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2023年12月23日 (土)

イシバチャンネル第百四十弾「2023年を振り返って」

イシバチャンネル第百四十弾「2023年を振り返って」についてをアップしました

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2023年12月22日 (金)

野党にはない財産など

 石破 茂 です。
 安倍派の閣僚、党役員が辞任し、後任人事として政調会長に昭和61年同期当選の渡海紀三朗代議士(元文部科学大臣)が就任致しました。近年でも特筆すべき良い人事だと思います。渡海議員は真摯で誠実、正義感の強い方で、お互いに若い頃は政治改革に奔走したものでした。私が総裁選挙に立った時は、厳しい状況にも関わらず、損得勘定抜きに推薦人となって全面的に支援してくださいました。長年の友情に報いる意味でも、出来る限りサポートしたいと思っています。
 衆議院国対委員長に浜田靖一前防衛大臣が就くのも、同様に大変良い人事と思っております。小泉内閣の防衛庁長官と副長官、安倍総裁の下での幹事長と幹事長代理と、共に仕事をしてきましたが、見識、胆力ともにとても素晴らしい方で、来年の通常国会を乗り切る意味でも最適任です。

 平成元年5月23日に党議決定した「政治改革大綱」冒頭の「現状認識」は「リクルート疑惑をきっかけに国民の政治に対する不信感は頂点に達し、我が国議会政治史上、例を見ない深刻な事態を迎えている。特に厳しい批判が我が党に集中している」「今こそ事態を深刻かつ率直に認識し、国民感覚とのずれを深く反省し、『政治は国民のもの』との立党の原点に返り、党の再生を成し遂げなくてはならない」「国民の政治に対する信頼を回復するためには、今こそ自らの出血と儀性を覚悟して、国民に政治家の良心と責任感を示す時である」と記します。残念ながら、この「リクルート疑惑」を「パーティ券疑惑」に置き換えれば、今でもこのまま通用するものです。
 この文章に示された悲壮な思いを、今の我々はどれほど持っているでしょうか。私自身、長くこの文章を読み返すこともなく、ここに記されたことの多くを実践もせずに今日に至ってしまったことを深く反省するばかりです。自民党はこの政治改革大綱の精神に立ち返るべく、所属全国会議員がこれを読み、拳拳服膺することから始める必要があるのではないでしょうか。当時の我々若手議員の精神的支柱であり、これを起草された伊東正義先生も後藤田正晴先生も亡くなられて久しいのですが、歴史と伝統のある我が党だからこそ先人の思いを受け継ぐことが出来るのであり、これが野党にはない財産です。

 若手のみならず多くの自民党議員が選挙区で批判され、厳しい立場に置かれています。ここ数日、地方の自民党関係者から電話やメールを頂戴するのですが、離党する党員が増えているとのことです。総裁の「火の玉」発言を受けて、党が何かしなければ、批判が収まることはなく、支持率が更に低下することが懸念されます。
 今年で没後30年となる田中角栄先生は「あの戦争に行ったヤツがこの世の中の中心に居る間は日本は大丈夫だが、そうでなくなった時が怖い。だからよく勉強してもらわねばならない」と仰っておられましたが、歴史の教訓を伝承することの重要性は今回の事態においても同様です。

 今改めて政治改革の嵐が吹き荒れた1988年から1992年当時を振り返ってみると、いかに内外共に激動の時代であったかを再認識させられます。国内にあっては昭和天皇が崩御せられ、内閣は竹下、宇野、海部、宮澤と目まぐるしく替わり、消費税導入と政治改革で政治は激動、国外にあっては天安門事件、ベルリンの壁崩壊、マルタ会談による冷戦の終結(1989年)、イラクのクウェート侵攻、東西ドイツの統合(1990年)、湾岸戦争勃発、ソビエト連邦崩壊(1991年)など、まさしく歴史的大変革の時代でした。あの時以上とも言える今の歴史の変わり目に、我々が果たさなければならない責任は、あの頃よりもさらに重いものです。

 来年には地方選挙が540ヵ所以上で行われるのだそうですが、自民党を支えているのは地方組織であり、我々党中央にある者はこの重要性をもっと強く認識すべきです。昨日岸田総裁は青年局に対して、青年層の意見を把握し、報告するように指示したとのことですが、青年局の役員を務める国会議員は25名しかいないのであって、この指示は党所属全国会議員に対してなされるべきものです。
 各種世論調査で内閣支持率のみならず、党の支持率も低下傾向にあることが報道されていますが、これに右往左往してはなりません。このような時こそ、国民有権者に正面から向き合い、その意見を聴き、訴えるべきことを誠心誠意述べねばなりません。

