イシバチャンネル第百四十一弾「2024年辰年」
イシバチャンネル第百四十一弾「2024年辰年」についてをアップしました
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石破 茂 です。
「派閥」は「政策集団」として位置付けられ、政策の研究、人材の育成、資金集めと配分、選挙の支援、政府や党のポストの配分などの役割を担ってきましたが、今回の政治刷新本部の議論において、今後「派閥」は「カネと人事」には関与せず、純粋な「政策集団」としてのみその存在が認められる方向となりました。
「派閥」の本質がカネと人事を手段とする「権力獲得集団」であったことは事実です。派閥の決定に忠実に従った者には論功行賞としてポストが配分され、政府や党で己の積んできた研鑽を生かして働くことが出来、有権者の期待にも応えることが出来るという、それなりに合理的なシステムではあったのだと思います。ただ、派閥の会長を党の総裁選挙において総理総裁とすべく争う、というところからずれていって、派閥にとって「有益な」候補者を派閥全体で当選させる、ということになってくると、時として党員や国民の意思と乖離した総理・総裁が選出されて政権を担うことになり、国民には「どうせ国会議員がその利害によって選んだ総理・総裁なのだから」という冷めた意識が生じ、結果として諦めと無力感に満ちた空気が醸成されてしまったことは否めません。それは国民の責任では全くなく、偏に我々自民党の責任です。
昨日の総務会において刷新本部の中間とりまとめが審議された際、概略以上のようなことを申し述べました。
平成元年6月、竹下登総理・総裁の退陣に伴い、中曽根派の宇野宗佑外相が後継総裁となりました。当時当選一回生であった私たちは、宇野外相の政策も人柄も全く知らないままに、総裁選出のために開かれた両院議員総会で賛成の起立をすることになりました(自民党の党則には、緊急の場合は正規の総裁選を行わず、総裁を両院議員総会で選出できるとの規定があります)。その際、中曽根派幹部の先輩議員に「何故宇野先生なのですか?」と尋ねたところ「自分も宇野さんはよく知らないが、おそらく外交の継続性ということなのだろう」との答えが返ってきて、随分といい加減なものだと思ったものです。宇野政権は参院選の惨敗により69日の短命に終わり、またしても両院議員総会で後継に海部俊樹元文相が選出されました。正規の総裁選挙によらない選出に納得できない我々当時の若手議員は、総裁選の実施を求めて随分と行動したのですが、派閥幹部からの「これ以上やるのなら派閥を出ていけ!」という圧力は想像を遥かに超えるものでした。海部内閣も派閥の論理によって倒れ、その後の宮沢喜一内閣は内閣不信任案が可決されて、自民党の分裂と細川護熙内閣の成立による下野に至ります。
今までも、自民党本部があまりに国民の意識と乖離した時、政治は混乱に陥り、結果として国民生活に大きな打撃を与えてきました。ともすれば国民の思いや個々の議員の判断よりも、派閥の利害や数の論理が優先して総理・総裁が決まっていく、という自民党の在り方は、今回の派閥解散を契機として改められるべきものと思っております。
政策集団の役割が政策研究に特化し、人事と資金に関与しないこととなれば、従来派閥が担ってきた資金集めと配分、人事調整、各種選挙の応援は党が担うこととなりますが、そのためには党本部の組織を抜本的に強化せねばなりません。日常の政治活動や選挙にかかる費用を徹底的に見直した上で、資金集めを党に一本化するとともに、配分基準を明確にすることも必要となりましょう。人事においても、だれがどの分野に通暁しているかを評価する基準が必要となります。自民党政務調査会の各部会や国会の委員会でどのような活動や質問をしてきたか、議員連盟での活動、政府での役職などを正確に把握し、評価できるシステムが必要となります。各種の選挙応援も、国会議員のみならず都道府県・市区町村の首長・議員に至るまで、党として最も相応しい応援の体制を構築せねばなりません。決して容易なことではありませんが、この膨大な作業を経て初めて自民党は「近代的な国民政党」になるように思います。
能登半島地震の被災地における過酷な状況は、関係者の懸命な努力にもかかわらず、今週も画期的な進展を見るには至りませんでした。年度末を控えて補正予算を組むことも困難なため、予備費で対応することはやむを得ませんが、避難所の環境を抜本的に改善するためには「国民保護庁」(「防災省」がそれほどに嫌であれば)的な政府機関の新設が急務であるとの思いを、今週の国会衆・参の予算委員会質疑を聴き、さらに強く致しました。甚大かつ深刻な被害がすでに予想されている首都直下型地震や南海トラフ地震に、今の態勢で十分に対応できるとはとても思われません。
