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2024年2月22日 (木)

徳島市長選、鳥取県議補選など

 石破 茂 です。
 明日は徳島市長選挙に立候補予定の福山守・前衆議院議員の事務所開きに出席致します。「阿波戦争」という言葉があるとおり、徳島の政情は常に複雑なのですが、長年の同志である福山先生のお役に少しでも立つことが出来ればと思っております。

 

 地元鳥取の県議会議員(鳥取市選挙区)補欠選挙は3月15日告示、3月24日投票の日程となり、自民党鳥取県連として、無所属で立候補予定の山本暁子氏(42歳)を推薦する方向で調整を致しております。鳥取市では数十年ぶりの女性候補の擁立で、大阪府立大学卒、猟師、ITエンジニア、というユニークな経歴の持ち主である同候補予定者を、全力で支えて参りたいと思っております。
 この補選には自民党系の他に、立憲民主党系、維新、共産党からも立候補が予定されており、昨年の本選挙とは一転、多彩な顔ぶれの本格的な選挙戦となりそうです。国会開会中のためなかなか時間は取れませんが、自民党に逆風が吹く中、出来る限り時間を捻出して鳥取に入りたいと思っています。他人様の選挙の応援は、決して出しゃばらないことをよく念頭に置きながら、自分の選挙以上に誠意を尽くさねばならない、と随分と昔に先輩議員に教わりました。自民党の再生は鳥取から、との思いのもと、もう一度初心に立ち返って、臨んでまいります。

 

 2月26日月曜日午前9時より、1年振りに予算委員会で質疑に立つことになりました。時間は25分ですのでそれほど多くは訊けませんし、丁寧な答弁をいただくと2問か3問で終わってしまうので、質問の構成には相当の工夫を要すると思っています。一部では「岸田・石破対決」などと面白おかしく報道されていますが、与党質問ですから、よく弁えて臨みたいと思います。

 

 週末は、徳島市での福山先生の事務所開きの後、岡山市の岡山市民大学で講演、いったん選挙区に帰ります。
 24日土曜日は都内の草莽塾で講演の予定です。
 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

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2024年2月16日 (金)

政党法など

 石破 茂 です。
 今週も予算委員会は大半の時間を政治資金パーティと旧統一教会関連の質疑に費やしました。どちらも自民党の問題であり、このようなことで大切な予算審議の時間を使ってしまうことの責任はすべて我々にあります。「政治に信頼が取り戻されない限り、予算審議など出来ない」との野党のご主張もごもっともですが、これらのスキャンダル系の議論は予算審議とは切り離して、別途特別委員会を作って行われるべきでしょう。予算委員会と特別委員会は並行して審議をすればよいのです。肝心の予算に関する審議がほとんど行われないのは国益を大いに損ねています。
 何分昔のことであまり記憶が定かではありませんが、子供の頃国会中継を視ていて「予算委員会なのに何で予算の話を全くしないのだろう」と不思議に思ったものでした(昭和41年、佐藤栄作内閣の「黒い霧疑惑」の時期だったかと思います)。経済は高度成長期であり、それが「恐怖の均衡(MAD)」によるものであったとはいえ、東西の力がバランスした冷戦期の一種安定した国際状況と今とでは内外の状況が全く異なるのに、国会だけが旧態依然であってよいとはとても思われません。

 

 「政治とカネ」の問題も、結局は政党の統治(ガバナンス)の問題に帰着するのですが、残念ながらこれを律する政党法についての議論が国会では全く行われていません。自民党の派閥は政策研究や人材育成の集団というよりも権力獲得集団というのがその本質であり、そのための手段が資金とポストであったことは多くの人が知るところですが、最大与党の党首選挙は事実上の首相選挙であるにもかかわらず、そのルールと運用がころころ変わるというのはどう考えてもおかしくはないでしょうか。かつて自民党の総裁選挙では、国会議員や選挙権を有する地方の代議員一人当たり百万円から千万円単位で現金が乱れ飛んだと言われていました。今はそのようなことはないとしても、極端な言い方をすれば、総裁選で買収を禁じるような明示規定はありません。選挙人の範囲や選挙期間などのルールがその都度変わるようなことで、正当な選挙と言えるとはあまり思われません。民主主義社会において政党が大きな公的性格を持つ以上、党綱領の制定、党首選挙のルール、意思決定のあり方、政党支部数、政党助成金使途の明確化、各級選挙の候補者の選定方法などを定めた政党法について、早急に議論を開始すべきものと考えます。自民党内の「政治刷新本部」は、このような大きな課題にも正面から取り組んでもらいたいと切に願います。