 街はクリスマスの飾りつけで溢れていますが、ウクライナ・ロシア戦争も、パレスチナ・ガザ戦争もその根底には宗教的な対立があることに思いを致すべきではないでしょうか。お祭りムードに浸るだけではなく、宗教についての知識をきちんと持つ努力をしなくてはならないと痛切に思います。

 クリスマスの時期になると、大好きな作品であるО・ヘンリーの短編小説「賢者の贈り物」を読み返したくなります。文庫版で容易に入手できますので、もしまだお読みでない方がおられましたら、是非ご一読くださいませ。

 寒波の襲来、皆様、ご健勝にて良い週末をお過ごしくださいませ。

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2023年12月15日 (金)

政治改革大綱など

 石破 茂 です。
 リクルート事件が発覚したのが昭和63年。翌平成元年1月に自民党政治改革委員会(後藤田正晴委員長)が初会合、3月には3日間にわたって全所属議員参加の討議を行い、5月に政治改革大綱を取りまとめ、6月には政治改革推進本部(伊東正義本部長・後藤田正晴本部長代理)が発足し、政治改革の推進に向けた議論が白熱していきました。伊東・後藤田という見識の高いツートップの下に羽田孜選挙制度調査会長がおられ、武村正義、鳩山由紀夫、園田博之、渡海紀三朗、三原朝彦、北村直人各代議士などの「ユートピア政治研究会」の当選一回生が集って連日侃々諤々の議論を戦わせ、政治改革推進本部で論陣を張っておりました。
 金丸信副総裁、梶山静六幹事長、佐藤孝行総務会長などの当時の執行部から叱られて意気消沈して政治改革本部に戻ると、今度は伊東本部長から「毎週地元に帰れて、まだ役職らしい役職にも就いていないのだから有権者から本音を語ってもらえるキミたちが国民の一番近いところにいるのだ。そのキミたちが頑張らないで政治改革が出来るはずがない!」などと厳しく叱られたものでした。
 伊東先生は「キミたち、しっかりしろ!今から海部総理に電話しておくから、官邸に行って総理に決意を伝えてきなさい!」と何度か仰いました。海部総理と対面した時、鳩山由紀夫代議士が議員バッジを外して「総理、我々はこのような決意です。どうか政治改革を断行してください」と発言し、我々もそれに倣いました。若さゆえのヒロイックな思いもあったのでしょうが、自分たちがこれで議席を失っても構わないとの悲壮な思いは本物だったように記憶します。皆、思わず涙ぐんでしまったあの時のことが、まるで昨日のことのように思い出されるのに、あれから三十余年、伊東先生や後藤田先生のような存在とは遥かに遠い自分を思い、その至らなさを恥じ入るばかりです。

 政治改革推進本部の会合で、我々は「小選挙区の導入こそが政治改革の決め手だ」との論を展開したのですが、中選挙区論者の小泉純一郎先生から「小選挙区を導入すれば、首相官邸と党本部の言うことしか聞かないつまらない議員ばかりになる」との反対論が述べられました。「官邸や党本部が間違っていたらそれを指摘するのが自民党議員の矜持だ」と反論した際、小泉先生がニヤリと笑って「キミたちはまだ政治家という人間を知らないね」と仰った場面は今もはっきりと覚えています。
 政治改革大綱は「自民党は出血と自己犠牲を覚悟すべき」という悲壮な決意の下に起草され、総裁をはじめとする主要党役員や閣僚の派閥離脱、閣僚や派閥のパーティ自粛、政党への資金の集中、政党法の制定など、それまでの自民党では考えられなかったような画期的な内容となりました。しかし、その後に発足した政治改革推進本部の議論は、小選挙区制導入派対中選挙区制維持派の論争に特化してしまい、政治資金についても最低限の透明性の確保や寄付の上限規制などは行われたものの、印象としては政党助成制度の導入だけに終わってしまったように捉えられ、これが「小選挙区制になったのに政治はかえって悪くなった」という思いを世の人々が抱くようになった原因だったとも思われます。

 宮沢内閣不信任案が可決され、解散・総選挙で自民党が過半数を割って下野、その後誕生した細川政権の下で政治改革国会が開かれ、私は野党の自民党議員として政治改革特別委員会で質疑に立ちました。「選挙制度だけを変えて、地方分権も進まず、政党法も制定しなければ、小選挙区制度の悪い面が出てしまう」という趣旨を細川総理をはじめとする関係閣僚に質問したのですが、本質的な答弁は全く得られず、大いに失望するとともに、今後の行く末に不安を感じたものでした。残念ながらその危惧が現実のものになりつつあります。