第二次大戦中、我が国の多くの将兵は戦場にありながら弾も撃つことなく疾病と飢餓で亡くなり、多くの市民は焼夷弾による空襲から逃れることも許されずに命を落としていきました。その検証と反省、責任の追及と明確化を徹底的に行わなかったことが、今日に繋がっているように思われてなりません。小泉内閣で有事法制を成立させた際、国民保護体制と民間防衛組織の整備についてさらに精緻に法制化すべきでした。
災害では時間の経過とともにその被害が縮小していくのに対し、有事(戦争)ではこれが拡大していくという違いがあるのに加え、災害時は自衛隊・消防・警察という危機対応組織が動員できるのに対し、有事においては自衛隊が敵の排除に全力を尽くすため、国民保護にあたる余力は乏しい場合が生じ得、民間防衛組織が消防や警察の役割を補完的に担わねばならなくなります。消防団や水防団も団員の減少や高齢化に直面しており、十分な対応は難しくなっています。本来、政治はこのような状況を解決することを目的とするものではないのでしょうか。その責務を果たせていないことを深く反省しております。
1月も最終週となり、来週はもう2月に入ります。
寒さ厳しき折柄、皆様どうかご自愛くださいませ。
石破 茂 です。
防災や災害対応に一元的に当たる省庁(「防災省」「危機管理省」など)の設置の必要性をここ十年以上訴えているのですが、一向に実現の兆しすら見えてきません。私が訴え続けながら実現の目途が立たないもう一つがシェルターの整備なのですが、こちらは議員連盟ができたりと少し動きが出てきています。防災省は今のところ全く動きがありませんし、残念ながら同調して下さる方もあまり見受けません。
初動体制の遅れ、劣悪な避難所の環境、災害関連死の多発等々、阪神淡路、東日本、熊本と平成になって以来幾度も大震災を経験しながら、毎回同じようなことが指摘されるのは何故なのか。
欧州有数の地震国であるイタリアにおいては、避難所に一番先に届くのはコンテナ型のトイレ、次にキッチンカー、そして簡易ベッドが数日のうちに届くのだそうです(TKB)。簡易ベッドは基本的に家族単位の10人程度収容のテント内に設置され、エアコン完備。キッチンカーで提供される食事はワイン付きのイタリア料理のフルコース。「温かくておいしいものを食べれば元気になる。生活を立て直すためにはこれが一番大事なのだ」とは担当者の言です。プライバシーも確保されず、非衛生的な、人権無視とも言うべき劣悪な避難所生活を強いる我が国との違いに愕然とさせられます。家族も家も生活基盤も失い、生きる希望すら失いつつある人々に対してこそ、最も手厚い支援がなされるべきという、実に当たり前のことが行われないのは何故なのか。
この体制はイギリスで、第二次大戦時のドイツのミサイル攻撃から逃れるために地下鉄に避難した多くの市民が雑魚寝状態となり、感染症やエコノミークラス症候群などの疾病に見舞われ、関連死が多発した教訓により徐々に整備されていったもののようで、欧州では発災から3日以内に簡易ベッドが整えられる体制が整備されているそうですが、日本では基本的に関東大震災時のままの状況が続いています。
空襲被害を防ぐ目的で制定された「防空法」は、市民を避難させるどころか「焼夷弾の火は簡単に消せる。逃げずに火を消せ」と市民の避難を禁じて多くの犠牲を出しましたが、基本的な体制は当時のままとしか言いようがありません。
防災予算を要求する専門省庁がなく、災害の度に各省が補正予算を要求するため、災害対応資材の計画的な備蓄も出来ません。これは人材においても全く同じことです。これが先進国のやることなのか。自らに対する深い反省も込めて、憤怒に近い思いがしてなりません。
イタリアでは現在、全国民の0.5%分のテント、トイレ、キッチンが備蓄されており、10年以内に地震と津波が予想されているシチリアではこれを住民の3%まで増やす計画なのだそうです。首都直下型地震や南海トラフ地震が確実視されている我が国の現状を思うとき、戦慄に近いものを感じます。もう一度、声を更に大にして、危機管理省庁設置とシェルター整備の必要性を訴えて参ります。ご賛同の輪を広げていただければと存じます。
岸田首相が岸田派・宏池会の解散を表明され、安倍派・清和会、二階派・志帥会は解散を決定しました。
清和会、志帥会は会計責任者の起訴を受けてということですが、総理・総裁が岸田派を解散するのは、同様に立件される見通しとなったからなのか、それとも派閥そのものの存在意義を否定するお考えなのか、まだ判然としません。
いずれ、総裁が本部長を務められる政治刷新本部かどこかの場で、総裁ご自身のお考えが述べられることと思っております。
かつて自民党が危機に陥った時、それは決まって結論に至る経緯に起因するものでした。今回はその轍を踏むことの無いよう、党所属議員の一人として果たすべき責任を果たしたいと思っております。国民の理解と共感を得て、自民党が信頼を取り戻す道は決して平坦ではありません。
週末は寒波に見舞われるようです。皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。
石破 茂 です。