 

 日本のGDPがドイツに抜かれて世界第4位に転落したことが話題となっていますが、そもそもGDPは付加価値の総和であって、国民の豊かさと直接関係があるわけではありません。社会の目的は生活を豊かにすることであって、GDP自体が政策目標になるものでもありません。技術の進歩によって製品の性能や耐久性が向上し、価格が下がれば(薄型大画面テレビは十数年で価格が三分の一になりました)生活が豊かになってもGDPは下がりますし、社会資本整備によって利便性が向上して生活が豊かになってもGDPの増加には寄与しません。
 フィリップ・コトラー氏(マーケッティング理論の提唱者の一人)の論考によれば、「適切な所得再分配をする上で、ミルトン・フリードマン氏が掲げた株主第一の資本主義には、雇用を増やせば人々が幸せになれるかについての考察が無いという致命的な欠陥がある。GDPは産出の増減の指標に過ぎず、これが増えれば人々が幸せになるのではない」「ドラッグや銃などの『筋の悪い製品』の販売促進や、まだ十分に使えるモノを計画的に陳腐化させて利益を出すような『筋の悪い商法』は、GDPを上げても人々の幸福を増進させることはない」などの所説には首肯させられる点が多くあります。かつて国民総幸福量(GNH)なる概念が提唱され、ブータンがこの指標が高い国として注目されたことがありました。ブータンが日本よりも幸福かどうか、そもそもなにが幸せか、など、もっと本質的な議論を進めてもいいのではないでしょうか。

 

 昨年統一地方選挙が終わったばかりなのですが、鳥取県議会鳥取市選挙区に2名欠員が生じましたため、3月15日告示、24日投開票という日程で補欠選挙が行われる見通しとなりました。自民党に対する批判が強い中、何とか議席確保をするため努めていかなくてはなりませんが、急遽の選挙で、まず候補者選びから始めなくてはならず、来週はこの作業もしなくてはならないと思っております。

 

 立春も過ぎ、啓蟄まではお雛様を飾る時期となるようです。私には年の離れた姉が2人いるのですが、彼女たちが大学生だった頃、鳥取の家にかなり立派な雛飾りがあったことを懐かしく思い出します。あれから60年余が経過しましたが、日本全体が今よりずっと貧しくても、様々な素敵な風習が残っていた心豊かな時代だったように思います。このようなことを考えるのはやはり齢を重ねた所為なのでしょうね。
 まさしく三寒四温、不安定な天候が続いています。皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

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2024年2月 9日 (金)

福音派など

 石破 茂 です。
 今週は連日、予算委員会に出席しておりました。相変わらず野党は顔見世興行のように質問者を数多く立てて、議論が一向に深まらないままに時間が過ぎていく状況が続いており、これではどんなに自民党の支持率が低下しても野党の支持率が上向かないはずです。
 かつて小泉政権下で「小泉劇場」と呼ばれた頃、国会中継の視聴率は下手なドラマよりも高かったのですが、今は一桁前半も行けばよい方なのではないでしょうか。野党第一党の立憲民主党は、「次の総選挙で政権交代を実現する」と言うからには、「次の内閣」の総理大臣(泉健太代表)を筆頭に、各「閣僚」を質疑者に立てて、現政権の閣僚よりも力量が優れていることを示さなければ、国民の期待が高まるはずはありません。かつて鳩山由紀夫内閣が誕生して政権交代が実現した時は、鳩山、岡田、前原、枝野、原口各氏をはじめとする論客の代議士たちが相当の時間をとって自民党・公明党の閣僚たちとスリリングな質疑を交わしたものですし、我々が野党の時もそのような議論を鳩山・菅・野田内閣の閣僚と展開して政権奪還を果たしたものでしたが、今は全くそのような気迫が感じられません。来週以降の予算委員会に期待したいものです。