 今日の自民党の惨状は、政治改革大綱の精神を忘れてしまったことに起因するように思われますが、あの時のことを憶えているのは我々当選12回以上のごく少数の議員に限られます。私自身、この内容を忠実に実践してはきませんでした。小泉・福田・麻生内閣には派閥に籍を置いたまま入閣しましたし、幹事長として党の実務をお預かりした時には、派閥こそ離脱したものの、政治改革大綱を党内に徹底することも致しませんでした。慙愧に耐えず、深く反省することしきりです。
 岸田総理・総裁が昨日の記者会見で「火の玉になって政治改革の先頭に立って戦う」との決意を示したのですから、これを受けて自民党はきちんとこれに対応し、決意を具現化する体制を早急に整えなければなりません。昨日の総務会で、新しい政治改革本部を立ち上げ、政治改革大綱を読み直すことから始めるべきと提案しましたが、執行部がこれに応えてくれることを切に望みます。

 新閣僚の就任にも、代り映えしない、などとの批判がありますが、顔ぶれは人格識見ともに優れた人選で安堵しております。
 予算や税制の会議を終えた今夕の永田町には、今後何が起こるのかをじっと見つめているような、不気味な静寂が漂っています。
 今年も余すところあと僅かとなりました。皆様、どうかご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2023年12月 8日 (金)

政治改革と「政治とカネ」など

 石破 茂 です。
 自民党の政策集団(派閥)のパーティ券売り上げ収入の処理について、「政治資金集めに名を借りた裏金作りではないか」との批判が高まり、岸田自民党総裁は各派閥に対して実態を調べるように指示し、自身も派閥を離脱することを表明したとのことです。
 「カネのかからない政治」と言うのは綺麗事で、民主主義を維持するには当然それなりのコストがかかります。スタッフ(私設秘書)の給与、選挙区内に複数ある事務所の家賃、水道光熱費、有権者に対する事務連絡や活動内容を知らせるための郵便代や電話代、数台ある車の維持費、集会を開催するための諸経費等々は、国から支出される文書通信費や政党助成金だけで賄えるものではありません。本社が地元にあり、東京支店が一か所、地方の支店が数か所あって、従業員が十数人の小企業をイメージすればわかりやすいのではないでしょうか。不足分は企業・団体から頂く浄財やパーティ収入、更には政治家個人の支出で補わなければ、やってはいけません。

 リクルート事件を契機として自民党批判が高まり、政治不信の嵐が吹き荒れた1988(昭和63)年9月に、当時の当選一回生10名で、武村正義代議士を座長として結成した「ユートピア政治研究会」では、それぞれが選挙区でいくら使っているのかを調べ、平均が1億円弱という金額に改めて愕然としたところから始まりました。侃々諤々の議論の末、党内同士討ちでカネのかかる中選挙区制度を小選挙区制に改めるとともに、定数是正、選挙の公営化、資産やパーティ収支の公開を柱とする「政治改革の提言」を取り纏めて、同年12月に安倍晋太郎幹事長をはじめとする当時の自民党執行部に提出したのでした。
 あれから35年、選挙制度の改革など提言のいくつかは実現したものの、再び「政治とカネ」の問題が噴出し、政治不信が高まりつつあるのには、強い既視感に近いものを覚えます。「ユートピア政治研究会」という願望を込めた名称は逆説的な意味で名付けたのですが、やはり「ユートピア」は存在しなかったということでしょうか。

 岸田総裁は自身の派閥離脱、派閥の資金パーティ・忘年会・新年会などの開催自粛などを打ち出されましたが、残念ながら問題の本質的はそこにはないように思います。総裁が派閥を離脱するのなら、党の四役をはじめとする主要役員全てがそうしなければ意味がありませんし、パーティそのものが悪いのではなく(利益率が90%などというのは対価性の観点からいかがなものかと思いますが)、その収支の明確性の確保こそが求められているのです。ゆえに、「検察の捜査の支障になってはいけないのでお話し出来ない」という理由は納得感を得られるとは思えません。当選回数が少ないなどの理由で資金力に乏しい議員は派閥からの資金援助に多くを依存していると思われますが、彼らは今後どうなるのか、閣僚は在任中大規模なパーティは開催しないとの大臣規範は形骸化していないのか、など問題は多々あります。