旧年中はお世話様になり誠に有り難うございました。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
また、能登半島地震で亡くなられた方の御霊の安らかならんことを切にお祈り致しますとともに、被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。
能登半島地震は、都市部とは異なる過疎地域での災害の問題点を明確にしました。地震の巣のような日本においては、どの地域でも発災しうるのであり、早急に防災省的な組織を設立してあらゆるタイプの災害に迅速・的確に対応できる体制を整えるべきだとの思いを新たにしたことでした。
その都度都度に全力で対応していることは確かなのですが、今回もまた「自衛隊が逐次投入だったのではないか」「災害関連死が多く出るのではないか」「二次避難の体制が遅いのではないか」等々の批判が出ています。自治体、警察、消防、自衛隊など、現場が不眠不休、全身全霊で対応しているにも拘らず、毎回のようにこのような批判が出るのは極めて残念なことです。
東日本大震災の際、観光庁が中心となって観光地等のホテル、旅館を二次避難先とする仕組みが提唱されたように記憶しているのですが、これを全国的に迅速に機能する体制をつくることも急務ではないでしょうか。水も食料もトイレも風呂もない酷寒の中、避難所や車の中で生活しておられる方々の苦難を一分でも一秒でも早く解消することこそが最優先だと私は思います。内閣府にある防災担当部署を発展的に改組し、専門的人材を終身的に雇用・育成し、知識と経験が伝承される「防災省」の創設を今一度声を大にして訴えたいのです。
能登半島地域の水産業も壊滅的な被害を受けています。自民党水産政策の責任者として、早急に対策を樹立し、現地の水産関係者に一刻も早く安堵して頂けるよう努めてまいります。
昨日党本部に、総裁を長とし、40名近くの議員で構成される「政治刷新本部」が発足し、議論が開始されたと報道されています。派閥のパーティ券収入の「裏金化」問題は、派閥による自己解明がなされない以上、検察の捜査に委ねる他はありませんが、「政治刷新」と銘打つからには国民の多くが共感・納得する結論を得なければなりませんし、その中核に「派閥の存在」があることは論を俟ちません。
政策グループは政策研究や各種選挙の支援等、党本部ではカバーしきれない分野を補う機能を持つべきですが、単なるポストと資金の配分機能に特化しているとすれば、国民のニーズとの乖離は明らかです。
政治改革大綱の理念は、二大政党制を前提として、政党の機能を強化するという方向性でした。今回もこの理念を踏襲するのであれば、ポストと資金配分の機能につき、一定の基準のもとに党に一本化することを考えることになるのでしょう。
昨年の年末、かなり丁寧に選挙区内を廻ってみたのですが、永田町の感覚とは大きな差があることを実感します。これは鳥取県のみならず、全国的な現象であるはずで、これを見誤ると政権の維持自体が困難になるように思われます。この現状を決して甘く見てはなりません。
極めて当然のことですが、政治を変える力を持っているのは主権者である国民であり、それ以外にはありません。期日前投票の制度がかなり整備されて、投票の利便性が格段に向上したにもかかわらず、投票率がここまで低いことに強い危機感を覚えています。
「投票したい候補者がいない」「投票したい党がない」と言うのであれば、それを明確に示す白票を投じてこそ意義があるのだと思います。棄権という選択では、どのような意思に基づくものなのかが全くわかりません。敢えて言えば、「国の安全保障がどうなろうが、財政や社会保障がどうなろうが私の関知したことではない」「誰が政治をしても同じことだ」という有権者が多い国の将来が、明るいものになるとは私にはどうしても思われません。
「投票したい候補者がいない」というのであれば、各政党の候補者の選定の部分から党員等になって関わっていくことも必要でしょう。この地域の代表として相応しい、と思える自分の身近の人を発掘し、各政党の候補者として推薦したり、支持する人を増やしたりすることは、有権者教育の進んでいる北欧では至極当然のこととして若者が多く関わっていると聞きます。
また、投票義務制に多くの反対論があることをよく承知してはおりますが、民主主義が健全に機能するためには、より多くの投票が必要です。国民主権における主権者の責任の重さは、民主主義の価値と極めて近似したものであるように思われます。主権者と我々政治に携わる者との間には、強い信頼関係とともに適度の緊張関係があるべきですし、我々は常に主権者に対する畏れと怖れの念を失ってはなりません。
年明け以来、体調の不良が続いており、何とか早く回復したいものだと願っております。
寒さが続く日々、皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。被災地の皆様の少しでもの安らぎを心より念じております。