「モンテロッソ」など
石破 茂 です。
昨30日木曜日、沖縄県議会議員選挙(6月7日告示・16日投票)に向けた、新垣新(しんがきあらた)県議の後援会集会に出席のため、久しぶりに沖縄県糸満市に行って参りました。
昭和20年3月末から6月末にかけて沖縄では日本唯一の地上戦が行われました。その末期、海軍地上部隊の指揮官(沖縄方面根拠地隊司令官)であった大田実少将は、海軍次官に宛てた6月6日の電報で、沖縄県民が沖縄防衛のためにどれほど献身的に尽くしたかを綴ったうえで、「沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ。県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と結びました。県民の4人に1人が命を落とした沖縄戦の実際をきちんと学ばなければ、戦争や平和について語る資格はないと今更ながらに痛切に思います。魂魄(こんぱく)の塔、ひめゆり平和祈念資料館、平和の礎(いしじ)など、沖縄戦を今日に伝える場所は、今を生きる日本人すべてが訪れるべきです。昭和32年生まれの私自身、小学校から大学まで沖縄戦について学んだことはほとんどなく、上記の地を訪れたのも国会議員になってからでしたが、その時に受けた衝撃は実に大きなものでした。「かく戦へり」を今一度学ぶとともに、「特別の高配」がなされているのか、その検証の必要性を改めて感じたことでした。
昨30日午前、岡山市で開催された全日本建築板金業者の全国大会に振興議員連盟の会長として出席して参りました。本年4月から建設業の就業者に対しても時間外労働の上限規制が適用になりましたが、元受が短い工期を設定するとどうしても建設板金業や左官業、鳶職などの下請けの現場にしわ寄せが行くこととなり、この規制に抵触するような事態が起こりかねません。建設業に従事する就労者は480万人で全就業者の約7%を占めますが、この方々の残業収入の減少にもよく留意する必要があります。「働き方改革」自体は評価すべきものですが、現場の実情と乖離が起こらないように制度を調整しなければなりません。振興議連として、適切な工期と価格の設定がなされることを今後とも政府に対して要望して参ります。
東京渋谷・道玄坂にイタリアンレストラン「モンテロッソ」が開店し、先日プレオープンセレモニーと試食会に参加して参りました。
同店は建設現場の足場などのリースを本業とする日建リース工業が直営するのですが、提供される魚は同社が開発した、全国各地の港から魚を生きたまま低コストで輸送できる「活魚ボックス」で送られてきたもので、これは実に画期的なシステムです。以前、自民党水産総合調査会のスマート漁業に関する勉強会でのプレゼンの際にもとても面白く思ったのですが、私の地元の「モサエビ」が鮮度を保ったまま美味しく提供されたのを試食して、心から感嘆したことでした。このエビは鮮度の落ちが速いため、美味なのにほとんど全国に流通しないのですが、このような低利用魚に付加価値を付けて販売し、漁業者や漁村の雇用と所得を増大させるのはとても素晴らしい取組で、民間の創意工夫の素晴らしさを実感したことでした。お近くにお出かけの際はぜひお立ち寄りくださいませ。
来週6月5日午後9時より、TBS系列で「もしも今富士山が噴火したら?超緊急事態シミュレーション」と題する番組が放映予定で、私も解説者のような立場で少しだけ出演致します。
昨年も同様の企画があり、テーマは「もし東京に巨大隕石が落下したら」というものでした。巨大隕石の落下は直近では2013年2月15日にロシア・チェリャビンスク州で実際に発生しており、その際に放出されたエネルギーは広島型原爆の20倍であったそうです。そして火山学者によれば、記録に残っているだけでだいたい過去70年に1回の頻度で噴火を起こしている富士山が、1707年(元禄時代)の宝永の大噴火以来300年以上も沈黙していること自体が不気味なことだとされています。元禄時代の学者・新井白石が残した記録によれば、江戸市中には2週間にわたって火山灰が降り続けたのだそうで、仮に今同じことが起これば、飛行機も電車もクルマも全面的にストップするのみならず、火山灰の細かな粒子が入り込んだコンピューターはすべて機能障害を起こし、電波障害でスマホも使えなくなり、停電や断水などによって社会活動は完全に停止し、目や呼吸器などに疾患を起こした人々が医療機関に殺到して医療体制も崩壊、光合成が出来なくなった作物も枯死し、家畜も全滅して食料の提供も途絶する事態が予想されます。徒に脅かすつもりはありませんが、ドイツの保険会社が、災害の蓋然性が高い上にヒトとモノが極度に集中している東京を「世界一危険な都市」と算定していることの意味は、こういうところにあるのかもしれません。
この期に及んでもなお、国民の保護体制を一元的かつ継続的に企画立案する政府組織の必要性が認識されないのは、政治の不作為以外の何物でもありません。戦争であれ災害であれ、政治が安易な楽観論に流された時、その報いを受けるのは一般の国民なのです。
明日から6月に入ります。6月といえば、1993(平成5)年6月18日、宮沢内閣不信任案が可決されて衆議院が解散となり、自民党が分裂、下野した時のことが強烈な記憶として思い出されます。あの時、宮沢総理は「(衆議院の選挙制度改革を柱とする)政治改革は必ずやる。私は嘘をついたことがない」とテレビ番組で発言されたのですが、自民党内の意見をまとめることが出来ず、衆議院選挙制度改革法案は次期国会へと先送りになりました。これに反発した野党から内閣不信任案が提出され、自民党竹下派の羽田・小沢グループが同調して、同案は可決されました。
小選挙区比例代表並立制への移行は、自民党として正式に党議決定され、その後の衆・参国政選挙でも自民党の公約として掲げたものでしたが、これを総務会の決定で覆すという手法には私もどうしても納得ができず、当時拝命していた農林水産政務次官の辞表を提出した上で不信任案に賛成したのでした。
あれから30年の歳月が流れ、自民党は再び政治不信の渦中にありますが、党・内閣の人事や解散の有無が盛んにメディアで取り沙汰はされても、あの時のような熱気や高揚感は全く感じられません。我々政治に関わる者が己の利害を捨てて、国家の在り方を国民に正面から問うとの気概が失われてしまったことがその大きな原因であるように思われます。30年前の伊東正義・政治改革本部長や後藤田正晴・本部長代理などの大先輩のような存在に、到底なり得なかった自分の不徳と至らなさを反省するばかりです。
今週、半藤一利氏の遺稿となった「戦争というもの」(PHP研究所・2021年)を読み返して、感慨新たなものがありました。「昭和史」三部作(平凡社・2009年)も、もう一度読み直してみたいと思います。
皆様、ご健勝にてお過ごしくださいませ。