 30年前に我々が目指したのは、「カネのかからない政治」ではなく、「カネに左右されない政治」(国民有権者の声よりカネを出してくれる企業や個人の言うことを聞くような政治にしないこと)と「世襲、官僚、資産家、タレントでなくとも意欲と能力のある人が政治家になれる制度」の実現でした。
 私は政策集団としての派閥を否定する者では全くありません。一般の企業であれ、新聞社やテレビ局などのメディア、官庁、大学であれ、あらゆる組織には必ず派閥が存在しますし、人が三人いれば必ず派閥は出来るのです。ですが自民党の場合には、「領袖を総理総裁にする」「よりよい政策を作るため研究する」「選挙で互いに助け合い、グループ全員の当選を目指す」という明確な目的があるべきだと思います。
 かつての「三角大福中」時代はまさしくその通りで、私が事務局に籍を置いていた田中派(木曜クラブ)はその典型でした。派閥と全く同じメンバーで「新総合政策研究会」という政策勉強会を定期的に開催し、私はその事務方も務めました。講演や質疑応答を当時のワードプロセッサーで文字化したのは、とても勉強になりました。これらの要素を欠いてしまえば、派閥は単なる資金とポストの配分機構になってしまいます。カネを配り、所属議員を大臣などの政府の役職や党役、政務調査会の役職に就けることだけが政治力なのではありませんが、その意味であるべき派閥の姿を目指した水月会の試みが挫折したのは、多分に私の能力不足によるものではなかったかと反省しております。
 本日の予算委員会のみで国民の疑念が払拭されるはずがありません。事実の解明を検察の手に委ねるのではなく、自民党から積極的に明らかにすることによって、初めて国民の信頼を繋ぎ止めることが出来るのだと思っています。

 今週、今国会最後の衆議院憲法審査会が開催され、自民党においても憲法改正実現本部の総会が岸田総裁の出席のもとに開かれました。「憲法改正に向けた機運が盛り上がりつつある」との党の見解が示されましたが、果たして本当にそうなのでしょうか。衆議院の討議では、有事や大災害などの緊急事態の際に衆議院が解散されて不存在の場合、参議院の緊急集会だけでは二院制である国会の本来の機能が果たせないので、衆議院議員の任期が延長できるような憲法改正を行うべきとの議論が行われていますが、自民党内でも衆議院と参議院の見解に齟齬があるような状態で本当に岸田総裁の任期中に発議まで漕ぎつけられるのか、相当に困難なように思われます。諸外国にほとんど例を見ない参議院の緊急集会の持つ意味をもう一度よく勉強してみなくてはなりません。

 いずれにせよ、臨時国会は来週水曜日に閉会となります。来週は相当な荒れ模様も予想されますが、冷静さを失うことなく、努めてまいりたいと思います。皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2023年12月 1日 (金)

ムッちゃん平和像など

 石破 茂 です。
 今週11月27日(月)は、大分県の異業種交流会「志士の会」において「日本の危機」との演題で講演して参りました。
 昭和20年8月15日、昭和天皇が玉音放送でポツダム宣言を受諾する旨仰せられた4時間半後、第5航空艦隊司令長官・宇垣纏海軍中将は11機の艦上爆撃機「彗星」を率い、大分海軍航空基地から沖縄方面に最後の特攻に出撃、還らぬ人となりました。迂闊にも私はこの出撃が鹿児島県の鹿屋基地からなされたものだと思い込んでおりましたが、鹿屋基地が激しい空襲によって機能喪失状態となっていたため、第5航空艦隊司令部は8月3日に大分基地に移転していたことを今回初めて知りました。大分航空基地の跡地である大洲総合運動公園(旧大分空港)には「神風特別攻撃隊発進之地」と揮毫された慰霊碑が建っています。
 玉音放送後の宇垣中将の行動は、停戦命令後の理由なき戦闘行為を禁じた海軍刑法第31条違反ではなかったかとの見解がある一方、玉音放送は停戦命令ではなく、8月16日午後4時に軍令部総長より各司令長官宛に発せられた戦闘行為の停止を命令する大海令第48号が正式な戦闘停止命令であり、それまでは戦闘は法的にも続いていたとの見解、或いは9月2日の東京湾上のミズーリ号艦上での降伏文書の署名が戦争の終結である等々、様々な見方があります。
 8月15日から9月2日までの日本軍の行動、特にソ連軍に対するものについてはもう一度精密な検証が必要ですし、「軍刑法」の存在しない自衛隊の行動についても、どこまで詳細な規定があるのか、整備する必要の要否、またその内容等々について早急な作業が必要です。本来は有事法制制定の際に行っておくべきことでしたが、そこまでに至らなかったことを大いに反省しております。

 

