発揮せず、畢竟真剣勝負にならざるを得ませんでした。
 今週の野党質疑では、立憲民主党の逢坂誠二議員や、有志の会の吉良州司議員の質問が問題点を明確に突いたものでしたが、質疑時間が20分から30分という短さだったゆえに、議論が全く深まらなかったのは残念なことでした。
 これはすべて野党の責任です。野党全体では数時間の持ち時間があるのですから、質問者を質疑能力の高い議員ごく少数に絞り、数日をかけて質問を練り上げる努力をすべきです。自民党が野党の時は、論ずべきテーマや資質を問うべき閣僚などの目標を明確に定め、徹底的に民主党政権を追及し、それなりの成果を挙げたと自負しておりますが、今の野党にはそのような気魄が全く感じられません。それは予算委員会で総理に訊くことではあるまい、なんという勿体ない時間の使い方なのだろう、と今回も何度も思ったことでした。
 以前の国会がもう少しレベルが高かったように思うのは、単に議歴を重ねた者の懐古趣味だけではないように思います。中選挙区制時代のキメ細かな選挙区回りがあまり行われなくなったために有権者との意識の乖離が起こっているのかもしれません。アメリカ議会のような学級崩壊状態ではないだけまだマシなのかもしれませんが。

 

 「成長の果実としての税収増を物価高に苦しむ国民の皆様に還元する」というのが政府の経済対策の大きな柱であり、本日の総務会でもこれが了承されました。「税収増は『成長の果実』なのか」「物価高の主因は大規模な金融緩和による円安であり、当面減税などで対応しても根本的な解決にはならないのではないか」「物価高の影響は行政サービスの主体である政府にも当然及ぶのであり、『還元』する原資はどこに存在するのか」等々、世の中の人が抱く素朴な疑問は、予算委員会での質疑を聞く限り氷解されたとは思えず、ここを上手く説明しない限り国民の「なんだかよくわからないモヤモヤ感」は解消されないのでしょう。折角の政策が国民に支持されないのではどうにもなりませんので、本日の総務会でポイント案の早急な作成を政務調査会長にお願いしておきました。

 

 「異次元の金融緩和」は、カンフル剤的な効き目はあったとしても決して永続的なものではなく、円安はなお止まる気配がありません。かつてケインズは「社会の存続基盤を転覆する上で、通貨を堕落させること以上に巧妙で確実な方法はない」と述べたそうですが、我が国がその道を辿ることのないよう、我々は心して臨まねばなりません。

 

 パレスチナの状況は今週、より一層緊迫の度を高めています。ハマスのイスラエルに対するロケット弾の飽和攻撃に対してイスラエルが空爆で対抗するのは、国連憲章第51条の定めるものかどうかは別として、自衛権による措置ですが、そこには比例の原則が働かねばなりません。自衛権であれば何をやってもよいというものではないのであって、事前の警告(実効性が伴うもの)のない民間人の殺戮などは、国際人道法違反であると断ぜざるを得ません。イスラエルは「ハマスの攻撃はイスラエルの存亡に関わる脅威なので、子供を含む多くのガザ地区の民間人が死傷したとしても『過剰な被害』には当たらない」と主張していますが、これが国際法で禁止されている「集団的懲罰」に該当しないかどうかも含め、きちんとした検証が必要です。
 ジュネーブ条約などの国際人道法について、我々国会議員に知識がほとんど欠けていることは極めて問題であり、大いに反省しなくてはなりません。同条約はこの内容について国民に対する教育を行うことを定めていますが、日本では全くと言っていいほどに実行されていません。日本国憲法第9条第2項にいう「交戦権」とは「戦いを交える権利」ではなく、ジュネーブ条約などが定める「戦争におけるルール」のことだ、というのが政府解釈ですが、それをふまえて字面通りに読むと、「日本国憲法は国際的な武力行使の際のルールを認めない」という恐ろしいことを言っていることになります。このような規定を残して、自衛隊だけ明記すればよいという議論がいかに暴論であるか、改めて痛感させられます。

 

 今週の都心は夏日が戻ってきたような妙な天候が続きました。
 明日から三連休の方もおられることと思います。ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

| | コメント (12)

« 2023年10月 | トップページ | 2023年12月 »