 委員会の質疑を聴いていて、どうにも気になって仕方がないのですが、質問者が「ご質問させて頂きます」、答弁者が「ご答弁させて頂きます」などと、いちいち「ご」を付けるのはおかしくないのでしょうか。ほとんどすべての質問者、答弁者がこのような言い方をしていることに強い違和感を覚えています。もっとも、ものの本によればこの「ご」の使い方は二重敬語には当たらず、これで正しいのだということなのだそうで、日本語は難しいとつくづく感じております。

 賃金引上げ税制についても議論が交わされていますが、前回も記したように、賃金引上げを政府が主導して行う先はどうなるのか、不安が残ります。「官製賃上げ」で恩恵を受ける労働者の数、一部の労働者の賃金引き上げを税金という国民全体の負担で行うことの効果、施策としての持続可能性など、疑問がぬぐえません。
 地方創生大臣在任中、とある講演で、「株が高くなって嬉しい人」「円が安くなって嬉しい人」に手を挙げるようにお願いしたことがありました。「株なんか持っていない」「最近輸入食品の価格が上がった」などを理由に、賛意を示す人が少なかったのに比べ、「金利がゼロに近くなって悲しい人」に手を挙げるようにお願いしたら、随分と多くの人が手を挙げたのが極めて印象的でした。聴衆に高齢者が多かったせいもあったのでしょうが、これが多くの国民の実感ではないのでしょうか。
 高齢者の持つ預貯金は全体の3割の650兆円にも達しており、この層がおカネを使うようになれば日本経済の様相は随分と変わるように思われます。金利の上昇は当然ながら多額の借金を抱える企業や住宅ローン利用者の負担増となりますし、国債費の増嵩をもたらすことにもなりますが、これらに細心の注意を払って慎重に実現をめざす他に、経済の体質を根本的に変えることは出来ないように思います。
 私が銀行に勤めていた昭和50年代後半、普通預金は3%、定期預金は商品によっては8%近い金利がついていたように記憶します。それでお孫さんにプレゼントを買ってあげたり、ご夫婦で旅行に行かれたりしていたことを考えると、難しい金融理論も大切なのでしょうが、国民の実感に近い政策もまた必要なように思います。

 ロシアのウクライナ侵略は厳しく批判しても、イスラエルのガザ攻撃は「自衛権の行使」として国連安保理で拒否権を使って擁護するアメリカの外交姿勢をどのように理解すべきなのでしょうか。
 「イエス・キリストを十字架にかけよ、その責めは自分たちが負う」とローマ総督ポンテオ・ピラトの前で声高に主張したのはユダヤ教徒たちだ、それゆえにすべてのユダヤ人はキリストの処刑の責任を負うべきだ、としてユダヤを迫害することを反ユダヤ主義というならば、おもにヨーロッパのキリスト教徒(カトリック)の指導層によって反ユダヤ主義は教義として固定化され、ゆえにユダヤ人は長く迫害を受けて世界各地に離散してきました。これに対して、アメリカ全人口の3割を占めると言われる福音派(エヴァンジェリカルズ)は「ユダヤ人迫害は間違っていた」とし、「ユダヤ人が約束の地であるイスラエルに多く帰還し、エルサレムにユダヤ人が集まるほどキリストが暮らしていた頃のパレスチナに近づき、キリストが千年至福王国の王として復活する」とし、これがイスラエル支持の源流となり、この至福の王国の実現は1948年のイスラエル建国によって可能となったと考えるのだそうです。この福音派の影響はどれほどのものなのか。
 我々はアメリカを唯一の同盟国とし、日米同盟を基軸として外交を展開していますが、そのアメリカをどれだけ理解しているのか、己を顧みて今更ながら甚だ疑問です。今週、東京女子大学学長の森本あんり氏やイスラム研究者の宮田律氏の著作に接し、精読する必要を強く感じました。

 かつてリクルート事件を受けて自民党政治改革本部長に就任された伊東正義元外相・元官房長官が、清廉潔白で本当に立派な、真の国士とも言うべき方だったことは以前、この欄でも述べました。不覚にも今回初めて知ったのですが、1980年9月23日の国連総会一般討論において伊東先生は、「日本は、公正かつ永続的な中東和平実現のためには、イスラエルが1967年戦争の全占領地から撤退し、且つ国連憲章に基づき、パレスチナ人の民族自決権を含む正当な諸権利が承認され、尊重されなければならないと考えております」と述べておられました。今このような発言をすれば「テロリストの味方なのか」との批判が殺到することが容易に予想されますが、もう一度先人たちの足跡を辿る必要があると痛感しています。