 宇垣中将の行動は、「責任者の責任のとり方」を考えるにあたっても極めて示唆的です。大東亜戦争・太平洋戦争において、本来誰がどのような責任を取るべきだったのか検証もされず、誰がどのような責任を取ったのかについても極めて曖昧なまま、今日に至っていることが、日本社会の現状の根本にあるように思われてなりません。
 国会においても「責任を痛感する」「責任は私にある」とのフレーズは多用されていますが、「このような形で責任を取る」との言葉はあまり発せられた記憶がありません。我が身を顧みて、反省するところが極めて大であることを思います。

 

 大分市の平和市民公園内のわんぱく広場には「ムッちゃん平和像」があります。今年8月2日には4年ぶりに第40回となる大分市主催の「ムッちゃん平和祭」が3000人の参加を得て開催されたとのことですが、これまた不覚にも、この存在も知りませんでした。
 この「ムッちゃん」のお話(原作は「ムッちゃんの詩」・中尾町子原案・山口書店・1982年。関西共同映画社による映画化は1985年)は、多くの戦争悲話の中でも、その悲惨さと愚かさを強く訴えるという点において際立ったものです。私は単なる感情的な「反戦平和」論に与する者ではありませんし、真に「反戦平和」の立場に立つには軍事について知ることこそが必要なのだと思っておりますが、だからこそこのお話は多くの日本人が知るべきものですし、世界に向けても発信せねばならないと痛感します。出来れば小学校の副読本として使ってもらいたいものですが、概要はネットで検索できますので、是非ご覧になってください。

 

 今年、広島市の平和教育副教材から、被爆体験を基にした中沢啓治作の漫画「はだしのゲン」が削除されました。この正確な経緯は知る由もありませんが、仮に一部で指摘されているように「保守系」の方々からの「サヨク的でけしからん」「日本人を貶めるものだ」というような主張があったとすれば、あまりにも狭量だと言わざるを得ません。自分たちだけが正しいと思い込み、それに反する立場を口を極めて非難して排斥するのは決して「保守」ではありません。
 「はだしのゲン」には、戦争に懐疑的な主張をする人を「非国民」と決めつけて排斥しながら、敗戦後は「私はもともと戦争に反対だった」などとぬけぬけと主張して市会議員となる鮫島伝次郎なる町内会長が登場しますが、この鮫島伝次郎的な人物は今の日本人にも多くいるという古谷経衡氏の所説は、まさしく然りと思います。「ムッちゃん平和祭」が大分市の主催で開催され、子供たちが多く参加していることに、安堵する思いがしたことでした。

 

 11月29日、鹿児島県屋久島沖に米軍横田基地所属のCV-22オスプレイが墜落した事故で、防衛省は当初これを「不時着」として発表し、防衛副大臣は緊急会見で「米軍パイロットが最後の最後まで頑張って(陸上の民家に墜ちないように)コントロールしていたのだから不時着水」と述べていたのですが、翌日になって「墜落」に改めました。同様の事故は2016年12月13日にも沖縄県名護市沖で発生しているのですが、この時も防衛省は当初、事故ではなく不時着として発表していました。
 先週、「北朝鮮の衛星打ち上げ」を「北朝鮮からのミサイル発射」と発表してJアラートを鳴らしまくり、翌日になって「弾道ミサイル技術を用いた衛星の打ち上げ」と訂正したうえ「軌道に乗ったかどうか確認できない」としていたのを、24日になって防衛大臣が「何らかの物体が地球を周回しているのを確認した」と述べたのも全く同じ構図です。事実を矮小化し、相手を侮るような発表手法であれば、戦前に「鬼畜米英怖れるに足らず」と侮り、戦局が悪化すると事実と異なる発表をして国民に真実を隠した大本営発表と本質的に変わるところがないと批判されても仕方ありません。日本はかなり危険な局面にあるように思えます。

 

 19年前の2004年8月13日、沖縄国際大学構内に米軍のCH-53Dヘリコプターが墜落した際、私は防衛庁長官在任中でした。消火作業終了後に米軍が現場を封鎖し、機体が搬出されるまで日本の警察も消防も一切立ち入れなかったことをよく覚えています。地位協定の壁によるものでしたが、その後日米ガイドラインの改定や運用の改善など、どのように行われ、今はどのような対応が可能なのか、再検証してみる必要があります。今回オスプレイが墜落したのは日本国の主権が完全に及ぶ領海上であり、捜索・救難には主として海上保安庁が当たっています。機体の引き上げや原因究明にあたり、この点はよく注意しておかねばなりません。

 

 師走に入り、日々慌ただしさが増してまいりました。皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

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