 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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2024年2月 2日 (金)

国民保護と人権など

 石破 茂 です。
 能登半島震災の避難所の現状を見るにつけ、災害関連死が後を絶たないような状況がひと月も続いている日本国とは何なのかをつくづくと考えさせられます。プライバシーが最低限確保されるテント、コンテナ型トイレ、キッチンカー、段ボールベッドをイタリア並みに全国民人口の0.5%(約60万人分)確保するとして、どれほどの予算と期間を要するのか、試算すらないのが現況ではないでしょうか。ネットを見る限り、コンテナ型トイレが1基1000万円程度、キッチンカーが1台500万円程度、段ボールベッドが1台1万円程度かと思われますが(詳しくご存じの方はご教示ください)、10年計画で備蓄を積み重ねていけば相当のことが可能となるはずですし、2031年までの時限官庁である復興庁を発展的に改組する形で「国民保護庁」的な官庁を設置すべきものと考えます。被災者には人権が十分に保障された支援を求める権利があるのですし、これを提供する義務を負うのは財政力にばらつきのある地方自治体ではなく、国家であるべきです。
 地方創生担当大臣在任中の訪米時にアメリカの連邦緊急事態管理庁(FEMA)長官と意見交換をした際、長官が「FEMAの役割は災害時に強大な権限を振るうことではなく、全米のどこで災害が起こっても同じ対応が出来るように環境を整備し、為政者や行政官を教育することである」と語っていたのが極めて印象的でしたが、我が国もこれを範とすべきでしょう。今回の能登半島地震に関する報道で、防災省(国民保護庁)的な官庁創設の必要性を指摘したものがほとんど皆無に等しいのをとても残念に思っております。
 なお、今回の能登半島震災の対応については、濱口和久拓大教授の「政府の初動対応は遅かったのか」(「正論」3月号所収)が優れた論考だと思いました。

 

 日本はともすれば国民一人一人を保護するのが政府の役割であるとの意識が希薄であるように思います。
 第二次大戦において死亡した将兵の約半数が病死・餓死であったとされています(防衛省防衛研究所編・戦史叢書他の資料による)。空襲時に市民に避難することを認めず、消火を義務付けて多くの死傷者を出すに至った「防空法」もそうであったように、国民を犠牲にしても構わないとの発想は一体何処から出てきたのでしょう。私自身の不勉強によるものですが、この防空法の存在を知ったのは小泉内閣の防衛庁長官在任中に有事法制と国民保護法制を手掛けた時が初めてで、それまでは全く知りませんでした。この国は一貫して国民軽視の国なのかもしれません。戦後の日本は違うのだ、との反論もありそうですが、ドイツやイタリアと違い、よきにつけ悪しきにつけ、実は国家体制として戦前と戦後が相当に連続していることをよく認識すべきなのだと思います。

 

 来年度予算において賃金引き上げのための予算措置が講ぜられることになり、予算審議において議論されることとなりますが、賃金引き上げは日本経済にとって必要であっても、それは本来経営者と労働者の協議によって決せられるべきものであると思っています。憲法によって労働者に基本的人権の一環として争議権や団結権が保障されているのはこのためですが、近年ストライキが行われた例はほとんどないようです。
 ピーク時の1974年に比してストライキの件数は約160分の1の33件、参加者数に至っては約5000分の1の744人というのはどう理解すべきなのでしょう。労使協調の麗しい姿、と手放しでは評価出来ないように思うのは私だけなのでしょうか。権利を行使しない、という点では近年の投票率の低下と通底するものがあるように思われてなりません。良い政治も、労働者の正当な待遇も、権利を有する者がこれを正当に行使して満足に得られるものであり、我々政治に携わる者や経営者はこの上ない誠意と緊張感を持ってこれに応える義務を有するのだと思っております。

 

 派閥の解散が続いています。派閥から資金とポストを切り離し、純粋な政策研究グループに移行するのは望ましいことですが、今までの各派閥の合従連衡が果たして政策によって行われたのかは甚だ疑問です。かつての水月会は政策研究に重きを置く集団でありたいと願っていましたが、私の不徳や努力不足によるところも大きく、求心力を維持することが困難でした。今後新しく生まれるであろうグループが政策を研究・錬磨し、国家国民のために有為な存在となることを期待しています。

 

 皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

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